縦社会のしきたりは時代遅れ、なんてない。―落語家・瀧川鯉斗が伝える未来を切り拓くための「教わる」姿勢の重要性とは―
令和初の真打(しんうち)に昇進し、気鋭の若手落語家として活躍する瀧川鯉斗さん。ファッション誌のモデルを務める端正なルックスで世間から注目を浴びている。
10代で落語の世界に飛び込んでから真打に昇進するまで14年。長い下積みや修行の日々は決して平坦な道のりではなかったという。
「落語が何かも分からなかった」と話す鯉斗さんが、厳しい修行や縦社会のしきたりを乗り越え、落語に情熱を傾け続けられるのは一体なぜなのか。
個性やコンプライアンスが重視される現代社会において、一昔前にはまかり通っていた厳しい指導や上下関係を「時代遅れ」「古臭い」と敬遠する風潮は根強い。そうした時代変化の中で、職場での人間関係、特に上司や先輩など上の世代とのコミュニケーションに悩むビジネスパーソンは少なくないだろう。
今回取材したのは「人生ずっと“縦社会”で生きてきた」と話す、落語家の瀧川鯉斗さん。10代は地元のやんちゃなグループと過ごし、落語の世界に飛び込んでからは師弟関係や厳しいしきたりに従い、修行の日々を送ってきた。そんな鯉斗さんに、落語家になった経緯や落語への情熱、“縦社会のしきたり”に思うことを聞いた。
その道のプロから教わる「謙虚さ」がなければ、いつまでも我流。本当のプロフェッショナルには、なれないんじゃないでしょうか。
「究極のエンターテインメント」に魅せられて、落語界へ
名古屋で幼少期を過ごし、野球やサッカーに明け暮れるスポーツ少年だった鯉斗さんだが、不良が集まる中学校に入学し、バイクにのめり込んでから境遇は一変した。
そんな彼はある日、上京を決意する。当時憧れていた役者になる夢を叶えるためだ。
「映画が好きで、よく観ていたんです。それで、いつか俺も役者になりたいと思い始めました。やんちゃをしていた頃の生活も楽しくて充実していたけど、『ここ(地元)じゃ夢に近づけないだろうな』と俯瞰している自分もいました。それで、東京ならチャンスを掴めるんじゃないかって。東京への漠然とした憧れもありましたね」
地元でのやんちゃな生活を17歳で引退。単身上京するも、すぐ役者になれるわけではない。食いぶちをつなぐべく、新宿の洋食屋でアルバイトを始めた。ここでの出会いが鯉斗さんの人生を変えることになる。
「バイト先のレストランで、僕の師匠となる瀧川 鯉昇(たきがわ りしょう)さんが落語の独演会をすることになって。僕は落語が何かも分からなかったけど、芸能関係の仕事もしていたオーナーが『お前、役者になりたいなら落語くらい知っとけ』と言うので観てみたんです。
そこで初めて見た師匠の落語があまりにも面白くて感激して、思わず打ち上げの席で『弟子にしてください!』と直談判しました」
演目は『芝浜』。夫婦の愛情を描いた人気の古典落語の一つだ。しかし、彼が強烈に魅せられたのは、噺(はなし)の面白さだけではない。エンターテインメントとしての可能性に惹きつけられたという。
「役者だと、たとえ主演でも舞台袖に捌(は)ける瞬間がありますが、落語なら一人で何役も演じられる。まずそれが面白いなと思いました。
座布団一枚あればプレーヤーにも、演出家にもなれますよね。自分というフィルターを通して無限に表現の幅を広げられる落語って、“究極のエンターテインメント”なんじゃないかって思ったんです」
落語を知らない見知らぬ青年からの頼みに、鯉昇さんが出した条件は一つ。「寄席(よせ)に通って落語に触れること」だった。
「落語の世界に入れば、寄席が仕事場になります。だから、『どんな世界なのか自分の目で確かめて、それでも決意が揺るがないならまた来い』と。
その日から東京にある4つの寄席に通いつめて、20席くらいの落語を見ました。半年後にもう一度師匠のもとを訪れて弟子入りを認めてもらえた時は、本当にうれしかったですね」
