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STORIES 2019/03/07

東京にいないと、やりたいことはできない

「東京はすぐに本物に触れることができる」。そのことを実感しながらも、地元・熊本でスローライフを送る人がいる。福島寛さんは“うたたねマフラー”という名のシンガーソングライターとして、地方から宇宙へと音楽を放つ。

東京で懸命に働く日々に終止符を打ち、熊本で生きることを選んだ。東京で働くこと、地元で働くこと……どちらも経験した福島さんが思い描くLIFEとは?

理想を求めながらも現実の激務に追われる日々

熊本で生まれ育った福島さんは、幼少期からモノ作りが大好き。絵を描いたり、工作を作ったり、独学でピアノを練習して作曲してテープレコーダーに録音したり。頭でイメージしたものをカタチにすることが、何よりも楽しいと感じていた。

漠然と“モノを作る人になりたい”という思いを抱き、多摩美術大学に進学。それまで体験したことのないグラフィックデザインやアドバタイジング(広告・宣伝)の世界に触れ“伝えるモノ”に興味が湧き、広告会社へ就職した。

「東京での日々は、まさに過酷を極めていました。忙しい仕事な上に不器用なこともあり徹夜が続き、常に時間に追われ“もっと地に足をつけてモノ作りがしたい”という思いが日に日に増していましたが、どこかで見切りをつけながらモノを作っている、諦めた自分がいました」

広告会社のアートディレクター時代

多摩美術大学時代は、アート活動の傍ら音楽にも没頭。当時は仲間にも恵まれ、さまざまなライブハウスやステージに立つこともあった。広告会社に入社してからもかけがえのない音楽仲間と出会い、合間を縫って必死に音楽活動を行なっていたが、忙しさのあまり少しずつ楽器を触る機会は減っていく。そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が起こった。

「広告会社のアートディレクターとして仕事をしていた僕は、あの日もちょうど撮影をしていました。強烈な揺れを体験し、撮影スタッフと命からがら避難。交通機関が麻痺した中、8時間かけて家族の元へ歩いて帰ったことを覚えています。その後、精神的ショックから、どうしても以前のように広告を作ることができなくなり、悩む日々が続きました。悩んだ末に選択したのが、地元に戻り、家族とともに過ごす時間を何よりも大切にする、田舎でのスローライフだったんです」

東日本大震災をきっかけに自分の最も大切なものは何か”に気づけた

地元・熊本に戻りシンガーソングライター・うたたねマフラーとしての活動をスタートさせる。名前の由来は「歌(うた)の種(たね)をあたためる」。あたたかい日差しが新芽を芽吹かせるように、ゆっくりのんびり歌を育てていきたいという願いが込められているという。それとともに「うたた寝とマフラーが個人的に好きだ、という説もあります」。ファーストアルバム『うたたね喫茶』には、東京での葛藤や地元へ戻る決意を感じる楽曲が収められている。

1stアルバム『うたたね喫茶』のCDジャケットは、多摩美時代からの親友が手がけた

「次の電車はやってくる」は、福島さんにとっても、特別な思いが込められた曲だ。アルバムのメイン曲であり、うたたねマフラーを代表する作品。

“どうしてだろう うまくいかない
分かっている はずなのになぜ
こんなもんさ 言い聞かせては
理想の自分を 駅で見送った
このまま 立ち止まっても
次の電車は やってくるよ
ドアが開いた瞬間に 踏み出せるかどうか”

「次の電車はやってくる」より

「東日本大震災後、精神的ショックから、どうしても以前のようにモノ作りをすることができなくなって、仕事を長期離脱してしまいました。駅のホームでベンチに座り、到着してはすぐ出発する電車を、そしてあふれんばかりになだれ込む人々を、ただただ眺めることしかできませんでした。こうしなければならない、こうであるべきだ。その感情が、とても苦しかった。でも、本当に大切なことは、自分らしく、自分の歩幅で、自分の道を、自分で歩くことだ。何度もベンチで涙を流しながら、最終的にそう感じました。今思えば、あのときの葛藤が、うたたねマフラーの原点となっているのかもしれません」

