みんなと同じことができない自分はダメ、なんてない。
吉藤オリィさんは、ロボットコミュニケーターの肩書を名乗る。原体験は、自身の不登校とひきこもりだ。小学5年生から中学2年生までの約3年半、吉藤さんは学校に行けず、孤独な思いをした。そんな経験の後に出合ったのがロボットだった。「孤独の解消」を掲げ、「OriHime」や「分身ロボットカフェ」を作るに至った経緯や思いについて話を聞いた。
不登校の子どもが増えている。全国の小・中学校における不登校児童生徒数は過去最多の24万4,940人となり、前年度からの増加率は24.9%だ(※)。学校以外にも、学ぶ場やコミュニティーはあるといわれる。しかし、まだまだ充足しているとは言えないだろう。
そして一番の問題は、不登校の子どもたち自身が自信を喪失したり、自己肯定感を下げたりしてしまうことではないだろうか。
不登校とひきこもりの経験がある吉藤オリィさんが当時抱えていたのは、孤独感、劣等感、焦燥感、無力感……。人を遠ざけ、天井を見つめる日々が続いていた。うまく話せなくなり、誰かが顔のしわを少し動かすだけで怖くなる。これを吉藤さんは「孤独の悪循環」と呼ぶ。
そうした原体験から、高校時代には新しい車いすの製作に没頭し、JSEC2004で文部科学大臣賞を受賞。翌年にアメリカで開催されたISEF(国際学生科学技術フェア)には日本代表として出場し、グランドアワード3位になった。ロボットの研究へ移行してからも数々の成果を上げ、2023年には第15回ザーイド・サステナビリティ賞で151カ国4,000以上のプロジェクトの応募のうち、ヘルスカテゴリで3位に入賞。吉藤さんの挑戦のストーリーに迫った。
※出典:文部科学省「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」
誰かの言葉が何も刺さらなかった時、
「やりたいこと」が人生を動かした
クラスメイトの輪に入れず孤独に――。小学5年生で不登校に
おじいさんのオートバイに乗せられ、幼い吉藤さんは大型ゴミをあさりに行った。そこは、吉藤さんとおじいさんにとって、工作の材料が詰まった宝の山だった。機関車の模型を見つけてきて修理し、車輪が動くようにする工作にいそしんだ。
NHK教育テレビ(現・Eテレ)の『つくってあそぼ』を見て、子どもたちに工作を伝授するワクワクさんにも憧れた。名前の「オリィ」の由来になっている折り紙も好きになり、オリジナル作品を作るまでになった。
しかし、体調不良と検査入院で学校を休みがちになり、不登校・ひきこもりになっていった。
「もとから体調を崩しがちではあったんです。小学5年生で検査入院のために2週間ほど学校を休んでしまったことが不登校のきっかけになりました。
学校のクラスメイトとの距離を感じ始めましたし、授業中に座っていられなかったり、チームプレイがすごく苦手だったりして、だんだんストレスが大きくなって。
もともとは工作が好きだったので、私が作ったおもちゃでクラスメイトが遊んでくれて、なんとかクラスの中でポジションを確保していたのですが、小学5年生にもなると、私が発泡スチロールや牛乳パックで作ったおもちゃで遊ぶ人や折り紙を一緒にやってくれる人がいなくなるんですよ。輪に入れなくなって、不登校・ひきこもりになっていきました」
さらに吉藤さんを悲しませたのは、大好きだったおじいさんの死だった。
「小学生の間は、何が何だかわからない状態になってしまいました。後から考えると、孤独感、劣等感、焦燥感、無力感を抱いていたと思います。それから、『自分が間違っている』『自分が悪い』といった感覚も強く持っていました。
不登校の人は学校で私以外に1人もいませんでした。そもそも不登校やひきこもりといった言葉があまり浸透していなくて、大人たちも対応がわからなかった。だから、おそらく今の時代よりも、みんなと同じであることや普通であることが求められていたのだと思います。今では『変人』と言われると、もはや褒め言葉になっている気がしますが、昔は悪口でしたからね」
母の勧めで参加したロボットコンテストが人生の転機に
不登校になる前から、家族は吉藤さんにさまざまな体験を提供していた。今の吉藤さんは、「経験に投資することと人と出会うことは正義」と語る。後に、経験と出会いが吉藤さんの道を切り開くことになった。
「両親がトライ&エラーを大切にして、私にいろんなことをやらせてくれていました。アウトドア派の父親は、ボーイスカウトに入れたり、無人島1週間キャンプに参加させてくれたり。キャンプは、大学時代にアルバイトでも携わっていましたね。
キャンプでも基本的に集団行動は苦手だったのですが、ロープを結ぶ作業は好きだったんです。本結びやえび結び、トートラインヒッチなどいろいろな結び方があって、折り紙に近い感覚でした。学校だとみんなの足を引っ張ることしかできなかったんですが、キャンプ場に行くとロープ結びなどで物を作って他の人の役に立てている感覚を持てました。
他にも、体操、少林寺拳法、スイミング、絵画など、とにかくいろんなことをやらせてもらっていました。全く合わないものもいっぱいありましたけど、自分に何が合わなくて何が合うのか、自分は何が好きで何が嫌いかがわかっていきました。何もしていないと、何が嫌なのかを発見できなかったと思うんです。例えばミニバスケットは絶望的に合わなかったんですけど、そういうことも含めて、やってみたからこそ好きなことや得意なことを知ることができました」
