“ゆるい”取り組みでは地方創生はできない、なんてない。
若い世代の地元離れや高齢化などによる人口減少は、全国の地方自治体が抱える深刻な問題であり、地方創生に取り組む上での大きな課題のひとつだ。しかし牧野百男さんが市長を務める福井県鯖江市では、前例や結果にとらわれない独自の“ゆるい”政策で人口流出にストップをかけ、さらには住民の数を増やすことに成功している。
地方創生を巡る課題の中でも特に深刻と言われているのが都市部への人口流出だ。近年では多拠点生活や地方への移住を選択する人も増えてはいるが、そのほとんどは30~40代以上。未来を担う若者を地元につなぎとめたり、外から人を呼び込むための手段に頭を悩ませる地方自治体は多いが、目標達成に至った成功例はまだまだ少ない。その悩みは“幸福度日本一”といわれる福井県にある鯖江市においても例外ではない。そんな同市が活路を見出したのは、「ゴールを決めない」どころか「成果を求めない」という前代未聞の取り組みだった。
中学生時代の牧野さん(下段中央)
大事なことは現場の声が教えてくれた
「鯖江市役所JK課」「ゆるい移住」「ゆるい食堂」など、既成概念に反した取り組みで並々ならぬ成果を上げているのが鯖江市長の牧野百男さんだ。市民の声を生かした個性的な政策を市政に反映することで、生活の質の向上やまちの未来を担う若手の発掘などを実現。その実績は国内外問わず注目を集め、2018年は「2018国連NY本部SDGs推進会議」へ参加、国土交通省の平成30年度地域づくり表彰「全国地域づくり推進協議会会長賞」や第11回協働まちづくり表彰グランプリに「鯖江市役所JK課」が受賞するなど、その活躍は枚挙に暇がない。
今でこそ革新的な政策で世界中から注目を集める牧野さんだが、当初は政治家になるつもりはまったくなかったという。しかし、知事や職員仲間、地元住民など、多くの人たちの声に推され、福井県庁職員から小浜市副市長、福井県議会議員、そして現在の鯖江市長という立場へと歩を進めることとなる。
「僕は幸せな市長なんですよ。とにかく小さいころから周りの人に恵まれているんです」と牧野さんは謙遜するが、県庁職員時代から目の前の仕事や現場の声と真摯に向き合い、信頼を積み重ねてきた背景があることは想像に難くない。
生まれ育ちは鯖江市。長男だったため「将来は家業の大工を継ぐものだ」と教えられて育ったものの、中学1年生の時に父の会社が倒産。そのため地元の鯖江高校を卒業した後は、当時の花形職業のひとつであった福井県庁の職員として働く道を選んだ。入庁直後は耕地整理などの現場作業が中心だったが、勤続年数を重ねるうちに企画課や財政課、秘書課などの仕事を任されるように。やがて県民生活部長や総務部長として、県政に深く関わる立場になっていく。
「どの経験も役に立つことばかりだったのですが、特に大きかったのは、その時代の知事を務めていた中川平太夫さん、栗田幸雄さんに秘書として仕えさせてもらったことですね。たくさん勉強させてもらった中で、今も大事にしていることのひとつが「現場は宝」という言葉。現場にはいろんな知恵が隠されているので、困ったらとにかく現場に出る。現場に行くといろんな人に会えるし、そこから耳に入ることも多いんです。僕のあれもやりたい、これもやりたいという考えは、現場での経験から来ていることが多いと思います」
秘書時代の牧野さん
利益や結果を求めない“ゆるい”取り組みが未来を拓く
これまで鯖江市で行われてきた個性的な取り組みの多くも、市民や県外の有識者たちの声が発端となって生まれたものだ。届いた意見を市政に生かすための基盤となっているのは、2010年に公布された「鯖江市民主役条例」。その目的は市民が主体的に市政へ参加する機会を行政がサポートしていくことで、市民主役のまちづくりを目指すことにある。
さまざまな取り組みの中で予想以上の成果を上げたのが、慶應義塾大学・特任准教授の若新雄純さんの提案でスタートさせた“ゆるい”取り組み。代表的なのは女子高生が中心となってまちづくりを推進する「鯖江市役所JK課」と、目的やスタイルを限定しない体験移住プロジェクト「ゆるい移住」だ。どちらも“ルールで縛らない”“成果を求めない”という極めて実験的な試みだったが、次世代の地域の担い手を数多く輩出。若い女性の地元離れ対策や、優秀な人材の誘致といった課題の解決に一役買っている。
