地方には娯楽がない、なんてない。―「何もない」を「なんでもある」に変えた落語愛溢れる元町役場職員のはなし―

山形県山辺(やまのべ)町。民泊が一軒もないこの町に、一風変わった一棟貸しの宿がある。戸建てが立ち並ぶ穏やかな住宅街の坂をのぼると、突如現れるスタイリッシュな建物。それが寄席・ホール・宿泊施設である「噺館」(はなしごや)だ。立川志の輔、春風亭昇太など錚々(そうそう)たる落語家たちもその高座に上がる。チケットはいつもほぼ満席。クラシックギターの演奏会を行えば、東京からも人が来る。

運営しているのは、この地で生まれ育った峰田順一さん。「地元で落語が聴きたい」。その一心で、町役場の職員として働く傍ら落語会を運営し、500人規模の落語ファンを集めるほどに。自らの「好き」と、地域への貢献をいかにして両立させたのかーー。40年以上にわたる地域活動を紐解くと、この世を面白く生き抜くヒント、「何もないところに面白さをつくる落語的精神」が見えてきた。

峰田順一さん

コロナ禍を経てのリモートワークの浸透や、企業の雇用条件、福利厚生の多様化等で、私たちの仕事のバリエーションはかつてより随分と自由になったように思える。が、自分の「好きなこと」をいかにして仕事と折り合わせていくか、はたまた切り分けるのか、いつの時代も悩みどころだろう。置かれた状況や個々人の個性によって無限のパターンがありうるからだ。

峰田さんは、仕事でも個人活動でも40年以上地元の魅力をつくる活動を続けてきた。生の落語を見たくても地元では見られなかった当時、落胆したり他地域にいくのではなく、自ら率先して機会をつくった。地域に「落語を楽しむ」という文化を根付かせたその姿は、まさに「好き」を基盤にして他者貢献を成し遂げている。退職後の今、自ら資金を投じてつくった寄席付きの宿泊施設「噺館」で、生きることを楽しむ絶妙なバランス感覚について話を聞いた。

落語って、「何にもない」んです。「何にもないんだけど、なんでもある」世界を見せてもらえる。そういうすごさを、感じたんです

「落語が聴けなくて寂しかった」思いが原動力に

山辺町で生まれ育った峰田さんは、大学進学で東京へ。落語研究会に入ったことをきっかけに落語にハマり、情報誌「ぴあ」などで落語会をチェックし、ホールや寄席に通う学生生活を送った。卒業後は帰郷し、町役場で働き始める。しかし、毎日どこかで落語を聴きに行ける東京に対して、当時の山形では落語は遠い存在だった。

「東京では落語を見に行きたいと思ったら、いつでも行けた。山形では、たとえば午後5時に仕事が終わって『じゃあ、なにか聴きに行こうか』って言っても、当時はまだ本当に落語会がなくて。やっぱり生で(落語を)聴きたいなって、寂しくて……」

自分で企画するか、東京に聴きに行くか。峰田さんが選んだのは、前者だった。

「私が人事異動で公民館の職員になったんです。自分で自由に企画できる部署だったので、生涯学習講座の中に、年に一回落語を入れていったのがスタートです」

ペーパークラフト作家・中村隆行さんの作品2022年に噺館で個展をしたペーパークラフト作家・中村隆行さんは旧来の飲み友達だとか。語りが聴こえてきそうな落語家たちの作品は、噺館で鑑賞可能

「落語は初めて」という人が多かったが、だんだんと「落語って面白い」と思う人が増えていった。年一回では物足りないと、生涯学習講座ではなく自分たちで落語会を開こうということになり、サークルを結成。峰田さんの人選が評判を呼び、「あそこで聴く落語は面白い」と信用を得るように。年会員も600人まで増え、公民館の小さな和室で始まった生涯学習講座は、いつの間にか山形市内の大ホールを観客で埋めるほどにまで育っていった。

生の落語を地元で聴くなど考えられず、一人寂しさを抱えていたところから、いつの間にか大勢の仲間を得た峰田さん。嬉しく思う一方で、少しずつ違和感も抱えていった。

峰田順一さん

「運営に追われるうちに、『あれ、本当は自分が落語をじっくり聴きたいっていうのが、一番にあって始めたことなんだけど、そういうことではなくなっちゃったな〜』みたいな感じが出てきて。それで、本当に近い距離で落語が楽しめる、そういう場所を退職したら作りたいって思うようになったんです。……まさか、本当にできると思ってなかったんですけど」

