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STORIES 2018/12/19

人生は綿密に計画しなきゃいけない、なんてない。

京都弁が特徴のおっとりした女性タレント——バラエティ番組でしか安田美沙子さんを見たことがない人は、そんな印象を抱いているかもしれない。しかしそれは、安田さんの仕事上の一面のみ。実のところ、活動している領域は多彩だ。ワーク・ライフ・バランスという言葉があるが、それは仕事とプライベートの調和を整えて両立するという意味。しかし安田さんの場合はワーク・アズ・ライフに近い状態。プライベートが仕事と融合している。そんな環境を実現できている秘密に迫った。

最近、“多動力”という言葉が注目を集めているが、やりたいことをどんどん突き詰め、それを新たな仕事につなげることを実現しているという意味では、安田さんも多動力に長けているのかもしれない。グラビアアイドルとして一生を風靡(ふうび)し、女優としても活躍。バラエティ番組で欠かせない存在となったと思えば、フルマラソンやトライアスロンにも挑戦した。さらに、趣味の写真で個展も開催。食育インストラクターの資格を取得し、家庭と仕事を両立している。はんなりした印象の安田さんはどんな価値観を持ち、どうやって多彩な活躍をすることができているのだろうか。

直感にしたがって、
やりたいことを
やってみてから考える

安田さんが小学生の頃は親の転勤に合わせて引っ越すことが多く、小学校だけで3回も学校を替わっている。今でこそ明るく元気なイメージの彼女だが、当時はまったく違っていたようだ。

「みんなと体操着が違ったりランドセルが違ったりするのを気にしていつも泣いてましたね。だんだん自分を押し殺していくような性格になっていました。みんなに好かれるような明るい性格になりたいとは思っていたんですけど、実際は嫌われないように周囲に気を使ってばかりの子でした」

ただし中学生になると転機が訪れた。親友との出会いが性格を変えてくれた。

「中学生になってユウちゃんという子と出会ったんですが、その子がすごく明るかったんです。1年生から2年生まで一緒で、英会話教室も一緒に行くくらい仲が良かったんですが、その子の明るさに引っ張られて自然と明るくなってました(笑)。バスケットボールも始めてだんだん活発になりましたし、ユウちゃんとの出会いは大きかったですね」

高校生になってもバスケットボールを継続。負けず嫌いで走ることが好きという部分はその頃から変わっていない。

「高校が山の方にあったので、山を登って帰ってくる練習のメニューが定番。1回でいいところ私だけは2往復以上してました(笑)。今思うと、その頃から走ることが好きだったんです。とくに上り坂を走るのが。自分を追い込むドMな部分があるのかもしれません(笑)。苦しいほど燃えるというか、根っからの負けず嫌いなんでしょうね」

後悔したくないから芸能界を選び、全力で挑んできた

大学に進学してすぐ、京都駅でスカウトされたのが芸能界入りのきっかけ。親の反対を押し切って飛び込むことを決意した。

「もう直感で、やらないと一生後悔すると思ったんです。親はずっと反対していたんですけど、私が頑固なのは知っていたので、最終的には“やるならがんばりなさい”って応援してくれました」

家は京都、大学は大阪。仕事やオーディションでは東京に行くこともあるという移動の多い生活が続いていたが、後悔することはなかった。

「京都、大阪、東京の3カ所を行ったり来たり。夏休みはウィークリーマンションで東京に滞在したこともありました。大変でしたけど、後悔したことはありません。スカウトしてくれた方の愛情が深くて、借金してまで私を支えてくれたので、その思いに応えたいとも思っていました。厳しく叱られて泣いたこともありましたけど、お父さんみたいで大好きだったんです。つらいことがあってやめたいと思うときもありましたが、後悔だけはしませんでした。初めての仕事は新鮮で楽しかったですし、目の前の仕事にひたすら全力で挑んでいました」

本格的に東京に出てきた当初も、事務所で椅子を並べて雑魚寝するような状況からのスタートだった。しかし、ミスヤングマガジン賞を受賞し、サントリーのキャンペーンガール、さらにアイフルのCMといった大きな仕事が増え、仕事は次第に軌道に乗っていった。そして、芸能界に専念することを決め、大学を辞めた。

