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STORIES 2018/10/05

車椅子では踊れない、なんてない。

かんばらけんた

先天性二分脊椎症という重度の障がいのあるかんばらけんたさん。下半身に不自由がありながら、2016年のリオデジャネイロパラリンピック閉会式に出演するなど、活躍の場を広げる車椅子ダンサーだ。躍動感のある動き、情熱がほとばしる肉体……観る者を圧倒する技術と表現力を武器に、ダンスという身体表現に挑む。

車椅子テニス界の王者、国枝慎吾選手が、今年、全米オープン車椅子の部で準優勝した。これまでグランドスラムの同部門で、42回もの優勝を果たし、これは男子の世界歴代最多記録。自分の道を突き詰め、圧倒的な強さを見せてくれる存在には、大きく心を揺さぶられる。それは、車椅子であろうとなかろうと関係ない。

かんばらさんは、ダンスという自己表現を通じて、人々に驚きと感動を与えてくれる。それでも、日常生活では「エレベーターに乗っているだけで『頑張ってるね』と言われる」。そうした現実がある以上、「車椅子では踊れない」と思う人が少なくないのも無理はない。しかし、日常に車椅子があり、障がいをすっかり受け入れているかんばらさんにとって「車椅子でも踊れること」は当たり前のこと。さらにその先の、自分だけにしかないダンスを求めている。

“車椅子だから踊れない”という
感覚がないんです

かんばらさんの生まれた時からの障がい、二分脊椎症とは、脊椎が二つに分かれた、「交通事故で背骨をボキッと骨折したのと同じ状態」のこと。腰から下の神経が弱く、骨の形も特殊で、背中には強い側弯がある。その障がいを初めて意識したのは、5歳の時だった。

「弟が生まれて、最初に親に聞いたのが『弟の脚は動くの?』でした。幼心に、『自分の脚は人とは違う』『脚が動かないことはよくないことだ』と僕自身が思っていたんでしょうね。リハビリしても治らないことにも、なんとなく気づき始め、小学3年生で母親に『もう一生歩けないの?』と聞いたそうです」

子どもからの真摯な問いに、過酷な現実を正直に話をしてくれた母親と一緒に大泣きをした。そして、徐々に障がいを受け入れるようになった。

「障がいを受け入れるタイミングや形は、人それぞれ。歩けないことにこだわりすぎて暗く暮らすより、障がいがあっても楽しく、幸せに生活するほうがいい。それが、僕が選んだ障がいとの付き合い方の形です」

できることは自分でやる。でも「できないことだらけ」

実家の子ども部屋は2階だった。ご飯を食べるにしても、手で階段を上り下りしなければならなかった。

「日々、筋トレみたいな(笑)。『できることは自分で』と教えられてきたので、5分かかってもひとりで靴下をはいてました。幼稚園の時には、逆立ちができるようになっていて、運動会では、みんなと一緒に逆立ちで大縄跳びを跳んでました」

専門学校を卒業して、システムエンジニアとして就職するため上京。初めてのひとり暮らしで、料理、洗濯、掃除など、道具を工夫して使いながら、おおよその家事もこなせるようになった。結婚し、人工授精で授かった子どもをお風呂にも入れる。

「それでもできないことだらけですよ。電球は替えられないから、妻の仕事。プラスマイナスゼロを目指しているわけじゃないけど、『できないことはできない』とわかっているから、僕ができることで補っている感じですね」

新婚旅行は、妻のリクエストでメキシコとキューバへ

「妻が、バリアフリーとか関係なく、行きたいところを選びました。彼女は『階段があるなら這って登ればいいじゃん。車椅子は私が運ぶから』という人。不安がなかったわけではないけど、楽しかったですね。キューバでは、初めて障がい者にたかられるという経験もしました(笑)」

障がいを受け入れた時に選んだ「幸せに、楽しく暮らす」生き方を、家族と共に実践しているのだ。

「幸せって、すごく大きな、ひとつのものとして存在しているわけじゃなくて、子どもと遊んでいて楽しいとか、ご飯を食べておいしいと感じるとか、日々の積み重ねなんだなと実感しています」

障がいの部位を見せることがインパクトになる

かんばらさんの人生を輝かせる、小さな幸せのかけらたち。今は、そのひとつのピースに、ダンスがある。太鼓やスピーカーがついている車椅子がかっこよくて、それに乗りたいというのが始めた動機だった。

