【寄稿】病気や不調を「語られない」ことにしない|生湯葉シホ

コロナ罹患から後遺症に悩まされる日々

家の近所の長い坂を上っている時、半分ほど進んだところで息が苦しくなった。立ち止まって休憩していると、自転車に乗った人や小さな子どもたちが私を次々と追い抜いていく。息が整うのを待ち、また歩き始める。歩きながら、体力がぐっと落ちたことをあらためて痛感する。

今年の春、新型コロナウイルスに初めて罹患してからというもの、後遺症の影響で息が続く時間がすごく短くなった。その日の体調にもよるけれど、急な坂を上ったり、長い時間しゃべったりしていると、途中でゼエゼエと息が切れてしまうことが多い。少し前までは動悸やめまいもひどかったけれど、罹患から数カ月が経って、ようやくだいぶましになってきた。

味覚障がいや嗅覚障がいも含め、後遺症はさまざま経験したけれど、特に困ったのはブレインフォグ(※)のような症状だ。私はライターとしてエッセイやフィクション、インタビュー記事を執筆・編集することを仕事にしているので、ものを書くことに支障が出るのはいちばん参る。

自分のケースでは、コロナ感染からしばらくは、使いたい慣用表現がなかなか思い出せなかったり、言葉を打ち間違えたりすることが異様に増えた。例えば、「喉から手が出るほど」と打ちたくても一発で「喉」が出てこず、身体のパーツを頭から眉、目、鼻……と上から順番に思い浮かべていくうちに、ああ喉だった、と思い出したりするのだ。打ち間違いのほうはいまだにあまり治っておらず、もどかしさを感じることも多い。

※脳に霧がかかったようにモヤモヤとして、思考力が低下してボーっとしたり、目の前のことに集中できなかったりする症状

「かわいそう」は余計なお世話だ

後遺症の症状に悩まされるようになってからというもの、最初はとにかくいらいらしていた。ワクチンも何度も接種したのにとか、周りの同世代の人たちはほとんど軽症で済んでいるのに、ということばかり考えていた。SNSで散見される「コロナなんて風邪みたいなもんだよね」という意見には、ほとんど憎しみに近い気持ちを抱いたりもしていた(風邪では全然ない、とは今でも思う)。

とにかく早く治ってくれ、と祈り続ける毎日だったのだけれど、症状がしつこく長引くにつれ、「ああ、これはどうやら自分の身体に起きた不可逆な変化なのだ」ということを徐々に納得できるようになってきた。後遺症の症状を“老化”のようだと形容していた人がいたけれど、まさにそうだと思った。

歳を重ねる前には戻れないのと同じように、私はコロナ以前の身体のコンディションにはたぶん戻れない。そう実感するようになってから、今の自分の体調をイレギュラーな状態、つまり“異常事態”と捉えるのではなく、コロナを経たデフォルトの状態だとできるだけ捉え、今できることだけを無理せずにやろうと思うようになった。これは病気をポジティブに捉えよう、というよりも、もがいたり嘆いたりしても状況が変わらないなら、まあ“そういうもの”と思うしかないよな、というすごく現実的な話だ。

自分が意識をスライドさせるようにわりと素直にそう思えたのには、いくつか理由がある。いちばん大きな理由は、5年前に食道がんを患って以来、生活をガラリと変えることを余儀なくされた父の姿を間近で見てきたからだ。

父は10時間にわたる大手術を経て食道を切除してからというもの、食べ物をほんの少量ずつしか食べられなくなった。食道がない分、飲み込んだ食べ物や飲み物がストレートに胃に落ちてきてしまうようで、それらが一定数積み重なると急激に気持ち悪くなるらしい(本人はそれを「胃のテトリス」と呼んでいる)。

食べる量が減ったせいで洋服のサイズはMからXSになり、手術の影響で声帯に傷が付いたために声もかなり小さくなった。その変化を見た周囲の人たちは父をたいそう気の毒がり、「あんなに元気だった人がねえ、かわいそうに……」というようなことを本人や私たち家族に言ったりするのだけれど、父はそれを「まあ余計なお世話だよな」と一笑に付している。