人としての礼儀や気遣いを学んだ、修行の日々
江戸落語には「真打(しんうち)制度」が設けられており、入門後は「見習い」「前座(ぜんざ)」「二ツ目(ふたつめ)」「真打」という大きく4つの階級を通る必要がある。長く厳しい修行期間に礼儀作法やマナーを身につけながら芸を磨き、一人前の落語家として成長していくのだ。
「『見習い』期間は楽屋には入れず、主に師匠や兄弟子たちの身の回りの世話や鞄(かばん)持ち、お茶出しなどの雑用を行います。楽屋入りするためには、着物の着方やたたみ方、鳴り物(※)の稽古もしなければいけません。
この期間に学ぶのは落語だけでなく、礼儀作法やマナー、そして人としての気遣いです。早朝から夜遅くまで師匠や兄弟子たちの鞄を持ちながら、所作や話し方を間近で見て『落語家とはどうあるべきか』を学んでいきました。
何も分からない僕に、師匠や兄弟子たちは挨拶の仕方から着物の着方まで、一つひとつ丁寧に教えてくれました」
※落語の噺の途中に三味線や唄などが入り、演奏して効果を出すお囃子(はやし)のこと。鼓(つづみ)、太鼓などの打楽器に笛を加えた演奏、またはその演奏者を指す。
懸命な修行が功を奏し、晴れて「前座」に昇進した鯉斗さん。入門から2年の月日が経っていた。
「よく考えたら、他に弟子もいたからもっと早く楽屋入り出来ていたはずなんですよ。でも後から聞いた話では、師匠が『鯉斗には発破をかけた』と言っていたらしくて。僕が落語に対して本気かどうか試していたと。期待してくれているからこそ、時間をかけて大切に育ててくれていたのだと思います」
前座デビュー、つまり初めて観客の前で落語を披露する日に向け、落語を覚えていかなければならない。「漢字も読めないし、言葉の意味もよく分からなかった」という鯉斗さんは、師匠の噺を耳で聞き、必死に覚えていったという。決して簡単な道のりではなかったが、師匠の優しさに救われたと話す。
「僕の一門が最初に必ず教わる『新聞記事』という噺の出だしに、『付け焼き刃は剥(は)げやすい』という一節があるんです。
一生懸命暗記していったんですが、師匠の前であまりにも緊張しすぎて『つけまつげは剥げやすい』と間違えてしまって。師匠は笑いながら『それは教えてない。でも合ってる』と(笑)。
落語家という職業自体、世の中のあらゆる物事を洒落(しゃれ)に変えて面白おかしく話すのが仕事です。その中でもうちの師匠は、僕のちょっとした間違いもユーモアと優しさを交えて笑いに変えてくれる人でした」
人生ずっと“縦社会”で生きてきた。プロになるなら「教わる」姿勢が大切
入門から14年が経った2019年、「二ツ目」を経て「真打」に昇進。背中を追ってきた師匠と同じ階級となり、トリ(寄席のプログラムで一番最後に出る人)を務める資格が与えられる。真打となり、落語家としてのマインドにも変化が見られたようだ。
「責任もプレッシャーも、これまでとは比べものにならないくらい大きくなりました。今までは師匠たちがなんとかしてくれる場面もありましたが、これからは高座で何があっても100%自分の責任です。お客さんの見る目もより一層シビアになり、高座に上がる緊張感もさらに増しましたね」
真打に昇進した今も、「修行の日々です」と微笑んで見せる。やんちゃ盛りの10代に伝統芸能の世界に飛び込み、それから20代、30代と「落語一筋」で生きてきた。厳しい修行の日々も、「辞めたいと思ったことは一度もなかった」と振り返る。
その理由の一つは、“師匠との絆”にあった。
「うちの師匠が僕の代わりに謝ってくれていたのを見たことがあるんです。まわりの師匠たちに『うちのやつが言うことを聞かなくてすみません』って。その後ろ姿を見て、『この人に迷惑かけちゃいけないな』と心に誓いました。