「僕は、できることはできるし、できないことはできない。車椅子ダンスに関しては、できることなんですよ。だから、最初から車椅子だから踊れないという感覚はありませんでした。小学生の時には、授業で創作ダンスもやりましたしね。当時は、嫌々でしたけど(笑)」

すでに障がいを受け入れていたかんばらさんにとって、ダンスを始めて救われたといった美談は存在しない。しかし、ダンスを始めて気づかされたこともあった。

「ダンスを始めるまでは、脚は絶対に人には見せないパーツで、細いのがわからないように、太いズボンばかりはいていました。それが、ダンスを始めてみたら、脚を出す衣装を着るように要求されたんです。障がいの部位をわざと見せることは、けっして悪いことではなくて、ひとつの個性になり得るんだ、見せてもいいんだって思えた。そうした考えは、それまでの自分の障がい観にはなくて、ダンスがもたらしてくれた発見でしたね」

隠してきた脚を見せるには、とてつもない勇気が必要だったに違いない。しかし、ダンスが価値観を変えてくれた。

車椅子に対する既成概念はまだまだ存在する

かんばらさんの話し方は、関西人らしいユーモアを交えながらも、口調はいたって穏やか。どちらかというと淡々としている。それが、ストレッチを終え、ひとたび踊り始めると、感情を爆発させた。鍛え抜かれた腕の動きにはキレがあるし、美しい。身体と車椅子が一体となり、くるくる回るアクロバティックな技には、目を奪われる。かんばらさんのダンスを観れば、『車椅子だから踊れない』は、誤った既成概念に過ぎないことは一目瞭然だ。

しかし、人々の中に『車椅子だから踊れない』という既成概念があることにも、かんばらさんは、極めて自覚的だ。

「ダンスのコンペで『なんで車椅子の人がここにいるの?』というアウェイの雰囲気を感じたこともありますし、普段の生活でも、ただエレベーターに乗っているだけで、知らない人から『頑張ってるね』って声をかけられるんですよね。世の中の認識は、まだそのレベルかと思う半面、仕方ないことだっていうのもわかってるんです。海外だと、気軽に声をかけてくれるんですけど、日本はまだ障がい者と健常者の距離が遠いんですよね。近づくきっかけがないから。僕は別に、社会を変えたくて踊っているわけじゃないけど、車椅子ダンスが、お互いの距離が近づくきっかけになるといいなとは思っています」

純粋にカッコいいと思ってもらえる自分だけのダンスを求めて

車椅子は、かんばらさんのダンスにとって欠かせない要素だ。しかし、“車椅子ダンス”というカテゴライズが、観る人のバイアスになっている可能性もある。

「車椅子で踊ると、観る人のハードルが下がるんですよ。たいして踊れてなくても『感動した』って言われるんです。でも、僕は『車椅子で踊れるなんてすごい』というところは目指してなくて、僕にしかできないダンスを踊りたい。パフォーマンスを観てくれた人が、直感的に『カッコいい!』と思ってくれるダンスが理想ですね」

しかし、どうしても車椅子ダンスのイベントに来るのは、同じ人たちばかり。ムーブメントが思うように広がらないもどかしさを感じている。ダンスを始めて半年で、出演したリオデジャネイロパラリンピックの閉会式も、首相がマリオに扮して登場したオリンピックのそれと比べれば、視聴者の数は格段に少ない。どうしたら、より多くの人に届くのだろう。その問いのひとつの答えが、公園や美術館、駅などでパフォーマンスができる大道芸のライセンス取得だった。健常者が大勢集まるイベントに意識的に参加し、空中ブランコも披露する。目下の目標は、東京オリンピックだ。パラリンピックではない。

オリンピックには、車椅子で出られる競技ってないんですけど、オリンピックでも開会式や閉会式は出られるチャンスはあるじゃないですか。パラリンピックではなく、オリンピックでパフォーマンスできたら、パラリンピックにも興味を持ってもらえるんじゃないかって思うんですよね。それができるかどうかわからないけど、“パラリンピック”と自分で枠を作ってしまわず、むしろ、どんどん枠から飛び出していきたいですね
Profile かんばらけんた

1986年生まれ、兵庫県神戸市出身。専門学校を卒業後、日本ヒューレット・パッカード株式会社に入社。システムエンジニアとして働く。2014年、結婚。現在、1児の父。16年、リオデジャネイロパラリンピックの閉会式に出演。翌年、人間力大賞で文部科学省大臣賞を受賞する。同年、東京都の大道芸ライセンスである「ヘブンアーティスト」に合格。

STORIES 2018/10/05 車椅子では踊れない、なんてない。