車椅子だから“しょうがない”、なんてない。―26歳で車椅子ユーザーに。織田友理子が語る障がい者の生きやすい社会への道筋―
たった数センチの段差があるだけで、移動できなくなってしまう人たちがいる。そのことをどれだけの人が知っているだろうか。
織田友理子さんは、進行性の病気が原因で26歳の時から車椅子での生活を続けている。最初は2年ほど手動車椅子を使用し、その後10年以上簡易電動車椅子を使用していたが、今では重さ180kgの電動車椅子に頼らざるを得ないという。
重度の身体障がい者として日常生活は全介助を受けながら、同じ車椅子ユーザーや障がい者、マイノリティーのための活動を行う織田さん。その原動力を取材した。
織田さんが手がけるアプリ「WheeLog!」は、車椅子で行くことができるエリア・スポットが表示されるバリアフリーマップアプリだ。実際の車椅子ユーザーが走行した場所や利用したスポットのデータを共有することで「みんなでつくるバリアフリーマップ」というコンセプトを実現している。
織田さん自身、車椅子ユーザーの一人だ。それどころか、彼女は身体のほとんどを動かすことができない病気に侵されている。「遠位型(えんいがた)ミオパチー」。全身の筋肉が、手足の先から衰えていく進行型の難病だ。
少しずつ、身体の自由が利かなくなっていく日々。そんな中でも織田さんは常に前を向き、活動を続けてきた。「明るい未来は必ず来る。私は楽観視しています」と語る織田さん。そう思える理由はどこにあるのだろうか。彼女の人生のストーリーから、その裏にある思いをひもとく。
障がい者と健常者が「仲間」になる。中途障がい者だからこそ知る「体験」の大切さ
「障がい者は努力する価値がないのか?」22歳で直面した現実
大学生時代の織田さんは、学業に燃えていた。公認会計士を目指し、日夜勉強に励んでいたのだ。専門学校にも通うダブルスクールの日々。将来の夢に向かって突き進んでいた。
そんな中で、織田さんを違和感が襲う。何気ない瞬間に、転倒してしまう機会が増えたのだ。父親の勧めもあり受診した病院で医師から下された診断は、思いがけないものだった。
「希少疾病の中でもさらに希少な部類に入る『遠位型ミオパチー』だと診断されました。体幹から遠い筋肉から順に衰えていく病気です。根本的な治療法はなく、『この先、歩けなくなる』と申告されました」
症例の少ない指定難病。しかし、この時点ではまだ、織田さんは病気を実感できていなかったという。
「いずれ書き仕事ができなくなったり、電卓を打つことができなくなったりするというのは悲しいことでした。でも、当時はまだ歩くこともできたので、病気が進行するイメージが湧いていなくて。『気持ちで負けなければ大丈夫。どうなるか分からないけど、努力は続けよう』と、学校にも通い続けていました。
つらかったのは、私が勉強を続けていると『そんなに無理しなくていいのに……』と視線や言葉を向けられることです。難病患者は、努力する価値がないと言われているようで心が沈みました」
視点を変えて、みんなでいい社会をつくる
織田さんの思いもむなしく、病魔は着実に身体をむしばんだ。公認会計士の勉強は闘病の傍ら継続していたがある時、担当医からも将来出産を考えているのなら早い方がいいとのアドバイスを受け、公認会計士受験は断念せざるを得なかった。織田さんは、診断以前から連れ添ってきたパートナーの洋一さんと結婚し、子どもを育てていく道を選ぶ。そして26歳の時、赤ちゃんと3人の安全を考え、ついに車椅子に乗らなければ外出できなくなった。
「それでもまだ、『自分は障がい者なんだ』とは受け入れられませんでした。ただ、やはり自分一人だけでは、日々の生活の中でぶつかる困難や疑問と向き合うのは難しくて。同じ境遇の人たちとの交流を図る中で、『PADM(遠位型ミオパチー患者会)』の立ち上げに関わることにしたんです」
自身の生活が困難になっていくにつれて、当事者運動に足を踏み入れるようになっていったという織田さん。30歳の時、大きな転機が訪れたという。
留学中の様子
「公益財団法人ダスキン愛の輪基金により、半年間福祉先進国のデンマークに留学する機会に恵まれたんです。そこでは現地の福祉制度のあり方や実態をこの目で見ることができました。現地では当事者運動の先輩方ともお話しする機会を頂きました。その中で、ある方に『当事者運動はどのように展開していくのが効果的なのでしょうか?』と質問したところ、『要望を出したり交渉する時に、ユーモアを交えることだよ。面白い団体だと思ってもらうことが重要だ』と言われて、ハッとしたんです。
