LIFULL × 3人の人気小説家・芸人によるソーシャルイシューストーリー

住生活虹の扉石田衣良

進藤信人が自宅のマンションに帰ると、ドアノブにはレジ袋がさげられていた。ドアには薄いブルーの付箋が一枚貼られている。どちらも同じ建物に住む別の住人からのものだった。

レジ袋からはボルシチのいい匂いがする。呪文のような名前をもつ上の階のウクライナ人留学生、オクサーナ・イワノーブナ・ラディニナからのおすそ分けだ。オクサーナは仲のいい住人からは、親しみをこめてオクさんと呼ばれている。

「オクさん、日本語上手いのねえ」

幼い頃『美少女戦士セーラームーン』に夢中になり、日本留学を果たしたオクさんは日本語がぺらぺらである。オクさんによるとウクライナのボルシチは、ロシアのものとはまったくの別物だという。ブタのスペアリブで出汁をとり、キャベツはあまり煮込まずにシャキシャキ感を残す。実際にたべてみると、煮物とサラダくらい食感が違っていた。

信人は付箋をはがし、メッセージを読んだ。

進藤さま

今日もお疲れさまでした。晴斗くんはうちで望愛と遊んでいます。ついでにお風呂も入れておくので、ゆっくりお迎えにきてください。  301 細谷

細谷咲は同じ階に望愛とふたりで暮らしていた。詳しく事情はきいていないが、何年か前に離婚したらしい。望愛と晴斗は近くの公立小学校一年の同じクラスである。いまだに信じられないが、信人は妻と二年前に死別している。

咲と信人は同じシングルマザー、ファーザーの境遇で、たがいに助けあっていた。今日のように残業で遅くなったり、泊りの出張があれば、晴斗を預かってもらう。逆に望愛が信人のところにくることもあった。つくづく遠くの親戚より近くの他人だと思う。

信人はスーツ姿のまま、ふたつ先のドアを目指した。インターホンを鳴らすと、望愛の声が元気よく響いた。

「晴斗くんパパ、お帰りなさい。あともうちょっとだから、モンハンやってていい?」

望愛と晴斗はバディを組んで、毎日のように巨大なモンスターを倒している。鍵の金属音が鳴り、ドアが開いた。咲が湯上りノーメイクの顔をのぞかせた。

「こんな時間までゲームなんてさせて、ごめんなさいね。今日はふたりともいい子で、先に宿題を済ませたんだ。すこしだけゲームをやりたいっていうものだから」

手を振って、信人はいった。

「いや、ぜんぜんかまいません。いつも晴斗がお世話になって、すみません。じゃあ、さっとシャワーを浴びてから、また迎えにきます」

信人は廊下の奥に声をかけた。

「あとでまたくるから、わがままいうんじゃないぞ、晴斗」

気の抜けた返事が返ってくる。

「はーい、遅くていいよー」

会釈して信人は301号室を離れた。清潔な廊下を歩きながら考える。ここを選んでよかった。信人の家庭の事情のためか、住まい探しは当初難航していた。何軒目かにたどり着いた会社では、めずらしいことに信人のような事情を抱えた住民を応援しているらしく、あっさりとここに決まったのである。

このマンションでは他の住民に恵まれたとつくづく思う。細谷家にはお世話になりっ放しだし、オクさんのボルシチも美味しい。下階のゲイのカップルとも仲よくなり、今年のゴールデンウイーク前には、誘われて晴斗とにぎやかでカラフルなレインボーパレードにも参加した。

来月は札幌支店への出張の予定が入っている。夏の札幌で咲と望愛と晴斗への土産を選ぶのは、きっと楽しいことだろう。

自宅のドアを開けた瞬間、信人は感じた。

(ああ、これがうちの匂いだ)

ひとり息子との親しい暮らしの匂いだった。ネクタイを緩めながら廊下をすすんだ。熱すぎるくらいのシャワーを浴びたら、ビールをひと缶のんでのんびりしよう。ビールは自分への、ゲームのプレイタイムは幼い仲よしへのご褒美だ。