近い距離で、生の落語が楽しめる場所をやってみたいーー。その思いはさまざまな縁が繋がり、思わぬ形で叶うことになる。

​​「山辺ならでは」にこだわって「楽しいこと」をやる

ここまでの話だと、一人の落語好きが地域で落語のムーブメントを起こしただけに聞こえるかもしれない。しかし、峰田さんが仕掛けてきたのはそれだけにとどまらない。彼の中にあるのは、地元・山辺町への愛、そしてそこで「楽しいことをやる」という思いだ。

実は、先述の生涯学習講座の仕組み自体も、「Taiken堂」という名前で峰田さん自身が職員時代に立ち上げたもの。町民有志が主体的に行う文化活動で、1990年に発足して以降今も継続されており、山辺町の総合戦略に明記される(※)ほどにまで定着している。

※参照:「第2期やまのべ総合戦略」https://www.town.yamanobe.yamagata.jp/uploaded/attachment/5042.pdf

山辺町の駅

地元の名刹・安国寺で毎年行われるコンサート(Taiken堂コンサート)も、その一例。コンサートの第一回目開催にあたり、「山辺町ならではの場所でやりたい」と考えた結果、安国寺の境内で行うことを思いつく。その時は篠笛(しのぶえ)の演奏だったというが、それもただ演奏してもらうだけでは面白くない。そこで知恵を絞った。

「7月7日の七夕の開催だったので、遊び心で入場料は777円。お寺さんには鐘がありますから、7時7分にゴーンと鐘を流して開演の鐘にして……。ちょうどその7月7日っていうのが、蛍が飛び交う時期なので、スタッフみんなで蛍が出る川まで行って竹箒(たけぼうき)で蛍を捕まえて、かごに入れて。コンサートの時に、スタッフがカゴを持って、木の上に登ってるんですよ。それでお寺さんの境内で、こっちの方から笛の音が聞こえてくる、反対の方から笛の音が聞こえてきて、だんだん近づいてくる……。それで笛の音が合わさってきた時に、その蛍を入れたカゴを開けて、こう、バタバタ、バタバタって、叩いて蛍を出すんですけど、そうすると蛍がバーって出てきて、蛍が舞うという……」

思い出しながら楽しげに語る峰田さん。暗暗とした寺の境内に、笛の音とともに蛍が舞う風景が見えた。伝説のような第一回目が行われたのが、もう30年以上も前。途中コロナ等で開催できない年がありつつも、コンサートは2023年開催で33回目を数えた。

峰田順一さん

観光課にいた時には、JRとの合同企画で山辺町の隠れた名物、「すだまり」を使った地域プロモーションも行った。すだまりとは、いちごのかき氷に酢醤油をかけて食べるという、山形でも山辺町のみで食べられる超ローカルフード。今でこそ、塩キャラメルなど相反する味わいを一緒に食べることはある程度浸透したが、当時はその独特の味わいは受け入れられず、イベントは不評で終わってしまったという。かき氷のように甘酸っぱくとはいかず苦い体験となったが、いち早く地域のローカルな魅力に目を向け、それを活用したプロモーションを試みていた。原点にある思いは、「そこにしかないもので、楽しいことをやる」だと、峰田さんは話す。

「ホールなんて山辺町にないし、反対に(山辺町と隣接する)山形市には安国寺さんのようなロケーションはない。そういう他のところにないものを活用してやれたら、他にはないような楽しいものができるんでないかって」

噺館の2階からの風景噺館の2階からの風景。高台に位置しているため眼下に山辺町を、遠く山形市街地と蔵王連峰を眺めることができる。

いろんな人と関わって、自分が思いもつかなかった展開を見てみたい

どうしたらそんなに柔軟かつ豊かなアイデアが、ぽんぽんと浮かび、実行できるのか。問いかけると峰田さんは言った。

「自分がそれを考えたわけじゃなくて、みんなで『こんなんしたら面白いんじゃない?』って考えて、やってたんです……面白かったねえ。そういう一つひとつ、感動していったことが、こういう形(噺館)に繋がっていったんだろうなって」

