苦手なことは隠さなきゃ、なんてない。

「日本一の運動音痴」を自称する郡司りかさんは、その独特の動きとキャラクターで、『月曜から夜ふかし』などのテレビ番組やYouTubeで人気を集める。しかし小学生時代には、ダンスが苦手だったことが原因で、いじめを受けた経験を持つ。

高校生になると、生徒会長になって自分が一番楽しめる体育祭を企画して実行したというが、果たしてどんな心境の変化があったのだろうか。テレビ出演をきっかけに人気者となった今、スポーツをどのように捉え、どんな価値観を伝えようとしているのだろうか。

平均寿命は伸び続け、「人生100年時代」といわれて久しい。

「100年」を豊かに生きるためには適度な運動を続け、健康寿命を伸ばすことが大切だが、子どもの頃に体育の授業が苦手で運動嫌いになったままの人も多いのではないだろうか。体育では、「前ならえ」をして周りに合わせ、同じダンスを踊り、チームスポーツでは和を乱さないように振る舞うことが求められてしまう。

本来は、運動が苦手でも自分のペースで楽しめればいい。子どもの頃の苦手意識を持ったまま、長い人生で運動から遠ざかってしまうのはもったいない。

郡司さんは運動が苦手なことをきっかけにいじめを受ける経験をしたが、高校生で転機を迎えた。何がきっかけで、「苦手な運動」との距離を詰められたのだろうか。また、テレビ出演を経て人気者になった彼女が伝えたいこととは。

運動が苦手でも、自分が一番楽しめる体育祭をつくればいいと思った

関西出身の郡司さんは、小学2年生まで男子とケンカをして先生に怒られては、廊下に立たされるような活発なタイプだった。しかし3年生のときにアイドルグループ「ミニモニ。」がはやったことで、状況が一変した。

「みんながチェックのスカートを履いて、ダンスをマネして踊っていたんです。私だけは同じ動きをしようとしてもできなくて、練習してみたんですけど、どのポーズからダンスを始めればいいかわからないし、何をやってもタイミングが遅れちゃうんです。一緒に踊れないから、『じゃあ観客でいいよ』と言われて、観客をやっていましたが、つまらないから観客もやらなくなって。それで本を読むふりをしてみんながやっているダンスから逃げました。『モモ』や『西の魔女が死んだ』を教室で読んでいるふりをしてやり過ごしていましたね」

運動は、子どもにとって重要なコミュニケーション手段の一つだろう。運動が苦手なことで、人間関係に困っている子どもはきっとたくさんいるはずだ。郡司さんは、その後もダンスでつまずき、いじめを受けてしまうことになった。

「小学5年生のときに、体育でダンスの授業があったんですけど、私だけついていけなくて、いじめられました。机の上に黒い手紙が置かれていたり、『おまえ学校来るな』と言われたり。運動ができるかどうかが、“スクールカースト”※に影響しているんでしょうかね。それでどんどん発言権がなくなってしまって。

とにかく、ダンスの呪縛から逃れられなくて苦しかったですね。地元の高校に入学してすぐにダンスが苦手なことがバレちゃって。1年生のとき、体育祭でダンスをする演目があったんですけど、私だけいつもワンテンポ遅れるんです。それでリーダー格の子に目をつけられちゃって。『一人で踊って』と言われて、40分ぐらいみんなの前で踊らされたことも。それからもうずっと苦しいだけの1年間でした。『自分は運動ができないからもう学校に行かない方がいい』『人としてだめだ』と思い込んでいました」

※スクールカースト
中学・高校・大学生に見られる学園・教室内の序列のことで、人気度や力関係を表したヒエラルキーの概念。

自分が一番楽しめる体育祭をつくる

転機は突然やってきた。高校1年の終わりに父が転勤になり、家族で関東へ引っ越すことになったのだ。転校先の高校には、体育祭がなかった。運動が苦手なはずの郡司さんは、何を思ったのか生徒会長になり、体育祭をつくることにした。コンセプトは、「自分が一番楽しめる体育祭」だ。

「体育祭をつくることを公約にして生徒会長に立候補したら、当選しちゃって。転校前の関西の高校生活がしんどかった分、新しい高校生活はリフレッシュして楽しもうとポジティブな気持ちに切り替えられたのかも。でも、『運動が苦手だから、体育祭の競技が何もできないじゃん』と気づいて(笑)。じゃあ、自分が一番楽しめる体育祭をゼロからつくっちゃおうと考えました。

『どんな競技がやりたいですか?』と目安箱を置いたんです。ありきたりな競技じゃなく、自由な種目がいろいろと入っていましたね。例えば、スリッパを重ねたものを持って走る『スリッパリレー』は、走者が次の人にスリッパをどんどん重ねていって、走るのが苦手で遅い人が最後に回ることで、ただ単に走るのが遅いのか、スリッパのせいで遅いのかわかんない状況にさせるんです(笑)。

それから、『馬跳びリレー』では、苦手な人の番になったらみんながすごく小さくかがんで、ほとんど跳べなくても進めるようにしていました。7人8脚では、転んでしまっても、誰が失敗したかはそんなにわかんないんですよね。

目安箱は匿名にしていたのですが、意外とみんな、運動が得意な人のための体育祭を望んでいるわけではなかったことに気づけました」

テレビ出演をきっかけに、「運動音痴」が人気になった

街頭でテレビのインタビューを受けたときに披露したスキップや縄跳びの個性的な動きが、全国放送で流れた。ここから郡司さんは一躍、人気者となった。

「自分の名前でSNSを検索すると、放送を見た人たちからの反響がものすごくて。私の運動音痴を見て喜んでくれる人がいるってわかって、すごくうれしくなっちゃって。運動できないことでこんなに楽しんでもらえるのかと驚きました。

