地方が拠点だと世界は広がらない、なんてない。
香川県をベースに東京にも拠点を持つ二拠点生活を送る、ファシリテーター&ビジネスコーチの谷益美さん。ビジネスパーソン向けのトレーニングと並行して地元での様々な活動にも参画している谷さんに、地方と都市部に拠点を持つことで広がるつながり、そして自分の性質を生かしたネットワークづくりについて話を伺った。
「能動的に行動することで世界は広がる、受け身では広がらない」、そう言われると確かに納得だが、ファシリテーター&ビジネスコーチの谷さんは、「人生そのものが受け身。やりたいことをやっていいと言われると逆に困ってしまう」と語る。受け身でも世界は広げられるのか。谷さんの生き方、ネットワークの築き方からヒントを探ってみたい。
継続する人間関係は負担。
広く浅くゆるくつながりたい
企業研修やセミナーで全国を飛び回る、ファシリテーター&ビジネスコーチの谷さん。生まれ育った香川県をベースとしながら東京にも拠点を構える二拠点生活を送っている。
「独立した頃から毎月上京していますが、5年前に部屋を借りてからは月に2~3回上京するようになりました。ちょっと生活するためのワンルームマンションですが、拠点があると身ひとつで移動できるので気軽に来られるのがいい。時間にもゆとりが持てるぶん、会食や飲み会など交流を広げる場も持ちやすくなって、東京でのつながりもより濃くなったと思います」
ファシリテーターやビジネスコーチといえば、元コンサル会社など人材業界出身者が圧倒的に多い中、谷さんのキャリアは一風変わっている。
「人材業界を通っていないどころか、人事部のある会社で働いたこともないんですよ。新卒で入った建材商社も、その後お世話になったIT系のベンチャー企業も地元の中小企業だったので。コーチングに関する情報と出合ったのはIT系の会社にいた頃、後輩指導を任されたことが入り口でした」
コーチングは対話を通して課題を明確にし、状況を改善したり目的を達成していく技術だが、このやり方に谷さんはとてもなじみがあった。
「知れば知るほど、『これは自分が長年やってきたことだ!』と感じました。私の場合、問題は対人関係などコミュニケーション全般に関わることでしたけど。今まで自分の中で内省とPDCAを重ねてきた対人スキル、それを体系的にまとめたものと出合ったという感覚です。自分ができることが職業として確立されていると知って、『これは仕事にできる!』と思い立った、それが今の仕事に進んだ理由でした」
マネジメントを変えながら対人関係を改善してきた
谷さんの“人間関係悩み歴”は長い。物心ついたときにはもう周りから浮いており、小学校に入っても親しい友達ができなかった
「全く友達がいないわけではないけど遠足で班を作ったら余る子でしたね。おずおずして仲間に入れないというよりは主張が強くて浮いていた。授業でわからないところがあったらひたすら質問してしまうとか、KYだったと思うんです。オシャレや恋愛からも縁遠かったので女の子の話題にもうまく入れず、グループにもなじめなかったです」
トライ&エラーを繰り返しながらコミュニケーションスキルを高めてきた谷さんだが、思い返せば“マネジメントを変える”ことに初めて取り組んだのは小学校低学年の頃。「泣いて助けを待つ」のをやめたことだ。
「それまでは『泣いたら誰かが助けてくれるから泣く』というマネジメントをしていたんです。だから周りが引くほど泣き虫でした。でも、あるときこのやり方が通用していないことに気づいた。学校で何時間泣き続けようと誰も構ってくれないことがあって、そのとき泣いているだけじゃダメなのかもしれないと感じたんでしょうね。いじめっ子の男子にはランドセルを投げて反撃するとか、行動で『嫌だ』と伝えるマネジメントに変えた。そこからあまり泣かなくなったんです」
大学生時代はずっと人を誘えなかった。「本当は行きたくないかもしれないしな」とどうしても相手の気持ちが気になってしまう。人を誘うという行為は誘われたほうに負担をかけるものだと思っていた。そんな谷さんにパラダイムシフトが起きたのは大学4年のときだ。
「誘われ待ちなので誘われたら喜んで行くんです。でも誘われなかったらひとり。ポツンとすることも多くてそれはそれで気になっていたんですよ。そんなとき、同じ部活の子がランチの誘いを『今日やめとくわ』と軽く断っているのを見てびっくりしたんです。特別な理由もなく誘いを断るのは相手を全否定することだと思っていたから。それで聞いてみるとそれは別に普通のことだと言われた。気が乗らなかったら行かないという選択肢もあるんだと初めて知ったんです」
