社会が決めた男らしさに合わせなきゃ、なんてない。【前編】
個性的なファッションや音楽を通じて、そしてパパとしても注目を集めるりゅうちぇるさん。過去にはまわりに合わせて自分を隠していた時期もあったと言う。今でこそ自信を持って「自分らしさ」を表現するりゅうちぇるさんに、これまでどんな苦悩があったのか、そしてどのようにして乗り越えていったのか、お話を伺った。
連載 社会が決めた男らしさに合わせなきゃ、なんてない。
新型コロナウイルスによる外出自粛が続く中、営業を続ける店や他県ナンバーの車などを攻撃する「自粛警察」が発生し、日本の同調圧力の問題が浮き彫りになった。こうした同調圧力はコロナ禍だけの問題ではない。日常生活の様々な場面で、自分たちが考える基準からはみ出ていたり、異なっていたりする人たちに対して攻撃的になってしまう風潮がある。男性は強くなくてはならない、女性は気遣いができなければならない、などと言ったジェンダーにまつわる既成概念に無意識のうちに縛られている方も多いのではないだろうか。教育現場においても、黒板に向かって並べられた机に同じ制服を着た生徒が着席し、教師の話を静かに聞く風景が一般的だ。みんなが同じであることを重視する日本の風潮の中で、疲れやストレスを感じる人も多く、今改めて「自分らしさ」を解放した生き方に憧れが生まれている。今回は、ファッションや音楽を通して自身を表現するりゅうちぇるさんに、自分らしく生きるためのヒントを伺った。
ryuchell(りゅうちぇる)さんは2023年7月12日にお亡くなりになりました。
生前中のご厚誼に深く感謝申し上げますとともに、心よりお悔みを申し上げます。
もう誰にも文句を言われないぐらい
自分を出し切ろう
りゅうちぇるさんと言えば、斬新なファッション、可愛らしい笑顔、物腰の柔らかい印象を持たれる方が多いかもしれない。しかし、昔から今のような見た目やマインドであったわけではないと言う。
「テレビのイメージがあると思うので、昔からずっとハッピーそうと思われがちなんですけど、学生時代は人との違いに悩んでいました。学校って『ここでちょっとしくじったら人生が全て終わる』じゃないけど、小さい世界で生きていかなきゃいけないじゃないですか。小さい世界で作られた『かっこいい』の基準がひとつだけとか、『可愛い』の基準もひとつだけ、『おしゃれ』の基準もひとつだけ、そういう基準にすごく生きづらさを感じていて。自分のことにそこまで自信がなかったし、人と一緒で安心したくてみんなに合わせるのに必死だったんです。でも、心の中にあるもの、頭の中で考えているものは昔からこのままだったので、自分らしくいたいという気持ちと、自分の好きな自分でいたらまわりに受け入れられず孤独になってしまうのではないかという気持ちで、葛藤はずっとありました。」
必死にまわりに合わせていた中学生時代
孤独にならないために自分を隠しても、結局は孤独だった
自分らしくいることと、孤独にならないためにまわりに合わせることの間で葛藤を続けていた学生時代。何が転機となって自信あふれる今の姿に変わっていったのだろうか。
「自分が孤独にならないために人に合わせる手段を選んで、つるむ友達はできたけど、本当の友達はできなかった。本当の自分を誰にも見せないから結局孤独だったんです。でもそれは、怖くて自分を出せない僕のせいでした。このままでは楽しくないと思っていた時に、TwitterやInstagramで原宿のアパレルショップで働いている人たちを見て、衝撃を受けました。こんなド派手な格好をしていても許されるような原宿という街がまず日本にあるんだと。その時から、高校受験では東京の学校を志望して原宿に行きたいと思うようになったのですが、親が高校卒業までは沖縄にいてほしいと言っていたので、知っている人が一人もいない学校に行ってみようと思い直し、中学の友達が一人もいない高校に進学しました。校則のゆるい高校を自ら選んで、自分の心に描いていたものを爆発させたという感じでしたね。」
本当の自分を抑えて上辺だけの友達をつくっても楽しい学生生活は送れなかったりゅうちぇるさん。そこで、思い切って環境を変えることにしたと言う。しかし、それまでの彼を知っている中学時代の友人からは風当たりも強かった。
「メイクは中学の頃から人知れず練習していました。メイクをした姿を出した時に中学校の友達からは『あいつやばくない? めっちゃ変わってる、高校デビューだ』みたいなことを言われました。これまでは自分で本当の自分を隠していたからこそからかわれるのが怖かったけど、せっかく地元の子が一人もいない学校に行けるので、もう誰にも文句を言われないぐらい自分を出し切ろうと思えました。メイクもちゃんと極めようって。そういう感じでSNSもはじめて、自分を出そうと思い描けたのが、ようやく中学3年生の終わりから高校1年生ぐらいですね。」
人と違うことが才能と信じて突き進んだ高校生活
SNSをはじめて、地元以外の人への発信をはじめた。これまでと同じような批判もあったが、そこでめげずにいられたのは共感してくれる人の声だった。
「その当時からSNSで自分のコーディネートや自撮りをあげていました。高校生ぐらいの時に知らない人から『男のくせにメイクして』という声は来るようになっていたのですが、『可愛い』と言ってくれる沖縄以外の東京のフォロワーさんやファンの方もいて、自分のことをわかってくれる人はいると思うことができ、自信に繋がりました。」
