若者じゃないと夢は追えない、なんてない。
毎分毎秒と移り変わる空。一瞬たりとも、同じ表情のときはない。そんな空に魅せられ、空の写真を撮る“空の写真家”がいる。それがHABUさんだ。これまで、数々の空の写真集や空に言葉を乗せた写真詩集を発表。HABUさんの撮る空は、見る者全てを魅了する不思議なパワーがある。
どうやったら、写真家になれるのか?
写真の専門学校に行って、アシスタントとして働いて、独立して……これが写真家、カメラマンと呼ばれる人たちの王道なレールかもしれない。だが、HABUさんの場合は違う。サラリーマンとして働き、退職。その後、カメラマンとしてのキャリアをスタートさせる。一からのスタート。実に32歳のときだった。決して早いとは言えない、人生の方向転換。それでも動かずにはいられなかった、彼の原動力とは——。
32歳でサラリーマンを辞めた。
それでもなんとかなる
ファッション関係の会社の広告を作る部署に勤務。26〜27歳の頃には、すでにイメージディレクションのトップとして働いていた。「突っ走ってきてちょっと疲れていましたね(笑)」。そんなとき、水着カタログの撮影でオーストラリアへ行くことになった。
「時間や空気の流れ方、リラックスしたライフスタイル……日本への帰りの飛行機の中で決めたんです。会社を辞めて、いつかオーストラリアに住もうと」
毎回、撮影スタッフの中にはカメラマンもいる。一流のカメラマンから、カメラのことを聞く機会は多かった。せっかくだからと一眼レフを購入して、海外など撮影に行っては写真を撮るように。自身が制作するカタログの隅に、イメージカットとして自分の写真を載せるようにもなった。いつしかカメラマンに憧れ「自分も、自分が思うままのクリエイティブな仕事がしたい」と思うように。オーストラリアの地に触れて、その思いが明確になった。
そこから半年「他にやる人がいなかったから(笑)」仕事は辞められなかった。32歳の時、正式に仕事を辞め再びオーストラリア・シドニーへ。10週間英語学校に通い、日常会話に困らない程度の最低限の英語を身につけ旅に出た。長期の旅だった。
「英語学校で出会った友達と旅に出ました。トータルで8カ月くらい。日本に帰る日が近づくにつれ“日本に帰ってどうしよう……”という思いはありました。ただ、そういうことを考えると、バッドになる。だからあまり考えず、旅は旅で楽しみました」
帰国後、すぐに写真家としての仕事があるわけではない。「写真で食うのは難しい」と改めて実感したという。
「サラリーマン時代のつながりでデザイン関係の仕事を頼まれたり、オーストラリアにロケ隊が行くのをコーディネートしたり、アルバイトみたいなことをして食いつないでいました。1年半くらいプラプラしてましたよ。出口が見えず、テレビゲームばっかりしてました(笑)。それで、夜は飲みに行く。そんなとき、サラリーマン時代の上司に『お前に仕事をいっぱい持ってきてやるから、会社を作ろう』と言ってもらったんです。それで企画会社として、ブランドのロゴを作ったり、イベントの企画をしたりしてましたね」
サラリーマン時代の人脈は、会社を退職してからも続いていた。そのことが、HABUさんがサラリーマン時代、誠実に仕事に向かい合ってきた証しだ。
「オーストラリア関係の仕事も多かったので、年2〜3回仕事のついでに行っては、写真を撮ってきました。そんなとき、近畿日本ツーリストさんから『写真展をやらないか?』と言われ、企画会社をやりながら初めて写真展を開催したんです」
そこから、好きが自信となり、確信へ変わった。自分の写真と向き合う日々。本当に撮りたいものは、見えてきていた。約3年間続けてきた会社をたたみ、再びオーストラリアへ。森の中や海辺で暮らしながら、約1年間、写真を撮り続けた。
「日本に戻ると、都会のガチャガチャした感じにもう耐えられなくて。埼玉県の山奥に家を借りて、そこで1年ほどかけて撮りためた写真をポートフォリオにまとめたんです。それを持って、出版社へプレゼンに回りました」
しかし、10社の出版社全てにNOを突きつけられた。それでも諦めない。自信も消えなかった。
