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STORIES 2019/03/14

目標がなければ、前には進めない

銀座フレンチの名店『ベージュ アラン・デュカス 東京』。総料理長として指揮をとる小島景さんは、アラン・デュカス氏が「世界で最も私の料理哲学を理解し実践する日本人シェフ」と絶賛する料理人だ。数々の名店で研さんを重ね現在の地位を築いた小島さんだが、高みを目指してここまでたどり着いたわけではないという。「行き当たりばったりに生きてるんですよ」と自らを評する小島さんの“今を生きる力”とは——。

夢を追いかけている人、目標に向かって真っすぐ歩いている人はカッコイイ。なりたい自分がある人はそれだけでキラキラ輝いて見える。「自分も何か見つけなくては!」と焦る気持ちになったことは誰しも一度や二度はあるのでは? しかし、夢や目標がなければ充実した人生は送れないのだろうか。日本を代表するフランス料理のシェフ、小島さんは明確な到達点や目標を持ったことはない。自分に不足している部分に目を向け、「今やらなければいけないことに全力を出す」ことで道を切り開いてきた。そんな小島さんの生き方と、料理人としての今を支える鎌倉での暮らしから、実り豊かな人生を送るヒントをもらった。

そのときの自分に必要なものを、選び取れたらそれでいい

小島さんの一日は、毎朝6時に起きて地元の市場へ野菜を仕入れに行くことから始まる。

鎌倉市農協連即売所、通称“レンバイ”が向かう先だ。レンバイは昭和3年に発足した日本初のヨーロッパ式マルシェ。地元の農家がローテーションで出店しており日々とれたての鎌倉野菜が並ぶ。ここで、多いときにはIKEAの青いショッピングバッグ3つ分がパンパンになるくらい買うというからなかなかの労力である。

「やりたいからやっているだけなんですけどね。料理の根本は野菜。野菜から出発しているので、自分が欲しい野菜はできる限り自分の目で見て手に取って選びたいですし、生産者の方と情報交換しながら選ぶことが好きなんです」

十数年続いているレンバイ通い。以前は電車に乗って店まで運んでいたが、運べる量にも限界があり体にも負担がかかるため、今は宅配業者に配送してもらっている。

「買わない日もありますが基本的には毎日。店が休みの日も行きますよ。日によって出店者が変わるので、この人のこの野菜が欲しいとなったら出店予定に合わせて行かないと。それに、『何これ?』っていう野菜と出合えたりもするので行きたくなるんです」

鎌倉で暮らすことが良い循環を生んでいる

小島さんは東京生まれの鎌倉育ち。現在の住まいも鎌倉だ。高校時代はサーフィンに親しみその趣味は今なお健在。先日も新しいサーフボードを一本買ったばかりだという。

「海を見ているだけでもいいですよね。湘南あたりを自転車で走っているだけで気持ちいい。リフレッシュになる。『好きな場所に住んでいる、うれしい』。単純なことですが、そこに満足がある。それがエネルギーになっています」

高校卒業後、料理人としての道を歩み始めた小島さんは24歳のときにフランスへと渡った。数軒の店で修業を積んだのち、ニースにある『ドン・カミーヨ』でアラン・デュカスの右腕と称されるフランク・セルッティ氏に師事。33歳で一度帰国するがその3年後に再び渡仏。セルッティ氏が料理長を務めていたモナコの『ル・ルイ・キャーンズ アラン・デュカス ア・ロテル・ド・パリ』で働き、再び帰国したのは42歳のとき。その際、鎌倉に住まいを定めた。

「フランス時代のうち10年間はニースに住んでいました。近くに海もあり山もあり畑もある。自然豊かでおいしいものがあって休みがちゃんとある。そういうゆったりとした生活のリズムを気に入っていたので、日本でもそのリズムを崩さずに生活したかった。もともと鎌倉が地元ということもありますが、ここだったらちょっとニースに近いものがあると感じていました。あとはやっぱりレンバイがあること。20年ほど前に鎌倉でレストランをやっていたときもそこで野菜を買っていたので、『ああ、あそこの市場でまた野菜を買える』というのも鎌倉を選んだ大きな理由です」

 

歴史ある神社仏閣が残る、鎌倉の古い町並みにも魅了されるという。

「ヨーロッパもそうですが昔をしのべるような古い街が好きなんです。昔の人と同じものを見ている、その地続きな感じに自分はちょっとワクワクする。ただ月を見上げるにしても、昔の人も同じ感覚で見上げていたんだろうかとか考えると想像力がかきたてられます。鎌倉に暮らしていると生活の中でちょっと感性をゆさぶられるところがある。それは料理人としての仕事にもフィードバックされていると感じるところです」

都内での料理人としての人生と鎌倉での暮らし、そのどちらも小島さんには必要なものだ。両輪が噛み合わさって良い循環を生んでいる。

自分は人にものが言えない。人を使って料理が作れない

若い頃は無口で口下手で優柔不断だったという小島さん。そんな情けない自分が嫌いで仕方なかった。しかし、必要だと直感したものには迷わず手をのばす瞬発力だけはあった。フランク・セルッティ氏との出会いもそう。

「フランクの料理を食べたときに『これだ!』と思いました。この人の下で学ばないうちは日本に帰れない。その場で『働かせてほしい』とお願いしました。そのときは無理でしたけど、そこからつながりが生まれて3年後に『ドン・カミーユ』で働けることになったんです」

