年齢や立場に合わせた選択をしなきゃ、なんてない。

薄井 シンシア

新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの収束が見通せず、非常に厳しい状況が続く観光業界。そんな中、62歳にして外資系ホテルの日本法人社長に就任した人がいる。専業主婦から就職し、さまざまな業界を渡り歩いてきた、薄井シンシアさんだ。薄井さんは、17年間の専業主婦生活の後、47歳のときにタイ・バンコクのインターナショナルスクールのカフェテリアで、子どもに食事の指導をする係として仕事に復帰。2011年に日本に帰国後、電話受付のパートから、外資系ホテルを2社渡り歩く。その後、大手飲料メーカーで、東京2020オリンピック・パラリンピックに合わせて来日するお客さまをもてなすホスピタリティ担当に就任。しかし、コロナ禍でオリンピックが無観客になることが決まり失業。スーパーのレジ打ちのパートを経て、LOFホテルマネジメント日本法人社長に就任した。

内閣府が出している平成29年版高齢社会白書(全体版)(※)によると、高齢者の就業状況は、60~64歳の男性で77.1%、女性で50.8%、65~69歳の男性で53.0%、女性で33.3%となっており、60歳を過ぎても、多くの人が就業している。

とはいえ、60代になって初めて社長になる決断をする人は珍しいのではないだろうか。60代になると「一線を退いた後の老後をどう過ごすか」を多くの人が意識する一方、薄井さんは17年間の専業主婦を経て、企業に再就職し、今年62歳でLOFホテルマネジメントの日本法人社長に就いたのだ。

なぜ、コロナ禍で観光業界が苦境の中、そしてこの年齢で、大きな責任がのしかかるホテルの社長という仕事へと踏み出す決断ができたのだろうか。

※内閣府 平成29年版高齢社会白書(全体版)

幼い頃に学校で教わった、
自分の思いに向き合うことの大切さ

フィリピンの華僑の家庭で生まれ育った薄井さんは、小さい頃からドイツ人修道女が運営する学校に通った。学校では、何が正しいかを自分で考え、自分が正しいと思うことに沿って行動するということを教えられ、それが自身の決断の際の指針になっているという。

学校で必読書になっていた小説『アラバマ物語』。この本の主人公アティカス・フィンチが、薄井さんの価値観形成に影響を与えた。

アティカス・フィンチは、人種差別が根強く残る1930年代のアメリカ南部・アラバマ州の田舎町で、白人女性への性的暴行容疑で逮捕された黒人青年トムの弁護を担当した白人の弁護士。アティカスが黒人の弁護をするようになると、彼の子どもは学校で非難され、フィンチ一家は周囲の心ない人々から中傷を受ける羽目になる。そんな困難な状況でも、アティカスは弁護士としてトムの弁護を行い、無罪を勝ち取ろうと奮闘する。

「アティカスのように行動することは勇気がいるし、とても難しいことだから、みんながみんなアティカスのようにはなれない。でもなれないからといって諦めてしまうのではなく、自分の中の正しさを貫いたアティカスのような人間を目指すようになりました」

大学は名門フィリピン大学に進学した。もっと広い世界を見たいと留学を希望したが、「女に教育は必要ない」という考えの父に猛反対された。そんな中、学校の掲示板に貼られていたポスターを見て、国費で留学できるチャンスがあることを知り、20歳で日本に留学。東京外国語大学で学び、卒業後に貿易会社に就職。27歳で日本人の外交官の夫と結婚し、リベリアに渡った後、2年後に帰国し広告代理店に再就職。1989年、30歳のときに娘を出産し、専業主婦となった。

「娘を育てることが私の仕事」と専業主婦を選ぶ

最初に就職した貿易会社での仕事が大好きで、出産したときには「産休後は復職する」という思いが強かった薄井さん。学生の頃から、専業主婦にはならず、仕事でキャリアを積んでいくつもりだった。

しかし産休中のある日、腕の中で安心しきった表情ですやすやと眠る赤ちゃんを見て、「この子を育てること以上に、大事な仕事があるのだろうか」と思い、専業主婦になることを決意した。

「子どもは本当はお母さんと一緒にいたいんです。でも私が仕事をしていたら、全力で取り組む性格だから、仕事をしている間、子どもに我慢をさせてしまうし、家族のことを優先することができなくなる。私はそれが嫌でした。私はそのような価値観や性格を考慮して、専業主婦になることを選びました」

家事をキャリアと捉え、徹底的に効率化できるように工夫していった。娘と過ごす時間はとても幸せだったが、そんな至福の時間も17年で終わりを告げる。娘が米国の大学に進学することが決まり、薄井さんの元を離れることになったからだ。

今後の人生をどうしようか思案していたとき、娘が中学3年から高校卒業まで4年間通っていたバンコクのインターナショナルスクールのカフェテリアから、仕事をしないかと誘いがあった。薄井さんはこの学校で4年間PTAに携わり、2年間は会長を務めた。そのときの働きぶりを見ていた学長が声をかけてくれたそうだ。飲食業の経験はなかったが、「まずは何事もやってみる」の精神で引き受け、3カ月後にはカフェテリア全体のプロデュースを任されるまでになった。

インターナショナルスクールのカフェテリアで働いていたときの薄井さん

バンコクでは実績を上げたが、日本に帰国した後の再就職には苦戦した。ようやくたどり着いたのが高級会員制クラブの電話受付の仕事だった。そこで自らの仕事以外に、人がやりたがらない仕事を積極的に引き受け、実績を上げていく。後に外資系ホテルに転職したときも、正社員になるのではなく、1年ごとの契約にし、実績を基に翌年の契約の交渉をしていった。何度か転職をしているが、その決断の際も必ず自身の価値観、優先順位、キャパシティーを考慮して決めてきた。