そんなに軽いものなら自分も誘えるようになりたい。リサーチを兼ねて級友たちに「自分は人を誘えないのだけど……」と話してみたところ、「谷はひとりが好きなんじゃないの?」と逆に驚かれた。
「ひとりでいたら声をかけてくれるだろうと思っていたのが、ひとりが好きなんだと思われていた。衝撃でした。でもこれって『泣いていたら誰か助けてくれるだろう』の延長なんですよね。これは何としても変えねばと思って人を誘う練習を21歳から始めたんです。年齢とともに打たれ強くなってきて、今はちゅうちょしなくなりましたけど、当時はすごく頑張ったチャレンジだったと思います」
人を誘うことはできるようになったが、「基本的に自分は受け身な人間だ」という自覚も芽生えた。「やりたい!」よりも「こういうことできる?」と聞かれたほうがアイデアがわく。誰かの期待に応えることでキャリアも築いてきた。
31歳で独立。毎月1度は上京しキャリアを築く
地元でそれなりのステータスを築いて東京にも仕事が広がるパターンはあるが、谷さんは香川在住ながら東京でキャリアを築いていった。
「こっちで講義をしたり本を出版したり実績を作る中で、地元でも『谷さんって人がいるらしいよ』という広がり方をしていったので。ちょっと珍しいと言われますね」
ファシリテーター&ビジネスコーチとして独立したのは31歳のとき。香川と東京では情報に圧倒的な差がある。それは自分で取りに行かねばと考えていた谷さん。まだ東京に仕事がない頃から、勉強会など何か用事を作って月に1度は上京するようにしていた。
キャリアが広がる転機となった出会いがあったのもこの頃だ。
「今の仕事が生まれたのはなぜか、さかのぼり年表を書いてみたらすべては14年ほど前に参加した『朝の勉強会』にたどりついた。HUBとなる人との出会いが始まりだったとわかったんです」
それはMBAホルダーがメインのビジネスパーソン向けの朝活セミナー。ゲストスピーカーが30分講義をしたら、あとは朝ご飯を食べたりしながら情報交換をするような会だった。
「そこで名刺交換させていただいたのが早稲田大学ビジネススクールの杉浦正和教授。ちょっとした会話を交わしたんですが、それが面白かったのか『今度、授業に遊びに来ませんか』とお誘いいただいたんです。それが縁となってつながりが生まれて、後々には同校の非常勤講師となるキッカケにもなりました」
杉浦教授がつないでくれた人たちからさらに人脈も広がり、それが今の仕事へとつながっていった。
地方と都市部をつなぐHUBとして機能する
現在谷さんはビジネスパーソン向けのトレーニングと並行して、地元に関わるさまざまなプロジェクトにも参画している。
「拠点をポンと置くことによってそこにはネットワークが生まれる。地元と東京に拠点があることで地方と都市部、2つのネットワークをつなぐHUBとして機能できている。人と人をつないでそこから広がりを生み出せることが二拠点生活の強みでもあると思います」
人とのつながりからキャリアが広がっていった谷さんだが、人脈やネットワークづくりを意識的にやったことはない。
「元が人見知りで受け身なので、はじめましての状況でたくさんの方とつながるのは苦手なんですよ。人とつながることが目的だったとしたら負担が大きすぎて行動できなかった。ただ、何かの会に参加したときには、その会を差配した人や席の近い人には自分から話しかけようと決めてはいました。大勢の人と仲良くなろうと考えると負担になるけど、隣の席の人くらいなら話しかけられますよね」
知らないことがたくさんあったことも行動につながった。
「コーチングを仕事にできるとは思ったけれど専門的なことは全くわからなかったので、知らないから勉強しに行こう、知らないから見に行ってみようとフットワーク軽く行動できて、行った先で少しずつ人と知り合っていくことができた。知らないということは強みでもあったなと思います。利害関係のないゆるいネットワークが有用な情報をもたらしたり、何か新しいアクションにつながっていく『Strength of weak ties(弱い紐帯の強さ)』というセオリーがあるんですけど、私は知らぬ間にそれを作っていたんだと思います」
受け身な人ほど外へ行かないと広がらない
継続する関係は気を回しすぎて負担になる。深くつながる人間関係はごく少数でいい。話題もネットワークも広く浅いのだと谷さんは語る。
