LGBTQ+は自分の周りにいない、なんてない。
「『ここにいるよ』と言えない社会」――。これは2018年、国会議員がLGBTQ+は「生産性がない」「趣味みたいなもの」と発言したことを受けて発信した、日本文学研究者のロバート キャンベルさんのブログ記事のタイトルだ。本記事内で、20年近く同性パートナーと連れ添っていることを明かし、メディアなどで大きな反響を呼んだ。
現在はテレビ番組のコメンテーターとしても活躍するキャンベルさん。「あくまで活動の軸は研究者であり活動家ではない」と語るキャンベルさんが、この“カミングアウト”に込めた思いとは。LGBTQ+の人々が安心して「ここにいるよと言える」社会をつくるため、私たちはどう既成概念や思い込みと向き合えばよいのか。

日本におけるLGBTQ+人口は、およそ11人に1人(※1)。この数字は、左利きの人と同じ割合だそうだ。他方、国立社会保障・人口問題研究所が2015年に行った調査では約9割の人が「身近にLGBTQ+の人はいない」と回答している(※2)。キャンベルさんは先の記事内でこの結果を引き合いに出しながら「存在しない、ということではなく、安心して『いるよ』と言えない社会の仕組みに原因」があると指摘した。
国際社会におけるSDGsやダイバーシティーへの意識の高まりを受け、日本でも多様な性のあり方を尊重する風潮は強まっていると言えるだろう。しかし、いまだ同性同士の結婚は法律上で認められていないのが日本社会の現状だ。日々こうした無理解や偏見に直面するLGBTQ+の人々が、自らのセクシュアリティーを周囲に明かす難しさは想像にかたくない。
今回取材をしたキャンベルさんは、長年連れ添った日本人の同性パートナーと2017年、アメリカで結婚したという。そんなキャンベルさんに、パートナーとの出会いや結婚などの実体験を踏まえ、日本社会でLGBTQ+が直面する問題について伺った。
※1:電通「LGBTQ+調査2020」
※2:国立社会保障・人口問題研究所「男女のあり方と社会意識に関する調査」
“遠い世界の話”ではなく、私たちの日常生活の中にもLGBTQ+の人はたくさんいます
みんな「違う」のが当たり前。自分らしく生きられた思春期
「LGBTQ+が生きやすい」とは言いづらい日本社会で、“カミングアウト”ができず悩む人も少なくないのでは――。そう切り出すと、キャンベルさんは「僕は正直、良い取材対象者ではないかもしれない」と話した。その答えの背景には、彼が過ごしたアメリカでの生活があるようだ。
「私が思春期を過ごした1970~80年代のアメリカは、エイズが社会問題化し、同性愛者への風当たりが非常に強い時代でした。そんな中で、私と同じ時代を生きたLGBTQ+の中には、偏見や差別に苦しみ、自らのアイデンティティーを打ち立てるのに途方もない挫折を経験した人もいたと思いました。ただ私自身は幸いにも、そうした経験をせずに思春期を過ごしてきました」
両親は幼い頃に別れ、キャンベルさんを女手一つで育てた母は元々は敬虔なカトリック信者。たとえ我が子であろうとも、性的な話題には決して触れない人だった。後に再婚しキャンベルさんの継父となる人は、放任主義で干渉せず、見守ってくれていたという。
「母は私のセクシュアリティーに気付いていて、高校時代、遊びに来た友達がボーイフレンドだということを見抜いていました。20代後半から福岡に来ましたが、母はエイズの最新の情報について書かれた新聞の切り抜きを何度も送ってきました。でも、同封されていた手紙には何も書いていなくて(笑)。母が亡くなるまで、お互いそのことについて言葉を交わしたことはありませんでした」
多感な思春期、周りとの「違い」に悩んだ経験はなかったのだろうか。そう尋ねると、「みんな『変わっている』のが当たり前だったから」と続ける。
「高校は自由な校風でしたし、よく一緒に遊んでいたのは趣味のダンスを通じて知り合った少し年上の大人たち。そこで、人種や年齢、性別、宗教などバラバラの価値観、生き方に触れて育ったんです。だから、みんな『違う』のが当たり前だと分かっていました。
もちろん知識として『ゲイ』というアイデンティティーについても理解していたけれど、みんなと『違う』からとつらい思いをした記憶はほとんどありません。みんなと同じように誰かを好きになったし、実らない恋も経験しました」