「写真展は、定期的に開催してたんです。そこで、応援してくれる人、ファンになってくれる人、見てくれてるお客さんの反応を目の当たりにして、自信になっていたんです。きっとイケるなと。いつも期待してくれる人の気持ちが、いつか形になるだろうと思っていました」
その後、縁あって渋谷パルコで写真展を開催することに。写真雑誌に作品を載せてもらうと「雑誌を見たある会社がかつてプレゼンに来た写真家だと思い出し、新しい企画に採用してくれました」という。それがデビュー作のフォトカードブック『雲の言葉』。出版社めぐり始めて3年越し、一つの夢がかなった瞬間だった。
想像力の扉のスイッチを押し
バイブレーションを呼び起こす
HABUさん自身が“わぁ!”と思うようなエネルギーを感じながら、写真を撮影している。それが、見る人にも伝わっているのだろう。
「全部その中に入ってますよ。ほら、この空とか、エネルギー以外の何物でもない。“わぁ!”って言いながら走り回りながら写真を撮ってるんですよ。エネルギーを感じながら撮る。考えて撮った写真って、大体つまんなくなっちゃう」
今でこそたくさんの空の本を世に発表してきたHABUさんだが、最初に本を出したのは44歳のとき。会社を辞めてから、12年が経っていた。自身の新刊写真集『空は、』のページをパラパラとめくり、過去の困難さえも楽しそうに話すHABUさん。そんな姿は、ありきたりだが“人生は一度きり”ということを改めて強く感じさせてくれた。
「見てくれた人が“わぁ!”って思ってくれたら、そこが一応成功ってことなんです。見る人が感情移入して自分がそこにいるような感じになったり、イメージが膨らんだり、音が聞こえたり、風を感じたりとかね。想像力の扉のスイッチを押してあげるのが、僕の仕事。押し付けられた情報じゃなく、自分の頭が自主的に発想したイメージを大事にしてほしい。僕の写真は、情報じゃなくてバイブレーションなんです。写真展の会場で泣いてる人もいれば、『これは〇〇に見えるね』と言っている子供もいる。何を感じるかは、自由」
ポジティブな言葉は自分を鼓舞するもの。
自分の物語は自分で書き換える
生きていく中で、どれだけの衝撃に出合えるか。衝撃が多いほど、人生はより豊かになるのではないか。そんな気がする。
「夢は持った方がいいですよ。夢のある人生とない人生じゃ、全然楽しさが違いますから。小さい夢でもいいから、夢を持って生きたらいいなと思いますね」
焦らず、ただ、流れに身を任す。退屈な時間を怖がる必要もない。
「オーストラリアの夏の時期は、40℃近い暑さになることもある。そうすると、昼間はテントで昼寝してるんです。退屈な時間もいっぱいある。旅には必ずノートを1冊持って行くんだけど、そこに思いをどんどん書くの。東京にいるときは、ボーッとしていると何かいけないことをしてるみたいな気がしてた。けど、そんなふうに思わなくなりましたね。テレビゲームしてた時期も、必要だったんじゃないかな?(笑) いろんな思いを醸造してる時間。溜まりに溜まったものが、ポンッと弾けるのを待つ。あんまり無理に動くことって、ないんですよ。準備さえしておけば、いつの間にかその時が来ると思うから」
いくつになっても「やりたいことがあるならやったらいい。気持ちのいい場所で働く、楽しんで働いた方が、良い仕事ができるから」とHABUさんは言う。これまでのキャリアは、捨てるんじゃない。蓄積されているもの。むしろそれを抱えて新たなことにチャレンジできるのは、大きな財産だ。
写真家。1955年、東京都中野区生まれ。1978年、慶應義塾大学商学部卒。10年間のサラリーマン生活を経て、写真家の道へ。以来“空の写真家”として、世界各地を撮影する。写真集、写真詩集に『空の色』『空へ』他多数。新刊写真集『空は、』も発売し、発売を記念し写真展も開催。
公式HP http://habusora.com
公式Instagramアカウント @habutsuneo
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