「キャンペーンガールなどで拘束される期間が長くなると、大学の講義に出席できない日が増えたんです。仕事がせっかくいい流れなのにここで乗らないとチャンスを逃すと思ったので、大学は辞めることにしました。1年か2年後に卒業はできたと思うんですが、そのときにはもう空気が変わっていると思ったので。芸能界に専念してからもグラビアアイドルの仕事は大変で、毎日ただがむしゃらにがんばっていました。当時はグラビア全盛期で、海外や沖縄でのロケも多くて本当に過酷。とにかく必死でしたね」

過酷なスケジュールの中で気づきもあった。それは被写体としての自分を客観視するということ。意識を変えただけで仕事が楽しくなっていった。

「写真を撮る側の立場になって自分を見てみようと思ったんです。沖縄でカメラマンの渡辺達生さんに撮ってもらっているときに写真をチェックしたら光がすごくキレイで、撮る人によってこんなに変わるんだと思ったのがきっかけですね。こういうシチュエーションだからこんな表情がいいかなあとか、自主的に自分を表現しようと考えるようになったら撮られるのが楽しくなりました。違う視点や状況を意識することは、今でも他の仕事に役立っています」

京都弁を出すようになって自分の居場所も見えた

「共通語で話すように指導されていた時期があったんですが、指導が厳しくて“自分らしさって何?”って考えるようになりました。本当に悩んでいたので身近な人にも相談して、思い切って京都弁を出すことにしたんです。気づいたら、はんなりしてていいねって認めてもらえるようになりました。やっと自分らしくなれた気がしましたね。坂下千里子さんは高校の先輩なんですけど、京都弁をしゃべる子が出てきて衝撃だったって言ってくれました(笑)。この世界に入ったからこそ、やっと自分が見つけられた気がします。そして、芸能界は自分らしくいていい場所なんだと思えるようになりました」

自分らしさを大切にできる場所で仕事を続けられているから安田さんは自然体に見えるのかもしれない。でも仕事だからこそ、そんな単純な話では済まない。

「実は今でも、収録が終わって毎回のように反省しています。流れに合わせた内容の話ができたかとか、きちんとコメントできたかとか。うまくいかなかったときは落ち込みますけど、落ちるところまで落ち込んだらポジティブになりますね。考えて考えて考え抜いて、とりあえず無理やりにでも答えを見つけて頭をクリアにするようにしています。悩み続けてずっと答えが出ないなんて時間がもったいないですから。自分でどうにもならない時は、周囲に相談して答えを出してもらうことも多いですね。気分転換ができないときは、テンションが上がるものを買ったり、お酒を飲みに行ってストレスを解消することもあります。とにかく動いてきっかけをつかむタイプです」

マラソンに挑戦して完走することで多くのものを獲得

安田さんは2008年からマラソンを始めたが、そのきっかけは知人の提案。“完走すると新しい何かが見える”と言われたのがきっかけだった。

「直感ですぐにやってみようと。そうじゃないと一生後悔するだろうと思ったんです」

年初に決意してトレーニングを始め、同じ年の’08年12月にはホノルルマラソンに挑戦。見事に完走を果たし、目標タイムの4時間半もクリアした。そこで見えたものとは?

「1回完走すれば満足すると思ったんですが、ぜんぜん満足できませんでした。自分はもっとできるのに……って。走っている間も瞬間瞬間で自分に負けたのが悔しかったのを覚えています。ゴールして終わると思ったらマラソン人生がスタートしました(笑)。結局ずっと続けてますからね」

マラソン人生以外にも得たものはたくさんある。走ることを通じて出会えた仲間。健康な体、周囲からの評価など。そして何より、最初はできないと思っていたフルマラソンを完走できたことで自分への自信も深めた。

「舞台のお話が来たときに挑戦してみようって思えたんです。周囲も心配していましたし、マラソンをやっていなかったら断っていたと思いますよ(笑)」

「実は走ってる間って頭が冴えるんです。今度あれをやってみようって思いついたり、何かひらめいたり。この世に無駄なことはないと思えるようにもなりました。無駄なことはないからこそ、やりたいことはとりあえずやってみます。その結果、本当にしたいと思えたことが残ってるだけ。実はすぐに辞めたこともたくさんありますよ(笑)」

周囲のサポートがあるからこそ今の自分がいる

「私は本当に人に恵まれてるなって思うんです。例えばマラソンに関しては、ナイキがタレントと契約するのはかなりイレギュラーなんですけど、それをサポートしてくれる方がいて実現できました。芸能界をやめたいと思うほど落ち込んだときには、アッコさん(和田アキ子さん)が必ず助言をくれました。事務所も違うのに助けていただいて本当にいつも感謝してるんです」

