文化が違うと分かり合えない、なんてない。
世界最大規模の祝祭である“本場リオのカルナヴァル”をはじめ、20年以上、ブラジルの音楽シーンでも演奏し続ける日本人ミュージシャン。それが KTa☆brasil(ケイタ ブラジル)さんだ。 経済や文化が内向きで、あらゆることが国内で完結することの多い日本で、サンバを通じて世界と日本をつなげようとするケイタさんの活動は、私たちに自分自身の殻を打ち破ることの大切さを教えてくれる。
「日本をどう思いますか?」「日本の好きなところはどんなところですか?」。海外のタレントやスポーツ選手が日本メディアに取材を受けると、必ずこんな質問が飛ぶ。テレビ番組では、日本に来る外国人を集めて日本の感想を聞く番組が人気だ。日本人は、世界からどう見られているかを気にしている。 一方で、日本の方から世界を、広く深く見ようとする動きは少ない。例えばブラジルを代表する音楽文化「サンバ」はどうだろう。広大なブラジル各地の各先住民族に加え、欧州、アラブ、アフリカ、アジア……世界中からの移民と混血による人種のるつぼである大国ブラジルの代表的な文化であり、楽器の生音で表現され、ぶつかり合うようなリズムを持つこの音楽。ロックやポップスといった、日本の中でも独自に発展したジャンルと比べて正面から向き合う人は少ない印象だ。
東京生まれの日本人であるケイタさんは、19 歳から 22 年間ブラジルと日本を往復し続けている。ブラジルを代表する国民的なサンバの名曲や世界的なプロミュージシャンを数多く輩出する名門サンバチームImpério Serrano(インペーリオ・セハーノ)に打楽器奏者として所属。サンバの本場であるリオのカルナヴァルのリーグ戦に、採点対象として参加し続け、知られている。「住む世界、歴史、文化が違う」「ポルトガルやアフリカ系ブラジル人の血筋がないと本物とは言えない」・・・そんな既成概念を物ともせず、本場のサンバの世界に飛び込み現地の大物と共演、日本とのつながりを作り続けるそのバイタリティの裏にあるストーリーをひもといてみたい。

持っていたのは
「サンバへの気持ち」だけだった
ブラジル渡航
サンバの本場=リオデジャネイロに興味が向くのは自然な流れだったというケイタさん。好きな音楽やアートの現場を確かめようと留学したアメリカ滞在時の実体験から、スペインや中米・南米〜ラテン世界へとより興味を強く持つように。留学期間中、特に仲良くなったブラジル人たちと、ブラジルでの再会を誓い、帰国後に半年間アルバイトをして貯めたお金で一人ブラジルへ。「当時は日本でさえインターネットがまだ普及していない頃。僕はポルトガル語が全くできず、英語での手紙と日本からの高額の国際電話で少しやりとりした友達だけを頼りに行ったんです。リオの安宿に着いてアメリカで僕をリオへと誘った友人に電話してみて分かったんです。カルナヴァルにおいでよと言ってくれた友人が住んでいたのはリオから三千キロ以上離れたアマゾン川の近くのベレンという町であったことを。ブラジルが広大な国土があるなんて知らずに、行けば友達に会えると思っていたんです。これでコネもツテも何もなく、ブラジルで天涯孤独なことに気付いたんです」

