車椅子でアイドル活動は無理、なんてない。―仮面女子・猪狩ともかが考える自分の居場所とインクルーシブな社会のあり方―
アイドルグループ「仮面女子」メンバーの猪狩ともかさんは、2018年4月に歩道で不慮の事故に遭い、脊髄損傷による両下肢麻痺と診断。以降、車椅子生活を送りながらアイドル活動を続けている。
東京都の「パラ応援大使」や「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバーに任命されるなど、障がい当事者としても精力的に発信を行う。
そんな猪狩さんが、アイドル活動を続ける原動力とは――。
「今日も今日とて抜かされた エレベーターほんっと嫌い」――。2023年2月、日常の不条理を訴えたある車椅子ユーザーの投稿が、SNS上で賛否両論を呼んだ。
車椅子ユーザーが駅のホームから地上階に移動するには、エレベーターの選択肢しかない。法律上も全てのエレベーターに障がい者や高齢者などが優先利用できることを示す「優先マーク」の設置が定められている(※)。
しかし実際には先を急ぐ健常者が次々と乗り込み、本当に必要とする人々が利用できない現状にある。
アイドルグループ「仮面女子」のメンバーで車椅子ユーザーの猪狩ともかさんも、日頃からこうした生きづらさを経験する一人だ。
自身のYouTubeチャンネルで「駅のエレベーターで一緒に乗り込んだ男性から舌打ちされ暴言を受けた」と告白。エレベーターに限らず、車椅子ユーザーなど何らかの困難を抱える人が不自由を強いられる場面は少なくない。
「#下半身不随女子の一人暮らし」のハッシュタグで車椅子ユーザーのリアルな日常を赤裸々に発信する猪狩さんが、インクルーシブな社会の実現に向けて思うことを聞いた。
※出典:交通バリアフリー法
私の理想は、“車椅子の私が当たり前に
みんなの輪の中にいる構図”でした。
長い下積みを経て、憧れのアイドルに
「小さい頃から、テレビ番組でアイドルを見るのが好きでした。歌やダンスを見ると、自然と笑顔になるんです。いろんな人に元気を与えられるアイドルになりたいと思うようになりました」
そう話すのは、秋葉原の常設劇場を中心に活動する女性アイドルグループ「仮面女子」メンバーの猪狩ともかさんだ。いわゆるアイドルとは違い、パフォーマンス重視の仮面を被った舞闘派アイドルグループの一員としてステージに上がる彼女だが、スポットライトを浴びるまでには幾多の試練を乗り越えていた。
アイドルへの憧れからオーディションに挑むも、結果が出ず、一度は夢を諦めようとしたという。高校卒業後は管理栄養士を育成する専門学校に入った猪狩さんだが、就職活動を機に幼い頃から秘めていたある思いに再び火がついた。
「小学校の管理栄養士になりたくて就職活動もしていたんですが、うまくいかなくて。そんな時、頭に浮かんだのはやっぱりアイドルだったんです」
心の奥底に秘めていたアイドルへの憧れ。一度は別の道を志した猪狩さんも、今回ばかりは諦められなかった。事務所のオーディションに合格し、研究生としてアイドル活動をスタートさせることになる。
そして約3年もの長い下積み期間の後、2017年「仮面女子」の正規メンバーとして念願のデビューを果たす。
「絶対に仮面女子になりたいという思いが強くて。もはや意地でしたね(笑)」
「踊れない猪狩ともかに需要があるのか」不慮の事故で下半身不随に
幼い頃からの夢を叶えて1年近く経った2018年4月11日、ダンスレッスンに向かっていた猪狩さんを悲劇が襲う。その日の東京は、警報が出るほどに風が強い日だった。
「突然、視界が真っ暗になって。強風で飛んできた看板が、歩道を歩いていた私に覆い被さっていたんです。自分の身に何が起こっているのかわからず、とにかくパニック状態で。
痛みよりも鮮明に覚えているのは、呼吸しづらくてすごく苦しかったこと。あとから聞いたところ、胸髄を損傷していて、肺に血が溜まっていたようです」
彼女の上を覆っていた看板の重さは、数百キロにも及んだという。
偶然通りがかった歩行者が3人がかりで看板をどかし、救助された猪狩さん。近くの大きな病院に緊急搬送された。
「体を動かされて初めて、経験したことのない激痛を感じました。ドラマとかでは意識がなくなるのに、実際はずっと意識がある。あまりの痛みと苦しみで、『早く意識がなくなってくれ』とさえ思っていました」