これまでいじめの経験もあって、運動ができないことを隠したり、できるふりをしたりしてきました。ひた隠しにしてきたことを一気に全国放送で流されたんですけど、楽しんでもらえることがわかって『今まで隠してきたのはなんだったんだろう』という感じでしたね」

苦手なことをさらけ出すのは、難しいことだ。郡司さんは、なぜ苦手なことを楽しんでもらい、笑顔でいられるのだろうか。

「私は運動に限らず、日常のいろんなことが不器用な方だと思っています。そんな自分と世間をつなげていくために、“笑い”を大切にしています。

きっかけは、高校2年のときに出会ったルーマニア名誉領事の小林学さんでした。高校1年のとき、引っ越し先の近所にあった在横浜ルーマニア名誉総領事館に訪れたところ小林名誉領事に気に入っていただき、アシスタントをさせていただいたご縁があるんです。長らくルーマニアと日本の友好に貢献されてきた方なのですが、偉ぶることもなく子どもから大人まで全ての人に対等に接する方で、鼻眼鏡をかけておどけてみせるなど笑いを交えて海外の人とコミュニケーションする姿に感銘を受けました。『人とつながるときは必ず笑いでつながれ』と教えてくださり、私も小林さんのように人と関わるときは“笑い”でつながりたいと思うようになりました。だから、YouTubeの配信動画もみんなに楽しんでもらえるような笑える内容にこだわっています。

YouTubeやSNSって、中傷やネガティブな言葉の方が目につきやすく、届いてしまう傾向がありますよね。でも、私はやっぱり“笑い”でつながりたいので、明るくて楽しい動画などを発信していきたいなと思います」

郡司さんは、誰かと競ったり迷惑をかける心配をしたりしなくてもいいスポーツは、日常の中にたくさんあると言う。気づかせてくれたのは、かつて学校の教員をしていたときに出会った、障がいのある生徒だった。

「新卒で勤めた特別支援学校で、教師をしていた時期があるんですが、自閉症の子の中には急に踊りだす子がいて。そのダンスがいつも同じようにも見えるんですけど、かわいくてかっこよくて面白い不思議な魅力があって。今の自分を保つために踊っているのがなんとなく伝わってくるんですね。自分らしくあるために、そういう動きをするんだな~って。

実は私、家でよく踊っているんですよ。感情が高ぶったときとかに。実はみんな、ルールや制約に縛られない場所では、自分の思うように好きに踊ったりしているんじゃないですかね。子どもの頃、横断歩道の白いところだけ渡ってみたり、マンホールを全部踏んで歩いたりしませんでしたか? スポーツにある『強くならなきゃ』『うまくならなきゃ』といった、楽しむだけではだめで勝つことを目指すべきという価値観を、緩やかにしてもいいなって思います。そうしたらみんな動きが自由で軽やかになるんじゃないかな」

郡司さんは、自分自身の姿を通して、物事のハードルを下げることを志す。

「私はボールが顔面に向かってくることが結構あって、それが奇跡的頻度だなと思っていました。ボールを顔で受け止めるのは、たぶん5回以上は経験していますね。印象的だったのは、ハンドボールで私がキーパーをやっていたときに、目の前でキャッチしようとしたらなぜか顔に飛んできて、『おー』みたいな。

YouTubeでは、運動だけでなくファッションやトークなどいろいろなテーマの動画を配信していますが、全部に共通するのが『苦手な人もやっていいよ』ということです。私は基本的にどれも苦手で、ファッションもちょっとずつ積み重ねて自分のスタイルを探していきました。

苦手なことに真正面から向き合っている私の姿から、『じゃあ私もやってみるか』『郡司がやっているんだったら、まあやっていいんじゃないか』と思ってもらいたい。みんなの選択の基準になれればいいなと思います」

苦手なことをあえてさらけ出し、面白がってもらうことで、郡司さんは“笑い”を通じて人とつながっていく。スポーツは、苦手でも楽しめる。うまくならなきゃ、なんてない。強くならなきゃ、なんてない。まさにそれらを体現する郡司さんから、スポーツの根源的な楽しさ、そして人と人とのつながりのあり方を学ぶことができるだろう。

もともとLIFULLのCMで「しなきゃなんてないさ」(「おばけなんてないさ」の替え歌)と歌ってくれていたのが好きで、勇気づけられていました。子どもの頃を振り返ると、例えば先生に「友達と仲良くしなきゃいけないんだよ」「勉強しなきゃいけない」「運動しなきゃいけない」といろいろ言われていましたよね。

でも、実は大人になって社会で生きていく上で、別に友達と仲良くしなくてもいいんだと気づきました。そういう「しなきゃいけない」まみれで生きている人たちが、もし窮屈だと感じているなら、そこだけが自分の世界じゃないことを知ってほしいなと思います。私は、ダンスから逃げるために教室で読書をするふりをしていたら、本が大好きになりました!
郡司りか
Profile 郡司りか

1992年、大阪府高槻市生まれ。高校在学中に関西から関東へ引っ越し、転校先で「運動音痴のための体育祭をつくる」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネショップ店員を経て、現在は自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。「日本一の運動音痴」を自らのキャッチコピーにして、YouTubeチャンネルなどで発信し続ける。

郡司りかチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCELc6q224tFSobnsBKOuAtg

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