到着日の昼間、ケイタさんは宿のすぐ近くの交差点で警察官が泥棒らしき人物を追いかけて発砲している現場に遭遇。さらに現地の不良グループに絡まれたり。目的であるカルナヴァルがどこで行われていて、どうやって行けばよいのかも分からず困り果て、下町の安宿に一日引きこもっていた。そこで助けになったのが、浪人時代やアメリカでも自分を救ってくれたサンバだった。「ブラジル人は困っている人を放っておくことはせず、とにかく話しかけてきてくれます。でも、僕は一言もしゃべれなかった。だから、安宿の入口で話しかけてくれた白タク運転手のおじさんと物売りのおばさんの前で、アメリカでやった様に、日本で聴いて覚えたサンバを歌って踊って見せたんです。『僕は本気で本場のサンバを求めて来たんです!』って伝わればいいなと思って」。サンバを歌い踊れば、どんな人でも笑顔になった。「物珍しさが大きかっただろうとは思いますが、サンバを歌ったら本当にうれしそうなんです。そうやって出会った運転手のおじさんが、営業時間外に僕を相手してくれて、リオデジャネイロのいろいろなところを案内してくれ、いろいろな人に会わせてくれました。そのたびに、『お前、また歌え!踊れ!』ってやらされて(笑)。素顔のリオデジャネイロを体験させてもらいました」
自分ではどうにもできなかった現地のしきたりや情勢
日本に戻り、社会人になるもサンバへの夢は捨てられず、打楽器奏者になることを決意して会社を退職。背水の陣を敷き再びブラジルに渡ったケイタさんは“サンバの本場=リオの御三家”に数えられ、歴代多くの名曲とプロミュージシャンを輩出している名門サンバチーム「インペーリオ・セハーノ」の打楽器オーディションを受け、見事合格。しかし、決して順風満帆ではなかった。
サンバとはそもそも共同体文化。そのコミュニティーは元々奴隷民とされたアフリカ系住民が住む下町地域に根ざしている。メンバーとして関われば関わるほど、困難が待ち構えていた。日本にいると想像もつかない貧困問題と治安、マフィア利権の抗争に無関係でいることはできなかった。「伝統あるチームの一員としてリオのカルナヴァルで演奏、夢の舞台でパレードする事ができました。でも、TV局に何度も大きく紹介されたり、世界的な大御所に気に入られたり、ブラジル社会で目立てば目立つほど、同時にそれをよく思わない地元/共同体の人も中にはいました。オーディションに落ちた人たちをはじめ、ねたみや東洋人がサンバを演奏することへの偏見もありました」
カルナヴァルが終わると日本に帰国し、音楽シーンやメディアでサンバやブラジル音楽を広める活動を開始したケイタさん。その前例のない活動は日本でも注目を集めはじめた。「最初からうまくいっていたわけではありませんが、僕を面白がってくれる人が徐々に増えて、イベント出演の機会も徐々にもらえるようになりました。そして、僕のパフォーマンスをみたMTVの人が僕をオーディションに呼び、その後番組を持たせてもらうことになりました」。日本での活動はブラジルの音楽業界でも認められ、ブラジルに戻るとさらに沢山のTV取材を受けた。

そんな状況が、サンバの本場=下町のサンバチームの意気盛んな不良メンバーたちからよく思われない要因になってしまう。しかもそのときチームは地域のマフィアによる抗争に巻き込まれ分裂し、死者も続出する最悪な状況に。特殊な現地情勢やあつれきに、見た目だけで目立つ外国人という立場で翻弄(ほんろう)された。ケイタさんは内部抗争が激化していた時期のインペーリオ・セハーノの打楽器隊リーダーから排他され、数年間打楽器隊では演奏させてもらえない状況が続いた。
本当の意味で認められたサンバへの思い
それでも、ケイタさんは日本とブラジルの往復を止めることも、インペーリオ・ セハーノを去ることもなく、多くの実力者が内部抗争を嫌い他のチームへと続々と離脱する中、チームに残った。「元々順風満帆な人生ではない中でやっと出合えたサンバ、そしてたどり着いたインペーリオを自分から取ったら何も残りません。何より、日本にももっと広い層にサンバを伝えたいし、やめてしまったらそれもかなわないから」
数年後、大きく風向きが変わったのは 2016年のリオデジャネイロ五輪。長期にわたるブラジルでの活動は世界的に評価され、日本が国をあげて設置したパビリオン「JAPAN HOUSE」での音楽フェス11本の全プロデュース依頼を受けた。そこで行われるライブシリーズに、ケイタさんは歴史的に日本と縁が深いインペーリオ・セハーノの出演をブッキング。「インペーリオのみんなが、感激してくれたんです。『ありがとうケイタ! オリンピックで日本政府の仕事ができるなんて生涯の誇りだ』と。 結局、外国人である僕のことが理解されにくかったり、一部の人にねたまれていたのも、彼らがいる貧しく劣悪な環境では仕方がないことだったのかもしれません。でも、地元で世界的なオリンピックのイベントがあって、他国の政府からの出演依頼がきて初めて直接的に伝わったのかもしれません」

