老いは悲惨、なんてない。―社会学者・上野千鶴子とスイス在住ケアの専門家・リッチャー美津子が語り合う―

上野 千鶴子・リッチャー 美津子

ある日、鏡をのぞき、年齢を重ねた自分の姿に愕然とする。町で見かけた高齢者の姿に「大変そう」「年は取りたくないものだ」。こんなふうに、感じたことはありませんか?「老い」について考える時、私達は無意識のうちにネガティブなイメージを抱く傾向があります。

これは、私達が社会通念の影響を受けているからです。女性学に続き、「老い」について長く研究されてきた社会学者の上野千鶴子さんと、日本・スイス両国の看護・介護現場を経験されたリッチャー美津子さんに、「老い」をめぐる社会とその変化について語っていただきました。

お二人は、数年前に介護や死生観の勉強会を通じて知り合い、頻繁にやりとりを重ねてこられました。

※本対談は前後編に分けてお届けします。後編では、日本とスイスの介護や死生観について語り合います。1月第3週公開予定。

社会学者・上野千鶴子さんとスイス在住ケアの専門家・リッチャー美津子さん

「あんな人達と一緒にしないで」心に潜むエイジズムが「老い」を否定する

ーー上野さんは、2025年春に『アンチ・アンチエイジングの思想』を出版されました。その題材であるボーヴォワールの『老い』を私も読みましたが、かなり重い読後感で、老いに対してますます不安を感じました。なぜ多くの人は老いることにネガティブなイメージを持つのでしょうか?

上野千鶴子さん(以下、上野):ボーヴォワールは、自著の中で解決策を一切示していませんからね(笑)。多くの人が老いることに拒否感を感じるのは、これまで自分が高齢者を厄介者扱いしてきたからです。今度は自分が年を取って、世間に厄介者扱いされる立場になるなんて、「あんな人達と一緒にしないで」と、受け入れがたい現実でしょう。だからこそ、アンチエイジング市場がこれほど巨大になったのだと思います。

特に最近の若い世代は、老後不安がとても強いようです。20歳位の方に話をきくと、衰えるまで長く生きたくないし、親にも程よいところであの世へ行ってほしい、と考える人が多いです。

ただ、高齢者が属する社会によってその地位や扱いは異なります。高齢者に過去の知恵が集積されていたり、口承で出来事が伝えられたりする社会では、高齢者は尊敬を集め、丁重に扱われてきました。

ーー日本では?

上野:日本は、年齢が、ジェンダーに優先し、社会に強い影響力を持ちます。年を取れば、マイナスな扱いを受けることもありますが、女性であればそれまで性別を理由として不利益な扱いを受けていた状況が、プラス方向に変わることもあります。

私はずっと、超高齢化社会は、みんなが平等になる恵みの機会だと主張してきました。男性が女性を差別するのは、自分が女性(弱者)になる心配がないからであり、障がいについても同じです。でも、みんな平等に年を取り、どんな強者も弱者になるのが、エイジング(齢)です。弱者になるのがイヤだ、受け入れがたい、という人もいるでしょうけど、弱者になったからといって他人に従わなくてもいい、弱者が弱者のまま尊重される社会が理想です。

一方で、日本には、定年制という公然たるエイジズム(年齢差別)があり、個人の能力や状況に関係なく、一定の年齢に達すると第一線から退かなければなりません。定年退職後も、ほとんどの人は働ける間は働きたいと考えているようですが、希望どおりのやりがいのある仕事につけない人も多い。これまで、日本はさんざん「女」の能力とやる気を無駄してきましたが、知恵と能力のある高齢者をうまく活用できないなんて、本当にまた無駄を重ねています。

上野千鶴子『アンチ・アンチエイジングの思想』

リッチャー美津子さん(以下、リッチャー):私のまわりの日本で働き続ける女性が、「70歳でも働ける!」等、年齢のわりにすごい、という扱いはやめてほしいとおっしゃいます。本人にとっては、当たり前のことですって。

ーー年齢で一概に判断するものではないと。では、「最後まで元気で、生涯現役」という価値観についてはどのようにお考えですか?

