女性が稼いで男性を養うのは世間体が悪い、なんてない。
卵からかえったひな鳥が最初に見たものを親だと思うように、両親の生き方や考え方は人生のお手本として強い刷り込みを与えやすい。元TBSアナウンサー、現在はエッセイストなどとしてマルチに活躍する小島慶子さんもかつては自身の両親がそうであったように、「父親は家族のために外で働き、母親は家を守り家族を支えるもの」と思っていたという。
女性の働き方や家族のあり方が多様化する現在においても、「男は外で働き、女は家を守るもの」という考えは根深い。だが、エッセイスト・小島さんの家庭では、自身が外で働き、夫が“専業主夫”として家を守るという、既存の概念とは逆のスタイルだ。「家族で暮らすオーストラリアと日本を行き来しながら働く生活を、うまく軌道に乗せられたのは夫の努力のおかげ」と語る小島さん。そんな彼女が一家の大黒柱になって気づいたのは、ひとりで家計を支えることへのプレッシャーと、「学校を出たら働き続けるのが当たり前」という価値観に縛られた男性の不自由さだった。
3歳のころの小島さん。オーストラリア・パースにて。
引っ越した先々で新しい風景に
出合えることが楽しかった
生まれたのはオーストラリアで、日本に来たのは3歳のとき。小学校1~3年生の終わりまではシンガポールと香港で暮らし、再び日本へ。幼心に自然と芽生えたのは、「次はどんなところに住めるんだろう?」「世界にはいろんな場所があるんだな」という世界の多様さを楽しむ感覚。
「キレイな海や広い芝生といったオーストラリアの景色が私の原風景。日本の団地に住んだり、シンガポールや香港で多文化社会独自の空気を肌で感じたり。引っ越す先でたくさんの面白い景色を見てきました。日本も最初は私にとっては外国だったので、たくさんある世界のひとつとしてとらえていた感じでしたね」
好きだったのは近所の探検。同じような家が並んでいるのに、庭に知らない花が植えてあったり、ふと知らないにおいを感じたり。自分の知っている風景とよく似ているのに、違う味わいのある景色を見ることがすごく好きだったという。
TBSアナウンサー時代。『日立 世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターも経験した。
目標は男性と同じ待遇が手に入る
有名企業の正社員になること
小島さんが幼少期を過ごした当時の日本は成長著しい、世界第2位の経済大国。父親は外で一生懸命働き、母親は専業主婦として家を守りつつ、子供の教育に命をかけるという価値観が正しいとされていた時代だ。その風潮の中で育った小島さん自身も「いい学校に入って、有名な会社に入って親を安心させるのがいい人生であり、正しいことである」と強く信じていたという。
「私は世間知らずだったので、目の前にいる両親というサンプルの生き方しか頭になかったんですよね。ひとつは父のように誰もが知ってる大学を出て、誰もが知ってる有名な会社に入ること。もしくは母のように競争率の高い高学歴、高肩書の男性をつかまえて、海外の駐在妻になるか。姉は後者を選んだのですが、モテない私は恋の野戦場で勝ち抜く自信がなかったので(笑)。だから父と同じような一部上場企業で働いて自立したいと思ったんです」
だが当時は女性が男性と対等な待遇の正社員になれる総合職はごく少数。よっぽどの成績優秀者でないと銀行商社は難しい……と考えた末に目をつけたのはマスコミ系。
「大学の成績が飛び抜けて優秀でなくても実技試験で評価してもらえるし、経済的に自立できる上に会社の知名度も高い。テレビに出るのも楽しそうだし、有名人にもなりたかったので」と、言うはやすく行うは難しな目標だが、倍率1000倍の狭き門を見事に突破し、TBSのアナウンサーとして採用されたのだからさすがとしか言いようがない。
「もちろん、採用試験ではめちゃくちゃ頑張りましたよ。とは言え、最終的には運が良かったのか、間違って採られたのか(笑)。個人的知名度も得られるし、定年まで男性と同等、しかも世間の相場よりも何倍も高いお給料をもらい続けられる。こんなに恵まれた仕事なんだから、ずっと続けていこう。そのためにも会社の中でやりがいを見つけて、一目置かれるようなアナウンサーになろうと思っていました」