その言葉を聞いて『発想や視点を変えて、みんなでいい社会をつくっていこうという提案の仕方もあるんだ』と思えた。だからこそ、『自分は障がい者だ』という自覚を持ち、『自分以外の障がい者のための活動をしていきたい』と心から思えるようになったんです」
「支援者でさえ、障がい者を理解している人は少ない」。中途障がい者だから分かること
自分自身の境遇を悲観せず、当事者として活動していくことを決めた織田さん。しかし、車椅子ユーザーに対する社会の理解度は想像以上に低いものだった。織田さんはさまざまな障壁に行く手を阻まれてきたという。
「私にとって最初の困難は住宅環境でした。車椅子に乗り始めた当初、家の周りに坂が多かったんです。簡易電動車椅子になってからは坂道でも移動できるようになりましたが、当時は手動車椅子だったため近所に出かけることも難しかった。それに、車椅子ユーザーの住宅探しは現在も困難な状況です。知り合いからは『図面を100軒分見て、車椅子ユーザーが住める家は1軒だけだった』という話も聞きました。建築時の配慮や大家さんの理解などがまだまだ進んでいないと感じます」
また、障がい者や車椅子ユーザーを支援するはずの人々からも、理解を得られていないと感じるシーンが多々あったという。
「ある時スペインで飛行機に乗ろうとしたら、簡易電動車椅子のバッテリーを理由に搭乗を止められてしまったんです。でも、私のバッテリーは国際ルール上も機内に手荷物として持ち込み可能なものでした。それが航空会社に説明してもすぐには搭乗を認めてもらえず、飛行機を遅延させてしまいました。そこで私は、車椅子メーカーの方に『車椅子本体に飛行機に問題なく持ち込めるバッテリーであることを明記してください』とお願いしました。それに対しての返答は『ご自身でシールを作って貼ってください』というものだったんです。
こういう課題は、一個人として情報を共有するのではなく、企業や組織がオフィシャルに発信していかないと意味がないんです。その時は粘り強くお願いしてメーカーに対応していただきましたが、障がい者支援をする立場の人であっても、当事者と意識の差があることを感じさせられました」
「バッテリーの例だけでなく、病気が進行していく限りさまざまな問題に直面します。例えば、私は現在の国内外出張の際は飛行機搭乗中に長く座位を保っていられません。そのため、座席を追加購入し、なるべく横になれるよう航空会社に交渉することがあります。とはいえ、日本の航空会社は世界と比較すると非常に障がい者にとって搭乗しやすいと実感しています」
身近な人、大切な人へ配慮した経験が、別の誰かとの交流に生きる
なかなか広まらない車椅子ユーザーへの理解。織田さんはその原因を、健常者と障がい者の交流の少なさだと語る。
「今の日本の教育現場は、多くの場合、最初から特別支援学校と普通の学校に分かれていて、いわゆる障がい者と健常者が交わる機会がほとんどない。交流がないと理解できないのは当たり前ですよね。まずは、知り合いや友達にならないと」
そんな思いのもと、織田さんが手がけているサービスが「WheeLog!」というスマートフォンアプリだ。このアプリのコンセプトは「みんなでつくるバリアフリーマップ」。実際の車椅子ユーザーが走行した場所や利用したスポットのデータを共有し、他の車椅子ユーザーの外出に役立てる取り組みだ。2023年2月現在、10万以上ダウンロードされ、登録ユーザー数は3万2,273 人にのぼる。
そして、この「WheeLog!」では、運営する織田さんたちが主体となって、「車いす街歩きプログラム」というワークショップを実施している。健常者が車椅子に乗り、実際に街での移動を体験するのだ。ここでの体験が、織田さんにとって大きな自信となっているという。
WheeLog!のワークショップの様子
「プログラムが始まる前と終わった後では、参加者の顔つきが全然違うんです。障がい者も健常者もグッと仲良くなって、『仲間』になって帰ってくる。やっぱり、どんな人も障がい者に意地悪をしようとは思っていなくて、体験や対話が足りていないだけなんだな、と感じます。発信していけば伝わるんだ、という実感が持てます」
障がい者と健常者が「友達」「仲間」になることの大切さを説く織田さん。その裏には、織田さん自身が友人に助けられた経験があった。
