【後編】ニューロダイバーシティとは? あらゆる特性の人が活躍できる社会を目指す取り組みと企業事例
現在「ダイバーシティ」という言葉はビジネスや教育などさまざまな文脈で用いられます。
ダイバーシティとは多様性を意味し、元々は、「ジェンダー、人種・民族、年齢」などの属性の多様性を指すことが多かった言葉です。近年では企業の経営戦略において、多様な価値観を尊重することでイノベーションの創出や生産性を高める「ダイバーシティ経営」の観点でも注目されるようになっています。
経済産業省も、国内企業の経営戦略としてのダイバーシティ経営の推進を後押しするために、さまざまな施策を打ち出しています。
人間のより本質的な多様性に注目する「ニューロダイバーシティ」という考え方があります。この記事では以下の5点について解説します。
前編
後編
ニューロダイバーシティが注目される背景
ニューロダイバーシティが注目される背景には、大きく分けて2つの要素が関係しています。「企業の社会的責任の増大」という、いわばコンプライアンスの視点と、「産業構造変化の加速化」への対応という企業の根幹に関わる課題です。
企業の社会的責任の増大
ニューロダイバーシティが注目されている一つの理由は、企業の社会的責任の増大、すなわち、SDGsへの貢献です。
いうまでもなく、SDGsは2015年9月の国連サミットで採択された、2030年までに持続可能でよりよい成果を目指す国際目標です。地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓っており、その中にはもちろん発達障がいを持つ人たちも含まれます。しかし、ロイター社によると、「世界全体で推定7,000万人とも言われる自閉症のある人々のうち、約8割が無職もしくは著しく能力以下の仕事に従事している」とのことです。(※1)
発達障がいを持つ人の中には、相手の目を見て話すことや他の人との会話を積極的に進めることが不得手な方もいるため、従来の面接を中心にした採用手法では、彼らのポテンシャルや強みを図ることができず、採用から漏れやすくなっている点が考えられます。
日本に限定すると、障害者雇用促進法で定められた、障がい者の雇用率(法定雇用率)が年々上昇しており、この雇用率を達成するために、急増している発達障がいなどメンタル系の障がいを有する人材を雇用するノウハウを知りたいというニーズが高まっています。
産業構造変化の加速化
ニューロダイバーシティが注目されている背景のもう一つに産業構造の変化が挙げられます。日本社会に限らず、世界の産業のあらゆる分野にITが導入され、デジタル社会が加速するにつれて、イノベーションの創出が課題になっています。
IT人材の不足は喫緊の課題であり、日本では2060年までに生産年齢人口は約35%減少し、IT業界では2030年時点で需要に対して約79万人の人材が不足するという試算もあります。(※1)
この点、上述したように発達障がいのある人たちが持つ特性が、まさにIT分野でのさまざまな業務において 強みとなる場合があることが研究や実例によって分かってきています。
例えば、ニューロダイバーシティを導入し、先進的な取り組みを行ってきたのが高福祉国家のデンマークです。IT企業のスペシャリステルネは、2004年に自閉症のある人材を積極的に雇用するソフトウェアテストコンサルティング業を創業しました。自閉症を持つ求職者の中でも特にIT分野で優れた能力を発揮できる人材に焦点を当てた雇用プログラムを持つことで知られています。
また、企業が発達障がいのある人材を雇用し、ニューロダイバーシティなチームをつくることにも多くのメリットがあります。経営学を扱うアメリカの専門誌によると、「ニューロダイバースなチームはそうでないチームに比べ、約30%効率性が高く」、「障がいを持つ同僚の仲間、メンターとして行動するバディシステムを実装している組織では、収益性は16%、生産性は18%、顧客ロイヤリティは12%上昇している」というデータがあります。(※1)
こうした報告から、人材不足を解決し、生産性を向上するためにニューロダイバーシティが注目されていることが見えてきます。
※1 出典:発達障害って、なんだろう? | 政府広報オンライン
ニューロダイバーシティに取り組むべき理由と成功事例
企業がニューロダイバーシティに取り組むことが成長戦略といえる理由は主に3つあります。
- 人材獲得競争の優位性
- 生産性の向上・イノベーションへの貢献
- 社会的責任
ここでは、主に1番目の人材獲得競争の優位性にフォーカスし、国内外の成功事例についていくつか紹介します。(※1)