約15年の会社員時代の経験で一番役に立っているのは、労働組合の役員を9年(うち7年は副委員長)務めたこと。社員時代は仕事とは関係ないと思っていたが、現在は働き方を考えるための原稿執筆や講演会などで生かされているという。
安定した環境に留まるよりも
自分の可能性を追求してみたくなった
「自分が会社を辞めるとは思っていなかった」という小島さんがTBSを退職し、フリーランスになったのは37歳のときだった。
「結婚して30歳と33歳で子供を産んでいたので、育児をしながらお金を稼ぐ方法としてはTBSにいるのが一番条件が良かったんですよね。福利厚生や育児・介護休業などの制度も子供が3歳になるまではいっぱい使えたので。下の子が3歳になって制度を使い尽くしたときに、会社にいるメリットって何だろう?と改めて考え始めたんです」
入社して15年。やってみたいと思ったジャンルの仕事は一通り経験し、ラジオで大きい賞を受賞することもできた。会社員人生が充実する一方で、湧き上がってきたのは「1回しか人生がないなら、会社員とは違う形でお金を稼いでみたい」という冒険心。
退職を考えた理由はもうひとつ。当時担当していたラジオ番組で、「アナウンサーなのにトークが面白い」という人気の出方に違和感を感じたことにあった。
「ラジオでは放送局の顔であるアナウンサーとしてではなく、一人のパーソナリティとしてしゃべっていたのですが、私の職業の本分は会社の発表係として決められたことを決められた通りにやること。それを全うして初めて『給料分の仕事をした』と言われるわけです。人気が出たのも『アナウンサーなのに自由にしゃべっている』という既成概念からの逸脱を楽しむ構造がウケているのであって、私のしゃべりを面白がってもらえているのかわからない。じゃあ肩書を外したときにどのくらい通用するのかな?と。力試しをしてみたくなったんです」
フリーになってからも仕事は順調そのもの。社員の肩書が外れたことで、それまで感じていた「給料泥棒にならないかな?」といううしろめたさや、モヤモヤも解消。エッセイ・小説の執筆や講演会といった新しいことにも自由に挑戦できるようになり、より仕事が楽しくなったという。
だが最初の数年は毎月の固定収入がないことに不安を感じていたという。
「フリーの収入が不安定なのは当然のことなんですけど、会社員のときの感覚が染みついていたので、初めのうちは『年収が前年より下がったらどうしよう!?』といちいちビビってしまって。でもだんだん体が慣れてきたら、『なんで去年より年収が高くないといけないの?』という“右肩上がりの年収”への既成概念に疑問を抱くように。おかげで『生活できる分だけ稼げればいいや』という考え方に変わり、気持ちが楽になりました」
オーストラリアに移住してからは2人の息子たちも自ずと自分の人生について考えるように。そのためか、日本で暮らしていたころよりもしっかりした顔つきになったという。
一家の大黒柱になったことで
男性の不自由さに気が付いた
5年前から小島さんが行っているオーストラリアと日本の二拠点生活も、フリーランスだからこそ選択できた生き方だ。決断の背景には息子たちに「世界のどこでも生きていける人になってほしい」という思いがある。
「日本で暮らして息子たちを『いい学校を出て有名な会社に入る』という勝ち組コースに入れることも考えました。でも1度きりの人生なら日本では手に入れられない生活を通じて、彼ら自身が興味のあることを見つけて究めて、それで生きていく道筋を自力で探していけるようにすることのほうが大事だなと。うちの場合はそれをオーストラリアでやろうと思ったんですよね」
そもそもの移住のきっかけは、「1度仕事から離れて人生を見直してみたい」という理由でパートナーが仕事を辞めたこと。「彼が専業主夫として子供たちのそばにいてくれなければ、この5年間のスタートアップはこんなに順調にいかなかった」と話す小島さんだが、自身が大黒柱として家族を支えることになった当初は相当なプレッシャーがあったという。