上野:「サクセスフル・エイジング」は「生涯現役思想」。それを、「死の直前まで壮年期を引き延ばす思想」と定義した老年学者がいましたが、言い換えれば自分が衰える姿を直視したくないということと同じです。そもそも自分の老いを他人に成功だの失敗だの言われたくないです。人生は、拡大期もあれば、縮小期もある。前進すれば撤退する時期もある、と考えてはいかがでしょうか。生きがいを失ったらどうしよう、他人の世話になるのはイヤだ、という人たちに、私が問いかけるのは「人間、役に立たなきゃ、生きてちゃ、いかんか」。皆さん、はっとした顔をされます。

リッチャー:私はスイスに移住して14年目。現在、公立医療型ホスピス認知症グループホーム併設型高齢者・障がい者介護看護施設で働いています。ヨーロッパの方々はリタイヤ後を見すえているように思えますが、生涯現役思想は確かにありますよ。

上野:定年制度が間違ってると思いますけどね。学者に定年がなくて本当によかったです。働けるうちは何歳でも働く。そのうち働けなくなる時がきますから。

社会学者・上野千鶴子さん

制度や社会構造を変えれば、社会通念も変わる

ーー団塊の世代約800万人が、75歳以上の後期高齢者になり、発言・発信する高齢者が以前より増え、世の中の高齢者に対する見方が少しずつ変わってきた気がします。

上野:変化は見られます。例えば、以前は意見を聞き入れられにくかった認知症の人達の発言をちゃんと聞こうと、社会が変わってきました。そんなの無理、という扱いを受けていた在宅ひとり死についても、希望を叶える人達が増えています。私は、独居高齢者を「おひとりさま」、孤独死を「在宅ひとり死」と呼び変えてきましたが、確かに社会意識の変化を感じます。

リッチャー:私の高校時代の友人で、病院勤務38年の看護師だった女性が、がんになりました。そして、「自分は絶対に病院で死にたくない」と言って、在宅ひとり死を叶えました。身近なところに実行する人が現れた、と実感しました。

上野:おもしろいですね。看護師が病院を信用していないなんて。

ーー上野さんの著書『おひとりさまの老後』をはじめとするおひとりさまシリーズによって、「老い」のイメージが随分変わりました。一方で、依然としてよく使われている「孤独死」という言葉は悲惨な響きがしますね。

上野:一般的に「孤独死」と聞くと、あなたと同じように皆さん悲惨な印象を受けるでしょうね。

メディアが何週間も何ヶ月も経って発見された悲惨な例ばかり報道するからでしょう。

もともと「孤独死」に明確な時間の定義はありません。東京都基準では「在宅で誰にも看取られず死に、死亡後24時間以上経過して発見されたケースで、事件性のないもの」ですが、自治体や運用によって、発見までの設定期間は様々です。訪問看護師のなかには、「臨終に立ち会い人のいない死を孤独死と呼ぶのはもうやめよう」と提唱している人もいます。わたしは代わってすっきりさっぱり「在宅ひとり死」という言葉を作りました。

私が東京都内で「在宅ひとり死」に関する講演を行った際、500人くらいの参加者に「死ぬ時、子や孫にまわりを取り囲んでほしいですか?」と聞いてみたら、なんと、ほとんどの皆さんが首を横にふりました。

ーー一般的な思い込み(社会通念)と、実際は違うことも多々あるのでしょうね。では、社会通念を変えるにはどうしたらいいでしょうか?

