“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。―親なきあとの障がい者の生活をどう保つか。障がい者グループホーム「キノッピの家」が考える、持続可能な住まい、仕事、街のあり方―

紀 林(写真右)・柳澤 裕香(写真左)

日本には今、603万人の精神障がい者、126万人の知的障がい者、423万人の身体障がい者がいる(令和7年・内閣府)。その数は合計で約1,160万人におよび、国民のおよそ9.3%が、何らかの障がいを有していることになる。そして障がい者本人とその親御さんたちが年齢を重ねることで、障がい者の家族でもまた8050問題(80代の高齢の親が、50代の子どもの生活を経済的・精神的に支え続け、親子共に孤立して生活が困窮してしまう社会問題)が顕在化している。さらに、“親なきあと”問題(障害のある子を持つ親が高齢化・死亡した後に、子の介護、生活支援、財産管理などが十分に行えなくなる問題)が深刻の度を増している。

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES

障害者を取り巻く環境が厳しさを増している中で、地域の障がい者福祉に参画する関係人口を増やすことや、地域と障がい者が共生する“やさしい街”づくりまでを視野に入れながら、茨城県を中心に運営されているのが障がい者グループホーム「キノッピの家」だ。創業・運営を行う紀林(きの はやし)さんと、その現場の最前線で活動する事業本部長の柳澤裕香(やなぎさわ ゆか)さんにお話を伺った。

同じ診断名がついていても、人は一人ひとり全然違う。“診断名に惑わされずその本人を見る”のが、支援の出発点だと考えてやっています

「キノッピの家」は、比較的軽度の精神障がい者、知的障がい者を対象とした障がい者グループホームだ。世の中に数多く存在するそれらの中で「キノッピの家」は、そのユニークな考え方と運営手法で広く世間の耳目を集めている。その人気の秘密はどこにあるのだろう?

「共同生活はイヤだ!」と言う障がい者にも選択肢を

紀林さん(以下、紀)「一般的に、グループホームは“シェアハウス型”が主流です。大きな一戸建ての家屋に5〜6人が住むという形態ですね。だけどそんな生活をするグループホームには『入りたくない!』とか、『共同生活は嫌だ!』っていう方もいらっしゃいます。我々だってそうじゃないですか……? メンタル疾患を抱えている方ならなおさらでしょう。彼らにとって人間関係に対するストレスは、より大きいものですから」

そこで「キノッピの家」は、一般的なシェアハウス型ではなく、一人暮らし型のアパート、 2LDK・3LDKのファミリータイプの共同住宅まで、様々なタイプの物件をグループホーム化して提供している。

紀「障がい者向けのグループホームは、障がい者のために作られていながら、実際にはそこでの生活が障がい者本人の立場に立っていない場合もあると感じていました。そこで我々は、一人暮らし型のグループホームや兄弟や夫婦で住めるグループホームで、必要に応じて支援を自分で選べるようにしました。障がい者の方や親御さんの間でも、『自分に合った暮らしをチョイスしたい』というニーズは増えているようで、問い合わせの数も年々増えています」

個性も生活も家庭環境も一人ひとり違うから

だがキノッピの家の人気の秘密は家屋の形態だけではない。グループホームの利用者さんとの向き合い方もまたユニークなのだ。

紀「うちは利用者さんの約8割が精神障がい、約2割が知的障がいという割合です。ただ、同じ病名の方でも、人によって全然違うんですよね。例えば同じ“統合失調症”という疾患名がついていても、あの人とこの人とではまるで違う。統合失調症はこうだとか、ADHDはこうだとか、決めた方が楽だからそうしてしまいがちですけど、本質的には一人ひとり個性が違い、生活が違い、家庭環境も違う。だから“医師からの診断名に惑わされずその本人を見る”というのが支援の出発点だと考えてやっています」

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES

親御さんが90歳になって初めてグループホームの門戸を叩く、といった例も多いという。その場合、お子さんはもう60代。できればもっと早い段階で考え、動いて欲しいと紀さんは言う。

