憂鬱や悲しみは切り捨てなきゃ、なんてない。
「家族と性愛」をテーマに据え、エッセイの執筆や取材を続けてきた佐々木ののかさん。著書『愛と家族を探して』では、契約結婚をした人、精子バンクを利用して子どもを産んだ人など“普通”とは違う多様な形の家族の取材を通して、「こうあるべき」とされがちな家族観を問い直した。そんな佐々木さんが次に手掛けたのが、自己愛をテーマにしたエッセイ集『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』だ。長い間、自分を愛せなかった彼女が七転八倒の末にたどり着いた、「自分を愛する方法」について聞いた。

近年よく聞かれるようになった「ご自愛」という言葉。従来通り他者に「ご自愛ください」と呼びかけるだけでなく、「今日はご自愛した」「疲れたからご自愛しなきゃ」と、自分自身に使う人も増えた。自分を愛し、いたわることが尊ばれるようになったことの表れだろう。その一方で、自分をうまく愛せずに苦しむ人も少なくない。自身の生きづらさに端を発して文筆家となった佐々木さんも、「私のような未熟で醜悪で野蛮な人間をどうして愛すことができようか」と語った通り、自分を愛せずもがき苦しんできた一人だ。そんな彼女は、どのようにして「自分を愛し、満たされている」という現在を手に入れたのだろうか。
自分を愛する第一歩は「心の声を聴くこと」。ネガティブな感情も、抑圧せずありのままに受け止めて
不本意な帰郷が、過去や自分と向き合うきっかけに
2021年1月、7年間住んだ東京から地元・北海道に拠点を移した佐々木さん。「小さい頃から憧れてきた東京をたち、憎しみにも似た感情を抱いてきた地元に帰るのは不本意だった」と語る一方、生活に大きな変化が生まれたことで自分や過去と向き合えるようになり、長年苦しめられてきた自己愛の欠如から解放されたという。
「東京にいた頃は自分の愛し方がわからなくて、常にもがいていました。自分自身を引き受ける覚悟がなかったので、面倒くさい自分を自力で愛さなくて済むよう、人からの愛で心を充填しようとしていて。だけどうまくいかなくて、『なんで優しくしてくれないの』『なんで愛してくれないの』と、一人で文句ばかり言っていましたね」
当時から「このまま自分を認めてあげられないと、いつかつぶれてしまうな」という危機感を抱いてはいた。だが、自分自身とどう向き合えばいいのか見当がつかず、気持ちにふたをし続けていたそうだ。
「北海道に戻ってからは、ついに自分がグレて、手が付けられなくなっちゃいました(笑)。東京にいた頃は、“東京で頑張っている自分”ってだけでイケてると思えたんですよ。でも、地元ではそれまで頑張ってきたことが通用しない。地方だからか、文筆家として働いていても、周囲から『ちゃんと働いて家にお金を入れなさい』って言われるんです。
自尊心がボロボロになり、『全部台無しになった』とか、すごく嫌な言葉だけど『都落ちしちゃった』なんて感じていましたね。過去も含めた人生の全てを否定したくなって、最終的には『生まれてこなければよかった』に行き着いてしまいました。
でも、どれだけ嫌おうとも、自分自身とはお別れできませんよね。だから、過去と仲直りするために、自分と少しずつ向き合おうとするようになったんです。その時は『愛そうとか肯定しようとまで思えなくても、せめて受容できるようになれたら』って気持ちでした」
常に自分で決めることが、自分を大切にすることとは限らない
そんな中で執筆したのが『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』というエッセイ集だ。
「不本意な暮らしの中でなんとか楽しいことを探そうとしていた時期だったので、当初は幸福と感じることをテーマに執筆を進めていたんです。
それを編集者さんに読んでもらったら『ののかさんは、自分を愛することを幸福だと思っているんじゃないですか』と言われて、自分を愛するに至るまでの軌跡をつづるようになりました」
エッセイを執筆しながら自身を見つめ直すうちに、心の声におのずと耳を傾けるようになったという佐々木さん。本書で紡がれた言葉たちにも、心の声に耳を澄まし、自分にうそをつかずに生きようとする姿勢が表れている。
特に印象的なのが「選ばない」と題した章だ。
自分が何を求めているかを常に問い続けなければいけない環境にいることは、ものすごく負荷がかかることなのかもしれない
※引用 『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』P.87
とし、あえて「選ぶ」場面を減らす生き方について語っている。
「“自ら選び取ること”と“自分を大事にすること”はイコールで結ばれがちですが、必ずしもそうではないですよね。私を含め、選ぶのが負担になる人も少なくないと思うんです。
