文筆家・佐々木ののかが支えられた、『High and dry(はつ恋)』。大切な関係に「名前」も「きまり」も必要ない
日常の中で何気なく思ってしまう「できない」や「しなきゃ」を、映画・本・音楽などを通して見つめ直す。
20代の頃に好きだった人たちとの関係は「恋人」でも「友達」でもない、名づけられないものばかりだった。人に話しても「遊ばれているだけではないの?」などと、「なかったこと」にされることも多かった中で、「目に見えないし、それを表す適切な言葉もないけれど、そこに確かにあるもの」の尊さを教えてくれた一冊の本がある。それは、よしもとばななさんの小説『High and dry(はつ恋)』だ。
※画像提供:株式会社文藝春秋
『High and dry(はつ恋)』のあらすじ
絵画教室に通っている14歳の夕子はある日、絵画教室の先生をしている20代後半のキュウくんとともに緑色の服を着た小さな妖精を目撃する。その瞬間にキュウくんと魂が通ったのを感じ、夕子の「はつ恋」が始まった。互いの両親のことや、キュウくんをとりまく女性たちについて真剣に考えたりする日々を経て、二人は少しずつ距離を縮め、家族が結び直されていく――。
“もしもそれがあなたにしか見えないもので、あなたが自分でつくりだしたものだとしても、別にいいじゃない。見えているうちは、見えたほうがいいんでしょうよ”
引用:『High and dry(はつ恋)』(p.6)
キスをしない、「恋人」でもない、大切な存在
『High and ddry(はつ恋)』で描かれているのは、魂の関係だ。
14歳の女の子・夕子と20代後半のキュウくんは互いに強く引かれ合っているものの、そうした二人の関係を「恋人」という枠組みに当てはめたりはしない。
実際に、キュウくんは「できればずっと、僕に絶対に『私たちってつきあってるの?』って聞かないでくれる。ただでさえ、僕は自分が君とふたりきりで会っていることに動揺してるから」と夕子に言い、夕子も「絶対に聞かない」と約束する。
おまけに、二人の間にはキスやセックスといった性的な関わりもなく、そのことについて夕子は「ちょっとがっかりしたような、ほっとしたような両方の気持ち」を抱いている。
これだけ聞くと、“いい大人”のキュウくんが、中学生の夕子をたぶらかしているんじゃないかという印象を受ける人もいるかもしれない。実際に、最初は夕子の母も、保護者の立場から「どういうつもりでおつきあいしているんですか?」と厳しい口調で問いただしていた。けれど、キュウくんの誠実さに胸を打たれ、次第に二人の関係を見守るようになる。
そして、自分やキュウくんの気持ちを信頼しながらも、複雑な思いを抱いていた夕子も、キュウくんと時間を共にする中で、二人の関係に確かなものを見いだしていく。
ただし、互いに心を通わせ合っているという確信がもたらされるのは、「恋人」の名のもとに約束を交わしたり、体を重ねたりといったことからではない。ただ、幸せだと言い合うとか、同じ瞬間にぴったり同じことを考えていたといったささやかなことなのだ。そして、そうしたことははた目から見てもわからない。
外側から見てもわからないし、証明できないけれど、本人たちにとってはそこに確かにある大切なもの。それを肯定してくれるところに、この物語の素晴らしさがある。
大事な人は1人でなくてもいい
キスもしない、「恋人」でもない。年齢は10歳以上離れているが、確かに引かれ合っている。
この状態だけでも戸惑ったり、ピンとこなかったりする人もいるかもしれない。けれど、キュウくんと夕子の関係を複雑にしている要素はこれだけではない。キュウくんには、夕子の他に、すごく好かれている人と、すごく好きな人の2人がいるのだ。
どちらも恋人ではないけれど、どちらもそう簡単には切っても切れない間柄。そう伝えられていた夕子はある日、たまたまその2人の両方と出くわし、打ちのめされてしまう。それは、夕子がまだ14歳で、「中途半端な、しかし密接な関係」を持ったことがないことも理由の一つだけれど、自分の好きな人に“恋敵”が何人もいると、それだけでうろたえてしまうものではないだろうか。
けれど夕子は、キュウくんの個展を手伝いに来ていたキュウくんのことをすごく好きな女性を見ながら、こんなふうにも思う。
「キュウくんはキュウくんだけで魅力的なわけではなくて、みんながいて、私もいて、それぞれがいろいろなパートを受け持っていて……人間ってみんなそれぞれがこうやってなりたっているんだろうなと思ったのだ」
好きな人にとって大切な人は好きな人の一部なのだと考えると、好きな人にとって大切な人を「恋敵」などと言い表すのが似つかわしくない気がしてくる。もちろんやきもちをやいてしまうことはあるかもしれないけれど、心の中の敵意や嫌な気持ちが和らいで、解放される気持ちにならないだろうか。少なくとも、私はそうだった。
そして、それはもちろん自分にも、好きな人の他に大切な人がいても何もおかしくないということだ。夕子の言葉には、パートナーシップに悩む、あらゆる立場の人たちの心情に寄り添ってくれる広いやさしさがある。
空の上から見下ろすと、全てがささいなことになる
私自身も20代の頃、年上の男性のことを好きになり、名前のない関係に心もとなさを感じたり、彼を“支える”女性たちに嫉妬したりしたこともあった。けれど、この本を読んでからは、年齢や関係に名前があるかどうかなんて、なんてちっぽけなことなんだと思えるようになった。
キュウくんと二人で幸せをかみしめている時、夕子はこんなことを言う。
「空のうんと上のほうから見たら、幸せなちっぽけな人間が小さく寄り添っているのが見えるだけで、ふたりの歳だとか、これまでしてきたこととか、日常を彩る癖だとか、そんなの一切見えないのだ」と。
愛に関することはその切実さゆえに盲目になりがちだ。けれど、そんな時こそ、空の上から自分を見下ろしてみたい。その瞬間、自分が幸せな人間であること以外に何が見えるだろう。それ以外の何が大切だろう。
自分で自分を追い詰めてしまう時、「はつ恋」を思い出してほしい。
♪佐々木ののかさんのインタビュー記事はこちら♪
文:佐々木ののか
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