何かを学ぶことに「今更遅い」、なんてない。

曽根 壮大(そーだい)

データベースのスペシャリストとして知られる曽根壮大(そね たけとも)さん。ベンチャー企業のCTO(最高技術責任者)やインターネット企業のCRE(Customer Reliability Engineering・顧客信頼性エンジニアリング)を務めるなど、エンジニア系のコミュニティーをけん引している。講演者としても一流で、イベントにも引っ張りだこ。その世界では「そーだいさん」として、多くの人に頼られる存在だ。

しかし、そのスタートは警察官という全く別分野だった。新たな道へ進んだのは、プログラミングの知識もなかった23歳の頃のこと。

何かを始める場合、人によっては「今更始めても遅いかも……」と躊躇(ちゅうちょ)するかもしれない。高度なスキルが求められるIT業界で、そーだいさんがいまの地位までたどり着いた理由はどこにあるのだろうか。

そーだいさんならではの「学び」への姿勢、そして新しいことを始める時の考えについて伺った。

どんな仕事でも業務知識は必要だ。知識を得るために勉強をしたり、情報をキャッチアップしたりする人も多いだろう。一方で、自分よりも先をいく周囲の人々を見て焦りを感じたり、「追いつけないのでは」と行動すること自体をためらったりする人もいるのではないだろうか。特に未経験のことに挑戦する時ほど、尻込みしてしまうかもしれない。

そーだいさんは、全くの異業種からエンジニアへと転身した経歴を持つ。そのため、初めは自身の知識・スキル不足に悩んだこともあった。

だが、「とにかく学ぶ」ことを意識し、「できる」ことを積み重ねたことで、徐々に自分なりのキャリアの道筋が固まっていった。現在は新たな挑戦として大学へ進学し、学生生活とエンジニアの両立を送っている。そんなそーだいさんは「何かを始めることに遅いなんてことはない」と語る。

いつから始めても「遅い」ということはない。自分に何ができるかを見つけるために、まずは人から学んでみる

そーだいさんは広島に生まれ育ち、高校卒業後は警察官の道へ進む。ただ、好きで選んだ職業ではなく、高校の卒業直前に母親を亡くして将来に不安を覚え、安定を選ぶという消極的な理由によるものだった。

交番勤務になり、自分の選択に迷いを抱えながら仕事をこなす中で、新たに配属されてきた上司との出会いが、そーだいさんに変化をもたらした。

「仕事に対して情熱的な方で、『こういうことができるようになると選択肢が広がって、面白いよ』と教えてくれて。それを意識してみたら初めて仕事が楽しくなったんです。

同じ内容の仕事でも、見方ややり方を変えるだけで楽しくなるんだと気づけたし、一生懸命に仕事をする楽しさも学びました。高いスキルの人と仕事をすることは、成長への近道だと実感しました」

警察官の仕事を4年半ほど務めた頃、結婚し子どもが生まれたことをきっかけに、そーだいさんは初めて本気で次のステップを考え始めた。今後数十年、このまま警察官を続けていくことが果たして良いことなのか。

「子どもに『なんで警察官になったの?』と聞かれても、ポジティブな回答ができないなと。なので、胸を張って自分が選んだと答えられる仕事に就きたいと思いました」

この時、23歳。年齢的にもまだ若い。妻にも背中を押され、警察官を辞めて新たな道へと進むことを決意した。

しかし特にプランはなかった。思ったように就職もできず、日々の食いぶちを稼いでいくために、アルバイトと派遣社員を掛け持つ日々が始まった。

「派遣先では社内総務のような仕事をしていたんですが、業務で使うExcelファイルがすごく重くて。開くだけでも15分とかかかっていたんですよね。なんとかならないかなと思っていた時に、本棚で『FileMaker(ファイルメーカー)』の入門書を見つけたんです。読んでみたら『これを導入すれば作業時間が減るんじゃないか』と思い、全部自分で作り直すことにしました」

「FileMaker」とは、パソコンで動くデータベースソフトだ。利用者の目的に合ったアプリケーションを開発することができるので、作業時間が劇的に短縮できるというわけだ。