数時間にもわたる緊急手術が行われ、意識が戻った時には病室のベッドで横たわっていた。医師からは「脊髄損傷」と告げられるが、当時はその重大さを理解しきれていなかったと振り返る。
「医師からは、今は足の感覚がないと思うけど、リハビリ次第では感覚が戻る人もいると言われて。大怪我だとはわかっていましたが、いつか治るのかな、くらいに考えていたんです。でも、救急救命士の父が号泣する姿や、母や兄の深刻な表情を見て、なんとなく胸騒ぎがしました」
事故で故障していたスマートフォンが修理から戻り、「脊髄損傷」の意味を調べた猪狩さん。さらに意を決して家族に尋ねた彼女は、ようやく自分の身に起こった現実を理解することになる。
「『もう足が動かない』『一生、車椅子かもしれない』と聞かされました。自分の足で歩ける人生が一瞬で変わってしまったんです。自分の身に起こったことだとは信じられなかったし、ものすごくショックでした。
ただその後すぐに頭をよぎったのは、仮面女子の活動のこと。車椅子でステージに上がれるんだろうか、“踊れない猪狩ともか”に需要があるのかな、ってことで頭がいっぱいでした」
絶望の中で猪狩さんを支えたのは、家族やグループのメンバー、そしてファンの存在だった。
「落ち込む私に、家族はずっとポジティブな言葉を掛けてくれました。グループのメンバーや運営の方々、ファンのみんなも、『車椅子でも戻ってきてほしい』『猪狩ちゃんが戻ってくるまでステージで待ってるよ』って言ってくれて。入院してすぐに病室に千羽鶴が届いたのには驚いたし、『私にも居場所があるんだな』って感激しましたね」
当初は「アイドルとして需要がないのでは」と心配していた猪狩さんだが、次第に思考は前向きになっていったという。
「どうすれば車椅子でもステージに復帰できるかと考えるようになりました。その頃にはもう、アイドルを辞める選択肢は消えていました」
懸命な治療とリハビリテーションを行い、事故から4カ月という短期間で悲願のステージ復帰を果たす。復帰当日までは「本当に車椅子でも大丈夫か」と緊張していたというが、ステージに上がりその不安は払拭された。
「ファンのみんなが、私のメンバーカラーの黄色のサイリウムを振って『おかえり』って本当に温かく迎えてくれて。泣いて喜んでくれるメンバーもいました。目線は少しだけ低くなったけれど、私が見たかった景色がまた見れて、本当に幸せでしたね」
「#下半身不随女性の一人暮らし」発信に込めた思い
事故から約5年。現在は、実家を出て一人暮らしをしているという猪狩さん。この選択も、全ては大切なアイドル活動のためだ。
車椅子生活にも慣れ、トイレや入浴などの日常生活も補助具を使って自力で行う彼女だが、不便さや不自由を感じる場面も当然ある。
そんなリアルな車椅子生活を、「#下半身不随女子の一人暮らし」のハッシュタグを使って赤裸々に発信する。
アイドルという職業柄、一人暮らしの日常を発信することには迷いや葛藤もあったという。それでも椅子生活を届けることに踏み切ったのには、猪狩さんの“ある思い”があった。
「身近に車椅子の人がいないと、普段どんな世界が見えているのか、どんな生活を送っているのか、想像もつかないと思うんです。
それまでアイドルとして華やかなシーンだけを見せるようにしていたけれど、私が発信することで、同じような病気や障がいを抱える人の参考になるかもしれないし、それ以外の人にも私のような人がいると知ってもらえるきっかけになればいいなと」
彼女の発信には、障がいがある人だけでなく、健常者からも「勉強になった」「発信してくれてありがとう」といった声が寄せられるそうだ。
しかし、日常では偏見や差別に遭遇することも少なくない。
「駅で数名は乗れるエレベーターを利用した時、一緒に乗り込んだ男性に舌打ちされて、降りてからも『お前、次から乗ってこいよ!』と暴言を吐かれてしまって。一時期、人とエレベーターに乗るのが怖くなったこともありました。
混雑している時には、エレベーターは無理に乗らずに待てばいいかなと思っていますが、私たちは階段やエスカレーターで行くわけにもいかないので、困ることもありますね」
移動時に利用する駅ではエレベーターが見つからないことも多く、見えづらい段差や傾斜も多い。ホームドアが設置されていない都心のホームを車椅子で通る際には、線路に落下する危険性を感じているという。
