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STORIES 2018/12/13

孤独な子は、良いパパになれない

良いパパ、理想の家庭人として信頼、尊敬されるタレントがいる。マルチに活躍する長身・美男子のユージさんである。サラッと家族との触れ合いをSNSにアップし、自分の考えも率直にコメントする姿勢を、多くのパパ・ママが支持。単なるタレントとは一線を画す存在となった。そのナチュラルさとアットホームなオーラのルーツはどこにあるのか。答えは彼のキャリアにあった。

“元不良”のエピソードを持つ芸能人は多い。しかし、過去と現在のギャップの激しさでは、タレントのユージさんがトップクラス。今でこそDIY好き、子ども好きの素敵なお父さんだが、かつては実の母親に見捨てられるほどのワルだった。
生まれはセレブなのに極貧という複雑な家庭環境。唯一の家族である母は仕事で不在がち。日本語も不自由なユージ少年は非行に走り、孤独を深めていく。しかし、ファミリーの力によって暴走はストップ。大人になった彼は、誰よりも家族を大切にするナイスガイになっていた。

孤独な子どもだったから
家族の大切さが分かる

1987年、アメリカのマイアミに生まれたユージさん。ハリウッド俳優と元モデルの両親のもと、非常に豊かな家庭環境で育った。

「アメリカでの暮らしぶりは断片的に覚えています。強烈なのが庭の巨大プール。開閉式で雨のときはガラス張りの屋内型に変身。滑り台ってレベルじゃない、本物のウォータースライダーまであって……」

しかし、セレブでいられたのは5歳まで。両親の離婚により、母の故郷である日本へ戻ると、真逆の極貧生活に突入する。

「ド貧乏ですよ。母はたった一人で小さい僕を抱えて帰国。20数年前は今以上にシングルマザーへの風当たりが強くて、全然仕事が見つからなかったんです」

お金を稼ぐ手段だけではない。その日眠る場所の確保すらままならなかった。5歳児連れの無職の女性では、どの不動産業者も門前払い。

「八方ふさがりの母は、空き家探しに活路を。誰も住んでいない家って、近所に大家さん、持ち主がいるもの。直接交渉して安く借りようと思ったんですね。なんなら幼い僕もダシにする勢いで(笑)」

なかなかうまくいかないなか、いつものように東京・東村山市を親子で散歩、兼空き家探し。すると、大きな家の庭に古い小屋があるのを見つけた。早速、ユージママは玄関チャイムを押す。

結果として、そのご夫婦が住む家の離れ(小屋)が、18歳までの実家になる。

「家主のご夫婦は、母が卒業した大学の教授だったんです。何かの縁だから貸しましょう、となりました。もちろん破格の家賃です」

とはいえ、ユージママの就職活動は引き続き難航。しかし、予想外のアクションで状況打破を図った。

「母が起業したんです。大した結果は出せませんでしたが、それでも飢え死にしない程度には収入が得られるようになりました」

家に帰っても誰も話を聞いてくれない

当時のユージさんはインターナショナルスクール通いのため、英語しか話せない状態。しかし、小学校3年からは公立の学校に転入、片言で新しい生活が始まった。

「クラスメートに質問をたくさんされるのですが、うまく答えられない。それだけでもしんどいのですが、何より本名がトーマス・ユージ・ゴードン。『お前、機関車じゃん、なんでトーマスのくせに電車乗って学校来ているんだよ。』名前だけでからかわれちゃう。それで、友達の軽口に言葉で対抗できないから、殴る。泣きべそで家に帰っても母は仕事で不在。思いを吐き出すことすらできず、とても孤独でしたね」

会社経営の母親は多忙で、帰宅しても待っていてくれるのは置き手紙と夕食代 の500円硬貨だけ。

いじめられっ子を卒業するため不良に

いまひとつなじめないまま小学校を卒業。いじめられっ子、いじられキャラから脱却するため、ユージさんは分かりやすい“不良スタイル”で中学校の入学式に挑んだ。

「僕の地元は昭和の価値観が強めに残っているんです、今も。ちょっと悪い子は短ランにぶっといズボン、腰はきが基本。僕もまねして中学デビューを狙いました」

効果はてきめん。同級生から一目置かれ、からかわれることはなくなった。しかし、怖い上級生に呼び出されてしまう。

「ひどいつるし上げ。かと思いきや、結果としてかわいがられるように。見た目イキがっていても、中身は臆病でおとなしい僕。ビビりまくり、『違うんです、こういう事情で格好だけ気合入れているんです』って、釈明したら仲間に入れてくれました」

