なぜ、シニアになると能力が下がると思われているのか。|法政大学大学院教授・石山恒貴に聞くシニア世代の働き方へのアンコンシャスバイアス

シニアが活躍する場が増えています。労働人口の中でシニアの割合が増え、働き方も多様化してきた今、「転職は35歳までが限界」などと言われた時代とは状況が大きく異なっています。

法政大学大学院教授の石山恒貴さんは、2023年に『定年前と定年後の働き方 サードエイジを生きる思考』(光文社新書)を上梓。シニアの雇用や働き方について、過去に蓄積された研究の上に新たな視点を提供しています。シニアの雇用や働き方、個人と組織のあり方について、石山さんにお話を伺いました。

法政大学大学院教授・石山恒貴さん

シニアの「福祉的雇用」を脱する

――シニアの雇用や働き方についての状況を教えてください。

石山恒貴さん(以下、石山):日本全体で少子高齢化が進んでいて、労働力の人口構成も変化してきています。総務省の「労働力調査」によると、2021年の労働力人口において55歳以上の人が3割以上の比率を占めていました(※)。また、日本社会全体がものすごく人手不足になっていて、今後はより深刻化していくことから、社会としても、シニアに働いてほしいという要請が生じています。

かつて定年の年齢の下限は55歳でしたが、60歳へと変わり、65歳定年制を導入する企業も増え、また70歳までの就業機会の確保が企業の努力義務とされています。

過去のシニア雇用は、「福祉的雇用」と呼ばれる状況でした。シニアが職場の戦力として中核になるとは考えず、社会的責任として雇用を行い、福祉的雇用のための業務を作り出していたのです。ところが、これからの日本社会ではそうは言っていられません。早く福祉的雇用の考え方を脱して、シニアを職場の中核と考える必要があり、企業のみなさんもそれに気付いていると思います。

労働力調査(基本集計)2021年(令和3年)

――企業にとって、シニア雇用推進の障壁となっているのはどのような点でしょうか?

石山:年金や退職金などが、今までの社会システムで作り上げられてきてしまっていて、変えにくくなっていることがひとつです。例えば年金制度を変えるにしても、3階建て企業年金の3階部分を変えるだけでも大変です(※)。

企業には、年金や給与も含めた総額人件費として、事前にある程度の想定があります。特に大企業は長期雇用が前提になっていることが多く、定年を前提として総額人件費の設定が組まれてきたので、それを急に変えることは簡単にはできません。

結果として、定年再雇用で年齢で一律に給料水準を下げ、その給与に見合う仕事をしてもらうわけですが、あとでお話しするように年齢で一律に能力が下がるわけではないので、システムに限界が来ていてみなさんが困っているのです。

※参考記事:日本の年金「3階建て」の仕組みとは?

シニアは知能が下がらず、幸福感が上がる傾向

――シニア雇用の領域で問題に感じられていることは、どのような点でしょうか?

法政大学大学院教授・石山恒貴さん

石山:エイジズムの問題があると思います。エイジズムとは、年齢で一括りに捉え、偏見を持ち、差別することです。特にシニアに向けた偏見や差別は顕著ですが、エイジズムはシニアに限った話ではありません。シニア世代がZ世代(1990年代半ばから2010年代序盤に生まれた世代)に偏見を持つこともエイジズムのひとつですよね。

しかし当然ながら、年齢ではなく、個人差が大きいのです。実際に、私はシニア世代ですがZ世代と同じ行動をしばしばとります。なんとか世代、というように世代で一括りにしてしまう考え方が問題です。

シニア世代に対してエイジズムを持つ若い管理職の発言を聞くこともあります。最近では、シニア世代が増えているため、若い管理職が年下上司となり、シニア世代が年上部下となることも多いです。そうした状況に置かれている人が「年上部下たちは使えない」「新しいことを学ぶ気もなくて、主体性もない」と発言するのを聞いたことがあります。部下が年上であるという理由だけでこのように決め付けることは、典型的なエイジズムと言えるでしょう。

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――シニアへの偏見として他にも特徴的なものはありますか?

石山:「シニアとは能力が衰えていく存在」と思われがちですが、最近の研究では違った捉え方がでてきています。

これまでよく知られてきた知能の研究では、言語能力など長年の経験によって蓄積していく「結晶性知能」と、処理のスピードなど新しい環境に対応する「流動性知能」があり、「シニアにとっては流動性知能が下がる部分を、結晶性知能で補うことが重要」とされていました。

しかし最近では、流動性知能も60代では高く維持され、明確に低下していくのは80代以降と示す研究が出てきているのです。つまり、流動性知能も結晶性知能も、60代、70代の場合、明確な低下は生じないということになります。加えて、過去と比べるとシニアの体力面の向上も続いています。

他には、幸福感に関する研究もあります。シニアになってくると様々な喪失や衰えを認識して不幸になると考えられがちですが、実は40代後半以降に主観的な幸福感がどんどん上がっていく傾向が見られます。これは「エイジング・パラドックス」と呼ばれています。当然これも個人差がありますが、働き方を含めて、自分にとっての人生の意義や目的を明確に意識して取り組みやすくなり、幸福感が上がっていく可能性があるのです。

サードエイジに「経験への開放性」を重視する

――シニアにとって大切な心がけにはどのようなものがありますか?