実父が導いた日本人パートナーとの同性婚
キャンベルさんが江戸文学に魅せられ、日本に移住したのは1985年。大学教授などを歴任する中、ブログで明かしたパートナーと出会う。しかしキャンベルさんは「そんなドラマチックなものじゃない」と笑う。
「ただ、家が近所だったんです。共通の知人を介して知り合い、初対面でなんとなく好感を持ちました。連絡先を交換してから近所で食事をして。自然な流れでお付き合いが始まりました。そこから23年、人並みにケンカもするけれど、一度も別れたことのない大切な存在です」
10年ほど、日本でパートナーとして共に過ごしてきた二人。2017年、アメリカで結婚をしたことを明かしているが、結婚を決意したきっかけはあるのだろうか。
「大きく二つ理由があります。一つは、私が10年ほど前に大きな病気をして入院し、同居を考えたこと。実は、それまでは近所にいても同居はしていなくて。退院後、しばらく無理はできないだろうとパートナーが心配して、一緒に住もうと提案してくれました」
キャンベルさんが同性婚を決めたもう一つの理由は、幼い頃に離ればなれになった「実の父」の存在が関係していると明かす。
「二十数年前に母が亡くなってから、何とはなしに実父を探し始めたんです。それで、奇跡的に再会できて。いろいろな事情があって家族のもとを離れた父と、時間を埋めるように会話を重ねて、とても良い関係を築くことができました。私のセクシュアリティーやパートナーについては最初から伝えました。
するとある時父に、『君たちは結婚についてどう思う?』と聞かれたんです。でも当時の私は、うまく答えられなかった。当然、『結婚』という選択肢の重要性も頭では理解していました。でも、いざ自分のことになると途端に現実味を失ってしまった。日本という場所で生活する私たちにとって、どこか絵空事のような話になっていたのですね」
病気など“もしも”が起こった時、「他人」のまま共に生きるより、「家族」になった方が安心じゃないか――。実父の言葉は、大病を乗り越え、パートナーとの同居も始めていたキャンベルさんの胸に強く響いた。パートナーとも話し合いを重ね、アメリカでの結婚を決めたという。
「ようやく結婚が“自分ごと”になったんです。人生とは不思議なもので、ずっと離れて暮らしていた実父にお膳立てされるように、ニューヨークで結婚し、式も挙げました」
「セクシュアリティーは自分を形づくる資質」。“カミングアウト”に込めた思い
キャンベルさんは2018年、国会議員の発言を批判するブログ記事の中で、自身の同性パートナーの存在を明かした。マスコミは「同性愛者と公表」との見出しで取り上げ、大きな反響を呼んだ。しかし、「“カミングアウト”も議員批判も言説の目的ではなかった」と振り返る。
「『生産性がない』『趣味みたいなもの』。最初この発言を目にした時、想像をはるかに超えてヘイトに満ちあふれた言葉の数々に呆れました。その中でも『一過性のもの』『不幸な人を増やすことにつながりかねません』という言葉に強い違和感を覚えましたね」
先のブログでも、セクシュアリティーを「生を貫く芯みたいなもの」と表現したキャンベルさん。あらためて、その思いを語ってくれた。
「言うまでもなく、セクシュアリティーは『趣味』なんかではありません。自分を形づくる大切な『資質』のようなものだと思っています。LGBTQ+は未成熟で不幸だと決めつけ、存在を軽んじるような言葉は、さらに当人たちを苦しめると感じました。
影響力の強い立場にある人による無理解と偏見に基づいた発言を聞いたら、特に若い世代のLGBTQ+の人々はどう思うか。研究者として客観的な発言を心がけている私ですが、この問題に関しては“自分の体験”として話さなければ説得力がないと考えました。だから、自らのアイデンティーを公表したのは自然なことだったんです」
キャンベルさんの“カミングアウト”には、「感動した」「勇気が出た」といった好意的な意見が多く寄せられたという。ここでも自身の体験を引き合いに出しながら、今の日本のLGBTQ+、特に若い世代が直面する現状をこのように分析した。
「私自身は幸いにも自分らしくいられる自由な環境で思春期を過ごしました。そして広い世間に“カミングアウト”したのは、還暦を過ぎてから。年齢を重ねてキャリアも積み、経済的、社会的な基盤があったからこそ、大きなデメリットはありませんでした。