不良グループの一員だった中学時代。先輩たちに遊んでもらえる半面、ごく普通のクラスメートとの付き合いはあまりなく、母親との距離も広がってしまった。

「文字通り朱に交われば……です。もう母もさじを投げるほどのワル。彼女は僕を置いて家から出て行き、中学卒業の頃には一人暮らしとなりました」

早めの自立を余儀なくされたユージさんは、多くの先輩が携わる土木建築系の仕事で生計を立て始める。もっとも、付き合う仲間は変わらないため、周囲には引き続き迷惑をかけてばかり。しかし、転機が訪れる。

「ユージくん、元気? あなたは覚えていないだろうけど、私はあなたが小さい頃から知っているのよ」

ある日、母親の友人を名乗る、なれなれしい中年の女性が家にやってきたのだ。

「初対面からすごく親しげにしてきて。でも不快じゃない。次の日も、あくる日も、仕事を終えて家に帰ったらやってくる。最初はいぶかったんですが、だんだん打ち解けて、僕も彼女の来訪が自然で、楽しく感じられるように」

その女性はユージさんの悩みや胸の内をズバズバと言い当て、的確なアドバイスをくれる。心を許してなんでも話せる人となるのにあまり時間はかからなかった。

「これ、あげるわ。私が行くはずだったけど、都合悪くなったから」

渡されたのはアメリカ行きのチケット。5歳の時以来、足を踏み入れたことのない母国だ。驚きながらもうれしさや好奇心でいっぱいになり、職場の親方に3カ月の休暇をもらって渡米した。

ハリウッド俳優の父との1年間に及ぶ生活

「空港に降り立つと、ムキムキの白人が僕をニコニコしながら見ている。さらに、笑顔で近づいてくる。一瞬ですが、いろいろなことを考えました」

大きな白人男性はユージさんの名を呼びながら抱きしめてきた。

「そういやこの人、ガタイこそ大きいけど、顔は俺だな。そう、父でした」

格闘家のボブ・サップとほとんど同じサイズである父親との同居生活が始まった。ハリウッド俳優である彼、マイケル・ゴードンの日課は立派な体格を維持するためのジム通い。ロサンゼルスを拠点に、親子でトレーニングの日々を送った。

「父は僕を育てたかった。でも親権を取れず、泣く泣く離れたそうです。そのせいか新しい家族も作っておらず、喜んで迎え入れてくれました。そして、バケーション感覚でのんびり過ごしていたんです」

3カ月近く経ち、そろそろビザが切れるタイミングのこと。いつものようにジムで鍛錬していたところ、ユージパパは走って帰宅すると言い出し、車のキーを残して出発。ユージさんは一人で帰ることに。

「着替えようとロッカールームに行くと、僕のロッカーがこじ開けられ、荒らされているんです。周りの連中はニヤニヤしているだけ。外に出ると父の車のキーを手にしたギャングたちが待ち伏せ。返して欲しかったら着けているアクセサリーとバッグをよこせと言うんです。見れば19歳になっている自分より明らかに年下。まだキッズといえるくらい子たちでした」

プライドが従うことを邪魔し、NOと言ってしまう。しかし、年下とはいえ相手は集団。ナイフをチラつかせる者もいたそう。かなうわけがなく、車以外のすべてを奪われた。

「本物の不良とのコンタクトで、今までの自分がいかに小さく、くだらなかったかを気付かされました」

そして、一生懸命に育て、守ってくれた母親の心情を思い、罪悪感に打ちひしがれたそう。

「母とは何年も連絡すらとっていませんでした。早く帰って心から謝りたい。これから変わってみせると伝えたい!」

ところが、帰国は数カ月先延ばし。合計約1年のアメリカ滞在となった。ギャングにパスポートまで取られたためだ。

「ちょうど法律が変わったタイミングで、アメリカ人が一斉にパスポートを申請したんです。だから、外国人の僕は後回しにされたようです」

本気で芸能活動を開始。結婚し父親に

帰るめどがつくと、父親が今回のアメリカ滞在の裏話を打ち明けてきた。

「お前がこっちで食べたもの、買ったもの、すべて支払いはママなんだ」

ユージさんは日本に着くなり母親に電話。数年に渡る断絶がようやく終わった。以降、自他ともに認めるマザコンに。

「飛行機のチケットをくれた女性。空港で待っていた父。すべてが僕を立ち直らせようとする母の計画だったんです」

ワルぶるのをやめ、母親との関係も修復。彼は前を向いた。何にも真剣に取り組んでこなかった過去をリカバーするため、これからは両親のように必死にならなければ……。以前、夢中になりかけた仕事があったのを思い出した。

