「結果」だけにこだわらなければいけない、なんてない。―キング・オブ・スイマー 萩野公介が最後にたどりついた、自分だけの「泳ぐ」―
幼少期から各年代の日本記録を数々塗り替え、高校3年生で出場したロンドンオリンピックでは銅メダル、4年後のリオデジャネイロオリンピックでは「キング・オブ・スイマー」の称号である400m個人メドレーの金メダルを含む3つのメダルを獲得するなど、まさに「天才」と呼ぶにふさわしい活躍で日本の水泳界を引っ張ってきた萩野公介さん。
しかしリオデジャネイロオリンピック以降は、古傷の右肘の故障もあり思うように結果が出せない日々が続いた。東京オリンピックまで1年と迫った2019年には無期限の休養を発表する。復帰後も本来の実力を取り戻せたとは言えなかった萩野さんだが、彼は結果のために「泳ぐ」のではない、また違った「泳ぐ」意味を見出していく。そして、現役最後のレースとなった東京オリンピックの舞台では、その答えとなるような、100%の自分の泳ぎを表現する。
勝利と記録が全てとも言えるトップアスリートの世界で、萩野さんがたどり着いた彼だけの「泳ぐ」とは何だったのか。そして、萩野さんが今大切にしている生きていく上での「価値観」を、彼の水泳生活を振り返りながら語ってもらった。

結果を求められることの苦しみは誰もが経験したことがあるだろう。そしてその苦しみは、いつしか「結果」ばかりを求めてしまう自らの態度を作り出す。
とにかく「結果」を求められる、その最たる仕事はスポーツ選手ではないだろうか。勝ち負けや記録が、選手を評価する最大の指標になっている。それが日本を代表するトップアスリートという立場であれば、結果を求められる苦しみやプレッシャーは計り知れないものになるはずだ。
しかし、そんな勝利至上主義とも言えるアスリートの世界で、萩野さんは決して「勝利」だけではない、萩野さんだけの水泳への向き合い方を突き詰めていく。萩野さんはそんな自らの水泳の捉え方を「多面的」と表現する。この言葉と、萩野さんが競技生活を経て学んだ他者への「優しさと信頼」は、「結果」だけにこだわらなければならないという既成概念を転換させるヒントがあるように思える。
結果や記録という側面だけから捉えるのではなく、多面的に捉えてみるということがものすごく大事だと思っています。
生まれた時から水泳が日常にあった
萩野さんと“水泳”の出合いは、生まれてからわずか半年後だったという。
「親に連れて行かれたベビースイミング。それ以来、僕の日常には水泳が自然と溶け込むように存在していました。気づいたら練習に行って、気づいたら試合に出るような、そんな感覚でしたね」
来る日も来る日も水泳に打ち込む日々、そうした日常に嫌気がさすことはなかっただろうか。
「もちろん辛いと思っています。だからどんどん“何も無くなっていく”ような、余分なものを削ぎ落としていく感覚になっていくんです。例えば練習では極限まで無駄を省いて、“頑張らなくてもこなせてしまうこと”を少なくしていきます。目標のタイムを設定し、それよりも0.1秒でも速く泳ぐために、次の1本、また次の1本、そして1日1日を全力で過ごす日々でした。僕自身、例えば100点満点のテストで98点取れたとしたら、取れなかった2点を考えてしまう性格なんです。それは競技に打ち込む上ですごくプラスだったなとは思います」
そうした努力の先、各年代で数々の日本記録を塗り替え(現在も多くの記録を保持している)、高校3年生で出場したロンドンオリンピックでは銅メダル、さらにその4年後のリオ五輪では金メダル獲得という快挙を成し遂げた。
「ざっくりとした分け方ではありますが、ロンドンまでの日々は誰よりも速いタイムだけを追い求めてひたすら頑張ることが楽しかったんだと思います。高校卒業後は、大学に進学し、初めて実家から離れて寮生活をすることになりました。このリオに向かうまでの大学の4年間は自分にとって青春と言えるものでしたね。同世代の仲間と一緒に暮らし練習し、ウエートトレーニングや高地トレーニングに本格的に取り組んだりと、それまでの競技生活にはなかった新たな楽しみに満ちたものでした」
自分の気持ちを伝える大切さ。休養の決断に至るまで
しかしリオ五輪後は、古傷の右肘の不調も重なり、タイム的には思わしくないレースが続く。調子は一向に上向きにならず、自己ベストから10秒以上遅れるレースもあった。明らかに状態がおかしかった。次第に精神的にも追い詰められていく。そして東京オリンピックの選考会までおよそ1年と迫ったところで、無期限の休養を発表。東京オリンピックでの活躍を期待されるトップアスリートの突然の離脱は、大きなニュースとなった。
