65歳で仕事は引退しなきゃ、なんてない。―「お客さんのために」101歳の現役薬剤師、比留間榮子の仕事愛―
東京都板橋区小豆沢(あずさわ)に、101歳になった現在も、週1回朝8時半から夜8時まで勤務する現役薬剤師がいる。彼女を「榮子先生」と慕い、話し込むお客さんも多い。
相手に寄り添い、耳を傾け、「またお会いしましょう」と声をかけて送り出す榮子さん。80年近く続く積み重ねは、人々の心を明るくし、当時の世界最高齢薬剤師として95歳でギネス登録されるまでに。
スマートフォンを使いこなし、薬の勉強を続ける姿を前に、年齢はハンディではないと気づかされる。数度の骨折や入院を経てもなお衰えない、好奇心と仕事への責任感。
「仕事が好き」「やめたい、休みたい、一度もない」と言い切る生き方は、どのようにかたち作られたのか。榮子さんが薬剤師の道を志した戦時中にさかのぼり、話を聞いた。

少子高齢化が進む日本。国立社会保障・人口問題研究所によると、現在、15~64歳の世代2人で、65歳以上1人を支えるが、2055年にはこの割合は1.3人:1になると想定されている(※)。一見、働き手が大幅に減るようにも思えるが、最近は、高齢になっても働き続ける人達が増えているのではないだろうか。
高齢者のキャリアへの考え方は人それぞれだが、大切なのは「どのように働き続けるか」。社会とつながりつつ、個人の幸せを実現する働き方とは何か。
そのヒントになる人物が、101歳の現役薬剤師・比留間榮子さんだ。
※1 国立社会保障・人口問題研究所 https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/suikei07/P_HP_H1812_A/h2-3.html
お客さんのために。月に1度は、美容師に整えてもらう
ギネス世界記録®にもなった世界最高齢(当時)の現役薬剤師と聞くと、どんな人物を思い浮かべるだろうか。
東京都板橋区のヒルマ薬局小豆沢店を訪れると白衣の榮子さんが歩行器を押しながら、にこやかに出迎えてくれた。孫の康二郎さんや若いスタッフに囲まれ、現在も週1度は、朝8時半から夜8時まで薬局で勤務する。接客カウンター内の榮子さんの席には、専用のオレンジ色のクッションがセットされている。
96歳で股関節の手術をするまでは、ほぼ週5日間勤務。毎月、表参道の美容室に通っていたという。
「手術後、杖や歩行器を使ってあちこちの美容室に行きましたが、どこも必ず段差があって、一人では登れないの。美容室の中を動くのも他のお客さんに迷惑かけたらどうしようと席に座っていたら、一度、ばっと抱き上げてシャンプー台まで連れていってくれた美容師さんがいたんだけど、なんだか申し訳ないし、恥ずかしくて……。それで、月1回、自宅に出張美容師さんに来てもらうことにしました。4時間かけて、カットやヘアカラーをお願いしています」
榮子さんからは、お客さんに接する仕事なので、常に身なりをきちっとしていたい、という気持ちが伝わってくる。お客さんから「いい色に染まっているね」と髪をほめられることもよくあると、ほほえむ頬には、うすく頬紅がさされている。
戦争で、薬局も自宅も焼け落ちた
榮子さんは、1923年(大正12年)11月、東京生まれ。生まれる2か月前の9月には、関東大震災が起きた。同年に父親が創業した薬局で働こうと、東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)に入学。当時まだ女性の薬剤師は珍しく、熱心に勉強し、1944年に卒業。しかし、長野への疎開から帰京すると、自宅や薬局は跡形もなく焼け落ちていた。
「空襲で何度も逃げ回りました。焼夷弾が、逃げていく人めがけて落とされるんです。空襲の後は、このあたりから、東京湾まで見渡せました。それくらい、一面の焼け野原が広がっていました。誰の家があったか、誰の土地なのかももう分からない。本当に、戦争はやってはいけない。やるべきではないです」
薬剤師だった夫は、徴兵されて北海道へ行ったが、無事に復員。父親が新たに北池袋に開いた薬局で、榮子さん達は働き始めた。
「朝6時から、お店の若い人達と雑巾がけして、冬はお店が寒くなるから火鉢に火を起こして、お客さんをお迎えする準備をしたものです」
夫は29年前に他界。薬剤師になった息子が2店目の薬局を現在のヒルマ薬局(板橋区小豆沢)の場所に開業したが、20年前に倒れた。息子が作った2号店を守ろうと、榮子さんは自宅から通い続け、4代目の薬剤師となった孫の康二郎さんと働いている。
榮子さんは現在、北池袋の薬局本店の上にある自宅で、薬剤師夫婦である息子世帯と3人で暮らしている。本店の薬局で勤務することも考えたが、扱う薬や処方もがらりと変わり、なじみのお客さんも多いため、康二郎さんと車で板橋区の2号店に出勤する。
お客さんに、対等な立場で丁寧に接する
「お医者さんとはなかなかゆっくり話せないけど、薬剤師なら身近に感じてもらえて相談しやすいみたい。処方箋を受け取って、薬包紙を折って三角に包んでこれは風邪のお薬ですと渡しながら、たくさんお話を聞きましたよ。お薬を飲んで、どうなったか具合を必ずまた聞かせてね、またお会いしましょうと言ってお見送りします」
「だいぶよくなってきたみたいね」とひと声かけると、お客さんの顔が明るくなる。榮子さんから尋ねなくても、自然と悩みを打ち明けるお客さんも多い。
「身の上話をしてくださる方もいます。1時間くらいお話して、『くだらない話を聞いてくれてありがとう、また来るね』と去られる方もいます」
