ウェルビーイングの最新潮流

LIFULLでは、さまざまな業界のトップランナーを招き、その経験や知見をお話しいただく「リーダーズアイ・セミナー」を定期的に開催している。社員一人一人がそこから刺激を受け、考え方や行動を変えて成長していくことを目的とするセミナーだ。

今回は、予防医学・行動科学の専門家で、“人がよく生きる(Good Life)とは何か”をテーマとして企業や大学との学際的研究も行なっている医学博士の石川善樹さんに、「ウェルビーイングを科学する」と題してお話いただいた(ウェルビーイングは「生活満足度」とも訳され、WHOでは「個人や社会のよい状態。健康と同じように日常生活の一要素であり、社会的、経済的、環境的な状況によって決定される」と説明している)。今回オンラインで行われたこのセミナーの模様をダイジェストでご紹介していく。

 いまウェルビーイングに注目したいわけ

石川:ウェルビーイングという概念は、日本では2021年ごろから広がり始めました。僕がLIFULLさんと一緒にやらせていただいている「公益財団法人Wellbeing for Planet Earth」でも、2030年に役目を終えるSDGsの次のグローバルアジェンダを、「サステイナブル・ウェルビーイング・ゴールズ」に設定して動いていますが(SDGsは、2030年までの目標達成を目指している)、日本はいったん決まったことは真面目に徹底的に取り組む国ですから、2030年以降はウェルビーイングの波が来るのではないかと期待しています。

一方で残念なデータがあって、ウェルビーイングの国際ランキングというのがあるんですが、その指標となる3つの要素「健康寿命」「今のウェルビーイング度」「5年後のウェルビーイング度」を見ると、健康寿命では日本は世界で1、2位を争っていますが、ウェルビーイング度が低いのです。日本の「今のウェルビーイング度」は、2006年には27位でしたが、その後どんどん下がって2019年には61位に。さらに悪いのが「5年後のウェルビーイング度」で、これは「将来に希望を持てますか?」と尋ねた結果なんですが、2006年の70位から、2019年には122位にまで落ちている。調査対象が約140カ国ですから、ほぼ最下位レベルの数字です。

 

ウェルビーイング国際ランキング

世界一健康で長寿の国の、その長い人生が実は、充実していなくて将来への希望もないなんてあまりに残念過ぎる。日本の低迷するウェルビーイングを改善していくにはどうしたらいいのか、考え込んでしまいますよね。

日本のウェルビーイング度を上げるには?

石川:日本はいま経済的に停滞しているから、まずは「景気」を良くすることだ、という意見もありますが、日本の場合、経済的な要因は実はそれほど大きくない。なぜここまでウェルビーイングが悪いかというと、私は「利他の精神、互助・共助の気持ちや文化」が無さすぎるのではないかと思うのです。

先ほどご紹介したウェルビーイング財団が、ギャラップ社と一緒に世界約140カ国で行った調査では、利他行動を測定するために3つの質問をしています。「寄附しましたか?」「ボランティアしましたか?」「見知らぬ人を助けましたか?」。その結果を英国のCharity Aid Foundationという財団が、World Giving Indexとして毎年発表しているのですが、2024年の最新版で日本は、調査した142カ国の中の141位という状況です。

World Giving Index

World Giving Index 2024 | CAF

このデータを見ていると、シンガポールが目を引きます。シンガポールは2006年時点では日本とそれほど違いがなかったのですが、その後右肩下がりの日本に対して、シンガポールは20年間で劇的に利他行動の指標を伸ばした。これが何を意味するかというと、20年あれば劇的に変われるということです。シンガポールは国民が利他へと動くよう、政策的に様々な取り組みをしました。例えば寄附を例にとると「100寄付すれば、250税控除できる」という仕組みを作った。だから日本だって20年あれば劇的に変われるかもしれません。ただ、どこから始めればいいのか?というのが問題になってきます。

それについて僕は、「利他」の精神の高揚を目指すことが、ウェルビーイングの向上につながると考えていて、今日はそれに関わる最新潮流をご紹介します。

なぜ大人になると「利他」が起きにくくなるのか?

