初めからやりがいのある仕事をしなきゃ、なんてない。―日本一有名な八百屋の社長が話す、仕事のやりがいの見つけ方―
仕事や働き方が多様化し、選択肢が増えた現代だからこそ自分にとって何が最適なのかを迷う人も少なくないのではないだろうか。“日本一テレビに出演している八百屋”と言われるスーパー「アキダイ」の社長・秋葉弘道さんは、苦しい時期もあったが、常に仕事に情熱を持ってやりがいを感じながら働いてきたという。「自分の昭和的な感覚もどうかなって思うんですけど」と話す秋葉さんだが、シンプルでまっすぐな彼の仕事への姿勢から今こそ学べることがあるかもしれない。全力で働き続ける原動力がどこからくるのか、秋葉さんに話を伺った。
日本の労働力人口は、2022年時点の平均で6902万人とされているが(参照元:総務省統計局)、そのうちどれくらいの人がやりがいを持って働けているのだろうか。昨今、若者の間で「好きを仕事にしよう」「やりたいことで生きていこう」という風潮が強まっているが、それにプレッシャーを感じる人も増えてきたという(参照元:BUSINESS INSIDER)。働くことへの価値観は時代とともに変わり続けてきたが、労働者にとって日常の半分以上を占める仕事との関係は、心身の健康や人生の充実度にとって大きな割合を占めていることは確かである。30年以上八百屋を経営してきた秋葉さんは、実は人と話すのが苦手なのを克服するためにもともと八百屋を選んだそうだ。「好き」を仕事にしたわけではない彼が、二度仕事を変えてもやっぱり八百屋が好きだと戻り、自分の店を開き、日本で一番取材される場所に成長させるまでにはどんな経緯があったのだろうか。
小さなことも喜べる人間になれるってことが重要だと思います
自分がその仕事に向くか向かないかっていうのは正直いろいろやってみないと分からない
秋葉さんの八百屋との出会いは高校生の時。人と話すことが苦手だったのを克服するために接客業のアルバイトを探していくなかで、たまたま給料が他より良かった八百屋を選んだという。最初は苦手意識があったが、試行錯誤してお客さんに声をかけているうちにメキメキと上達していった。1日で130箱の桃を完売させたこともあり、市場では、『天才桃売り少年』と評判になったそうだ。その後、高校を卒業し一部上場の電機メーカーに就職する。そこでも働きぶりが認められ出世頭とも言われたが、八百屋での仕事が忘れられず、1年足らずで退職。アルバイトで働いていた八百屋に就職した。
朝から晩まで一生懸命働き、お客さんや市場とも関係をどんどん築いていった秋葉さん。3年後には、22歳の若さで店長に昇格。業界で「数十年にひとりの逸材」と言われるようにまでなったという。
しかし、意外にも秋葉さんはこのタイミングで運送業に転職を決める。本当に八百屋に人生を捧げると決める前に、自分の気持ちを確かめる思いがあったという。
「一回八百屋を離れて、一生やっていく仕事を見たかったというのはありますかね。今では八百屋が天職って思いますけど、天職に出合えるのはごく一部の人だと思うんです。自分がその仕事に向くか向かないかっていうのは正直いろいろやってみないと分からない。アルバイトして、その後違う仕事もやったから自分は気づけたこともあるんですよ。ずっと同じ仕事をやっていたら天職だってことすら思わなかったかもしれない。僕の場合は、他もやったうえで強い思いで戻ってきたというのがあるので辛いときも乗り越えられましたね」
二度も八百屋を離れた秋葉さんだったが、運送の仕事をしながらも気づけば合間に近所の八百屋をのぞいたり、八百屋が開けそうな空き物件を見たりしていたそうだ。そうしているうちに、自身の店を開くことへの思いが強まっていった。そしてついに1992年、23歳の若さで練馬区関町北の路面店に自身のお店をオープンする。
“諦め”が成功へのきっかけ
「数十年にひとりの逸材」と言われ、念願の自身のお店を開いた秋葉さんだったが、最初はとても苦労したそうだ。お店の前に人通りが少なかったため、とにかくお客さんが来なかった。ひどいときはオープンから1時間半、1人も来ないこともあったという。東京と千葉にスーパー4店舗、青果店2店舗、手作りのお惣菜も揃えたパン工房や旬の海鮮料理が自慢の居酒屋も出店し、年商39億円を売り上げる今のアキダイからは想像もできない話だ。
「この頃は人生で一番不安な時期でしたね。自分で人からお金も借りて一千万円もかけて始めたお店に、お客さんが1人も来ない。オープンから1時間半も1人も来ないこともあったんですよ。それが嫌になりましたね。朝の3時半に起きて深夜1時ぐらいに寝て、という生活でした。その当時はお金がなくて有線放送も聞けなかったんで、今はなきカセットで、それもオートリバースがついていない片面しかないやつで、曲が終わるたびににガチャって入れ替えながらB’zの『ALONE』っていう曲を聴いていました。今でも『ALONE』を聴くと胸がクっとなる感じがあります」