「自分でも、自分が水泳を続けられる状態ではないことをどこかで自覚しつつも、それを他人に相談することなく、ずっと一人で抱え込んでいたんです。周囲も僕の状態に気づいていたと思いますけど、僕だけが『いや、そんなことはない、そんなことはない』と思い込んでいて。その時は、他人に弱みを見せたら負けだと思っていたので」
最終的に休養を決める際は、大学の水泳部監督である恩師の平井伯昌先生に、自ら「もしかしたら今、水泳があまり好きじゃないかもしれません」と伝えたという。
「平井先生は前々から自分の状態に気づいていたんですけど、何も言わず見守るというか、僕からの言葉を待ってくれていて。休養を決めた時は、自分の中にそういった気持ちがあることをちゃんとわかっていたし、なおかつ人に自分の気持ちを伝えることってすごく大事なことかもしれないと気づいた時でもあったんです。誰かに何かを話す、それはその誰かのことを信用していないとできないことだと思うので、誰かに助けを求めてもいいということを、水泳から逆に教えてもらったなと僕は思っています」
「人はなぜ泳ぐのか」。多面的に水泳を捉えていく
タイムだけを追い求めてひたすら頑張ることを続けた時期、大学に入り同年代の仲間と共に水泳に打ち込む楽しさ、青春を謳歌した時期、それらを経て念願の金メダルを獲得した後、萩野さんは「泳ぐ」ことそれ自体への問いを深めていくようになった。
「リオ以降いろいろありましたけど、自分の根本のところは変わってないと思っています。水泳に対する思いというよりも、自分がどういう人間なのか、という部分で大きな変化はないんです。リオが終わった後は、1位とか記録とか金メダルよりも、自分の元々持っていた気持ちを広げる方向に意識が向かっていきました。それは先ほど言った100点に足りなかった“2点”の部分を突き詰める自分の性格に重なってくるんですけど」
それは、最終的には「人はなぜ泳ぐのだろう」というような問いにたどり着く。
「自分としては、これは水泳をやっていく中で自然と芽生えた問題意識で、リオ以前から元々抱いていたものなんです。それがより自分の中でプライオリティが大きくなっていっただけなのですが、周りから見ると、大きく変わったと思われたかもしれないですね」
「人はなぜ泳ぐのか」。アスリートはこの世界で最も純粋な場にその身を晒していると言える。勝つか負けるか、それだけで全てが決まるように見えるから、その残酷さと美しさが生み出す熱狂に、観る側の私たちは呑まれてしまう。勝つことでしか、数字を残すことでしか、自らの価値を証明できない世界で、「泳ぐ」ことそれ自体への問いを深めることに、萩野さんはなぜ惹かれていったのか。
「元々、考えることが大好きな人間なんです。リオ以降『なぜ泳ぐのか』といったところを突き詰めていく中で、多面的に水泳を捉えるようになってきました。泳ぐ、というひとつの行為の中に、いろいろな『泳ぐ』があると僕は思っていて。その人が泳ぐということは、その人の性格や趣味嗜好、考え方、経験、積んできた練習、実績、それら全てをひっくるめたものなんだと」
現役最後のレース、東京オリンピックでたどり着いた境地
続けて、萩野さんは現役最後の大会となった東京オリンピックのレースについて語ってくれた。
「東京オリンピックの予選のスタート直前、この一本でもしかしたら引退かもしれないと思った時に、今まで経験してきたことが走馬灯のようにワーっと頭の中を流れたんです。その時、これが僕が『泳ぐ』ということなんだなと、わかったんです。
決勝のレース前に平井先生とレースプランを話す中で『背泳ぎが小さい頃からずっと得意で、背泳ぎで頑張りたいです。メダルのチャンスもありますし、僕がやりたい泳ぎをやりたいです』と伝えました。そしたら平井先生も『わかった、行ってこい』と送り出してくれて。自分が泳ぎたい泳ぎ、それはつまり平井先生をはじめ、周りのサポートと一緒に作り上げてきた泳ぎでもあるんです。結果はついてこなかったですけど、100%出し切りました。最後の最後に自分がやりたい泳ぎを表現できたのは、ずっと『泳ぐ』ことを考え続けた自分にとって、すごく良い答えだったと思っています」
シビアな勝負の世界で、自分が抱いた問いを愚直に突き詰め続けた萩野さん。彼のアスリートとしての在り方は、これまでのスポーツ選手に対するイメージ、ひいてはスポーツそのものの見方を変える力がある。
「スポーツってやっぱり勝利至上主義みたいなところがどうしてもあります。でも結果や記録という側面だけから捉えるのではなく、多面的に捉えてみるということがものすごく大事だと思っています。スポーツの価値は数値化できるものではないと思うんです。一人一人の選手の個性や生き方が試合の場で表現されているのに、結果だけをスポーツの価値とするようでは、そのうちスポーツそのものが無くなってしまうのではないかとも思っています。