33歳で帰国し、鎌倉で『ガイア』というレストランをまかされた小島さんだったが、そこで圧倒的に自分に不足しているものを知る。

「やってみて『ああ、ダメだな』と感じました。人にものが言えない、人を使えない。大きい店である程度のポジションで、人を使って料理を作るという訓練が必要だと感じました」

『ルイ・キャーンズ』時代。最初の2年は毎日が地獄だった

能力不足を感じガイアは2年で閉めることとなった。もう一度フランスで経験を積みたい。再渡仏への思いがふくらみ続けるなか、転機が訪れたのは36歳のとき。フランク・セルッティ氏から、モナコの三ツ星レストラン『ルイ・キャーンズ』にセクションシェフとして招かれたことがキッカケだった。

緻密な作業を完璧にこなす料理人たちのレベルの高さに小島さんは圧倒された。

「もう最初から何も言えなかったです。見ていると自分よりキレイに仕事をしているし、自分より早く仕事をしている。自分よりできるこいつらに、どうやってものを言えばいいんだろうと思いました。みんな上にいきたくてギラギラしていますから、少しでも『こいつより俺のほうができる』と思ったらプレッシャーもかけてくる。もう毎日が地獄でしたね。これ以上ないってくらい地獄だった」

能力が追いついていないことや、周りと良い関係が築けていないことは誰の目にも明らかだった。身の置きどころのない気持ちを抱え、「また今日もあそこへ行くのか」と思うと毎朝心が重かった。それでも努力だけは続けた。

「そのとき自分でできることは、この状況を耐えること、腕を上げること、その2つしかなかった。仕事中はもちろん、休みのたびにひたすら料理を作りました。どうしたらそうなるのか研究して、これはなんだろうと思う料理があったら作り方を聞いて練習をする。ずっとその繰り返しです」

ギリギリのなかで耐え、努力を続けたことが自信につながった

こうして地獄の2年が過ぎた。仕事のレベルは格段に上がっていたが、一度浸透した“ダメなやつ”という認識はふっしょくできず、人をうまく使えない状態は相変わらずだった。

「ここではうまく流れに乗れなかった。もう辞めようと思ったとき、フランクからしばらく別の店で働いてみないかと提案されたんです。モナコには5月から9月までのアラン・デュカスの夏のレストランがあるんですけど、そこへ行ってみないかと。少し離れてみることで変わるんじゃないかっていうフランクの配慮ですよね。それで戻ってきたときには状況が一変した。やってみたら『あっ、できるこれ』という感触がありました。そうなると周りも、『なんだ、あいつできるんじゃん』と見る目が変わって、そこからはもう流れにそのままスーッと乗れた」

追い風を受けるようにすべてが順調に回りだし、小島さんは副料理長というポジションまで上り詰めていく。

「ここで5年を過ごしたあとは、別人じゃないかというくらい変わりましたね。何より人にものを言えるようになった、それが最大の変化でした。人を動かす、人にものを言うって勇気がいる、自信がいるんです。それがずっと自分には欠けていた。やっぱり、ギリギリの中を耐えながら精いっぱい努力を続けて、その結果が出たというところで自信がついたんだと思います」

不安は常にそばにあるもの。不安があるから進化できる

『ベージュ アラン・デュカス 東京』を2016年~2019年まで4年連続でミシュラン二ツ星に導くなど、小島さんのその実力は広く知られるところだが、それだけの結果を出しながらなお、その料理に対して常に不安があるという。

「もちろんおいしいと思って出しています。けど、そこで『これは絶対においしいから食べて』という気持ちにはなれない。『満足してもらえるだろうか』という不安があります。でも不安がなければ進化もないと思うんです。絶対に喜んでもらえるというものがあったらそれだけをずっと作り続けますよね。これで十分と思ったらそこで成長はストップしてしまう。『いいのかなあ、これで』といつも思っているから創意工夫ができる。私にとって不安は必要なものなんです」

小島さんにとって不安は解消しなければいけないものではない。常にそばにあって前に進むための原動力となっている。

先のことだって不安ですよ。料理人は実力の世界。半年後、1年後、10年後、どうなっているのかなんて予想できない。だから今しかないと思っています。今やれること、やらなきゃいけないこと、やりたいこと、今に集中して全力を出す。振り返ると行き当たりばったりに生きてるなって思いますけど、でもそれでいいとも思っています。自分にとって大切なのは今。そのときの自分に必要なものを選び取れたらそれでいい。鎌倉での暮らしもそうですよね。通勤の便利さだとか合理性よりも自分が必要だと感じたから選んだ場所です。その結果、良い循環で仕事ができている。自分にはこの先こうなりたい、ここにたどり着きたいという明確な到達点はありません。ただ、できるだけ長く仕事を続けたい、できるだけ長く料理人であり続けたいという希望はあります。そのためにベストな今を積み重ねていく。それでいいんじゃないかと思うんです。
Profile 小島 景

1964年東京生まれ、鎌倉育ち。18歳から料理の道に入り、88年渡仏。ミッシェル・ゲラール、アラン・シャペル、ピエール・ガニエールの下で研鑽を積み、モナコ『ル・ルイ・キャーンズ アラン・デュカス ア・ロテル・ド・パリ』にて、アラン・デュカスの右腕フランク・セルッティと通算10年以上にわたり仕事を共にする。副料理長を務めた後帰国し、2008年『ビストロ ブノワ』料理長を経て10年4月『ベージュ アラン・デュカス 東京』総料理長に就任。

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