しかし、高校時代に学校で勉強していたこともあってコンピューターは好きだったものの、この時点でプログラミングの高いスキルを持っているわけではなかった。

「FileMaker」で問題が解決できそうだと分かってからは、あくまでも「自分がラクする」ために、独学で開発を始め、2カ月ほどで開発をやり遂げた。この出来事をきっかけに、開発部へ転属となった。

高いスキルを持つ人と出会い、世界が広がる

転属後は、特にプログラミングの研修を受けられるわけでもなく、いきなり“大炎上中”のプロジェクトに配属される。そこではインフラを担当し、やったことのないサーバーの発注やソフトウェアの設定などを次々と任されることになった。

さすがに何も分からない。そこで助け舟を出してくれたのが同じ派遣社員のエンジニアだった。ただし、教えてもらったのは「具体的なやり方」ではない。調べるための“キーワード”や、読むべき本など、自力で学ぶための助けになる情報だ。そこで、分からないことが分かるようになる面白さを知った。

またある日、上司が「面白い人ともっと会った方がいい」と、エンジニアの集まる勉強会に連れて行ってくれたことが、そーだいさんの人生に大きな影響を与えたという。

「派遣社員から正社員になってしばらくした時、当時の上司がエンジニアの集まる勉強会に連れて行ってくれたんです。

参加者には、世界的にも通用する有名なエンジニアの人もいました。そういう人たちがせっかく身近にいるんだからいろいろ聞いていかなきゃと思って、質問して学ぶようにしました。そうした人との出会いは、とても大きかったです。業務以外でも勉強したり、個人でも開発を行うようになったりしましたね」

この時、仕事の方向についても考え始める。2010年頃からはスマートフォンやWebが主流になりつつあったため、これまでのインフラ分野からWebアプリケーション分野の仕事に転職しようと考え、勉強も始めた。

「警察官を辞めた時に転職先がなかなか見つからなかったという失敗体験が自分の中にありました。未経験で入れるほど甘くないのは分かっていたから、準備しておこうと思ったんですね」

エンジニアのコミュニティーで出会った人たちからアドバイスをもらいながら勉強を続け、希望していたWebアプリケーションエンジニアへの転職が決まった。

自分が凡人だと気づけたからこそ、いろいろなスキルを掛け算して“スペシャリスト”を目指した

転職した会社では、Webアプリケーションの開発を一通り行った。そこで、また新たな気づきがあった。ひとくちにインターネット、Web分野のエンジニアといっても、技術分野は細かく分かれている。

「僕はバックエンド(サーバーサイドやデータベースなど、ユーザーには見えない部分の仕組みや機能)の方に関わるのが好きだなと気づいたんです」

そこで、自分がやりたいと思える分野により長けている企業へと転職し、スキルを身につけ、実績を積み重ねた。

その後、友人が立ち上げたインターネット企業・オミカレのCTOを経て、インターネット企業・はてなで働くこととなる。他の企業がエンジニアとしての役割を求めていたのと違って、はてなはCRE(当時はセールスエンジニアという名称)の職を用意していたことが決め手となった。

CREというのは、エンジニアと技術コンサルタントを合わせたような役割で、技術力以外にもさまざまなスキルが必要とされる。

「自分のカラー、強みが何かを考えると、マネジメントやコミュニケーションかなと。好きなわけではないんですけど、強みなんです。CREは、それら自分の強みとスキルを掛け合わせた能力が必要になります。新しい分野へのチャレンジにもなると思いました」

転職に伴い、広島を出て東京に拠点を移した。新たな環境でのスタートだ。そこで、そーだいさんはショックを受ける。

「それまで、自分はエンジニアとしてはできる方だと思っていたんですけど、他のエンジニアたちの優秀さを目の当たりにして衝撃を受けて。そこで、初めて自分が凡人だなと感じました」

はてなでの経験は、自分の方向性をさらに考え直すきっかけとなった。世の中には自分よりも優れた人が大勢いる。その中で、自分のカラーを生かしつつスキルを高めていくにはどうすればいいかを考えた。

「特定の技術のスペシャリストではなく、ソフトウェアを中心とした、ビジネスマンとしてのスペシャリストになろうと考えるようになりました。一つのものに特化するのではなく、いろいろなスキルを掛け算することで自分らしさを出していこうと。なので、自分にまだ足りないものを身につけていくことにしました」