でも、僕は現役生活の中で人の優しさに救われる場面が数多くありました。休養から復帰した時も、別に準備万端の状態で復帰したわけではなかったんです。ただ、東京オリンピックを目指す上で、ここまでに戻らないとまずいというタイミングで復帰しただけで。本当に何度か挫けそうな時もあったんですけど、仲間やトレーナーさん、平井先生など、多くの信頼できる人たちが時に厳しい言葉をかけてくれながら、自分を応援してくれ、それが力となっていました。これこそ人の優しさだと思いますし、そうした優しさを人が持っている限り、スポーツは無くならないとも思っています」
ありのままで生きるために。人を信じ、人に優しく
あるインタビューでは、萩野さんは周りや世間から求められる「水泳選手・萩野公介」と自分の本来の性格である「人間・萩野公介」とのギャップに苦しんだと語っていた。元々争いごとを好まない性格だという。それでも結果を出すために、萩野さんは自らを徹底的に追い込むストイックさと圧倒的な練習量で、自らの先天的な性格を武装し勝ち続けてきた。しかし、リオで頂点にたどり着いた後、そのギャップは取り繕えないものになっていき、最終的にそれは休養の判断にまで繋がっていく。
しかしこの“ギャップ”はトップアスリートに限られた話だけではなく、一般社会で働く人々にも起こりうる話だろう。私たちは、仕事場で求められる役割に応じて、必要な考え方や人格をインストールする場合が多くある。それが自分の本来持っている先天的なものと完全にマッチしている人は、それを“天職”と呼ぶかもしれないが、多くの人は仕事場と普段の自分にギャップが存在するし、そこに悩みを抱えていることもあるのではないだろうか。
トップアスリートの立場でその苦しみと対峙してきた萩野さんに、そのギャップとどのように付き合っていけばいいのか、萩野さんの経験から語っていただいた。
「僕は、誰しもありのままでいることが一番楽だと思いますし、自分の先天的な部分をすごく大事にして生きてほしいと思うんです。自分の個性を潰してまで、自分を生き辛くさせることはないと思っています。じゃあどうすれば自分らしく、ありのままでいられるのか。僕は人を信じること、優しくいることがとても大切だと思っています。社会の中では一人では生きていけません。ありのままでいることと自分がやりたいようにやることは別です。言葉はブーメランですから、誰かのことを悪く言えば、それは必ず自分に戻ってきます。だから常に人のことを信じ、優しくいる。他人との信頼関係があって初めて、自分がありのままでいることが認められるんだと思います」
こちらの質問に淀みなく言葉を返す萩野さんを見て、とても長い間自分の内面と丁寧に向き合ってきた方だという印象を受けた。しかし、それはつまり自分の内面に抱える問題はそう簡単に無くなるものではないということでもあるのだろう。
「本当にその通りで、自分の内側で抱えているものが無くなることって多分死ぬまでないと思うんです。だから、僕はその瞬間、その今を『生きる』ということを大事にしたいんです。ひとつひとつの言葉、行動、考えを大切にしたいと思っています」
現役を引退後、大学院に進学されたほかにも水泳の解説者や各種メディアへの出演など、幅広い活動をされている萩野さん。今はどんな軸を持って活動をしているのかと問うと、少し悩んだ後「やっぱり『生きる』っていうことですかね。この一言に尽きると思います」と答えた。
「生きる」。このシンプルな言葉に、これまで萩野さんが自らの人生の起伏から得た経験が詰まっている。ありのままを生きる「人間・萩野公介」の生き方は、我々の道標にもきっとなるはずだ。
取材・執筆:平木理平
撮影:日野敦友

1994年生まれ。生後6か月から水泳を始める。小学校低学年から学童新を更新し、中学以降も各年代の新記録を樹立。17歳で初出場となったロンドンオリンピックでは400m個人メドレーで銅メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは400m個人メドレーで金メダル、200m個人メドレーで銀メダル、4×200mフリーリレーで銅メダルを獲得した。2021年東京オリンピックに出場後、現役を引退。2022年春に日本体育大学大学院に入学し、スポーツ人類学を学ぶ。
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