日本の小学校はダメ、なんてない。―ドキュメンタリー監督・山崎エマは小学校を“社会の練習場”と語る―
ドキュメンタリー監督の山崎エマさんは、日本の教育や社会に関心を寄せて映像作品を作っている。イギリスやアメリカなど海外での生活も経験し、かつては日本での生活に窮屈さを感じることもあったという彼女が、再び日本を舞台に作品を撮る理由とは。そして、山崎さんの目から見た日本の小学校教育とは?
教育大国フィンランドでヒットしたドキュメンタリー映画『小学校〜それは小さな社会〜』。1年間、東京都世田谷区の公立小学校に密着し、生徒や先生の様子を撮影した作品。本作から生まれた短編はアカデミー賞にもノミネートされた。
本作の監督である山崎さんは2026年3月、初の著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』を出版。大阪で過ごした幼少期の話から大学時代、近年の作品作りの話まで詳細に綴られている。海外での生活も経験している山崎さんが、日本の小学校について感じていることとは? 著書の内容にも触れつつ、お話を伺った。
日本の教育はダメだと言われるけれど、見方を変えれば、コミュニティでの生き方を教えてくれる良い機会だとも言える。「良い」「悪い」と決めつけすぎずに冷静に見つめてみると、見え方も変わってくるかもしれません
「みんなと一緒」から抜け出し、自分だけの情熱を見つけた
イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、大阪で幼少期を過ごした山崎さん。それまでいわゆる「純日本人」のコミュニティで育ってきた彼女が初めて単身で日本から出たのは6歳の頃のことだ。両親の教育方針のもと、イギリスの祖父母のもとで4か月を過ごすことになったのだ。そこで山崎さんは、初めて自分のアイデンティティについて考える経験をする。
「イギリスに行ったら『アジアンガール』として注目されたんです。地元の新聞にまで取り上げられて。『自分はみんなと違うんだ』と感じました」
一方で、日本に帰国したら「みんなと一緒」になれるわけでもなかった。イギリスから帰国後、山崎さんは1,000人近い児童とともに公立の大きな小学校に通うことになった。徐々に「普通の日本人」として見てもらえないシーンが多くあることに気づく。
「どうしても、見た目が目立ったんですよね。髪の毛が茶色くて、目鼻立ちも周りと違って。山崎エマという名前よりも『ハーフの子』と認識されることが多かったように思います。『みんなと一緒』がいいとか、『ハーフであること』以外の部分を見てほしいと思うことが多々ありました」

中学生になった山崎さんは、インターナショナルスクールに入学。今度は打って変わって、多様なバックグラウンドを持つ同級生たちに囲まれることになった。同級生たちと話すときは、自然と英語と日本語が混ぜこぜになる。違いがあることが当たり前の環境のなかで、同級生たちはいきいきと好きなことに打ち込んでいた。
幼い頃からコツコツと頑張ることが得意だった山崎さんは、勉強も運動も練習を重ねることでするっと合格点が取れる子どもだった。その分、周りの同級生たちのように、何かにどっぷりとハマった経験がないことがコンプレックスだったという。そんな中で中学2年生の頃に、学校の授業を通して「映像制作」に出合った。
自らビデオカメラを回して撮影し、編集して作品を作り上げる。未知の連続だった上に、努力だけではうまくいかなかった。だからこそ、映像制作は面白いと感じた。映画監督という将来の夢を方向づけた瞬間だった。
「幼少期からずっとイチロー選手に憧れていて、彼にとっての野球のようなものに出合いたいと思っていたんです。だから、運よく人生を捧げられると思うものに出合えて本当に良かったと思います。周りの同級生も夢を追いかけている子が多かったので、『安定』とか考えずに、とにかく映像制作にのめり込むようになりました」
学校行事のときも、休みの日もとにかく撮影し、自主的に映像制作を学び続けた。やりたいことが見つかり、切磋琢磨できる同級生に囲まれたインターナショナルスクールでの経験は充実したものだったという。
だからこそ、山崎さんは徐々に日本から出る道を考え始めた。学校にいる間や映像制作をしている間は、自分らしい自分でいられる。しかし、一人で通学していると、当然のように英語で話しかけられる。山崎さんが日本語で話しても、なぜか相手は英語で返事をしてくる。自分は日本人なのに「日本語上手ですね」と言われ続け、いつまで経っても「日本人」として見られない状況に疲れ、日本社会で生きることに窮屈さを感じたのだ。
「今でこそ笑って話せるけれど、当時は全然笑えませんでしたよ。モヤモヤが溜まって、爆発してしまいそうなくらい。日本から出た方がおおらかに過ごせるだろうと思ったんです。当時はもう日本には戻ってこないかもしれないとも思っていました」

