私の価値観を会社に乗っ取られないために ―『魂の退社 会社を辞めるということ。』を読む―
日常の中で何気なく思ってしまう「できない」「しなきゃ」を、映画・本・音楽などを通して見つめ直す。今回は『魂の退社 会社を辞めるということ。』(稲垣えみ子・東洋経済新報社)から、会社と働くことについて考えます。
稲垣えみ子『魂の退社 会社を辞めるということ。』(東洋経済新報社・2016年)
『魂の退社 会社を辞めるということ。』はどんな本?
28年間、朝日新聞社で新聞記者をした著者が「50歳で会社を辞める」と決意し、実際に会社を辞めるまでの思いが綴られている。
40歳を前にしたある日、著者は出世競争の入り口に立っていることに気がつく。出世には興味がないと言いつつ、人事異動に一喜一憂していることに戸惑う描写は印象的だ。当時マイノリティーだった女性記者だから出世できないのか? 差別はしていないという会社を信じられるのか? 実力が足りないのか? 実力が足りないなら努力をするが、今後どれだけ頑張っても出世できなかったら精神的に耐えられるのか? 会社員を経験した人なら、人事発表前後の異様な社内の雰囲気や会社の評価と自己評価のギャップにモヤモヤした体験を重ねるのではないだろうか。
さらに、著者は高収入ゆえの贅沢な暮らしぶりを振り返る。お金で何でも手に入れて、人よりも上の生活を目指し、何を買っても次に手に入れるべきものを探して不満を募らせる……。この状況を著者は「降りられない列車」と表現する。
その後、著者は地方への異動や異動先でハマった山登りなどを通して、徐々に「降りられない列車」を降りていく。会社で起きる理不尽にも感情的にならず、自分なりに学び、考えて、会社を辞める決心が固まっていく様子がカッコいい。最後は「あしのたジョーのように、真っ白な灰になって」、50歳で退社するのだ。
働くこと=会社に所属すること、ではない
実際に会社を辞めた後にどうなったのか。
4章では「会社を辞めた」と告げた後の周りの反応が書かれている。まとめると、会社で問題を起こしたのかと思われて絶句される→「もったいない」と言われる→日本で会社を辞めることは異端だと知る→50歳無職の女は不動産屋で不審者カテゴリーに分類されると知る→クレジットカードの入会審査に通るのが難しいことも知る、という感じだ。ここにきて、「日本の社会は、会社という装置を通じて信用を担保することで多くのことが成り立っている」(133ページ)と痛感するのだ。
続く5章では、個人事業主として依頼された原稿料の安さに触れている。著者は安い原稿料を引き合いに、なぜ働く人を安く買い叩くのか考察している。
高度成長期はモノが売れていたから会社は儲かり、給料が増えて社員は幸せだった。だが今はモノが売れない。会社が生き残るために、働く人を安く使い捨てにし、客を騙すようになるという。
では、この状況をどうしたらいいのか? 著者は会社から自立しようと呼びかける。「もっとお金が欲しい=給料」「人より偉くなりたい=人事」という欲と弱さに、振り回されないようにと。暮らしを見つめ直して支出をおさえる、会社で働くこと以外の楽しみを見つける、これだけでも「価値観が会社に乗っ取られてしまう度合いは減るのではないか」(178ページ)という。
ここで前提を書いておくと、この文章を書いている私は5年前に約10年勤めた会社を退社し、個人事業主として執筆業をしている。今の私は、著者の意見に賛成だ。会社の外に出ていろんな人に出会い、仕事を通じて様々な価値観に触れたら、会社員の時は狭い価値観の中で思い悩んでいたと気がついた。
振り返ってみれば、会社員の時は「何のために働くのか」という問いに対して、閲覧数や部数や売上目標という「解答」を会社が提示してくれるから、それがそのまま自分の価値観になっていたのだと思う。しかし、個人事業主として受ける仕事は、それぞれに「何のために働くのか」を考え、自分なりに解答を見つけていく。私と関わってくれる人に思いを寄せて、期待されることに精一杯に応えていく毎日は楽しい。
著者は、会社を辞めた後に「仕事とは何か」を改めて考えている。
仕事とは、突き詰めて言えば、会社に入ることでも、お金をもらうことでもないと思うのです。他人を喜ばせたり、助けたりすること。つまり人のために何かをすること。それは遊びとは違います。
稲垣えみ子(2016年)『魂の退社 会社を辞めるということ。』東洋経済新報社、195ページ
ここで退社を推奨するのではない。会社を辞める・辞めないに良いも悪いもないし、仕事をしない選択もある。ただ、仕事をして生活するなら、仕事が楽しいと思う時間は長いほうがいい。「給料と人事」を脇に置いて、自分は誰かのために何ができるかという視点で周りを見渡してみる。そうすると、心に応えたいと思う人が見つかって、お互いに満たされるつながりが生まれるかもしれない。健やかで楽しい仕事は、こんなつながりから始まるのだと思う。
文:石川 歩
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