上野:社会通念はとても強固なので、変えるのは難しいと思われますが、意外と簡単に変わるものなんです。例えば、制度や社会構造が変わり、人々がその制度を利用すれば社会通念が変わります。良い例は、介護保険制度。導入期は、「ヘルパーさんであっても他人を家に入れたくない」と渋っていた人達が、今は抵抗なくサービスを受けています。

リッチャー:私は日本で行政勤務していた時、地域住民に向けて、新しく制定される介護保険法・制度について説明する業務を行いました。その際、住民の方々から「介護を受けていないのに、なぜ保険料を支払わねばならないのか」と言われたことがあったんです。「でも、病気じゃなくても医療保険は払ってますよね。そして、病気になった時は医療保険のお世話になりますよね、介護保険も同じです」と彼らに説明しました。まさに、制度が人々の価値観をあっという間に変えていきました。

スイス在住ケアの専門家・リッチャー美津子さん

最後まで自分の意思や希望が尊重される社会とは

ーー2000年に介護保険制度が始まり、経済的にもマンパワー的にも家族や個人の負担が軽減され、それぞれに適した介護サービスを選択できるようになりました。

上野:介護保険制度の成果として、在宅ひとり死が可能になったことは大きいです。「在宅ひとり死はお金がかかる」と指摘を受けることもありますが、24時間誰かがぴったりはりついている必要はありません。定期巡回型訪問看護介護で1日に複数回入ってもらい、それに訪問診療と訪問看護が加われば自費サービスなし、医療保険・介護保険自己負担だけで可能だと事例が出ています。かつてはお金がないと在宅死は無理でしょう、と言われましたが、経験値が上がって、たいした負担なく、在宅で最期まで過ごすことができるようになりました。

リッチャー:日本では「在宅の限界」を理由に、最後は施設で、というのが主流ですが、おそらくほとんどの方が家で死を迎えたいと感じているのではないでしょうか。私も、最後は家がいいですね。

ーー最後まで自分の意思や希望が尊重されるなら、希望を持てます。

リッチャー:私が勤務するスイスの看護・介護施設では、個人の意思や希望を極力尊重する方針をとっています。起床時間からお風呂の時間まで個人の好きな時間で動いています。このやり方は、それぞれのペースにあわせられて、相手も快適ですから、じつは看護・介護する側も楽なんですよ。

上野:それ、すごくいいですよね。日常生活において、他人に管理されない「自律」はとても大切です。

社会学者・上野千鶴子さんとスイス在住ケアの専門家・リッチャー美津子さん
Profile 上野 千鶴子・リッチャー 美津子

(写真右)
富山県出身。社会学者、東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。著書に『家父長制と資本制』『近代家族の成立と終焉』『生き延びるための思想』(以上、岩波現代文庫)、『おひとりさまの老後』(法研/文春文庫)、『ケアの社会学』(太田出版)、『女の子はどう生きるか』(岩波書店)、『挑戦するフェミニズム』(江原由美子との共編著、有斐閣)、『当事者主権 増補新版』(中西正司と共著、岩波新書)などがある。
認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN):https://wan.or.jp/
――――
(写真左)
大阪府出身。看護師・ケアマネジャー、ジャムネット・スイス代表。日本で20数年、医療現場で臨床や訪問看護、行政の技術吏員として介護保険や福祉全般、介護保険事業所で管理者やケアマネとして勤務。現在、スイス東部の公立医療型ホスピス認知症グループホーム併設型高齢者・障がい者介護看護施設に介護スタッフとして勤務。アロマテラピー国際資格(IFPA)資格取得。スイスで外国人として生きることから見つけた介護や看護観を「フレーゲPflege®️」と名付け、医療介護の場、介護を担っている家族、看護学生への研修会を開催している。

みんなが読んでいる記事

LIFULL STORIES しなきゃ、なんてない。
LIFULL STORIES/ライフルストーリーズは株式会社LIFULLが運営するメディアです。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。

コンセプトを見る

#エイジズムの記事

もっと見る

その他のカテゴリ

LIFULL STORIES しなきゃ、なんてない。
LIFULL STORIES/ライフルストーリーズは株式会社LIFULLが運営するメディアです。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。

コンセプトを見る