師匠はすごく面倒見が良くて、一本筋が通った人。『師匠が言うことは絶対』なんて暗黙の掟はありましたけど、絶対的な信頼関係があるからこそ、理不尽だと感じたことはないですね」
「師匠は家族同然の存在」と話す鯉斗さん。厳しい修行生活が苦にならなかった理由は、もう一つあるようだ。
「僕は若い頃、やんちゃな生活をしていましたから、“人生ずっと縦社会”なんですよ。だから、上下関係とか仲間意識みたいなものが体に染み付いているのかもしれません」
古くから続く伝統やしきたりを重んじる芸事の世界は、少し特殊な側面もあるかもしれない。多様性やコンプライアンスを重視する今の世の中において、「縦社会」や「厳しいしきたり」は時代遅れだと敬遠する風潮も強くなっている。
鯉斗さん自身は、そうした風潮に対してどう感じるのだろうか。
「時代の流れですから、仕方ない部分もあると思います。でも、スポーツも落語もどんな世界でも、初心者ならその道のプロから『教わる』謙虚さがすごく大切だと思うんです。そうじゃなきゃ、いつまでも我流になってしまって、本当のプロフェッショナルにはなれない。古臭いって思われるかもしれないけど、僕はそう思っています。
もちろん、パワハラみたいな過度に厳しい指導や理不尽なアドバイス全部に耳を傾ける必要はないですよ。自分の心と体を守るのが一番大事ですから。僕だって、先輩たちの小言に『はい、すみません』って言いながら、鵜呑みにしないことだってありますから(笑)。
でも、絶対にその道で成功したいって信念や向上心、情熱があれば、その気持ちに応えてくれて熱心に育ててくれる上司、先輩はいるはずです。誰か一人でいいから、今の場所で『何かあったらこの人に頼ろう』って思えるような、信頼できる人を見つけられるといいですよね」
全ては落語界の発展のため。「師匠のような落語家」を目指す
現在は、落語家の活動と並行し、ファッション誌のモデル活動やテレビ番組出演、役者業などジャンルを超えて活躍の場を広げる鯉斗さん。
「イケメン落語家」の枕詞でメディアに取り上げられ多忙な日々を送るが、彼のバイタリティの源泉は変わらない。「落語への情熱」だ。
「少し前までは、落語というと敷居が高いイメージが強かったかもしれませんが、昨今の落語ブームも相まって、若い世代の方が寄席に足を運ぶ姿も多く見るようになりました。
初めて見た方にも楽しんでもらって、落語という文化を好きになってもらいたい。そんな思いで、誰にでも分かりやすく面白い落語を話すよう意識しています。
僕の活動がきっかけで、落語や落語家という職業を少しでも多くの人に知ってもらえたらうれしいですね」
40歳を迎え、落語家としてもさらに存在感が増す鯉斗さん。目指すのは、「師匠のような落語家」だ。
「落語って、生きざま全てが滲(にじ)み出る職業だと思うんです。趣味やプライベートの時間も落語のネタになるし、挫折や失敗経験も、芸を成熟させるスパイスになりますから。
その意味で、『落語家とはどうあるべきか』、師匠は自らの背中で示し続けてくれていました。いつか僕に弟子ができたら、その教えは忠実に伝えていきたい。そう思っています」
取材・執筆:安心院 彩
撮影:大崎えりや
落語家。公益社団法人 落語芸術協会 所属。愛知県名古屋市天白区出身。出囃子・虎退治。定紋・五瓜に唐花。古典落語に取組み高い評価を得ている実力派真打。寄席や独演会など落語家としての本業以外にも、テレビ番組の出演や雑誌ファッション誌『LEON』でのモデル活動、また役者としても活躍し、ジャンルを越えて積極的に活動している。
Instagram @koitotakigawa
公式HP https://koito-takigawa.com/
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