新たに“掛ける”ためのスキルを養う中で、ある日、再びオミカレから「帰ってきて事業を立て直してほしい」と声がかかった。自分がより高いバリューを発揮できるのはどちらか考え、復帰を決める。在籍中はチームメンバーの採用や事業計画など、以前よりもビジネスに深くコミットメントする仕事を行った。

「はてなでは視野が広くなり、オミカレでは視座が高くなりました」

次のステップに進む時は、いつも知らない分野へ、新たなチャレンジをしてきたそーだいさん。オミカレで自分の役割を果たし、さて次をどうするかと考えた時、頭に浮かんだのが大学への進学だった。理由はいくつかあるが、大学という場所を経験してみたかったというのが一番大きい。

子どもの手が離れ、実現できる環境になってきたタイミングでもあった。仕事は独立して、会社を興してやればいい。

そして情報工学部へ入学。学生とエンジニアの両立という、新たなチャレンジがスタートした。

小さいゴールを設定してクリアしていく

新たな場所に行ってもその位置に安住することなく、常にチャレンジする姿勢で未来を切り開いてきた。その根底には現状に甘んじることへの危機感があった。

能力を高め続けるために、心掛けていたことは何だろうか。

「ゴール設定と、そこにたどり着くための道のりを意識することが大事です。ただ、大きなゴールにいきなりたどり着くのは難しいので、細かいイシューに分解します。

例えばスーパーマンになるのが大きなゴールだとすると、細かいイシューは“体を鍛える”とか“知識を身につける”とかです。自分の性格に合ったゴール設定も大切ですね。すぐ結果が欲しいタイプであれば、資格取得などの明確なインセンティブを設定することも効果的です」

危機感による焦りや不安がある時も、この“分解する”という手法は役に立つようだ。

「焦りや不安は、分からなかったり、未来が予測できなかったり、どんな影響があるか想像できない状態の時に感じます。解消するためには、知識を増やし、予測する材料を集めていけばいい。材料や調べることすらも分からなければ、知っていそうな人に聞いてみる。知ることで焦りはなくなり、具体的な解決方法が見えてきます」

実際に行動する時には、「自分がコントロールできることに集中する」ことが大事だという。

「他人の成長はコントロールできないので、相手の能力が上がったら自分が成長しても追いつけないこともある。だから誰かと自分を比較して能力を測るという考え方はやめた方がいい。逆に、自分自身ならコントロールできる」

それでも初めの一歩が踏み出せないこともある。

「どうやったら動きだせるかを考えればいいんじゃないかな。本ならとりあえず1ページ目を読んでみる、家でその時間がないというなら通勤時に読んでみる。素直に自分と向き合って、工夫していくうちに得意・不得意が見えてくると思います」

警察官という別分野からスターエンジニアへと華麗な転身を遂げたそーだいさん。スタートは人より遅かったが、冷静に自分と向き合い、戦略を練り、対策をするという地道な積み重ねがあったことでいまの位置にたどり着いた。

「自分の人生は1回きり。“やった方がいい”と思ったら、いま始めるのがいつでも一番早いんです」

いくつになっても、躊躇する理由はどこにもない。学び始めることに、遅い、なんてないのだ。

過去は変えられず、他人の行動はコントロールできません。だけど、自分で学ぶことはできるし、そのための方法を選ぶこともできます。10年前にやっていたら、と思ってみても仕方ありません。いま気づくことができて、始められたならお得です。未来は自分で選ぶことができるはずです。

取材・執筆:森嶋良子、撮影:関口佳代
編集協力:はてな編集部

曽根 壮大(そーだい)
Profile 曽根 壮大(そーだい)

数々の業務システム、Webサービスなどの開発・運用を担当し、2017年に株式会社はてなでサーバー監視サービス「Mackerel」のCRE、株式会社オミカレ副社長兼CTOを務めた後、2020年に合同会社Have Fun Techを起業し独立。エンジニアのコミュニティーでは、Microsoft MVPをはじめ、日本PostgreSQLユーザ会の理事として勉強会の開催を担当し、各地で登壇している。builderscon 2017、YAPC::Kansaiなどのイベントでベストスピーカーを受賞し、分かりやすく実践的な内容のトークに定評がある。他に、岡山Python勉強会を主催し、オープンラボ備後にも所属。『Software Design』誌で、データベースに関する連載「RDBアンチパターン」などを執筆。

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