信人はもうしばらく子どもたちにスリルあふれる冒険を続けさせてやりたかった。

この作品に関連する
LIFULLのサービス

  • LIFULL HOME'S

    「したい暮らしに、出会おう。」をコンセプトに掲げ、簡単で便利な住まい探しをお手伝いする不動産・住宅情報の総合サービスです。物件の探しやすさや住まいに関する情報の見つけやすさ、検討がしやすくなるように、様々な機能や情報を拡充していきます。今後も、ユーザーに寄り添いながら、ともに理想の住まい探しを実現します。

    運営:株式会社LIFULL

    サービスサイトへ
  • ACTION FOR ALL

    「FRIENDLY DOOR/フレンドリードア」や「えらんでエール」のプロジェクトを通じて、国籍や人種、性別、背負うハンディキャップにかかわらず、誰もが自分らしく「したい暮らし」に出会える世界の実現を目指して取り組んでいます。

    運営:株式会社LIFULL

    サービスサイトへ

LIFULL
25周年特別インタビュー

①今回ご執筆いただいた中で特にこだわられた部分、特に注目して読んでほしい部分を教えて頂けますか?
やはりダイバーシティがこれからの時代を変えていく鍵です。社会を変えるには、多彩な人たちの力が必要なのです。この短いストーリーにもシングルマザー・ファーザー、外国人留学生、LGBTのカップルを盛りだくさんに登場させています。多彩な人々が織りなす住まいと暮らしのワンシーンを、楽しみながら読んでいただけたら、作者としてはうれしいです。
②本作品のテーマの「住生活(住宅弱者問題)」において、ご自身として何か思われることはありますか?
日本では住宅弱者への公的な支援が不足していると、正直感じています。とくに高齢者と若者、それに外国人居留者へは、もうすこし公的な援助が必要ではないでしょうか。ステイホームの時代に住環境の向上と整備は欠かせません。これから、もっと日本の住居への投資が盛りあがるとよいなと考えています。
③本作品のテーマとなった「住宅弱者問題」をご自身、もしくは身近な方が経験されたことはありましたか?
単身の高齢者とシングルマザー世帯で、住まい探しに苦労したという話は、親戚から耳にしています。貸し手の不安は理解できますが、理不尽な制度がまだ残っていますね。LIFULLの試み(※)を知っていれば、紹介できたのにと残念です。これからも住宅弱者への支援と協力をよろしくお願いします。
(※)住宅弱者にフレンドリーな不動産会社を紹介するFRIENDLY DOOR
④読者の方々にメッセージをお願いいたします。
日本の住環境、住居をめぐる制度や商習慣は、こんなもので、もう変わらない。そんなふうに諦めるのは止めましょう。ひとりひとりが声をあげ、変革を求めれば、すこしずつでもきっと改善されていくはずです。この短いストーリーが住まいと暮らしの在りかたを考えるちいさなヒントになればと願っています。

写真提供:文藝春秋

Profile

石田 衣良

1960年、東京生まれ。成蹊大学経済学部卒。97年、『池袋ウエストゲートパーク』でオール読物推理小説新人賞を受賞しデビュー。2003年『4TEEN』で直木賞、06年『眠れぬ真珠』で島清恋愛文学賞、13年『北斗ある殺人者の回心』で中央公論文芸賞を受賞。映画ドラマ化作品多数。

他のソーシャル
イシューストーリー

友近さん

地方創生

みんなの心にワクワクを

日本各地に出向いて地域活性化のために何かできないかと考え、私がまずやり始めたのは、水谷千重子(私の別人格)による四十七都道府県コンサートでした。「水谷千重子ありがとうコンサート」という名前で開催している、地域密着型のコンサートです。

垣谷 美雨さん

超高齢社会

親族会議

もう限界だよ。母さんを施設に預けたいんだ。そんな電話が、実家の弟からかかってきたのは先週のことだった。弟夫婦は、脳梗塞で倒れた母の介護をしている。バカなこと言わないでよ。母さんが可哀想じゃないの。咄嗟に私はそう言った。

シェアする

TOP