海外先進企業におけるニューロダイバーシティ活動への期待と成果
例えば、マイクロソフトでは自社の雇用需要を満たすことや社会的影響、インクルーシブな文化形成、プロダクトアクセシビリティ向上を期待し、ニューロダイバーシティ推進のためのプログラムを導入しました。結果として、従来の採用プロセスで不採用にしてしまっていた人材を獲得でき、マネージャー層にもポジティブな影響があったといいます。
また、JPモルガン・チェース・アンド・カンパニーでもマイクロソフトと同様の期待を抱いてニューロダイバーシティ活動を推進した結果、1次雇用者らの生産性は雇用半年後に48%増加し、2次雇用者らの生産性は雇用半年後には90~140%も増加したそうです。
日本企業の人材獲得成功事例
日本のある企業では、ゲームが好きな元フリーター・元ひきこもりの人材を積極採用し、訓練と合理的配慮を提供した結果、特に集中力や目標達成への意識が高い人材が活躍しているそうです。
ゲーム開発現場において不可欠なデバッグ(バグと呼ばれる間違いを発見し、不具合の原因を突き止めること)業務では、発注先のマイクロソフトのエンジニアも発見できなかった多数のバグを特定するスペシャリストも登場しているとのことです。
多様な人材が活躍できる社会の実現
障がいの有無に限らず、すべての人々に社会的活躍の機会があることは人々の幸せや社会の発展に寄与するとともに、経済成長にも貢献できます。そのためには、雇用する企業側が発達障がいなどの精神疾患を有する社員の特性を踏まえ、組織の心理的安全性を高め、イノベーションや生産性向上につながる取り組みを行うことが重要になるでしょう。
その際、思い込みや決め付けを持たず、柔軟なサポートや工夫が大切です。「できないこと」に目を向けるのではなく、本人が持つ「才能や能力」を活かせるポジションで採用するなら、会社と人材のWin-Winな関係を実現できる可能性が高まるでしょう。
障がいと向き合い、自分らしく生きる3人のストーリー
齊藤菜桜さんは、テレビ番組やファッションショー、雑誌などで活躍する“ダウン症モデル”です。母である由美さんと二人三脚で障がいがあっても夢を諦めない姿は、同世代の若者たちに多くの励みと勇気を与えています。菜桜さんが幼稚園に通うようになった時、最初は周りの子たちは「お世話してあげよう」としていたのに対し、由美さんは「菜桜ちゃんを応援してほしい」と伝えたとのこと。障がい者との関わりにおいて、じっくり話すことで双方に良い影響が及んだ好例と言えるでしょう。
猪狩ともかさんは、2018年に不慮の事故に遭い、脊髄損傷による両下肢麻痺と診断され、それ以降、車椅子生活を送りながらアイドル活動を続けています。インクルーシブな社会の実現に向けて私たち一人ひとりができることとして、猪狩さんは「生きづらさを抱える人が『こんなことに困っている、苦しい』と発信する時、“受容”まではしなくてもいいから“否定”しないことが大切」と言います。
吉藤オリィさんは不登校とひきこもりの経験を通じて、孤独感や劣等感、焦燥感を抱え続け来ました。しかし、「できないことは悪いことじゃない。重要なことはその価値を知ることなんだ」と語る彼は学校へ行きたいのに行けなかった体験から「分身があればいいのに」と考え、ロボットの研究を始めました。現在は自ら会社を立ち上げ、誰もが孤独を解消し、「適材適所社会」を目指して活動しています。
まとめ
ニューロダイバーシティは加速するデジタル社会の需要を満たすための人材供給に貢献するだけでなく、これまで少数派の特性ゆえに採用から漏れてしまっていた発達障がいなどの特性を有する人たちがポテンシャルを発揮する場所を提供する基盤になるはずです。企業だけでなく、私たち一人ひとりがこれまでネガティブにとらえられてきた精神疾患に対する見方を変化させることが求められています。
日経BP総合研究所主任研究員
1994年東京大学卒。1997年日経BP入社。バイテクノロジーの専門誌「日経バイオテク」、薬剤師向け専門誌「日経ドラッグインフォメーション」、医師向け専門誌「日経メディカル」などを経て2024年4月より現職。2004年にフルブライト奨学生として米国UCSFに留学。臨床倫理や終末期医療、脳科学に詳しく、文部科学省の科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会、ライフサイエンス委員会脳科学作業部会の委員なども務める。日経BPが2024年度に設立したニューロダイバーシティ&インクルージョン・フォーラムの仕掛け人。
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