石川:利他の精神について考えると、1つの疑問が生じます。それは「子供の頃には誰もが利他の精神を持っているのに、なぜ大人になるとそれを失ってしまうのか?」という問題です。人と人との関係には「いる=Be」「なる=We」「する=Do」の3つがありますが、子供は「いる」から関係性を始める。子供は「いる」の天才で、いつも誰かと一緒にいますよね。一緒にいてじゃれ合ったり、叩き合ったり、歌ったりする。そこから始めて子供は「いる」→「なる」→「する」の順番で関係性を作っていく。しかし大人の場合、人との関係性は「する=Do」から始まります。仕事を「する」とか。仕事で初めての人と会った時は「何をされている方ですか?」と尋ねる。大人同士が仲間になるためには、どうしても利害の一致や能力の一致が重要になります。そうでないと仲間になれない。だから大人になって出来上がった関係は、「する」ことがなくなると意味がなくなって、疎遠になってしまうのでしょう。

DoだけでなくBeからも関係性を始められないか?

石川:だから大人も「する=Do」からだけじゃなく、「いる=Be」から関係を始めれば、利他の精神が日本でも根付くんじゃないかと思います。大人はDoから関係を始めるので、自分事でないと動きにくい。それに対して子供はBeから関係を作り上げているので、「自分事でもないけど、他人事でもない」と思えて、手を差し伸べて助けたくなるのです。低迷する利他の文化を日本で高めていくには、Doだけじゃなく、Beからも関係性を始められるような仕掛けが必要ではないかと考えます。

「0枚目の名刺」で会話を変え関係を変えてみる

石川:なぜ大人になるとDoからだけ関係を始めるのかを考えていて、行き着いたのが「名刺交換」でした。仕事で初めての人に会うと名刺交換しますよね。そしてそこに書かれている所属とか肩書きで、その人が何をする人かを読み取り、関係性が始まっていく。だからこそ一緒に仕事をしていくことができるわけですが、じゃあ、Beから関係を始めるためには何をしたらいいんだろう?と。そこで、日本に根付いた名刺交換という所作を利用して、BeとDoの両方を表す名刺を作って渡すことを思いついたのです。そこから生まれたのが「0枚目の名刺」です。

 

0枚目の名刺の書き方ポイント

0枚目の名刺

1枚目の名刺が会社の名刺だとすると、「0枚目の名刺」には自分のBeとDoが表されています。表と裏それぞれに、過去、今、未来のキーワードが書かれていて、表のBは、人となりを表し、裏のDoは、その人がどんな思いで社会と関わり、貢献しようとしているのかを表す。会社の名刺はDoの名刺ですけど、1人の人間のDoのごく一部しか表していないので、この0枚目の名刺が有効だと思ったのです。

 

0枚目の名刺の書き方ポイント

例えば僕の場合、Beの方は、過去が「広島出身」。今は「サウナ」。未来は「3キロ痩せたい!」。Doの方は、過去が「健康寿命を広める」。今は「Well Beingを広める」。未来は「雲孫を広める」(雲孫とは、9代目の子孫のこと)。3つとも語尾が「広める」ですけど、この“動詞を揃える”というのもけっこう大事で、というのも、自分はこういう動詞だったらいつまでも続けられそうだな、幸せだろうな、と思えるような動詞を見つけられたら、それが自分のウェルビーイングだと思うからなんです。

この名刺を渡すと、その場で交わされる会話が違ってきます。僕は先日、ある県の副知事を表敬訪問したのですが、お会いした副知事が、その方は女性だったんですが、私の名刺の「3キロ痩せたい!」にいたく共感されて、「わかる!私もずーっとそう思ってます!」って。結局その表敬訪問は、5分の予定が1時間を超えてしまって、それくらい関係性が一瞬で変わってしまう。こんな名刺はすぐに作れますから、これを利他の文化を作るきっかけにしてもらえればいいなと思います。

そもそも「人と関係を作る」とはどういうことか?

石川:利他の精神を育てるには、人を思いやり、他人事じゃないと思える関係性を作ることが大事ですが、じゃあ「人と関係を作る」って何なんだろう?と。それに関して、最近のウェルビーイング研究で面白い知見が出てきたので紹介しましょう。

「人間とは何者か?」と考えると、「協力する」という社会的な側面が浮かび上がります。猿やゴリラと違い、人は協力することで様々なことを成し遂げてきた。しかし一方で、人が集まると「揉める」という側面もあります。だから人類の歴史は、いかに揉めごとを排除して結束するかという歴史でした。ウェルビーイングの人類生態学的な知見で言うと、人に限らず、結束して利他に向かう動作の基本中の基本と言えるのが「毛づくろい」です。毛づくろいによって、エンドルフィン(脳内で産生される神経伝達物質の一種で、鎮痛作用や多幸感をもたらす)が放出され、お互いが結束したくなるんですね。

毛づくろいによって、エンドルフィンが放出

C触覚繊維

 

その仕組みは、毛の根元に「C触覚線維」というのがあって、これが脳と直結しているんですが、皮膚に軽くゆっくり触れるとC触覚線維が反応して、脳からエンドルフィンが分泌されるんです。とはいえ今の時代、相手の体に触れることはできないので、じゃあ、遠隔でエンドルフィンを放出させる手段はあるのか?というのが課題になります。 

人類は、いかにして結束してきた?