そんな人が『なんでも自分で選ばなければ』と、あらゆることを自己決定していたら疲弊してしまいます。それって、心の声を聴いているようで、本当は聴けていない状態なのかなって。
こだわりのない場面で極力選ばないでおけば、ためておいたゆとりを絶対に譲りたくないことのために使えます。私が何より大切にしたいのは、ものを書くことと猫たちのお世話。それ以外のことは、どうでもいいと思えるくらいがちょうどいいんです」
ネガティブな感情は抑え込もうとすればするほど強くなる
誰もが抱くネガティブな感情との向き合い方についてつづった「悲しみ」「憂鬱」の章にも、佐々木さんらしさが色濃く表れている。ここでは、悲しみを「大切なものたちと地続きになっている」ものと表現。
いつか陽の光のような幸福を浴びるまで、ほの暗い部屋で私だけの悲しみを抱きしめて、失われた時間とおしゃべりしていたいのだ
※引用 『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』P.30
と語るように、忌避されがちな感情をあえて否定せず、しなやかに受け止めている。
憂鬱(ゆううつ)は「ときどき訪ねてきて、執拗な愛情を注いでくる伴侶」。他人をコントロールできないのと同じく、思うように自分をコントロールしようなどということが傲慢と考え、いつ憂鬱が訪れてもいいよう、受け入れる時間的・精神的ゆとりを意識的につくっているという。
「たとえネガティブな感情でも、きっといいところがあるはずだと思いたくて。哲学者の山内志朗さんの『人間が持っている感情で無駄なものはひとつもない。全て使い方次第』という考えから影響を受けています。
それに、ネガティブな感情から逃げようとするのって、感じていることを無理やりねじ伏せている状態ですよね。悲しみや憂鬱は、やっつけようとすればするほど強くなる幽霊みたいなもの。抑え込むよりも聴いてあげた方が、満足して小さくしぼんでいくと思っています」
心の声を聴き、自分にうそをつかなくなったことで、いつしかネガティブな感情もひっくるめた“ありのままの自分”を愛せるようになった。今ではもう、誰に愛されずとも、自分で自分の価値を定めることができる。
たとえ自分を愛せなくても、心の声を聴き続けてあげてほしい
自己愛を起点に、揺るぎない“自分の世界”を紡ぎ出せるようになった佐々木さん。しかし、世界には今なお、かつての彼女のように自分を愛せず苦しむ人が大勢いる。そんな人が自己愛を手に入れるには、どうすればいいのだろうか。
「まずは自分の心の声を聴いてあげることだと思います。声を聴いて本当に大事にしたいものがはっきりしたら、他のことが気にならなくなってすごく楽になれました。
私が心の声を聴くためにやったのは、紙の日記をつけること。SNSで手軽に発信できる時代ですが、SNSって他人の目にさらされるものなので、発信の前にどうしても自己検閲してしまいますよね。ムカッとすることがあっても『私が悪いんだけど……』と前置きしてしまったり。
そうやって自分にうそをつくことを繰り返すと、声は聴こえなくなってしまいます。だからこそ、何を書いても他人を傷つけることがなく、自己検閲からも逃れられる日記みたいな場所が必要なのかなと。
でも、そもそも『自分を愛せていないこと』で苦しむ必要ってないと思うんです。自分を愛そうとしすぎることで『愛せない私はダメだ』と追い詰められるくらいなら、ずっと嫌いなままでいい。それでも、心の声をよく聴いて、声に寄り添ってあげられるとさらにいいかもしれないですね」
柔らかな表情でそう語ってくれた佐々木さん。彼女自身が自分を愛したくても愛し方がわからないという経験をしてきたからこその言葉だろう。
“自分を愛さなければ”という固定観念を捨て、自分が嫌いと感じるありのままの状態を受け止める。自己愛とは正反対の方向に思えるが、それもまた心の声を尊重する道だ。その先には、“愛さなければ”という意識すら持たずごく自然に、自分を丸ごと愛せるようになる未来が待ち受けているのかもしれない。
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取材・執筆:小晴
撮影:内海 裕之

文筆家。自身の体験をベースにした書評やエッセイを新聞や雑誌に寄稿。著書に『愛と家族を探して』(亜紀書房)。2022年3月に同社から『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』を刊行。2021年1月より北海道・十勝在住。愛猫みいちゃんのほか2匹の子猫と暮らしている。馬が好き。
Twitter @sasakinonoka
公式note 佐々木ののか
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