「ゆるい移住は市が用意した物件を拠点に約半年間自由に過ごしてもらい、気に入ったら定住するためのお手伝いをしますよ、というシステム。とはいえ当初は「各々が自由に考えたプロセスの中でいろいろな思い出を作ってもらい、この土地に愛着を持ってもらえたら大成功」くらいにしか考えていませんでした。ところがフタを開けたら15人の参加者のうちの6人、しかも東大卒の元会社員やITエンジニア、元野球選手、ライターといった優秀な方々が鯖江に残ってくれたんです。移住後も自主的に地域おこし協力隊に参加したり、全国へ向けて鯖江の宣伝を行ってくれたり。中には北海道から家族を呼び寄せて一家で定住してくれた方も。たまたまいい人材が集まってくれたおかげとはいえ、ここまで地域の活性化に直結するとは思っていなかったので、すごく嬉しかったですね」
「すべての物事に白黒をつけるのではなく、中間色があってもいい」という新しい概念に気づいたことも得られた成果のひとつだ。
「役所って中途半端を一番嫌がるんですよ。僕もお役所の人間なので、それまではハッキリ白黒つけなければいけないと思っていた部分がありました。だけど多様な考えや価値観を持つ今の若い世代には中間の色が必要なんですよね。だからこそ、やる前から「こういう結果を出せ」とゴールを決めつけたり「こうしなければいけない」というルールで縛ったりせずに、好きなようにやらせてあげたほうがいい。そのほうが移住やまちづくりを自分事として考えてくれるようになるんです。おかげで新たなアイデアや可能性も見えてきた。これも“ゆるい”取り組みだからこそ発見できたことだと思います」
鯖江市役所JK課が企画したまちの清掃活動「ピカピカプラン」の様子
小さな成功事例の積み重ねが人々の概念を変えていく
結果としては大成功を収めたこれらの取り組みも、当初は反対の声ばかり。鯖江市役所JK課は「JK」という言葉や「女子高生の自主性だけに委ねる」スタンスへの懐疑的な見解、ゆるい移住は「どんな人が来るかわからない」などの治安に対する不安。理解を得られない職員への説明や、住民からのクレーム対応に追われることも多々あったという。
「役人というのは守りですし、歴史の長い鯖江はもともと内発的なまちですからね。いきなり意識を変えるというのは当然難しい話です。だからまずは小さなことからでいいので“成功した”という前例を作る。例えば2012年に全国の自治体で初めて行政データのオープン化に踏み切った時は、公衆トイレやコミュニティバスの場所などの情報から公開。そこからちょっとずつ情報の数を増やし、いまでは200の行政情報がオープンになっています。何事もやってみなければわからないからこそ、急がず焦らずで」
前述の“ゆるい”取り組みでも女子高生たちによるごみ拾いや、移住者たちによる草むしりなどのちょっとした活動が先入観を変える転機に。その結果、最初は女子高生とのかかわりに戸惑っていた職員たちや、外部からの移住者に抵抗を示していた住人たちの意識も少しずつ好意的なものに変化。一方の女子高生側も「意見を聞いてもらえた」という成功体験でより積極的に意見を出してくれるようになったという。移住体験者も地域の祭りや害獣駆除の手伝いなどを通じて地元民の人情に触れ、鯖江市のファンに。定住には至らなかった人とも良好な関係が続いている。
働き者のお母さんたちが生きやすいまちを目指したい
前例のない取り組みに積極的に挑む牧野さんの現在の夢は、鯖江市のまち全体で女性活躍社会のロールモデルを作り、世界に発信すること。その理由は市の目標のひとつとして取り組んでいるSDGs(国連が定めた環境や性別、貧困などの問題解決の「持続可能な開発目標」)の実現には女性の活躍がカギを握っていると考えるからだ。
「鯖江市は女性の就業率・共働き率ともにずっと全国トップクラス。昔から家内工業が盛んなこともあり、働く女性が多い風土なんです。3世代同居で協力し合う家庭が多かった時代はワーク・ライフ・バランスも自然と取れていたのですが、近年では仕事に加えて家事、育児、介護といった多重労働に追われるお母さんが増えている。その環境を崩すためにも、まずは男性側が女性側の大変さを理解して負担を分かち合うという意識を広めたいんです」
その施策の追い風として期待しているのが、女性の就労支援に取り組むLIFULL FaMとタッグを組んで行う共同プロジェクト『わたしの日プロジェクト』だ。
「企業、地域、家族でお母さんを応援してパワーを与えようという取り組みは、まさに市が目指す方向性と合致しているので、お話をいただいたときは嬉しかったですね。この新しい働き方改革で、今の時代に合わせた“女性を支えられるまちづくり”を実現していきたいです」