噺館

目の前で落語を楽しめる寄席をつくりたい。それは、その距離感だからこそ得られる体験の豊かさを、峰田さんがよく知っていたから。満を持してつくりあげた噺館では、落語だけでなく音楽や映画、トークなどさまざまなジャンルの催しが行われているが、「自分のために演奏してくれているような錯覚に陥った」「指の動きや息遣いも感じられて、アンプなどを通さない生音で聴けるなんて、こんな贅沢なことはない」など、このスケールならではの臨場感が生む感動は、落語ファン以外の心もしっかり捉えている。

噺館

コロナ禍真っ只中の2020年3月に着工し、同年11月にオープンした噺館。完成までにも、クラウドファンディングでの資金調達や完成後になかなかイベントが実行できない苦しさも味わった。多くの人の協力があって、たどり着いた現在地。しかしここはまだ、通過点だ。

「いろんな人が関わってくれていることで、作られた空間はもうそれであるんだけど、『もうこれでいいんですよ、オッケーなんです、完成なんだから』っていうことじゃない。この場所のあり方とかを『あ、それいいね、面白いね』『それ今度やってみようかねえ』みたいになれるところが理想。やっぱり繋がっていくことによって、魅力が新しくできてくるような感じもしますね」

噺館

他の人が入ることによって自分が思いもつかなかったような展開になってくるとか、そういうのを見てみたいーー。それは、峰田さんがこれまで辿ってきた軌跡のスタンスそのものを表していた。今は自ら場所をもち一人で運営を担う立場になったことで、いろんな人と話をする機会はさほど多くとれていないのが悩みだという。噺館ならではの強みってなんだろうと考えている、と話す峰田さん。その答えは、今後関わる人の中から編み出されてくるのかもしれない。

「この土地ならでは」を見つめ、「何にもない場所」に魅力をつくる

淡いブルーの稜線が少しずつ色調を変え、なだらかに重なり合いながら横に横にと広がる。穏やかな風景が見晴らせる高台に、噺館はある。もともと古の山辺城二の丸跡だったという敷地は、平らな部分が極めて少なく、ほとんどが傾斜地。一般的には魅力を感じづらいこの土地は、売り出し時に峰田さん以外、買い手がいなかった。だが、何もない更地の状態を見た建築家・本木大介さんは、「ここは、おもしろい土地」と言ったという。

完成したのは、立地を生かして斜面側に庭を配し、山並みを眺められる大きなガラス窓を持つ建物。片面がほぼガラス戸という奇想天外な寄席・ホールは、まさにこの場所と呼応し、「この土地ならでは」を存分に味わえるようになっていた。最初に現地に立った時、本木さんの目にはきっと、「この場所だからできる面白さ」が見えていたのだろう。

噺館

噺館

最後に、峰田さんが落語のどこに惹かれたのか尋ねてみた。その問いの答えに、それぞれに知恵を持つ周囲の人たちとともに彼が地元で何をつくり続けてきたのか、何が彼を動かしてきたのか……その根底にあるものを見た気がした。

落語って、『何にもない』んです。高座がこうあって、それだけ。そのまんま何にもないところで、自分がその噺の中に入っちゃうと、川があって、そこに飛び込もうとしている人がいるなっていうような、その情景が浮かんでくる。それって、ものすごいことだなと思って。『何にもないんだけど、なんでもある』っていう、そういう世界を見せてもらえてるっていうような、そういうすごさを、落語に感じたっていうことなんですかねえ

取材・執筆:吉澤志保
撮影:安川結子

峰田順一さん
Profile 峰田 順一

明治大学落語研究会出身。在学時に落語の面白さに目覚める。卒業後は地元・山形県山辺町に戻り、町役場職員として勤務。退職後の2020年11月、念願の夢だった寄席・ホール・宿泊機能を持つ「噺館」をオープン。落語に限らず、映画上映会、クラシックコンサート、ジャズライブ、子ども落語体験など、自らも地域も楽しめる催し物を企画・開催している。

噺館 公式サイト https://hanashigoya.com/
X @hanashigoya
Instagram @hanashigoya

みんなが読んでいる記事

LIFULL STORIES しなきゃ、なんてない。
LIFULL STORIES/ライフルストーリーズは株式会社LIFULLが運営するメディアです。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。

コンセプトを見る

#地方創生の記事

もっと見る

#働き方の多様性の記事

もっと見る

その他のカテゴリ

LIFULL STORIES しなきゃ、なんてない。
LIFULL STORIES/ライフルストーリーズは株式会社LIFULLが運営するメディアです。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。

コンセプトを見る