榮子さんは、相手によって言葉を使い分けることはしない。
「薬剤師は薬の知識があるからと、上に出てはだめ。あくまでも、お客さんと対等な立場で会話ね。考えすぎず、来てくださるお客さんを、ありがたく、丁寧に扱う、それだけです」
散歩のついでに立ち寄って休む場所になれたらと、お店ではおしぼりやドリンクのサービスを提供する。木目調の床や、タオル地のカバーがかけられたソファは居心地が良さそう。
薬局の利用者には整形外科帰りの人も多いが、一人暮らしのため背中や腰に湿布を貼ってくれる人がいない人も多いそう。
榮子さんがさりげなく、「ここで湿布を貼っていきますか?」と聞くと、驚きながらもほっとする顔をする人も多い。湿布を貼る場所によっては、服を脱がなければならないこともあるので、奥に案内し、薬剤師が貼る。
「『どんどん、いらしてください、湿布を貼る度に来てもいいですよ』と言うと皆さん、びっくりされるけど、とっても嬉しそうになさいます。なんでもできないことは、自分でやろうとせずに私達に頼んでください、ってね。薬剤師は調剤するのが仕事だから、お金には関係ないんだけど、お手伝いできてうれしいです」
今も、「榮子先生と話がしたいから」と、出勤日の木曜日を選んで来店するお客さんがいる。
やめたい、休みたい、は80年間一度もない
薬剤師になって80年近くが過ぎた。その間、休みたい、やめたいと思ったことは一度もない。
「とにかく、仕事が好き。父の時代はお休みがなかったけど、時代が変わって週2日休みができました。出勤日は朝8時半には来て、お嫁さんに作ってもらったお弁当をお店で食べて、夜8時までお店にいますが、疲れたと感じることはありません。家でごろごろ寝ているなんてつまらない。入院した時は、早く退院して復帰したかったです。これほどつらいことはない、と思いました」
日々、新たな勉強と挑戦を続ける
次々と新しい薬が出る薬剤師の世界は、日々知識を更新しなければならない。帰宅後に、薬の本を取り出して、調べることもしばしば。
「新しい薬の勉強は欠かせません。薬のことを訊かれて、いい加減な返事はできないから、夜、寝る時間を削って勉強することもあります。それでも分からなければ専門家に聞いたり、皆さんに相談します。それが苦にならないの。勉強が楽しいんです」
数年前までは、帰宅後、ビールを飲むのが楽しみだったという。
「最近は、飲まなくなりました。リラックス方法?好きな仕事をやっているから、息抜きしたいとは思いません。みんなで一緒に勉強しながらやっていくのが楽しいです」
以前は、薬局でパソコンを使いこなしていた榮子さん。新しいことに挑戦するのが好きだと言い、スマートフォンを持ち、92歳の時、孫の康二郎さんに教えてもらって、LINEをはじめた。友人や家族とのやりとり以外に、仕事でも使っている。
「スマートフォンを使って、質問したり、薬について調べたりしています。でも操作を忘れてしまうこともあり、康二郎には、何度も同じことを聞かないで、と言われることも(笑)」
そして、96歳でXを開始。フォロワーは9600人近く(2024年6月現在)。そこには、榮子さん自身の言葉で、入退院報告や仕事・お客さんへの思い、戦争のこと、そして感謝や反省が丁寧に綴られている。
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ギネス世界記録®も、「当たり前のことを続けただけ」
榮子さんが88歳の時、店のスタッフに「ギネスに登録したら?」と勧められた。当時は、南アフリカ共和国に92歳の現役薬剤師がいた。その後、榮子さんが94歳になり、改めて登録しようとしたが、登録費用だけで100万円が必要。そこで、クラウドファンディングで費用を募ったところ、すぐに集まり、95歳で当時のギネス世界記録®「最高齢の現役薬剤師 The Oldest practising pharmacist」として登録がかなった。
「家業として、当たり前のことをやってきただけなのに、たいそうなことになってしまいました。でも、お客さんが喜んでくれました。『この店に、ギネスに認定された薬剤師がいるよ』って今でも言ってくださる方もいます」
インタビューの合間も、歩行器を使ってかくしゃくと歩く榮子さん。自分でできることは自分でする。
「帰ったら、カレンダーを確認して美容師さんに予約をいれないと。もう2センチも伸びてしまったから(笑)」
ちょうど、榮子さんの顔なじみのお客さんが来店した。榮子さんは歩み寄り、そっと近況をたずねた。
「最近どうなさっているの?」
「きっと、だんだんよくなりますよ」
「ねぇ、今度またゆっくりお話しましょうよ」
榮子さんと話せば、心に灯がともる。
戦争や別れ、ケガなどもありましたが、まわりの力を借りながら、当たり前のことを続けてきました。
好きな仕事をして、お客さんとおしゃべりするのが、本当に楽しいです。
取材・執筆:岡本聡子
撮影:白松清之

1923年東京生まれ。東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)卒業。製薬会社勤務を経て、ヒルマ薬局の2代目の薬剤師として働く。95歳のときに、当時のギネス記録「世界最高齢の現役薬剤師」に認定される。著書に『時間はくすり』(サンマーク出版)。
ヒルマ薬局小豆沢店 https://hiruma-azusawa.com/
X @95worldrecord
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