「車椅子生活になって、段差や傾斜の多さに気付きました。予定より多く時間を見積もって早めに家を出るようにしたり、初めて降りる駅はエレベーターの位置を確認してから行ったり、工夫するようにはしています」
しかし、車椅子生活で人の優しさに触れる場面も多いと明かす。
「『お先にどうぞ』って声をかけてエレベーターのドアを手で押さえてくれたり、電車に乗る時に優先してくれたり。ありがたいことに、私は優しい人に出会う機会の方が多いかもしれません」
ハード面より「心のバリアフリー」を
猪狩さんは現在も、アイドルグループ「仮面女子」の一員として週2~3回のライブ出演を続ける。ライブ前はスタッフが2人がかりで支え、特注のスロープでステージに上がり、飛行機や新幹線で地方公演にも精力的に出向く。
ステージ上のわずかな傾斜で車椅子が後ろに下がりそうな瞬間には、両脇のメンバーがそっと彼女に腕を回して支える――。そんな“支え合い”は、彼女たちの日常だ。
一時はグループからの卒業を発表したこともある彼女だが、今もなおアイドルとしてステージに出続けるのはなぜなのだろうか。
「一人で活動していくことも考えました。でも私の理想は、“車椅子の私が当たり前にみんなの輪の中にいる構図”でした。そのためには、仮面女子の活動を続けていく必要があるんじゃないか。そう思ったんです」
近年は、東京都の「パラ応援大使」や「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」メンバーに任命されるなど、福祉関連のメディア出演や講演会などのオファーも絶えない。
しかし、「車椅子アイドル」という肩書でメディアに露出することへの心境は複雑だ。
「最初は違和感がありましたね。移動手段が車椅子になっただけで私自身は前と変わらないし、車椅子に乗っていることを売りにしたいわけでもないのにって。あとは、『事故がなければ有名になっていなかった』なんて心無い言葉を吐かれることもあります。
でも今は、私のような車椅子ユーザーの存在やグループ活動を幅広い人々に知ってもらうきっかけになるなら、キャッチーでいいかなって。少し考えが変わりましたね。“事故に遭ったから”ではなく、“事故に遭っても前向きに頑張っている”姿を見せていきたいです」
そう前を見据えて話す猪狩さんの活動の軸にある願い。それは、「健常者も障がい者もフラットに一緒に暮らせる社会の実現」だと語る。そうした「インクルーシブ(包括的)な社会」の実現に向けて、私たち一人ひとりは何ができるのだろうか。
「身体的障がいがある方でなくても、生きづらさを抱える人が『こんなことに困っている、苦しい』と発信する時、“受容”まではしなくてもいいから“否定”しない、というのは大切なんじゃないかな。
みんなそれぞれ大変なことはあるから、『私の方がつらい!』って主張したくなる気持ちも理解できます。ただそうすると、自分のつらさをまわりに吐き出せなくなって、もっと生きづらい世の中になってしまう。ハード面を整備するのと同じく、一人ひとりが正しい知識を身につけ、意識やマインドを変える。“心のバリアフリー”を目指す方が先だと思うんです」
現在は、機械を装着し、歩く機能の改善を促すプログラムでのリハビリテーションにも励む猪狩さん。再び自らの足でステージに立つ日を夢見ている。
「以前白杖の方を題材にしたドラマが放送されてから、目が見えない方への関心が高まって、社会全体の理解が深まったように感じました。私もアイドルの枠にとどまらず、いろいろなことに挑戦して多くの方に知っていただけたらうれしいですね」
取材・執筆:安心院 彩
撮影:大崎えりや
管理栄養士の専門学校卒業後、2014年から芸能活動開始。仮面女子の研究生や候補生期間を約3年経て2017年に仮面女子デビュー。翌年の2018年4月に事故に遭い脊髄を損傷・車椅子生活を余儀なくされる。現在は車椅子でライブ出演・講演活動などを行なっている。東京2020パラリンピックではNHK中継番組のスタジオゲストとして出演。東京都より「パラ応援大使」を任命。著書に『100%の前向き思考――生きていたら何だってできる! 一歩ずつ前に進むための55の言葉』(東洋経済新報社)。仮面女子7人体制初となるワンマンライブが2024年1月20日(土)に開催。『来れたら来て!行けたら行く!~来てね♡~』詳細はこちら:https://x.gd/gvREF
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