知的障害があるのはかわいそう、なんてない。
2018年、双子の文登さんとともに株式会社ヘラルボニーを立ち上げた松田崇弥さん。障害のある人が描いたアートをデザインに落とし込み、プロダクト製作・販売や企業・自治体向けのライセンス事業を行っている。そんなヘラルボニーのミッションは「異彩を、放て。」障害のある人の特性を「異彩」と定義し、多様な異彩をさまざまな形で社会に送り届けることで、障害に対するイメージの変容を目指している。
知的発達に遅れのある人々は、かつて「白痴」という差別的な言葉で呼ばれていた。1930年代には「精神薄弱」、1960年代には「精神遅滞」と名称が変化(※1)。日本精神薄弱者福祉連盟(現在は社団法人日本知的障害福祉連盟に名称変更)が症候名として「精神遅滞」、障害区分として「知的障害」とする結果を取りまとめたのが1993年のこと(※2)であり、現在は「知的障害」と呼ぶのが一般的とされている。旧称と比較すると差別的なニュアンスは抑えられたが、令和の時代においてもなお「障害」という表現を使うことに疑問を呈する人は少なくない。ヘラルボニー代表取締役社長の松田さんも、2020年に「この国のいちばんの障害は『障害者』という言葉だ。」という意見広告を出した。“普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性である―――。松田さんがそう考え、ヘラルボニーを起こした背景には、どのような経験があったのだろうか。世間にはびこる偏見について思うことや、それらを覆すヘラルボニーの戦略についてもお話を聞いた。
※1:参考 月刊 「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年8月号
※2:参考 これまでの用語変更事例(厚生労働省)
障害は「欠落」ではなく、「絵筆」になる
松田さんの活動の原点は、重度の知的障害を伴う自閉症の兄・翔太さんの存在だ。幼少期から世間が兄に対して抱く偏見を目の当たりにし、強烈な違和感を覚えてきた。
「兄貴は楽しそうに生きているのに、なんで障害があるだけで『かわいそう』って決めつけられなきゃいけないんだろうって。自宅から一歩外に出た途端、社会が作った『障害者』という枠組みを押し付けられるのは変だと思っていました」
そんな彼自身も、社会にはびこる偏見に迎合していた時期がある。かつて通っていた中学校では「スぺ」という言葉がはやっていた。「スぺ」とは兄と同じ、自閉症スペクトラムを指した蔑称だ。
最初こそ差別的な言葉に憤りを感じ、友人たちをたしなめていたという松田さん。だが、いつしか耳にするのにも慣れ、何も感じなくなっていった。そのうちに、“スペの兄”がいることでからかわれるのが嫌で、双子そろって兄と一緒に外出するのを避けるように。幼かった彼にとって、社会の圧力に屈さず自分を貫き通すことは容易ではなかった。
「あれだけ嫌悪感を抱いていた社会の偏見に迎合して、みんなと一緒に楽しんでいるふりをしてやり過ごしていました。今振り返れば、中学校という閉鎖的な世界で自分を守るための処世術だったと思います。兄には本当に申し訳ないことをしてしまいました」
一度はこじれてしまった兄との関係も、少しずつ元の親密さを取り戻した。その頃には、「障害がある人へのイメージを変容させたい」という思いを抱いていた。
ある日、母に誘われて岩手県のるんびにい美術館に足を運び、知的障害のあるアーティストたちの作品に衝撃を受ける。「こんな作品があることがもっと広く認知されれば、障害のある人に対するイメージを変容させることができるかもしれない」。アートからもたらされた強烈なインスピレーションを原動力に、1年後には双子の文登さんや他の仲間とともに、知的障害のある人のアートを商品化するブランド「MUKU」を立ち上げた。
品質とデザインにこだわり抜いた「MUKU」のプロダクトは、完成度の高さで評判を呼んだ。活動に手ごたえを感じた松田さんは、2018年6月にそれまで勤めていた会社を辞め、7月にヘラルボニーを設立。12月には文登さんも退職し、現在はヘラルボニーの事業に専念している。
目指すのは、ヘラルボニーがみんなの生活に溶け込んだ状態
ヘラルボニーでは、全国30以上の福祉施設とアートライセンス契約を結び、障害のあるアーティストの作品3000点以上を撮影・スキャンしてデータを保存している。収益源は、企業や自治体にデータの使用を許諾するライセンス事業と、アートデータを基に自社で製作したプロダクト。事業で得た売り上げの一部を、作品を作ったアーティストに還元する仕組みだ。
「これまで行ってきたライセンス事業は、パナソニックのR&D拠点へのアートデータの提供や、オフィスや商業施設でのソーシャル美術館の出展など。全国の企業・自治体と提携し、障害のある方のアートをさまざまな形で社会に送り届けています。
自社ブランドでは、ネクタイやスカーフ、財布、カードケース、マスク、バッグなどを製作しています。商品は地元・岩手県の常設店舗の他、全国各地に展開しているポップアップストア、公式オンラインストアで販売しています」
その他の代表的な自社事業には、工事現場の仮囲いにアートを展示する「全日本仮囲いアートミュージアム」がある。これはターポリンという強度の高い素材に絵を印刷して展示し、殺風景になりがちな工事現場を彩るもの。2020年夏には、JR高輪ゲートウェイ駅の工事現場にも採用された。役目を終えた作品は洗浄し、トートバッグに加工し直して自社ブランドで販売している。この取り組みは、内閣府の主催する、第3回日本オープンイノベーション大賞「環境大臣賞」を受賞した。
また、副社長の文登さんが現在拠点を置く、ヘラルボニーの始まりの場所・岩手県での活動にも力を入れているという。