「俳優としてストイックに努力する父の背中を1年間見続けて、僕も芸能の世界に本気で挑戦したくなったんです」

一度は自分も足を踏み入れた芸能界。突っ張って周りの人々に迷惑をかけたまま、中途半端で投げ出してしまったことを後悔していた。

実はユージさん、15歳頃にモデルとして活動しており、人気テレビドラマへの出演も決定していたのだ。

「でも、衣装合わせの一週間前に事故で大けがをして降板。いろいろな人たちに迷惑をかけましたが、逆にふくれっ面するようなガキでした」

父親と再会し、刺激を受けた彼は大人になっていた。

「いつかハリウッドで父と共演したい」

明確な夢と目標を抱いて帰国すると、かつて所属していた事務所に謝罪。周囲の理解もあり、新たなスタートを切った。そして、以前キャンセルしてしまった人気ドラマの続編への出演をきっかけにブレーク。その後、バラエティ番組を中心に活躍し、誰もが知る人気者に。

「ありがたいことに怒濤の20代前半を過ごさせていただきました」

超多忙だった23歳の時、一般女性と出会い交際を開始する。彼女は6歳の息子がいるシングルマザーだった。

「全然驚かなかったですね。むしろ、一人で遊ぶ彼の姿が昔の自分と重なり、こいつのそばにいてやりたいと思いました」

幼い頃、母親の会社に勤める男性たちと遊ぶのが、とても楽しかったというユージさん。「母も遊んでくれましたよ。絵を描いたり、トランプしたりね。だけど、プロレスごっこ的な、男の欲しがる刺激が足りなかったんです」

案の定、彼女の息子もキックやパンチが大好き。ママには難しいラフな遊びのパートナーに、男子の寂しさを知るユージさんはピッタリだった。

どのパパ・ママもベスト・ファーザー&マザー

交際スタートから5年後の2014年に入籍。俳優にバラエティ、コメンテーターなど、相変わらず忙しい彼も今や3児の父に。16年にはベスト・ファーザー賞に輝き、良い父親の代表のように扱われる場面が多くなった。実際、「飲む・打つ・買う」はしない。何か我慢をしているわけでもない。単純に家族の笑顔を見ているのがいちばん幸せなだけ。

「僕には仕事か家族しかない。時々友人に言われます。『あまり良いパパぶりを表に出さないでくれ。妻に文句言われるから』って(笑)。でも、みんな家族が大好き。表現や状況が違うだけで、根本はみんな立派な親だと思います。それに、子どもにとっては自分のパパ・ママが毎年ベスト・ファーザー&マザーなんですよ。人の家庭と比べる必要なんてないんです」

僕は孤独からヤンキーを演じてしまい、多くの人々に迷惑をかけ、傷つけもしました。だけど、両親から愛されていることに気付き、比較的早い段階で本当の自分に復帰できました。望む仕事と家族にも恵まれ、充実した日々を送れています。全然、無理もしていません。それは、自分を見つめ直す機会に恵まれたからかも。不自然でストレスの多い状況なら、一度自分がどうしたいのかを考えるといいかもしれませんね
Profile ユージ

1987年生まれ。アメリカ出身。10代から芸能活動を開始し、2002年に映画『アカルイミライ』でデビューする。その後、モデルや役者として活躍し、バラエティにも進出。特技のイラストを生かして、CDジャケットのデザインなども手がけている。14年2月に結婚。現在、3児の父親として育児に奮闘。16年にはベスト・ファーザー賞とイクメン オブ ザ イヤーを獲得した。CBC『ゴゴスマ』、NHKラジオ第1『すっぴん!』等にレギュラー出演中。

オフィシャルブログ https://ameblo.jp/lp-yuji/
インスタグラム @yujigordon
ツイッター @yuji_lespros

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しなきゃ、なんてない。既成概念にとらわれず、自分らしく生きる人々のストーリー。

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