親の夢と子育てはトレードオフ、なんてない。 ―群馬クレインサンダーズ・並里成選手に聞く「仕事と育児」―
日本最高峰のプロバスケットボールリーグB1リーグは約8か月間で60試合を戦い、30試合はアウェー戦で全国を転戦する。移動を繰り返し、常に勝つことが求められる日々の中で、選手たちは競技以外の活動も行っている。
今回は、シングルで子どもを育てながらプロバスケットボール選手として戦い、2023年に会社を設立した群馬クレインサンダーズの並里成(なみざと・なりと)選手に話を聞いた。未来のプロ選手育成事業を立ち上げた理由、シングルファーザー経験から得たもの、貼られるレッテルの剥がし方を聞いていくうちに、「人として生きる力をつけてほしい」という子どもたちへの思いが明らかになっていった。
2023年7月、群馬クレインサンダーズの並里成選手が会社設立の記者会見を開いた。会社名は、自らの愛称である『fantasista(ファンタジスタ)』だ。並里選手は巧みなドリブルとパスで対戦相手を翻弄し、観る人を魅了するBリーグの花形プレーヤー。2017年にシングルファーザーであることを公表し、現在は9歳の息子と暮らしている。
息子も一人の人間です。息子にものを言う立場の僕はどういう人間でいるべきか、よく考えています。
未来のNBAプレーヤーのために、気持ちのこもった事業をしたい
並里選手が二人の仲間と設立した株式会社fantasista(以下fantasista)は、プロスポーツ選手のセカンドキャリア支援と、子どもたちの競技環境を整え、英会話とメンタルトレーニングを含めた自身の経験と技術を次世代へ引き継ぐ事業を展開する。現役引退後は異業種へ進む選手もいるが、並里選手は現役中に会社を設立して日本のバスケットボールの未来を開く道を選んだ。
「引退すると、世間からの見られ方は“過去の人”になると思うので、現役中に会社をつくろうと考えていました。僕は、今までの人生でいろんなことを犠牲にしてバスケットボールに尽くしてきました。この経験をセカンドキャリアに活かしたい。また、僕ができなかったことや、もっとこうしておけばよかったと感じていることを次世代の子どもたちに伝えていきたいです」
並里選手には、幼少期からNBA(アメリカの男子プロバスケットボールリーグ)プレーヤーになる夢があった。高校卒業後に『SLAM DUNK』の作者、井上雄彦氏が設立したスラムダンク奨学金の1期生に選ばれて渡米もしている。アメリカでの大学進学は叶わず日本に帰国したが、その後も三度NBAに挑戦してきた。2016年にはNBA下部Dリーグのドラフト指名選手に名を連ねたが、NBAプレーヤーになる夢には手が届いていない。夢を叶えるために何度も挑戦し、悔しい思いをしてきた並里選手だけに、次世代の育成に強い思い入れがある。
「僕が育った沖縄には、バスケが上手い子どもがたくさんいます。でも、家庭の事情で部活動に入れなかったり、シューズを買えない学生がいます。僕は、やりたいことをできない環境で育った子どもがバスケシーンから消えていくのを見てきたし、それは沖縄だけでなく全国で起きていることだと知りました」
そんな学生たちを見てきた並里選手は、fantasistaの事業の一環として、無料のバスケットボールクリニックやウェアの無償提供を予定している。さらに、fantasista出身の選手たちが海外で活躍し、日本代表として国を背負う将来を見据えて、英語力習得を事業内容に加えた。会社設立にあたって並里選手が大切にしているのは、子どもたちへの純粋な思いだ。
「カタチだけでやらず、気持ちがあることをしたいです。例えば1時間のクリニックをやるとして、時間内で終わるようにスケジュールを進めるのではなく、子どもたちが練習を続けたいなら、そこを伸びしろと捉えて1時間30分教える。ささやかな姿勢ですが、子どもたちに僕の気持ちが伝わる振る舞いをしたいと思っています」
プロスポーツ選手の話を聞いていると、一つの競技を突き詰めて昇華した人の凄みを感じる。一方で、彼らからは“一般社会”に触れてこなかったことに対する後ろめたさを感じる時がある。会社を設立するということは、並里選手が触れてこなかった“一般社会”に揉まれる側面があるのではないだろうか。
「プロ選手はずっとバスケットボールばかりしてきたので、社会に出ていないのは事実です。僕も経験したことがないけれど、話を聞くと大変な部分がたくさんあると思います。やっぱりスポーツは特殊なんです。自分が決めたルーティンを最優先できるし、家族の中心になって生活をしている。でも、社会に出たら変わらないといけない部分がたくさん出てくる。選手たちはみんなやっていく力はあると思うのですが、なにも分からない状態から始めることに不安はあると思います。生活水準を変えるのも難しいかもしれません」
では、並里選手はプロスポーツの世界からスイッチを切り替えて、“一般社会”の空気に溶け込んでいくのだろうか。問うと、「スペシャルなまま突き抜ける」というファンタジスタらしい答えが返ってきた。
「僕は子どもの頃からずっと、スペシャルな選手になりたくてバスケットボールを突き詰めてきました。それが今、ある程度カタチになったと思っています。このカタチをセカンドキャリアに繋げられる自信があるし、自信を持てるまでバスケにすべてを費やしてきました。僕は、今までやってきたことの延長線上に引退後の生活を引けると思っています」