サンバは、世界中にある悲しみや苦しみから抜けるドアを開けるためのマスターキー
「サンバとはブラジルの歴史の象徴です。大航海時代にはじまり、18〜19世紀に、アフリカから奴隷民としてブラジルに連れてこられたたくさんの人々や、世界各地からの“壮大なブラジルへの移民と混血の歴史”を経た上で生み出された大きな結晶と言えます。その苦しみや悲しみを代々生き抜き、多様な喜怒哀楽と世界中の血とが人種を問わず混ぜ合わされ、結果的に生み出されたリズム・メロディー・踊りによるものです。だから、“サンバは多様な人種文化社会で生まれた力強い対話文化”なのです。

例えば、ロンドンの老舗サンバチームに参加したときの話です。ロンドンは外国人労働者が集まる超多国籍大都市です。イギリス人のリーダーに案内され、打楽器を持って輪になったメンバーたちを紹介されました。『ここにはロンドン在住のブラジル人のメンバーも数人いるが、ほとんどは世界各地から、家族を離れ働くさまざまな肌色・毛色の人たちだ』と。練習が終わり、パブでの定例の飲み会にも招待されました。みんな、自分の故郷の事や、仕事や思いを語り、サンバで合奏する面白さやサンバチームの活動によるいろいろな出会いと発見について目を輝かして話してくれました。異なる人種による文化背景や価値観の違いや、境遇も異なる立場であっても励まし合ったり、情報交換や日常生活でも助け合ったりと。サンバチームでの共通の時間を過ごすことで、対話・共有・共感を共にするコミュニティーを実現していることに驚きました。サンバが彼らの生きるすべとなっていることを目の当たりにし、それは“かつて異人同士ばかりだったブラジルの始まり”の姿と重なりました。

このように、サンバは人種や国境、歴史などいろいろな違いのある人を笑顔と友情、情熱へとつなぐ威力にあふれています。だからこそ、経験やノウハウ、何より対話と理解が不足することによって生まれる偏見、差別が生み出す悲しみや苦しみを抜け出し、“世界各地への理解と共感への扉を開けられるマスターキー”になれる可能性があると、僕は思うようになったのです」
史上初の外国人打楽器指導者、史上初ののれん分けに
2017年、ケイタさんは名門インペーリオ・セハーノから打楽器指導者としての正式な資格証と、門外不出のチーム伝統の団旗が授与された。外国人に対して正式に指導免許や団旗が与えられたのは、サンバ100 年の歴史で初めてのこと。ブラジルの大手新聞やTV番組で取り上げられ話題となった。
「長年、僕を認めたくなかった地元下町で生え抜きの総大将である同い歳の打楽器リーダーもついに受け入れてくれて、チームを離脱せずに踏ん張った年月が報われました。日本に持ち帰った免許や、団旗に恥じぬよう、一層両国の交流や世界の人たちの相互理解のために力を尽くしたい。リーダーを日本に呼んで、一緒に面白いことを企画したい、というのも夢の一つです」

濃密な人生の中で、“サンバ”という手法による情熱を持ち続けるケイタさん。そんな彼が、人生の岐路にいるかもしれない読者に向かって声をかけるならどんな言葉だろうか。
1977 年、東京生まれ。打楽器奏者、DJ、MCとして内外のライブや作品に参加、イベントやメディアで活動。ブラジルやラテン世界に縁の深いサッカーのイベント、番組、寄稿でも活躍。1997年より22年にわたり日本とブラジルを往復しながら活動。名門サンバチーム「インペーリオ・セハーノ」では2001年より活動するほか、サッカーで世界的に有名なクラブチーム「CRヴァスコ・ダ・ガマ」の応援団サンバ打楽器隊/社会慈善事業でも活躍しスタジアムの殿堂に刻名されている。CBF(ブラジルサッカー連盟)の公式TV番組にて外国人として初めて特集される。欧米、アジア各地でも広く活動。Newsweek 誌が選ぶ「世界が尊敬 する日本人 100」に選出。共著書として『リオデジャネイロという生き方』 (双葉社)があるほか、多くの媒体に寄稿している。
公式サイト https://keita-brasil.themedia.jp/
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