日本での「当たり前」がアメリカでは褒められた
高校卒業後、山崎さんはニューヨーク大学へ進学した。映画監督になるという夢に向かって、映像制作のトップ、アメリカで学ぶことを選んだ。学べることはたくさんあった。しかし、再び自身のアイデンティティが揺らぐ体験をする。自分のルーツについてうまく説明できない。日本出身だと言えば「日本人に見えない」と言われる。英語はできるのにアメリカの当たり前はわからない。自分とは何なのだろうと悩む日々が続いた。
そんな状況を打破したのが、卒業制作で作った短編映画『NEITHER HERE NOR THERE』だった。18歳までの間に複数の国や文化を経験した人たちを取材したドキュメンタリーだった。
「自分にとって、一種のセラピーのような経験でした。『自分は誰なんだ』という問いにとことん向き合う期間です。自分と似た悩みを持つ人と出会い、自分がおかしいわけじゃないと思えたので、それ以降は悩まなくなりました。この作品があったから、次に進めました」

そして、大学時代の経験を経て、山崎さんは自分が作りたい映像作品はフィクションではなく、ドキュメンタリーであることにも気づいた。大学卒業後、山崎さんの恩師であり映像編集者、そしてドキュメンタリー制作者であるサム・ポラード(※)さんの元で、助手として働いた。約1年を経て、サムさんのお墨付きをもらい、プロの編集者としてさまざまなテレビ局の仕事をした。これらの仕事をするなかで、山崎さんは自覚していなかった自身の強みに気づくこととなる。
「仕事を始めてから、当たり前のことをやっているだけで、すごく褒められたんです。時間通りに来るし、責任感があるし、周りに配慮もあると。こういう感覚って日本人だったら割と当たり前ですよね。じゃあ、この感覚はいつ身についたんだろうと考えると小学生の頃かなと。同級生と力を合わせることとか、他者の役に立つ喜びとか、努力の先にある達成感を最初に味わったのは小学生の頃でした」
この気づきが、のちに作られることとなる映画『小学校〜それは小さな社会〜』の土台となった。
※数々の作品の編集を手掛け、『4 Little Girls』(98)でアカデミー編集賞ノミネート、『By the People: The Election of Barack Obama』(10)でエミー賞編集賞など受賞歴多数。また、ドキュメンタリー監督として、キング牧師とFBIの対立を描いた『MLK/FBI』(2020)、NBAプレイヤービル・ラッセルの人生を描いた『ビル・ラッセル:NBA伝説の男』(2023)などを手掛ける。2020年、国際ドキュメンタリー協会功労賞を受賞。
小学校生活を通して、子どもたちは“日本人”らしくなる
プロの映像制作者として働くなかで、自分が撮るべきものは日本にあるのではないかと感じていた山崎さん。27歳になった頃、夫との婚約を経て日本への帰国を決意した。
そして、日本をテーマに撮るのなら、自身の日本人的要素を作り上げた小学校を取材したいと考えた。しかし、簡単には許可が取れない。いくつもの学校や自治体を巡りながら構想から約10年をかけて作り上げたのが『小学校〜それは小さな社会〜』だった。
世田谷区の小学校で撮影された本作には、1年生と6年生の子どもたちが登場する。授業の様子はもちろん、日本の公立学校で育った者にとっては馴染み深い掃除や給食の配膳の様子、運動会や卒業式の様子などが映し出される。映画のクルーは校内を駆け巡り、700時間もカメラを回して撮影した。
「一人の子どもや一人の先生だけではなく、日本社会を映すことに興味がありました。だから学校全体を主人公にするような撮り方にしたんです。できるだけ制限なく撮影をしたかったということもあり、許可取りには苦戦しました」
著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮社)でも映画制作の過程が詳しく紹介されている
山崎さんは、できる限りの情報を集めた。足繁く学校に通って現場を見ることはもちろん、日常的に先生や保護者たちと連絡を取り合った。それぞれの生徒に何が起きているのかを知ろうとしていたのだ。
「何百人という人たちとコミュニケーションをとり続けていました。ドキュメンタリーなので、撮り直しはできない。時間割などの基本的な情報に加えて、『昨日、息子がこんなことを言っていた』といった些細な情報ももらってクルーを配置し、私はひたすら学校を歩き回りました。それでも撮れなかった場面の方が多いくらいで、悔しい思いもしました」