誰も成し得たことのない幸福な都市の未来図と夢の実現を目指し、牧野さんの挑戦はこれからも続く。
最後に地方を盛り上げる取り組みに挑戦するための極意を伺った。
撮影/安田新之助(Rgraph) 取材・文/水嶋レモン
1941年 福井県鯖江市生まれ。
1961年 福井県庁に入庁。福井県嶺南振興局長、県民生活部長、総務部長などを歴任。
2001年 小浜市副市長に就任(第九代)。
2003年 福井県議会議員に当選。
2004年 鯖江市長(第六代)に就任。現在四期目。
政治信条は「愛情」「真実」「実行」。料理(魚を三枚におろす程度)、サッカー、野球観戦。
好きな言葉は「人は城、人は石垣、人は堀」、「人は最大の経営資源、財産」。
鯖江市ホームページ:https://www.city.sabae.fukui.jp/
Facebook:https://www.facebook.com/hyakuo
Twitter:https://twitter.com/hyakuo
百さんのブログ:https://ameblo.jp/hyakuo/
みんなが読んでいる記事
-
2023/09/12ルッキズムとは?【前編】SNS世代が「やめたい」と悩む外見至上主義と容姿を巡る問題
視覚は知覚全体の83%といわれていることからもわかる通り、私たちの日常生活は視覚情報に大きな影響を受けており、時にルッキズムと呼ばれる、人を外見だけで判断する状況を生み出します。この記事では、ルッキズムについて解説します。
-
2022/02/03性別を決めなきゃ、なんてない。聖秋流(せしる)
人気ジェンダーレスクリエイター。TwitterやTikTokでジェンダーレスについて発信し、現在SNS総合フォロワー95万人超え。昔から女友達が多く、中学時代に自分の性別へ違和感を持ち始めた。高校時代にはコンプレックス解消のためにメイクを研究しながら、自分や自分と同じ悩みを抱える人たちのためにSNSで発信を開始した。今では誰にでも堂々と自分らしさを表現でき、生きやすくなったと話す聖秋流さん。ジェンダーレスクリエイターになるまでのストーリーと自分らしく生きる秘訣(ひけつ)を伺った。
-
2023/02/27アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)とは?【前編】日常にある事例、具体的な対処法について解説!
私たちは何かを見たり、聞いたり、感じたりした時に実際にどうかは別として、「無意識に“こうだ”と思い込むこと」があります。これを「アンコンシャスバイアス(無意識の思い込み)」と呼びます。アンコンシャスバイアスによるネガティブな影響に対処するための第一歩は、「意識し、理解する」ことです。
-
2023/08/31身体的制約のボーダーは超えられない、なんてない。―一般社団法人WITH ALS代表・武藤将胤さんと木綿子さんが語る闘病と挑戦の軌跡―武藤将胤、木綿子
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の進行によりさまざまな身体的制約がありながらも、テクノロジーを駆使して音楽やデザイン、介護事業などさまざまな分野でプロジェクトを推進。限界に挑戦し続けるその姿は人々の心を打ち、胸を熱くする。難病に立ち向かうクリエイター、武藤将胤(まさたね)さんとその妻、木綿子(ゆうこ)さんが胸に秘めた原動力とは――。
-
2022/02/22コミュ障は克服しなきゃ、なんてない。吉田 尚記
人と会話をするのが苦手。場の空気が読めない。そんなコミュニケーションに自信がない人たちのことを、世間では“コミュ障”と称する。人気ラジオ番組『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めたり、人気芸人やアーティストと交流があったり……アナウンサーの吉田尚記さんは、“コミュ障”とは一見無縁の人物に見える。しかし、長年コミュニケーションがうまく取れないことに悩んできたという。「僕は、さまざまな“武器”を使ってコミュニケーションを取りやすくしているだけなんです」――。吉田さんいわく、コミュ障のままでも心地良い人付き合いは可能なのだそうだ。“武器”とはいったい何なのか。コミュ障のままでもいいとは、どういうことなのだろうか。吉田さんにお話を伺った。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。