バスケットボールも子育ても、人がやるもの
コートを出れば、並里選手は1歳になる前から息子を育ててきたシングルファーザーだ。どのようにして、子育てとプロバスケットボール選手を両立してきたのだろうか。
「おそらく一般的には、親が子どもに合わせて生活しますよね。僕は逆で、自分に合わせてもらって育ててきたので、両立はできています。当時は、僕の練習が終わったら学校へ迎えに行って、その後に個人練習や体のケアをしていました。個人練習後に食事を摂って、眠って、翌朝学校へ送ってから僕は練習に行く。僕の親の協力もあったので、あまり大変だと感じることはありませんでした」
並里選手が実践しているように、本来は、親の夢と子育てはトレードオフするものではないだろう。しかし、現実には子育てを優先して、親のやりたいことを後回しにする人のほうが多いのではないだろうか。どうしたら、親自身が挑戦したいことを軽んじない姿勢でいられるかを問うと、こんな答えが返ってきた。
「究極を言えば、子どもは元気でいればいいと思うんです。『毎日、学校に行かせなきゃ』『宿題をさせて、塾に行かせなきゃ』……、こんなふうに親がいっぱいいっぱいになると、子どもにも余裕がなくなります。一日学校を休んでも頭が悪くなるわけではないし、おなかが空いてなくて食べないなら『まあ、いっか』と思う。一度、生活の基本に立ち返って考えてみるんです。単純で意識せずに流れていきそうなところは、しっかり考えて行動する。逆に、答えがないのに考えすぎてしまう部分はシンプルに考える。この感覚は男親だからかもしれませんが、どっしり構えています。それに、息子も一人の人間です。『こうしなさい』と行動を強制することはあまり言わず、僕の言うことを聞いてもらうためにどう伝えればいいのか、息子にものを言う立場の僕はどういう人間でいるべきか、よく考えています」
「大事にしているのは、勉強もバスケも、好きで本当にやりたいことなら背中を押してあげること、そして中途半端に投げ出さないように伝えることです。息子は今バスケットボールをやっていますが、もしもこの後バスケが嫌いになって違う道に進んでもしっかり生きていけるように、芯を持ってほしいと思って接しています」
並里選手の子育ての話でおもしろいのは、子育てとバスケットボールチームでやっていることが同じだと感じている点だ。
「例えば、ミスを恐れるチームメイトに対して、『誰でもミスはするものだ。大切なのは、ミスをした後の気持ちの整理だ』と伝えます。子どもには、『ミスをした時に言い訳をして満足せずに、チャレンジすることが大事だよ』と言う。結局、バスケットボールは人がやるスポーツなので、人間ができていないと何をしても成功しない部分があると感じています。僕の中では子育てでやっていることと、チームメイトにやっていることに変わりはないんです」
©GUNMA CRANE THUNDERS
人間性を育てる思いは、これから手掛ける事業にも通底している。fantasistaの事業内容にメンタルトレーニングが入っているのはそのためだ。
「fantasistaを通して、子どもたちには優秀なバスケ選手になってほしいと思っています。ただ、それ以前に人として生きる力をつけてほしいです。自分で見て、自分で考えて、自分で選択したことをやりきる。もし失敗しても次に進んでいけるように、自分らしさを磨いて、自分の中にある軸で判断できる人が増えていくといいなと思っています。そして、歳を重ねても自分らしさを出していくためには、メンタルトレーニングも大切だと考えています」
「こうあるべき」にあらがうスペシャルな存在になる
シングルファーザーは、シングルマザーほど広く知られた存在ではない。息子が0歳の時からシングルファーザーの並里選手にはネガティブな視線が向けられたのではないかと想像されるが、本人は「周りの目は気にしてこなかった」という。シングルファーザーの当事者として、「親は二人いるべき」といった価値観の押し付けにどうあらがうか、最後にアドバイスをもらった。
「『周りの視線は気にしなくていい』と言いたいのですが、気にする人はいると思うから難しいですね。僕が言えるのは、自分の良いところをさらに磨いて、スペシャルを見つけること。自分を磨いていくと、他の人にはない自分の良いところが見えてきます。良いところが見えはじめると周りが気づいてきて、『この人はスペシャルなところがあるな』と評価されるようになってくる。そうすると、まったく周りの目が気にならなくなります。辛抱強さが必要ですが、スペシャルな存在になるまで自分を磨き続けるんです」
取材・執筆:石川 歩
撮影:小林寿
1989年生まれ、沖縄県出身。沖縄市のコザで生まれ育ち、幼稚園の時からバスケットボールを始める。小学生でNBAに憧れ、バスケの名門・福岡第一高校に入学。1年でウィンターカップ優勝、ベスト5に選出される。高校卒業後にスラムダンク奨学金の一期生として、サウスケントスクールに留学。帰国後、リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)、琉球ゴールデンキングス(以下琉球)、大阪エヴェッサ、滋賀レイクスターズ、琉球を経て2022年より群馬クレインサンダーズに所属している。
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