つらい経験は、時に“本当に大切なものは何か”を教えてくれる。

「僕が最も大切に思っているものは、家族との時間だと気がつきました。自宅は決して広くはありませんが、家族みんなでたくさんアイデアを出し合いながら作った、僕らのイメージする“くつろぎ”を表現した空間になっていると思います」

東日本大震災から5年後、2016年4月14日。今度は、熊本地震を経験する。幸いにも福島さん家族は無事だったが、一方で多くの知人や友人が被害にあった。福島さん自身も避難所生活を強いられ「震災後1年間ほどは、とにかく日々の暮らしを取り戻すことで精一杯で、とてもモノ作りをする心境にはなれませんでした」という。しかし、こんなときこそ下を向いていてはいけないと自分を奮い立たせた。

「つらいときだからこそ、被災地である熊本から、強い意思を持ったメッセージを発信することが大切なのではないか、と思うようになったんです。自宅に小さな録音スタジオを作り、自分と向き合い、一つ一つゆっくりと音を重ねながら、熊本にいる今だからこそ作ることのできる曲たちを、インターネット(YouTube)を使って全国に発信し始めました」

震災時、失われたライフラインを懸命に復旧する自衛隊の姿

「当初は、こちらから一方的に発信したメッセージをちゃんと受け取ってくれる人が果たしているのだろうかと、まるで宇宙に向けて応答を投げかけているような心境でした。しかし、少しずつ少しずつリスナーの方からメッセージをいただけるようになり、田舎の端っこから発信された僕のメッセージは、しっかりと誰かに伝わっているんだ、そう実感するようになりました」

福島さんの作る曲は、そっと隣に寄り添ってくれるようで、自分を肯定してくれるようで、なんだかホッとする。

「僕が曲を書くときに、必ず意識していることがあるんです。それは“ダメな自分を認める”こと。人間が普段は隠している、心の中にある劣等感のようなものは、決して恥ずかしいものではなく、とても人間らしい、素直な自分なんだと思うから。世の中には、恋の歌や応援ソングがあふれかえっています。“キミならきっと大丈夫”“きっと夢はかなうよ”といった、ある意味耳触りのいい言葉が乱用されている。僕が地方で表現すべきことは、もっと自然で、もっと素直なものを受け入れた人の強さ、だと思っています」

海を見る、植物を眺める
スローライフだからこそ、見える世界は
足元に落ちている幸せに気がつく生活

最先端のアートや文化が集まる東京。「流行を肌で感じることができる良さを、地方に戻り痛感することもある」けれど、それを捨てたからこそ、手に入れたものがある。

「風の音、鳥のさえずり、少しずつ移ろう季節、子供たちの笑い声。ゆっくり歩き、その中で見つけたこと、心動かされたことを素直に表現できる今の状態は、僕にとってとても自然なこと。都会にいた頃の僕では、決してたどり着けなかった場所だと思います」

地方での生活を始めて、ゆっくり歩くようになって、足元に落ちているような小さな輝きにも気がつくようになった。ほんのささいなことにも驚きや発見がある。

「寄り道しても海が見たければ見る、植物を眺めていたければずっと眺める。そんな日々の中で作る歌は、とても自然に生まれてきます」

全身の感覚に身を委ねてモノ作りをする姿は、小さい頃モノ作りに夢中になっていたあの頃と重なっている。

生まれてきたとき、僕たちはみんな泣いていました。それはとても自然なことで、決して恥ずかしいことではない。こうしたい、こうありたい、自然と湧き上がるその感情に、まず自分自身が素直であれば、もうすでに一歩幸せに近付いているように思います。自然に生まれた僕の音楽を、誰かが自然と、生活の中で流してくれたとしたら、それは僕にとってかけがえのない幸せ。生活を変え、生き方を変えたことで、僕の思い描くLIFEは、今そのものになりました
Profile 福島 寛

多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、広告会社に入社。さまざまなクライアントのアートワークを手がける。広告会社退職後、地元・熊本に戻り、家業の傍、2018年8月、ファースト・アルバム『うたたね喫茶』を発表。作詞・作曲をはじめ全ての楽器を自身で演奏し、MVやアートワークまで全てをセルフプロデュースしている。熊本を中心に活動するシンガーソングライター。
公式Instagram @utatanemuffler
公式YouTubeチャンネル  utatanemufflerうたたねマフラー

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