紀「やはり50歳より40歳、 40歳より30歳の子の方が、新しい生活に慣れやすいというか、耐性がある。だからできれば若い時に福祉とつながり、地域とつながるのがいいと思いますね」

スタッフには子どもを育て上げた地域の主婦・主夫の力を借りる

対利用者さんだけでなく、それを支えるスタッフの採用にも、「キノッピの家」には独自の考え方が貫かれている。ここで働くスタッフは、介護の資格を持つ人よりも、近所のおじちゃん・おばちゃんが圧倒的に多いのだ。

紀「プロフェッショナルな人材を集めるとなると、他の福祉の界隈からうちの会社に転職してもらうことになります。でもそれでは日本社会全体から見たら持続的ではない。あっちからこっちにリソースを移動させるだけでは社会貢献にならないと思うのです。なので、私たちのミッションは“支える側の人口を増やすこと”として、地域の方々に力を貸していただいているのです」

ご家族の都合で一度辞めたスタッフが復職してくれたり、スタッフが自分の家族を紹介してくれることも多いという。

柳澤裕香さん(以下、柳澤)「一度辞めても、家族の状況が変わって働けるようになったからまた働きたい、って戻ってきてくれる方は多いです。それから家族で働いてくれている方も。夜勤に息子さんが入って昼勤にお母さんが入る、なんて例もありますし、夫婦で働いてらっしゃる方もいますよ」

親の死後、そのお子さんのことを知っている大人がいることが大事

スタッフとして地域の人に働いてもらうのには、もう1つの理由がある。

紀「“支援する側とされる側”っていう関係性をなくしていきたいんですよ。なぜって、それが必ずしも暮らしの安心につながっていないと思うから。『この人は支援する人、僕は支援される人』っていう暮らしは、人の暮らしとしてノーマルじゃないと僕は思っていますので」

目指しているのは、近所のお姉さんやお兄さん、おばちゃんやおじちゃんと一緒に暮らしているような雰囲気だと紀さんは言う。

紀「障がい者自身も、“施設っぽい”のって嫌なんですよ。普通に地域の中で、普通の人と同じように暮らしたい。それを叶えるためには、プロフェッショナルなスキルで支えるより、地域の人たちに支えてもらう方が、ストレスが少なく暮らせると。それが社内でさんざん議論を重ねた末に、行き着いた結論なんです」

それはまた、障がい者の親御さんが亡くなった後のことを考えた上での結論でもある。

紀「なじみ深い知り合いを地域にどれだけ増やせるか? そして親御さんが亡くなった後に、そのお子さんのことを知っている大人をどれだけ残せるか? というのが、支援のバトンをつなぐことだと思って私たちはやっています」

「キノッピの家」ができるまで

そんなユニークなグループホームを運営する紀さんだが、彼の家族や友人や知り合いの中に障がい者がいたわけではない。そんな彼がなぜ、障がい者向けグループホームを立ち上げようと思い立ったのだろう?

紀「僕はもともとサラリーマンだったのですが、双子の娘と息子がおりまして。たまたま私立の小学校を受験して合格したものの、僕の給料だけではちょっと家計が苦しかった。それで会社勤めしながらの起業を考えたんです。だけど家族を守るために失敗は許されないから、『会社としてずっと成り立っていくサービスって何だろう?』と考えて、『世の中に本当に求められているサービス』を一年くらいかけて調べた。そして最終的に『障がい者福祉サービス、中でも“住まい”が足りていない』という所に行き着いたのがきっかけです」

つまり紀さんは、障がい者を支援する事業を、社会課題解決の手段としてだけではなく、有望でサステナブルな“ビジネス”として始めたのだ。そんな、今から5年ほど前の草創期の「キノッピの家」に、柳澤さんは、社員第1号として入社した。そもそもなぜ彼女はこの世界に、そしてキノッピの家に関わることになったのか?