確かに安田さんの人生では、中学生の頃からターニングポイントのたびに影響や助言を与えてくれる人が登場してきた。ただしそれは、そんな人に気づき、感謝している安田さんの人間性を映しているとも言える。結婚相手に選んだ人も今の仕事を応援。事あるごとにアドバイスをくれている。

「主人は仕事に関しては“好きなようにしていいよ”って言ってくれてます。スケジュールが詰まりすぎて悩んでいるときには“でも結局やめないんでしょ?”って声を掛けて助けてくれるんです。私のことわかってるなぁって思いますね」

安田さんは結婚したのを機に、食育インストラクターの資格を取得。その結果、いっそう家族を大切にしようと思ったという。

「食育インストラクターを取得したのはマラソンとも関係していて、トレーナーさんに食事のアドバイスをもらううちに自分でもちゃんと勉強してみようと思ったのがきっかけです。勉強してみてわかったのは、家族でゴハンを食べる、旬のものを食べるっていうことが、体だけでなく脳や心にも大切ということ。それは広めていきたいですね」

今後は食育インストラクターとしての活動も拡大していく予定。ウェブや雑誌での連載はすでに続いているが、さらなるプロジェクトも動き始めた。その背景にも人間関係の恩恵がある。

「被災地などに出向いてマラソン大会で走った後に、地元の食材を使った料理を提供するといった活動を考えています。そのプロジェクトも主人の知人が声を掛けてくれたのがきっかけ。本当にいろいろと縁を感じますね。趣味が仕事になったり、自分がやりたいと思ったことが仕事につながったりしているのでありがたいですし、楽しく活動できています。これからは離乳食を開発できたらとも思っていますし、将来的には家族でカフェとかができたらいいなぁとも。今は家族や子どもがいちばん大切。でも、子どもがいるから動けないと思うのは嫌なので、子どもと一緒に出かけたり、やりたいことを絞り込んで厳選したりして工夫もしています。出向くところには出向くし、やりたいことに対してはアクティブに動いてるので、きっちりチャンスをつかみに行ってると言われることもあります(笑)」

今後、安田さんが壁にぶつかったり悩んだりした際も、直感を信じ、とどまらず動き続けるに違いない。それでも答えが見つからないときは、周囲の尊敬できる人に相談して的確なアドバイスをもらうはずだ。

自分自身やそれまでの考えを変えたいときは、尊敬できる人の考えを聞くのがいちばんの近道。自分だけだと狭い考えしか持てないんですけど、スゴイなぁと思える人の考えを聞くと、自分では思いつかなかった考えや答えにたどり着けることが多いんです。
スゴイなぁと思える部分がある友だちや知り合いを大切にしてみてください。その友だちの考えが参考になるのはもちろん、派生してさらに尊敬できる方に出会えることもあるかもしれません。

アドバイスを聞けるような普段からの関係性も重要だと思っています。きちんとした関係性さえ築けていれば、相談されるとうれしいものじゃないですか? 落ち込んだときや壁にぶつかったときは思い切って相談すべきです。
実はアッコさんも私に相談してくれることがあるんです。年下の私に相談してくれるということを本当にうれしく思います。
Profile 安田 美沙子

1982年、京都府出身。タレント、女優など。2001年にスカウトされて芸能界にデビューし、’02年に「ミスヤングマガジン」賞を受賞。週刊青年漫画4誌の表紙を飾るなど、グラビアアイドルとしての人気を極める一方で、アイフルのCMなどでも注目を集めた。2003年には歌手デビュー。2005年に連続テレビドラマ「熟年離婚」に出演し、映画『ルナハイツ』では主役を好演。女優としての仕事も増えていった。2008年にはホノルルマラソンを完走し、2011年には湘南国際マラソンで4時間切りを達成。さらに同年、トライアスロンにも挑戦している。2014年にはファッションデザイナーと結婚。2015年に食育インストラクターを取得し、書籍『「またあれ作って」と言われる幸せごはんレシピ』を出版した。その一方、2016年にはライカのカメラで撮影した作品の展示販売会も実施。そして2017年には第1子を出産した。家庭と仕事を両立しながら、「アッコにおまかせ!」などのテレビ番組をはじめ、幅広い活動を続けている。

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しなきゃ、なんてない。既成概念にとらわれず、自分らしく生きる人々のストーリー。

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