しかし、これから就職や家庭を持つといったさまざまな人生の節目を控える若い世代は、同じように“何も失うものがない”と断言できるでしょうか」
安心して「ここにいるよ」と言える社会をつくるために
主要先進国とされるG7に含まれる国のうち、同性カップルの法的保障が認められていないのは日本のみ。こうした日本社会は、アメリカで生まれ育ち、結婚もしたキャンベルさんの目にどう映っているのだろうか。
「欧米やアフリカ、中南米では、LGBTQ+を公言すると生命に関わる暴力や迫害を受けるケースはいまだにあります。日本では、LGBTQ+であるという理由で生命が脅かされる危険はありません。ただ積極的に排除はしないけれど、『触れるべきではない』空気がつくられている。
この日本社会で思春期を過ごしたら、私もセクシュアリティーは隠さなければいけないものだと考えたでしょう。そんな空気の中で、安心して『ここにいるよ』と声を上げられるでしょうか。結果として若者たちから潜在的な可能性や能力を奪っているのだとしたら、国としても大きな損失です」
では、LGBTQ+の人々が安心して「ここにいるよ」と言える社会になるために、何が必要なのだろうか。
「まずは言うまでもなく、制度や仕組みを変えることが大切です。誰かを愛し、家族になる。その自由を、性のあり方にかかわらず、全ての人に平等に保障すること。その土壌をつくらなければ、“カミングアウト”はリスクのままになってしまう」
さらに、当事者でない人たちにできるのは「空気をつくること」だと話す。
「もちろん、一人ひとりがLGBTQ+について知識を身に付け、正しく理解する姿勢は大切です。しかしそれ以上に、身近にいるLGBTQ+の人たちと接点を持つようにしてほしくて。肌感覚として理解すれば、その人たちも自分とそれほど変わらない人間だと想像できるようになるからです。
メディアではいまだにステレオタイプ的なLGBTQ+の姿で扱われることが多いですが、“遠い世界の話”ではなく、私たちの日常生活の中にもLGBTQ+の人はたくさんいます。もし声を上げようとする人がいたら、耳を傾けてみてください。
そして、周囲にセクシュアリティーを笑いにしようとする人がいたら同調圧力に負けず、『NO』と言うほんの少しの勇気を持ってほしい。自分が『アライ(※3)』だと表明するのも大きな力になると思います」
「『ここにいるよ』と言えない社会」は、LGBTQ+に限らず、全ての人にとって生きづらい世界ではないだろうか。私たち一人ひとりが「空気」をつくる、ほんの少しの勇気を持ってみる。そんな小さなことで、社会は一歩ずつ生きやすくなっていくのかもしれない。
※3 アライ(ally):LGBTQ+の人たちの活動を支持し、支援している人たち
この広い世界の中で誰かと出会い、「家族」として生涯を共にしたいと願う。そんな誰かにとっての「当たり前」が、かなわない人がたくさんいます。それはLGBTQ+以外の人にとっても息の詰まる社会ではないでしょうか。
セクシュアリティーを周囲に打ち明けられずに悩んでいる人がいたら、幸せになるために妥協しないでほしいと伝えたい。ゆっくりとではありますが、LGBTQ+が生きやすい社会に近づいていると信じているし、多くの大人はあなたたちの幸福や自由を願っています。だから、自分の気持ちに正直に生きることを諦めないでほしいですね。
取材・執筆:安心院彩
撮影:内海裕之

ニューヨーク市生まれ。1985年に九州大学文学部研究生として来日。日本文学研究者。早稲田大学特命教授。早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)顧問。東京大学名誉教授。国文学研究資料館前館長。
近世・近代日本文学が専門で、特に19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、それにつながる文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、さまざまなメディアで活躍中。
Twitter @rcampbelltokyo
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