「私が車椅子に乗り始めた頃、親身になって声をかけてくれて、『そこに段差があるよ』『こうやって移動してね』と助けてくれた友達がいました。なぜそこまで親切にしてくれるのか聞いてみたら、『おばあちゃんが車椅子に乗っていたから』と話してくれたんです。
身近な人、大切な人へ配慮した経験が、別の誰かとの交流に生きる。友達の言葉でそれを実感しました。私には、その友達や夫の洋一がいた。私の境遇を『ラッキーなケース』にしてはいけないと思ったんです。だからこそ、障がい者と健常者の垣根を越えて絆をつくる機会を絶やしてはいけないという思いで『WheeLog!』の活動に励んでいます」
障がい者が人生を謳歌(おうか)できる社会に
織田さんは「WheeLog!」や「PADM」以外にも、「東京都福祉のまちづくり推進協議会」の委員などを務め、障がい者やマイノリティーの権利獲得のために活動している。課題は山積みだが、その中でも「これからの日本社会はもっと良くなる」と楽観視できるという。
「『WheeLog!』の活動のような実体験を、日本全体が少しずつ積んできているのだなと思います。制度や条例を考えて作る、意思決定を担う人たちの意識が変わってきたと思うんです。先日も、とあるお役所の方から、『ユニバーサルツーリズム(高齢や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく旅行ができるようにしていくための試みのこと)について話を聞きたい』とお声がけいただいて。私たち当事者からの訴えだけじゃない社会になりつつある。もちろん、本当に理想の社会になるには10年や20年、もしかしたらそれ以上の時間がかかるかもしれませんが、そこに向かって一歩ずつ進んでいるんだと実感できています」
そう語る織田さんの目は、すでに「理想の社会」が映っているかのように輝いていた。では、織田さんが考える「理想の社会」とはどんなものなのだろうか?
「障がい者が、健常者と同様に『人生を謳歌できる』社会です。留学で訪れたデンマークでは、障がい者が結婚や出産、教育、就職といったシーンで困難さを感じない仕組みが整備されていました。日本では、正直まだまだ難しい。そこに一歩でも近づくための活動を、『WheeLog!』でやっていきたいですね。
私は『WheeLog!』をただの地図アプリで終わらせるつもりはありません。もっと機能を増やして、テクノロジーの力で車椅子ユーザーの生きやすさを実現していきたい。そのためのクラウドファンディングも実施予定です。未来の人たちのために、少しずつ前に進んでいきたいです」
クラウドファンディングについて
「あなたの支援が車いすユーザーの生活を変えます!」
WheeLogは6月16日から7月31日までクラウドファンディングを開始しました。目標金額は500万円。
より多くの外出や生活の不便さを抱えている車いすユーザーや家族に情報を届けるためのアプリ改修を行います。あなたの支援をお待ちしてます。
https://readyfor.jp/projects/wheelog2023
健常者の皆さんには、ぜひ「WheeLog!」の「車いす街歩きプログラム」に参加してほしいです。この記事で少しでも興味を持ってもらえたなら、どんな方でもウェルカムです。体験すると「共通言語」ができる。語り合うことができるようになって、どんどん分かり合えるんです。プログラムはこれから全国各地で実施していきたいと思っています。あなたに会えることを、楽しみにしています。
取材・執筆:犀川 及介
編集:白鳥 菜都
撮影:服部 芽生
1980年生まれ。NPO法人PADM(遠位型ミオパチー患者会)代表、一般社団法人WheeLog代表理事。2002年、22歳の時、進行性の筋疾患「遠位型ミオパチー」と診断を受ける。2005年に結婚し、翌2006年に出産。その年から車椅子での生活をスタート。中途障がい者としての視点や車椅子での生活経験を生かし、アプリ「WheeLog!」を発案。福祉社会の構築に向けて講演など多彩な活動を行う。著書に『LOVE&SDGs 車いすでもあきらめない世界をつくる』(鳳書院)がある。
ホームページ WheeLog!
Instagram @yurik00da
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