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES

柳澤「私も、元々人材業界で働いていて、福祉や介護は全く未経験でした。紀さんとは、ある研修で一緒になって仲良くなり、その後、紀さんが不動産賃貸業を始めると聞いていて、私も不動産業には興味があったので気になっていたのです。でもそのうち『障がい者グループホームの事業を始める』っていう話になった。え、何それ? 不動産の話だったんじゃないの? って。とはいえ『どんな業界なのだろう?』と興味を持ち始めて。当時都内で働いていた私は、週末のお休みを利用して、土日だけ品川区から取手まで通勤して、紀さんの現場を見せてもらった。アルバイトの“世話人”という立場でジョインさせてもらったのが始まりでした」

「30年ぶりに一晩ゆっくり眠れた」統合失調症の息子をもつご夫婦の苦労に触れて

がい者向けグループホームを“ビジネス”として始めて1年半ほど経った頃、紀さんと柳澤さんに、ひとつの転機が訪れる。

紀「そのころ龍ケ崎市の障がい者家族会とつながる機会に恵まれまして。キノッピの家の話をしたところ、その家族会の会長さんが、双子の息子さんをうちに入居させてくれることになったんです。2人は50歳くらいで、どちらも統合失調症で。ということは、それまでの50年間、夫婦で頑張って支えてこられたわけですよね。その後、会長さんと再びお会いした時の彼の言葉がとても印象的でした。

僕が『お2人が同時にキノッピの家に入ってどうでしたか? 何か生活に変化はありましたか?』と尋ねると、『う〜んとね。30年ぶりに夫婦で、一晩ゆっくりと眠ることができましたよ』って。それを聞いた時に僕は、彼の想像を絶する苦労を感じてしまって。

その頃の僕は、グループホーム事業者として意気揚々と仕事をしていて、『良いグループホームが提供できれば、8050問題だって解決できる』くらい簡単に捉えていました。ただ、本質的な8050問題の根深さを全く理解していなかったんだなって。その家族会の会長さんのお話に、僕はガツンと頭を殴られたみたいで。

これまで自分の住んでいるすぐ傍に、こんなにも苦労しながら頑張っているご家族がいらしたのに、自分は障がい者やご家族のことなんか知ろうともしていなかった。ただ自分と家族と柳沢さんをどうやって幸せにするかを考え、自分の事業をどう伸ばすかという目線しか持っていなかったと。これじゃダメだ。もっとやらなきゃいけない! もっと社会に対してできることがあるだろう! って思わされたのです。地域にもっと支援者を増やして、こういう家族を支えていかなきゃと。僕の本当の意味でのスタート地点は、あそこだったような気がします」

障がい者の親なきあとの暮らし問題は、“住まい”だけでは解決できない

障がい者に、快適な住まいを提供するサービスを始めた紀さんだったが、障がい者の親なきあとの生活までを考えると、住まいという“点”にとどまることなく、仕事やお金の問題までを含めた“面”のサービスを提供していくことが必要だと、今は強く感じている。

紀「グループホームって、“住まい”という一点だけの福祉サービスですよね。でも障がいのある方とご家族がどうしたら健やかに、親亡き後も暮らし続けていけるかを考えていくと、“住まい”を解決すれば済むという話ではなくなる。住まいをはじめとして、仕事、親亡き後のお金、地域のネットワーク・人脈、みたいなところも含めて面で支えていかないと、8050問題や親亡き後の問題の解決にはならないと思うのです」

そんな「面のサービス」という考え方から生まれたのが「キノッピカフェ」だ。カフェとは呼ぶものの、実際にはお茶を提供する場ではなく障がい者に働く機会や働くための支援を提供する事業所だ。殺風景になりがちな事業所ではなく、おしゃれな雰囲気の空間で、頑張りたいときに頑張り、疲れているときには休みながら、自分なりのペースで利用してほしいという思いから室内の快適性にもこだわった。

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES地域の使われていなかった空き家をリノベーションしたキノッピカフェの作業場。窓も大きく、昼には日差しが入り居心地が良い。