キャリアを築くのは子育てに専念してからでも決して遅くはない

そんな薄井さんは、仕事と家庭の両立が当たり前という今の風潮に懐疑的だ。

「今は人生100年時代なのだから、みんなが育児と仕事の両立を目指すのではなく、育児をやり終えてから仕事に復帰してキャリアを作るという選択肢があってもいいのではないでしょうか。今は両立できている人が優秀という風潮がありますが、62歳の自分と、40代、50代で両立している人とどっちが仕事に集中できるかといったらそれは間違いなく仕事に専念できている自分。仕事の花を咲かせるのはその人のペースでいいんです」
もちろん薄井さんが子育てをしていたときと違い、共働き世帯の多くは生活のために仕事をしており、夫婦のどちらかが家事と育児だけに専念できる家庭はそう多くはないのかもしれない。しかし、例えばMBA取得のために休職する人がいるように、無理に仕事と子育てとを両立せず、仕事から離れて子育てに専念してもよいと薄井さんは考える。それほど、子育ては人生において大切な時間だというのだ。無理に共働きにこだわらなくても、子育てが落ち着いた後でキャリアを築くことは不可能ではない。薄井さんは自身の経験からそう提案する。

「やる気」と「学ぶ意欲」がある人にチャンスが与えられる社会に

2021年5月から日本のLOFホテルマネジメントの日本法人社長に就任したが、一度はこの仕事を引き受けることを断ったそうだ。

「話を頂いた当初、実際にホテルの場所を見に行ったとき、そこで仕事をすることに魅力を感じられずにいました。ただ、面談をしているうちに、それは自分にホテルの責任者が務まるのか自信が持てないだけだと気づきました。そこからいろいろな可能性が見えてきたので、引き受けることにしました」

就任する際の条件として「社長として採用権限を一任すること」を提示した。採用の権限を持つことで、やる気があってもチャンスが与えられない環境にいる人と共に働き、活躍してほしいと考えたからだ。

日本では一度社会の一線から退いた人など、やる気はあってもさまざまな事情から非正規雇用しか選択肢がないケースもある。

そのため薄井さんは、元専業主婦やシングルマザー、日本語が得意ではないミックスルーツの人などを観光業未経験であっても積極的に採用している。LOFホテルマネジメントでの採用基準は「やる気」と「学ぶ意欲」があるかどうかだけで、経歴やバックグラウンドにかかわらず薄井さん自身の目で「成功できそうかどうか」を見極める。

職場では徹底的に実力主義にこだわり、努力次第でいろいろなポジションに就ける可能性を用意している。管理職経験のない人も、薄井さんがかつて支えてもらったのと同じように、支えている。

「専業主婦(夫)やシングルマザー(ファザー)をあえて優遇する必要はないと考えていますが、やる気のある人、学ぶ意欲がある人には平等にチャンスを与える社会であってほしい。LOFホテルマネジメントは学ぶ気持ちさえあれば、最高の勉強の場になる。多様な価値観にもまれるし、実力主義なので、ここでの経験は絶対にどこにいっても役に立ちます」

薄井さんはさまざまな決断をしてきた中で、常識と考えられていることとは真逆の選択をすることも少なくなかったが、なぜちゅうちょなくそういう決断をすることができたかと聞くと「自分のことをよくわかっているから」だと話し、次のように続けた。

「能力以上に予定を入れてしまい、必死にそれをこなしているだけの人も多い。自身の価値観・限界・能力などに向き合い、じっくり考える時間を持つべきです」

自らを知り、そして、思いに正直に、できる限りのことに実直に取り組んできた薄井さんからは、自分の人生を歩み続ける強さと輝きを感じ取れたような気がした。

目標やビジョンは持っていませんでしたが、いつもその時々で自分の価値観に正直に行動してきました。だから過去の選択には一切悔いがありません。確かにすべてが思い通りというわけではなかったけれど、私は最高の人生を送ってきました。社会やメディアが示す当たり前や常識をそのまま受け入れるのではなく、自分の頭でよく考えて決めていくことが大切です。そのために必要なのは価値観・能力・限界など、自分のことをよく知ることです

編集協力:「IDEAS FOR GOOD」(https://ideasforgood.jp/)IDEAS FOR GOODは、世界がもっと素敵になるソーシャルグッドなアイデアを集めたオンラインマガジンです。
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薄井 シンシア
Profile 薄井 シンシア

1959年、フィリピンの華僑の家に生まれ、国費外国人留学生として20歳で来日。東京外国語大学を卒業した後、貿易会社で2年間勤務。日本人で外務省勤務の夫と結婚し、海外を渡り歩きながら専業主婦として家事・育児に励む。娘のハーバード大学入学と同時に就職活動を開始し、47歳で再就職。タイの学校のカフェテリアマネージャー、会員制クラブの電話受付のパート(日本)を経て、外資系ホテルに転職、勤続3年で営業開発担当副支配人になる。コロナ禍でリストラを経験するも、2021年、LOFホテルマネジメント日本法人社長に就任。多様な年齢、経歴、国籍の人材が働きやすい環境づくりに積極的に取り組む。著書に『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』(KADOKAWA)など。10月に新刊『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)が発売予定。


Twitter
@UsuiCynthia

ウェブサイト
https://cynthiausui.work/

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