石山:「経験への開放性」が大切だと思います。今では、シニアでZoomやSlackを使っている人も多いですよね。

反対に良くないのは、“年齢を重ねると衰える”と思い込んでしまって、新しい経験をしなくなることです。今では新幹線や飛行機のチケットを取るのも、パソコンやスマホですぐできますが、例えばそれをいちいち誰かに頼んでしまうと、シニアの能力は衰えてしまいます。「自分はSlackを使いたくないから全部メールで送ってくれ」などもそうですね。

私が研究している「越境学習(※)」のように、年齢に関係なく好奇心を持って、新しいことにどんどん取り組んでいくことはおすすめです。ずっと同じところに居続けていると、その場所に限られた常識が無意識の前提になってしまうことがあります。あえていつもと違うところに行ってみて、新しい経験や考え方を身につけることで、偏見を持ちにくくなります。

※ビジネスパーソンが所属する企業や組織の枠を越え(越境して)学ぶこと

法政大学大学院教授・石山恒貴さん

――仕事に限らず、シニアの生き方や行動を考える上でのアドバイスをいただけますか。

石山:サードエイジの生き方を考えてみてはいかがでしょうか。ファーストエイジは、学生時代です。セカンドエイジは、仕事や家事・育児に注力しなければならない時期。そしてサードエイジは、セカンドエイジでは成し遂げられなかったことを達成する人生の充実期です。

伊能忠敬は商人として活躍した後、49歳で隠居しました。その後、幕府の天門方・高橋至時に師事し、熱心に天文・暦学を学びました。高橋至時は伊能忠敬よりもずっと年下で、言わば“年下上司”です。学びを経て、高橋至時が先に亡くなってしまった後、伊能忠敬は全国を測量し、日本地図を作ったのです。自分にとって意義ある目的を、サードエイジで追い求めた例です。

サードエイジで、「今まであまりにもハードに働いてきたから、もうちょっと時間に自由を持って働きたい」と考える人もいるでしょう。今は雇用に限らずフリーランス・業務委託で働くことも一般的になってきていて、マッチングサイトを活用することもできます。

また、社会や組織はシニアに働くことを要請しますが、働くことは個人の自由なので、ボランティアや他の社会活動をするのもいいでしょう。「学びたい」と考える方は、「自分は歳を取っているのだから今さら年下の人間の話は聞きたくない」と思わず、フラットに話せることが大事だと思います。

1950年代から続くシステムを変えるべき局面

――企業で働く人々にとって大切な考え方には、どのようなものがありますか?

石山:典型的な日本的雇用の企業において「もうシニアなんだから新しいことはやらずに今までの経験で語って、あとは若い人に任せて」と考えてしまうと、シニアの能力を落としてしまうだけでなく、若い世代への悪影響もあります。

これは「自己成就予言」で説明することができます。「自分がそうなってしまうと考えて行動していると、本当にそうなってしまう」ということを意味します。組織では、低い期待しか受けていないと、実際に低い成果しか出せないメカニズムが働くことがあります。つまり、企業で若手がエイジズムを持っていると、自分自身も歳を重ねていく時に偏見を取り除くことができず、新しいことにチャレンジしなくなり、幸福感を自ら下げてしまうのです。

企業においては、「シニアを大事にする」というよりも、多様な年齢層がいて、それぞれが自分に合った働き方で活躍している組織の方が高いパフォーマンスを発揮する事実があることを認識したほうがいいと思います。

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法政大学大学院教授・石山恒貴さん

――社会の側はどのように変化していくのが望ましいと考えますか?

石山:今の日本は、1950年代に最適と考えられていた仕組みに基づく考え方から、まだ抜け出しきれていないと私は考えています。戦前の日本では、労働者は頻繁に解雇されることがあり、経営と労働者は対立する傾向があり、職員と職工は差別されていたのです。ところが第2次世界大戦が状況を変えました。

そこで、戦後の1950年代に政府、労働者、使用者(企業)によって生産性三原則という合意がなされました。その内容は、政府や企業側は雇用を長期的に安定したものにすること、労働者側も雇用の保障を実現するための施策に協力し、そのためには転勤や残業も受け入れる内容でした。企業は景気や事業構造の変動を、この労働者の協力によって対応できるようになりました。そんな中で、定年制という年齢によって合理的に解雇できる仕組みが機能し、人件費も調整することができたのです。

現在では、メディアで「日本的雇用は崩壊した」と言われることもありますが、本質的な日本的雇用の特徴は維持されたまま、現在に至っていると私は考えています。それを時代にあわせて変えなければならない局面に来ているのではないでしょうか。

シニアになってから新しいチャレンジをする人が、周囲に増えてきた印象があります。また社会の側からも、人手不足を背景として、シニアに対する期待感は高まっています。エイジズムや福祉的雇用を乗り越えて作る、これからのシニアの働き方にそれぞれの立場から目を向けてみませんか。

取材・執筆:遠藤光太
撮影:内海裕之

Profile 石山 恒貴

法政大学大学院教授。一橋大学社会学部卒業。産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了。博士(政策学)。NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。主な受賞として、経営行動科学学会優秀研究賞(JAASアワード)、人材育成学会論文賞、HRアワード書籍部門最優秀など。著書に、『日本企業のタレントマネジメント』(中央経済社)、『時間と場所を選ばないパラレルキャリアを始めよう!』(ダイヤモンド社)、『越境学習入門』(共著、日本能率協会マネジメントセンター)などがある。

X @nobu_ishiyama

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