紀「当時キノッピの家に住みながら仕事に行く人や、作業所に行く人がいる中で、行けない人、つまりキノッピの家に引きこもっている人もいました。その人たちの日中活動先をどう作るか? を考えて生まれたのが、このキノッピカフェです。もう一つ、障がい者のQOLを上げるために、食のレベルを上げたかったというのもあります」

柳澤「障がい者グループホームのご飯は、冷食を湯煎して、ご飯と味噌汁だけ作る所が多いのですが、うちでは利用者さんがキッチンでお惣菜を作ってキノッピの家全拠点に配食します。またキノッピの家の洗濯物支援やリネン類のクリーニングもやりますし、裏の畑でお野菜を作ってここで調理して運ぶことも。これだと利用者さんが働く喜びを感じやすいし、金銭だけじゃなく、自分たちが頑張ったことで、ホームの他の利用者さんが喜んでくれたり、利用者さんの様子をスタッフさんが『今日のカフェご飯めちゃくちゃ美味しかった!と皆さん喜んでました』って言ってくれたりして働くモチベーションになるんです」

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIESキノッピカフェの調理スペース

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIESこの日作られたシチュー。まだ温かく、食欲のわくにおいで満ちていた

紀「うちでは、外から仕事を取ってくるより、自分たちの暮らしの中の仕事を自分たちで作っていくことをまず考えます。最近では、このカフェで働く利用者さんの中から、うちの会社で正社員になりたいとか、実際に送迎ドライバーとして支援する側で勤務できる利用者さんも出てきた。今後はキノッピの家のスタッフとして採用することも実現できそうです」

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES畑には数種類の野菜が植わっていた。寒さをしのぐビニールがかけられて、丁寧に育てられている。

地域の障がい者福祉に参画する関係人口を増やす

キノッピの家は、年内にも25ユニットに達する予定で、2軒目のキノッピカフェも構想されている。今や障害者の住まいと職場が有機的につながるユニークな“エコシステム”を築き上げようとしている紀さんに、今後のビジョンを語ってもらった。

グループホームをツールとして、安心に満ちあふれた、新しい生活様式づくりをやりたいですね。それを通じて“サステナブルな街”、“やさしい街”を作っていきたい。そして求められる暮らしを提供し続け、発信し続ける集団でありたいと思います。私たちは『地域の障がい者福祉に参画する関係人口を増やす』ことをミッションとして掲げています。できれば、こういう地域づくり、支え合いの形が“住まい”を中心にあるんだよっていうことを、全国の人に知ってもらいたい。僕らはその立ち上げ支援とかもやっていますので、全国でそういう地域作りが増えていくといいなと思いますね

取材・執筆:宮川貫治
撮影:阿部拓郎

“家族だけ”でなんとかしなきゃ、なんてない。|LIFULL STORIES
Profile 紀 林(写真右)・柳澤 裕香(写真左)

紀 林(写真右)
KINOPPI株式会社 会長。1976年、沖縄県生まれ。茨城県南で20棟以上の障がい者向け個別サポート付き住宅(サポ住®)を運営。2018年に合同会社キノッピカンパニー(現KINOPPI株式会社)を設立。2020年に「グループホーム キノッピの家」を開業し、2022年に会社勤めを辞め独立。同年、KINOPPI株式会社の会長兼CEOに就任する。2023年10月には戦略子会社として就労支援B型事業所・THE GOOD LIFE株式会社を設立。2024年3月には持株会社GOOD LIFE HOLDINGS株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年6月一般社団法人親なきあとサポート協会を設立、代表理事に就任。

――――
柳澤 裕香(写真左)
KINOPPI株式会社 事業推進部部長。一般社団法人 親なきあとのサポート協会事務局長。1984年、福島県生まれ。医薬品の営業や建設系会社、人材派遣会社の営業などを経て、代表の紀に誘われKINOPPI株式会社正社員第一号に。グループホーム管理者として、新しい事業やプロジェクトを立ち上げる時の推進役として活躍。

キノッピの家HP:https://kinoppi.co.jp/

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