出来上がった映画には、日本の小学校のリアルが映し出されている。縄跳びが苦手だった少年が練習を重ねて上達する姿、厳しい口調で子どもたちを叱る先生、泣きながらも粘り強く楽器の練習をする少女の姿など、日本ならではの学校の様子である。映画のキャッチコピーは「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている」だ。
「いろいろな国に行きましたが、日本の12歳はとても、“日本人”ぽいなと感じるんです。学校のために生徒会を真面目にやったり、責任感を持って1年生を引っ張っていったり。国内でも複数の小学校を巡りましたが、6年生の演説ってみんな似ているんですよ。だいたい『周りのおかげで自分は成長できました』『これからも人生頑張ります』といった内容が語られます。その都度感動するのですが、日本っぽさが詰まっているとも感じて。良くも悪くも、教育の影響はすごいと感じます」
本作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は、第97回アカデミー賞短編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた。さらには2026年2月からはNetflixでも配信が開始され、世界中で注目を集めている。本作で描かれる日本独自の教育のあり方に対して、海外から寄せられる反応はさまざまだ。
「『子どもは子どもらしくあるべき』という文化の国もあるので、そういった国からは『子どもに責任を押し付けるのはかわいそう』といった声もあります。同時に『日本の子どもたちはすごい。どうしたら自国でもこんな風になるんだろう』といった声もありました。また、先生方が親のように、時間や気持ちを子どもたちに捧げて接していることに驚く声もよく聞きました」
日本の小学校は社会のなかで生きていく術を教えてくれる
一方で、山崎さんはかつての日本の小学校のあり方から、現在に至るまでに教育の仕方が変化している部分もあるのではと語る。
「この20年ほどで、日本の教育現場では子どもたちの自己肯定感を上げることの重要性が浸透しているようでした。そのために、私の幼少期とは比べ物にならないくらい、大人が子どもを褒めるシーンをよく見ました。ありのままの自分が周りにも認められると、『自分はできる』と思えますよね。先生方は配慮することが増えて大変だろうとも思いますが、進化はすごいと思いました」

『小学校〜それは小さな社会〜』の制作中、山崎さん自身も一児の母となった。自身もさまざまな学校や社会での生活を経験し、撮影を通して現代の日本の小学校を目の当たりにした。その上で、将来的には息子を日本の学校に入学させたいと語った。
「『日本の教育ってダメだよね』という声をよく聞きます。当然、課題も多いと思いますが、もうちょっと良い面に目を向けてもいいんじゃないかなと。当たり前すぎて光が当たらないけれど、最初は何もできなかった子どもたちが給食を配膳したり委員会活動をしたり、下級生をサポートしたり、自分たちで学校を作り上げているのってすごいと思うんです。
『集団生活』というとネガティブに聞こえるけれど、日本の小学校はコミュニティの中でどうやって貢献して生きていくかを教えてくれるシステムでもあります。いずれ社会に入っていくことを考えると貴重な練習の場になります。このユニークな仕組みについて、ストーリーテラーとして発信したいし、自分の息子にも経験してもらいたいなと思っています」
多くの物事は、立場やタイミングによって見え方が変わる。それは教育に関しても同じだろう。もちろん、日本の教育が100%正解だというわけでもない。けれど、100%間違いというわけでもない。上辺の情報だけで判断してしまう前に、一歩引いて冷静に見つめ直してみれば、良し悪しが見えてくる。良い部分を享受しつつ、足りない部分をどうしていくか考えるのがこれからの大人たちの役割なのだろう。
そして、完璧なシステムの学校や社会って現時点ではないのではないかとも思います。だから満足できない部分があったときにも、すぐに「この学校はダメだ」と諦めてしまうのではなく、親が補完できることも考えたいです。人は社会で生きていく生き物です。将来子どもが生きていく環境をより良くしていくつもりで、大人は大人として貢献できることをしたいですね。
取材・執筆:白鳥菜都
撮影:近藤沙菜
1989年兵庫県生まれ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒業。監督作に『小学校〜それは小さな社会〜』(2023年)、『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(2020)、『モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険』(2018)などがある。2026年3月に初の著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮社)を出版。
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