覚悟をもって自分らしさを解放したことで得たものは大きかったと言う。
「学校ではからかわれることもあり、人と違うと思われていたけど、この『人と違う』ことが才能だと言ってくれる人が社会にはきっといて、人と違うからこそ仕事にできるかもしれない、誰かに何かを訴えられるかもしれない、そういうのができたらいいな、というようなことをボワッと思い描いていました。それで強くなれたと思います。みんなと同じ人はスターになれないって自分に言い聞かせて高校生活はしのぎました。そういう風に自分らしく生きていったら、本当の友達ができたんです。中学校の時とは全く違いました。からかう人も本当に減って。今でも仲が良い大親友や人生の友ができて。高校にいた人のタイプは中学校の時と変わりはなかったのに、自分を出すことで本当に変わったんです。」
自分らしさを出し切った高校時代。卒業式での一枚。
そして、高校を卒業する時には大きな自信に繋がっていた。
「Twitter にも上げていて今も写真が残っているんですけど、僕、高校の卒業式で学年一花束をもらったんですよ。沖縄で『北高のりゅうちゃん』と言えば誰でも知っているというぐらいでした。Twitterのフォロワー数もその当時で3万人いました。よく言うならば『可愛い男の子』、悪く言うならば『なんだ、このメイクしてる男は。沖縄なの?』みたいな感じで、沖縄県内の人も興味を持ってフォローしてくれていました。」
なりたい自分になれる場所に行く
その行動が出会いを生み、愛や仕事に繋がった
自分らしく生きることで本当の友達を得た高校生活。自信をつけて向かった先は、中学時代から憧れていた街、原宿。そこでの出会いが今の自分に繋がっていると言う。
「原宿ってキラキラした街に見えていたんですけど、上京してみると、意外にも地方からいっぱい人が来ていることに気づきました。でも、やっぱり沖縄とは違いました。沖縄では、友達はできたけど、一緒にファッションを楽しめる友達はそこまでできなかったんです。原宿ではそれができた。みんなファッションが好きで同じ思いを持った子達が地方から来ているから、フィーリングの合う仲間ができたと思いました。そこで僕は運命の人とも出会えた。なりたい自分になれる場所に行くと、本当にいい出会いをするんだなって気づきました。行動が出会いになり、仕事になり、お金になり、愛になりという風に広がってくんだなって思いました。」
気づけば原宿の枠を飛び出した
心はガラスからプラスチック、そしてゴム製へ
原宿で運命の人と出会い、ファッションで繋がる仲間もできた。そんな中、気づけば原宿の枠を超えてテレビの世界へ入ることになったと言う。
「原宿の古着屋で働きはじめてから読者モデルもしていて、原宿では声をかけられるぐらいのレベルでした。それで、気づいたらテレビに出ることになって。原宿の枠から出てテレビに出るってすごく嬉しいことだったんですけど、実は僕は当時そこまで望んでいなかったんです。やっぱり原宿以外では『何なんだ、あのファッションは』という印象を持たれるものなので、すごくドキドキしていました。その当時は、アパレルショップの店員になってバイヤーになる夢があったので、芸能人になりたいとは思っていませんでした。事務所に入ったのは、たまにイベントに出てお小遣い稼ぎができればという理由からでした。テレビの話をいただいた時は意外だったんですけど、収録は1回きりだと思っていたし、いつかぺこりんと子どもができた時に『僕たち若い時こうやってテレビに出ていたんだよ』って見せられるかなぐらいの感じで、思い出作りというかデート感覚でした。」
テレビに出演しはじめた頃のりゅうちぇるさんとぺこさん
お小遣い稼ぎではじめた芸能活動。学生時代と同じように風当たりは強かった。しかし、りゅうちぇるさんの心は学生の頃より随分と強くなっていた。
「テレビに出るようになって、すごくファンになってくれる人もいれば、服装や喋り方で決めつけられることもありました。でも、僕には中学の時にいろいろ言われた経験があったし、高校でも、原宿でも、SNSで知らない人から批判を受ける経験はあったので、メンタルはもう強くできあがっていました。テレビに出るようになって叩かれる量は増えたけど、その分、心もガラスからプラスチックになり、今ではゴム製になって、別にビクともしなくなりましたね(笑)。」
~社会が決めた男らしさに合わせなきゃ、なんてない。【後編】につづく~
取材・執筆・編集:IDEAS FOR GOOD 内海有祐美
撮影:須合知也
1995年沖縄生まれ。幼い頃から「普通」の男の子像からはみ出している自分に生きづらさを感じ、ありのままの自分を表現することを決意して、高校卒業後に上京。原宿にある古着屋で店員として働く傍ら、読者モデルとして活動。個性的なファッションとキャラクターで注目を集め、テレビ出演をきっかけに全国区のタレントに。2016年にファッションモデルのオクヒラテツコ(ぺこ)と入籍し、2018年に第一子が誕生。RYUCHELL名義での音楽活動やメディア・SNSを通じてメッセージを発信、さらに自身のYouTubeチャンネルでメイクやライフスタイルも発信している。
Official YouTube https://www.youtube.com/channel/UCJ_12htuuUT4-yuRS21zMZA
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