「何かあったときに『そういえばそれっぽいこと言ってた人がいたな、じゃあ今度その人をつなげて飲み会でもしようか』、そんなふうにHUBとして機能する、そういうつながり方が自分には合っているかなと今は思っています」
「居心地のいいところにずっといたら同じ刺激しか得られない。受け身な人ほど外に行かないと広がらない」とも考えている。
撮影/片岡 祥
取材・文/ささきみどり
1974年香川県生まれ、香川大学卒。建材商社営業職、IT企業営業職を経て2005年独立。
専門はビジネスコーチングおよびファシリテーション。企業、大学、官公庁などで研修やワークショップなど、年間約200本の対話を通した学びの場づくりを行う。2015年、優れた講義を実施する教員に贈られる「早稲田大学ティーチングアワード」を受賞。雑誌やウェブサイトへの記事寄稿、取材依頼等多数。株式会社ONDO代表取締役、 早稲田大学ビジネススクール非常勤講師、岡山大学非常勤講師。
株式会社ONDO https://ondo.company/
Amazon著者ページ https://www.amazon.co.jp/l/B075D92BYQ
Facebook https://www.facebook.com/ondo.community/
Twitter https://twitter.com/office_123
みんなが読んでいる記事
-
2023/02/07LGBTQ+は自分の周りにいない、なんてない。ロバート キャンベル
「『ここにいるよ』と言えない社会」――。これは2018年、国会議員がLGBTQ+は「生産性がない」「趣味みたいなもの」と発言したことを受けて発信した、日本文学研究者のロバート キャンベルさんのブログ記事のタイトルだ。本記事内で、20年近く同性パートナーと連れ添っていることを明かし、メディアなどで大きな反響を呼んだ。現在はテレビ番組のコメンテーターとしても活躍するキャンベルさん。「あくまで活動の軸は研究者であり活動家ではない」と語るキャンベルさんが、この“カミングアウト”に込めた思いとは。LGBTQ+の人々が安心して「ここにいるよと言える」社会をつくるため、私たちはどう既成概念や思い込みと向き合えばよいのか。
-
2021/05/27ルッキズムは男性には関係ない、なんてない。トミヤマユキコ
大学講師・ライターのトミヤマユキコさんは、著書『少女マンガのブサイク女子考』でルッキズムの問題に取り組んだ。少女マンガの「ブサイクヒロイン」たちは、「美人は得でブサイクは損」といった単純な二項対立を乗り越え、ルッキズムや自己認識、自己肯定感をめぐる新たな思考回路を開いてくれる。トミヤマさんの研究の背景には、学生時代のフェミニズムへの目覚めや、Web連載に新鮮な反応を受けたことがあったという。社会のありようを反映した少女マンガの世界を参考に、「ルッキズム」「ボディポジティブ」について話を伺った。
-
2024/08/27「インクルーシブ教育」とは?【後編】障がいや人種、性別の違いを超えて学び合う教育の海外事例と特別支援教育の課題を解説
インクルーシブ教育とは、障がいや病気の有無、国籍、人種、宗教、性別などの違いを超えて、全ての子どもたちが同じ環境で学ぶ教育のことです。日本の教育現場では、インクルーシブ教育の浸透が遅れていると言われています。この記事では、「共生社会」の実現に欠かせない「インクルーシブ教育」について解説します。
-
2020/12/01【第2回】LivingAnywhere WORKトップ対談 〜DXが創る働き方の未来〜
LivingAnywhere WORKトップ対談 第2回目となる今回は、賛同企業のひとつである株式会社デジタルホールディングス代表取締役会長の鉢嶺登氏(以下、鉢嶺)をゲストに迎え、 株式会社LIFULLの井上高志氏(以下、井上)とともに、DX(デジタルトランスフォーメーション)の現状や今後の可能性、近い将来における人間の生き方・働き方について対談が行われた。
-
2018/10/05目が見えないと写真は撮れない、なんてない。大平 啓朗
大学院生だった24歳の時、事故で失明し全盲となった大平啓朗さん。それからも、子どもの頃から好きだった写真を撮り続けている。聴覚や嗅覚を研ぎ澄まし、音や匂いを頼りに、心が動いた瞬間を切り取る。だから、自らを写真家ではなく、“写心家”と名乗る。撮った写真を人が見て喜んでくれるのが何よりの喜び。そう、視覚を失っても、写真は撮れるのだ。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。