「私も働いているとはいえ、世帯収入がガツンと減るわけですからね。自分ひとりじゃさすがに相手の分まで稼げないですし、大丈夫かな?という不安もありました。でも、彼は私が会社を辞めるときに『1度きりの人生なんだし、いいんじゃない?』って背中を押してくれたんです。だから私も彼に対して『辞めてもいいんじゃない?』って言うことができたし、大黒柱になる決心がついたんだと思います」
さらに子供のころは当たり前だと思っていた「父親は外で働き、母親は専業主婦として家を守る」という価値観で言うところの「父親」の役割を担ったことで、男性の生き方の不自由さにも気がついた。女性は家庭に入る、扶養内で働くなどの選択をしても世間からおかしいとは言われないけれど、男性がそれをやれば白眼視される。「男の価値は経済力」という固定観念に強く縛られているということだった。
「女性の生き方が多様化している現在でも、男の人の選択肢って一本道なんですよね。しかもより多く稼がないと価値がないと言われたり、出世しないと負け犬扱い。だから私の夫が会社を辞めたのも、すごく勇気のいることだったと思うんです。『男とは、女とはこうあるべき』と刷り込まれてきた古い思い込みに私自身も周りの人もまだ縛られている。だったらこのような概念や、それを基に作られた制度を変えていきたいなと。そのほうが建設的だという気づきを得られたのはすごく大きかったですね」
楽しいと思えるものを選んでいけば
道は自然とできていく
住む場所や立場の変化とともに価値観や視点も変わり、さまざまな気づきを得ている小島さんだが、良いことばかりというわけではない。変化と引き換えに共働きの安心感や見通しの立てやすい働き方など、手放したものは多いという。
「失うことでゼロになるのでは?と不安になることもありますが、立場や場所を変えて体験してみないと絶対に見えないものっていっぱいあるんですよね。そういうことを身をもって知ったのは、良かったです。会社を辞めたときもそうだし、夫が仕事を辞めたり、外国に住んでマイノリティという弱い立場になったときもそう。立場が変わるのだってもちろん怖いですよ。でも変化したあとの気づきが大きな学びになるんです」
「どうなるかわからないことは、何にでもなるかもしれないということ。大きな可能性だからこそ、試したほうがいい」と笑顔を見せる小島さんだが、迷うことはないのだろうか?未知の変化に向けて前向きに進める秘訣を教えていただいた。
撮影/尾藤能暢 取材・文/水嶋レモン
1972年オーストラリア生まれ。
幼少期は日本のほか、シンガポールや香港で育つ。
学習院大学法学部政治学科卒業後、95年にTBSに入社。アナウンサーとしてテレビ、ラジオに出演する。99年、第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞を受賞。
ワークライフバランスに関する社内の制度づくりなどにも長く携わる。
2010年に退社後は各種メディア出演のほか、執筆・講演活動を精力的に行っている。
『AERA』『VERY』『日経DUAL』など連載多数。
現在は東京大学大学院情報学環客員研究員としてメディアやジャーナリズムに関するシンポジウムの開催なども行っている。
10~20代で摂食障害、30代で不安障害を経験し、40歳を過ぎてから発達障害のひとつである軽度のADHDと診断されたことを公表。
自身の経験を通じて、病気や障害についても積極的に発信している。
2014年より、オーストラリア・パースに教育移住。
夫と2人の息子はオーストラリアで生活し、自身は日本に仕事のベースを置いて、日豪を行き来している。
2015年3月 朝日新聞社パブリックエディター就任。
2018年 Australia now 2018 PR大使を務めた。
Instagram https://www.instagram.com/keiko_kojima_/
Twitter https://twitter.com/account_kkojima
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