「現在は、行政から受託した岩手県内のホテルのプロデュース事業が進行中です。46部屋分のファブリックパネルやクッション、カーテンを製作し、部屋ごとに違ったアーティストの作品を楽しめるようにします。ファブリックやクッション、カトラリーなどの生活雑貨は、今後も増やしていく予定です。ショールームやホテルのインテリアに取り入れていただくBtoBビジネスを拡大していけたらと。最終的には、ヘラルボニーが皆さんのライフスタイルに溶け込んだ状態をつくるのが理想です」
ぐっとくるのは「幸せの循環」が起きていると感じるとき
企業や自治体にデータを提供するときは、必ず「障害のあるアーティストが描いた作品」と打ち出してもらうと決めている。こだわりの背景には、事業立ち上げの原点となった思いがあった。
「MUKUの立ち上げ初期に、ライセンス契約を結んだある企業のバイヤーから『障害のある方のアートとはあえて称さず、純粋にデザインとして使用してみてはどうか』と言われて。その提案を受け入れ、あえてデザインだけで勝負したんです。商品は大ヒットしたんですけど、世間には単なる『美しい柄の商品』としか受け取ってもらえなくて。
たくさんの方に評価していただけたことはうれしいけれど、『これは本当に自分がやりたかったことなのか?』と疑問を感じて。僕が目指すのは、アートを通して障害のある方のイメージを変容させること、障害があるからこそ描ける世界があると知ってもらうことだったはず。軸をブレさせてはだめだと強く実感しました」
障害のある人のアートであることを打ち出すようになって以降、ヘラルボニーの存在は障害のある人や家族に広く知られるようになった。今では、応援や「ショップに足を運んだ」という報告のメッセージが絶えないという。
「うれしいお声をいただくたび、自分にとって気持ちがいい会社の在り方は、経済的利益だけでなく社員にとっての心的利益も並行して得られる状態なんだと実感します」
アートを活用させてもらっているアーティストの家族から、お礼の手紙が届くこともある。
「障害のある方は、就労支援施設で働いて毎月数千円~1万数千円の収入しか得られない場合も多いんです。そういった方が、ヘラルボニーを通して自分のアートで10万円を稼ぎ、家族にごちそうしたりする。親御さんから『息子の給料で焼き肉に行く日が来るなんて、とても想像できなかった』と言われたときはうれしかったですね。購入してくださった方も、アーティストさんやご家族も、僕たちもポジティブな気持ちになれる『幸せの循環』みたいなものが、奇麗ごとでなく本当に起きている瞬間があって。そういうときはやっぱり興奮します」
「支援してあげよう」ではなく、アートを純粋に楽しんでほしい
ヘラルボニーは作品提供の対価としてアーティストに利益を還元し、障害のある人にも正当な報酬が届く仕組みを作っている。聞く限りでは非常に社会貢献色の強い取り組みに思えるが、松田さんは「社会貢献という文脈にはのせたくない」と言い、クライアントに対してもそのスタンスを明言している。いったいなぜだろうか。
「社会貢献のために障害のある方のアートを売っているとなると、アートそのものの価値がねじ曲がってしまうと思うんです。余計なバイアスをかけず、あくまでアートとして評価してもらえたら。ヘラルボニーの役割は、すてきな作品を作る世に知られていない人の才能に、スポットライトを当てることだと考えています。『かわいそうだから支援してあげよう』ではなく、障害のある方の可能性を純粋に感じてほしいですね」
ヘラルボニーが起こしたいのは、障害に対するイメージのパラダイムシフトだ。かつてはネガティブなイメージを持たれがちだったオタク文化がクールジャパン戦略に組み込まれていったように、障害のある人のアートを「触れがたいもの」から身近なものに変えていきたいという。
「アートや福祉という言葉をそのままぶつけても、ピンとこない人もいるはず。でも、それらをブランドという傘に入れれば、興味を持ってくれる人はすごく増えると思うんですよね。例えば僕の中学の同級生、それこそ『スぺ』って言葉を使っていた人も、ブランドならかっこいいと思ってくれるんじゃないかと考えています。
ヘラルボニーが目指すのは、北欧発の『マリメッコ』のように、ブランド名を聞いただけで柄が頭に浮かぶような存在ですね。偏見を完全になくすことはできないかもしれないけど、障害のある方のアートを展開しているブランドがマリメッコくらいの規模感になれば、障害に対するイメージもおのずと変容していくと思います」
※株式会社ヘラルボニー提供のメディア掲載における表現の統一意向に沿い、今回の記事中ではすべて「障害」の表記を用いています。
1991年、岩手県生まれ。株式会社ヘラルボニー代表取締役社長・CEO、クリエイティブ統括。小山薫堂率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズのプランナーを経て独立。2018年、「異彩を、放て」をミッションに掲げる福祉実験ユニットを双子で設立。岩手と東京の2拠点を軸に福祉領域のアップデートに挑む。日本を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。2021年4月、障害のあるアーティストの才能を披露する「HERALBONY GALLERY」を盛岡市にオープン。展示されたアートの原画は購入できるようにすることで、「お金を払う価値のある作品」というブランディングを徹底している。
Twitter
@heralbony
instagram
@heralbony
@heralbonyofficial
◉ヘラルボニー(コーポレートサイト)
http://www.heralbony.jp
◉ HERALBONY(ブランドサイト)
http://www.heralbony.com
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