転機となったのは、不登校を続けていた中学1年生の時、母親が突然、ロボットコンテストに応募して吉藤さんを参加させたことだった。
「中学1年生の時に、母親が『折り紙ができるんだったらロボットも作れるだろう』と、私をロボットの大会に参加させました。今考えると、展開図の考え方など共通するところは確かにあったのですが、母はロボットに詳しかったわけではなくて。いろんな経験をさせてもらっていた中の一つでした。
その『虫型ロボット競技大会』で、優勝することができたんです。とはいえ、不登校は続けていました。でも1年後の『ロボフェスタ関西2001』に出場した時、大きな出会いがありました。後に私の師匠となる久保田憲司先生のロボットを見たんです。県内の工業高校の先生だと知って、久保田先生に弟子入りしたいと思った私は、勉強を始めました。目標ができたことで、少しずつ学校にも通うようになっていきました。
当時、誰かのかけてくれる言葉が何も刺さらない状態になっていました。今、当時の自分に会えたとしても、かけてあげる言葉はないなと思っているぐらいです。『将来のことをどうするんだ』と言われても脅しとしか感じなかったし、不登校経験者の大人に『俺も大丈夫だったから、君も大丈夫だよ』と言われても『あなただからできたんでしょ』というマインドでした。
ただ、そんな時に『何かわからないけど、猛烈にロボットを作りたい』と。自分の中でやりたいことというのを強烈に感じることができた時に、状況が変わっていきました」
自身の体験から「孤独の解消」をテーマに。そして、適材適所の社会を目指す
工業高校、高専を経て、吉藤さんは大学在学中に株式会社オリィ研究所を設立。離れた場所から人間が動かす分身ロボット「OriHime」を開発した。「OriHime」を用いて、外出の困難な人でも働くことのできる「分身ロボットカフェ」もオープン。吉藤さん自身が孤独を感じていた体験から、「孤独の解消」をテーマに据えた。活動を通して見えてきた吉藤さんの哲学は、“経験に投資することと人と出会うことは正義”だ。
どのように出会いを広げていけばいいのだろうか。
2021年6月に東京日本橋にオープンした『分身ロボットカフェ DAWN ver.β』では、分身ロボット「OriHime」がコーヒーや軽食をサーブ。
「私が高校を卒業した頃、SNSのmixiがはやりました。私はmixiのことを『友達の冷蔵庫だな』と思ったんですよね。つまり、高校までに仲良くなった友達は、それまでなら卒業後には疎遠になってしまって、1年間何も接点がないのに年賀状だけやりとりをする人もいたわけです。でもSNSがあれば、ゆるくつながったまま人間関係を保存しておける。その体験を経て、『インターネットとロボティクスを組み合わせればいいんだ』と、分身ロボットの構想にもつながっていったんです。協調性や我慢で友達をつくる必要はなくて、今ではSNSでも分身ロボットでも、自宅にいながらにして人と出会う方法はたくさんあります。
私は今でも、友人の結婚式に行っても、知らない人のコミュニティーにいきなり入って仲良くなるのは苦手です。立食パーティーでは、端のほうに陣取って1人でワインを飲んでいるタイプです。
そんな私が工夫しているのは、覚えてもらいやすいようにすること。例えば、いつも自分で作った『黒い白衣』を着ています。また、本名は『健太朗』なのですが、健康でもなく太ってもいないし朗らかでもないので……。だから『オリィ』を名乗っています。つまり、名前も見た目も、自分が覚えられたいように変えていい。やりたいことが見つかってとことんやってみれば、『ロボットの人』と覚えてもらえる私みたいなこともあります。経験に投資することと人と出会うことは正義だと思っています」
オリィさんのトレードマーク、黒い白衣には本人のこだわりが随所に。内側のポケットには折り紙を常に携帯している。
吉藤さんが目指したいのは、「適材適所社会」だという。私たちは、老後には多くの人が体を動かしづらくなり、寝たきりになることもある。だから吉藤さんは、障がいや病気があって寝たきりの人々を「寝たきりの先輩」と呼び、学んでいる。
不登校やひきこもりは、問題と捉えられることが多いだろう。しかし吉藤さんは著書『ミライの武器』で、「できないことは悪いことじゃない。重要なことはその価値を知ることなんだ」と語る。学校へ行きたいのに行けなかった体験から、「分身があればいいのに」と考えた吉藤さんは、分身ロボットを生み出した。
何かができないことや人と異なることは、本人にとって絶望的なほどつらいことかもしれない。しかし、実は他人と異なる特性や個性にこそ、価値があることを吉藤さんは教えてくれる。
取材・執筆:遠藤光太
撮影:中村綾人
1987年奈良県生まれ。小学5年生から中学2年生まで不登校を経験。奈良県立王寺工業高校卒業後、香川高等専門学校を経て、早稲田大学創造理工学部に入学。大学時代に「オリィ研究所」を立ち上げ、分身ロボットの研究を始める。2010年に「OriHime」を開発。自身の体験から「ベッドの上にいながら、会いたい人と会い、社会に参加できる未来の実現」を理念に、開発を進めている。著書に『「孤独」は消せる。』(サンマーク出版)、『ミライの武器 「夢中になれる」を見つける授業』(サンクチュアリ出版)などがある。
Twitter @origamicat
オリィ研究所 Web
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