そんなお店の転機は、秋葉さんが“諦めた”ことだった。このまま続けると大好きだった仕事まで嫌いになる、と1年後に辞めることを決意する。だが、ただ終わるのは応援してくれた周りの人に申し訳ない。最後の1年はプライドも全て捨ててできるだけのことはやろうと決意したそうだ。
「1年後に辞めようと腹を括って、胸を張って辞めるために何をするべきかを考え始めたんです。精一杯、地べたを這うぐらいの気持ちでやろうと。そして自分を応援してくれた先輩なんかにも、『あきがあんだけ頑張ったんだからしょうがないよ』って思われるぐらいやろうと決めたんです。一生を終えるときに、あの時もっとちゃんとやれば良かったって絶対言いたくないんで。もうどんな恥をかいても1年間頑張ろうと思いました」
それ以降、秋葉さんはお客さんがいなくてもオープンから「いらっしゃいませいらっしゃいませ」とずっと声を出し続けた。通り過ぎるバスに向けて「大根十円」と大きなサインを掲げ続けた。すると段々と人が訪れ、人が人を呼び、お客さんが増えていったそうだ。
「必死にいろいろなことをやっていたんで変な人だと思われていたかもしれないけど、その頃からおばあちゃんがバスから降りて来てくれたりしました。『お兄ちゃん元気ねぇ』『それだけが僕の取り柄なんですよ』なんて会話しているうちに、『お友達連れてくるね』って口コミでどんどん増えていったんです。全然売れないって思ってたけど、かごに野菜が入るたびに『ありがとうありがとう』って心の底から言ってたんですよ。自分を認めてくれてるんだって感じました。本当に感謝の気持ちでいっぱいになりましたね。感謝を忘れたらダメだよって気持ちは自分のなかでずっとありますね」
この「感謝の気持ち」は今でも秋葉さんがスタッフに伝えている、働くうえでの大切な信念だ。
小さなことも喜べる人間になれるってことが重要
アルバイトの時から数えれば、40年近く八百屋で働いてきた秋葉さん。今もなお現場に立ち、誰よりも声を出している姿が印象的だった。頑張り続ける原動力はどこからくるのだろうか。
「『欲』かもしれないですね。欲っていうのは、いろいろあるけど、仕事への欲。試行錯誤するのが好きなんですよ。売れるためには何が必要かといったら、やっぱりお客様に喜んでもらうのが第一条件だと思うんです。その瞬間売れればいいっていうことではなく、売れた後がもっと大切で。一回売って終わりじゃなくて、ループが必要なんですよね。喜んでもらえるか、美味しいと思ってもらえるか。うちのお客さんには主婦や一般の方が多いので、作った料理を喜んで食べる家族を見て嬉しくてまた買いに来よう、と思わせられるか。そこまでで完成なんで。ですから、職業が違っても、相手がいる仕事であれば、相手が喜ぶことを喜べる人であれば、こういう仕事に向いていると思います」
「好きなことを仕事に」という現代の風潮のなかでは、目の前にある仕事がはたして自分のやりたいことなのか、と考える瞬間は増えたかもしれない。そしてSNSを見れば、他人の生活はキラキラして見える。仕事や働き方の選択肢が増えたのは素晴らしいことだが、そのぶん何を選べば良いのか悩みも増える。もともと苦手だったことを天職に変えた秋葉さんは、とりあえず目の前にある機会のなかで120%頑張ってみることを勧める。
▼全力でお芝居をしてくださった秋葉社長の出演動画はLIFULL HOME'S公式YouTubeにて公開中!
「自分に向く仕事が分からなくてチャンスに対して消極的になったり、どんどん仕事を変えたりする人もいるかもしれないですが、自分に向かないと思う仕事をやってみるのも絶対いいと思いますよ。その中で120%の努力をすることが大切です。自分が向かない仕事を足掛けと思って適当にやっているとなんの成長もないわけですよ。どんな仕事でも120%でやってみると、どんどんその仕事の良さがわかったりするわけで。そうやって人への感謝が現れます。そのうえで違うと思えば仕事を変えればいいと思います」
最後に秋葉さんが、仕事を楽しみ続ける秘訣を教えてくれた。それは「小さなことに喜べる人間になること」だ。
取材・執筆:南のえみ
撮影:岩田エレナ
1968年生まれ。1992年に23歳でスーパーアキダイ関町店をオープン。以来、東京と千葉にスーパー4店舗、青果店2店舗、これに手作りのお惣菜も揃えたパン工房や旬の海鮮料理が自慢の居酒屋を出店し、年商39億円を売り上げる企業の経営者となる。近著に『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』(扶桑社刊)
WEBSITE https://www.akidai.jp/company/
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