人類の進化の歴史を見ていくと、実はエンドルフィンを遠隔で出していく方法を、こんな順番で獲得してきたことが分かります。

1:ともに笑う(3人まで)

2:ともに歌う(一緒に声を出す、読み上げるでも良い)

3:ともに踊る(早足で歩くでも良い)

4:感情に訴える物語を共有する

5:宴を開く(みなで食事をし、酒を飲む)

6:祭る

人は、笑う、歌う、踊る、の順に結束してきたんですね。今の時代で言えば、スポーツの応援やコンサートがそう。みんなで笑い、歌い、踊ることでエンドルフィンを放出し、不思議な一体感が生まれている。

4番目の“感情に訴える物語”というのは、必ず人から人へと伝わる力を持っていて、それによってエンドルフィンが放出されます。

5番目の“宴を開く”は、集まって食事をし、酒を飲む行為ですが、食事を一緒にするのは、実は動物的には不自然な行動で、人間以外の動物はそんなことしません。なぜそんな不自然なことができるかというと、それは、笑って歌って踊ることで、感情を共有できているから。もう他人じゃなくて仲間だからこそ安心して宴を開けるんです。だから単純に「一緒に飯を食えば仲間になれる」なんて思わない方がいい。飯を食う前に、笑ったり歌ったり踊ったりすることが大事なんです。「最近の若者は、一緒に飯食ったり、酒飲んだりしなくなった」と言われる原因はそこにあると思う。若者は「まだ感情を共有できてもいないのに、いきなり一緒に食事しようって言われてもなぁ…」と感じているのではないでしょうか。

6番目の「祭る」は、「三内丸山遺跡」という縄文時代の遺跡を例にお話します。この遺跡は、当時としては大きな集落で、集落が大きくなるほど、お互いが仲間として助け合いながら生きていくのが難しくなってきますが、この集落には、真ん中に墓地があったことがわかっています。

 

三内丸山遺跡

三内丸山遺跡の集落

集落の真ん中に墓地を置いて祭ったことの意味は、“先祖の共有”でしょう。祭ることで、我々はどこから来て、何によって生かされているのか?という原点を共有できて、集落が大規模化しても一体感が保てたのです。他人事でなく自分事と感じることで、助け合いが起こったのですね。

これまで人間は、こんな順番とやり方で絆を紡ぎ、助け合ってきました。今の時代に言われるビジョンとかミッションバリューといった概念はおそらく、6番目の「祭り」の後に出てくるものだと思います。そういった言葉や理屈の前に、笑う、歌う、踊る、が重要なのです。

今日のお話をまとめると、「日本のウェルビーイングはヤバイぞ!」に尽きる。そしてウェルビーイングの構成要因の中でも、日本は特に「利他」の精神が足りないということでした。それを高めるには、お互い「他人じゃないよね」という関係性が必要だから、Beから関係を始めるのが大事なんじゃないか。その1つの方法として「0枚目の名刺」という手もあるなと。そしてお互い助け合おうと思うためには、言葉や理屈の前に、笑い、歌い、踊るといった身体性を伴う行動が大事という話でした。今日はどうもありがとうございました。

この後、参加者との活発な質疑応答を経て、1時間半ほどのセミナーは大盛況の内に幕を閉じた。ちなみに石川さんには「FULL LIFEフルライフ」(NewsPicksパブリッシング)「疲れない脳を作る生活習慣」(知的いきかた文庫)、「問い続ける力」「考え続ける力」(いずれも、ちくま新書)など、ユニークな切り口から“人がよく生きるとは何か”を考察した著書が多数ある。

Profile

石川 善樹
予防医学研究者

石川 善樹

1981年広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了。自治医科大学博士(医学)取得。企業や大学と「人がより良く生きるとは何か」をテーマに学際的研究を行う。専門分野は予防医学、行動科学、計算創造学。講演、雑誌、テレビ出演多数。

執筆:宮川貫治

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