父からすれば、手術を経たのちの身体や生活の変化は完全に不可逆なのだ。できないことはたしかに増えたし、不便さを感じることも多いと言うけれど、大好きなお酒は変わらずちびちびと飲んでいるし、仕事もペースを落として続けている。それを当人でもない人が“かわいそう”と一方的にジャッジし、“健康だったあの頃”と比較して不憫がるのはあまりにも勝手ではないか。

「食道がない状態が“かわいそう”なのは、みんな食道がまだあるからなんだろうな」と父は言う。本当にその通りだと私は思う。つまり、健康な状態、健常な身体がデフォルトの人にとってはおそらく、そうでない身体というもののイメージがつきづらいのだ。けれど実際には、ままならない身体とどうにか付き合いながらも日々を過ごしている人はたくさんいる。父がそうであるように。

“嫉妬も、坐骨神経痛の痛みの前には退陣してもらわねばならない”

さらには、イギリスの小説家、ヴァージニア・ウルフの「病気になるということ」というタイトルのエッセイを愛読していたこともたぶん大きい。ウルフはこのエッセイをおよそ100年前、1926年に発表している。当時はスペインインフルエンザ(スペイン風邪)が流行し、ウルフ自身もこのインフルエンザに何度か罹患したそうだ。まさに今、コロナ禍を生きる私たちのような状況を経験していたことになる。

「病気になるということ」は最初から最後まで素晴らしくおもしろいエッセイなのだけれど、特に1つ目のセクションは、何度読んでもしびれてしまう。私はコロナに感染したちょうどその時も、ひどい寒気と熱に苦しみながら、ベッドの中でこのエッセイの冒頭を読み返していた。

病気が愛や戦いや嫉妬と同程度に文学の主要テーマになっていないというのは、いかにも奇妙なことである。(中略)文学が総力を挙げて主張しているのは、我が関心事は精神にあり、ということである。肉体など一枚のガラス板のようなもの、魂はこのガラス板を介してはっきり鮮明に見えるのだから、欲望や卑しさなどの一つか二つの熱情を除けば肉体など無だ、無視してよろしい、存在しない、というのである。

ヴァージニア・ウルフ「病気になるということ」片山亜紀訳より引用

「文学の主要テーマとして“肉体”の存在感が薄いのって変じゃない?」とウルフは言う。私たちは日々、怪我をしたり、熱が出て苦しんだり、時には抑うつ症状に襲われたりするにも関わらず、それらは“愛や戦いや嫉妬”の問題と比べれば価値がないとでも言われているようだ、と。けれど実際には、私たちの生活には“肉体”の問題が常に存在している。

必要なのは新しい言語──より原始的、より感覚的、より猥褻な──だけではない。どこに情熱を傾けるのかについての優先順位も変更しなくてはならない。四十度の熱を前にすれば、愛には退位していただかねばならない。嫉妬も、坐骨神経痛の痛みの前には退陣してもらわねばならない。

同上

“肉体”の問題を書くためには、新しい言語と新たな優先順位が必要なのではないかとウルフは問題提起をする。“嫉妬も坐骨神経痛の痛みの前には退陣してもらわねばならない”というくだりは何度読んでも笑ってしまうのだけれど、これは本当に大切な指摘だと思う。重要・崇高とされているテーマには何度でも目が向けられるのに、病気や不調にまつわることの優先順位はいつまで経っても低いまま、というのは、文学だけに限らないことのように思えてならない。

環境改善を訴える障がい者の人たちに冷ややかな目が向けられたり、奨学金などを得るための募集要項に「心身共に健康であること」という条件がさも当然のように添えられていたりするのを見るたびに、私はウルフのこのエッセイを思い出す。たしかに存在しているはずの“肉体”の問題が、たしかに存在しているはずの病気や障がいのある人たちが、健康な身体を有している人たちによって透明化されることはあまりにも多い。

「不調」を透明化したくない

だから私はある時から、物書きの端くれとして、不調ありきの自分の身体や精神の状態のことを、ことさらに特別視せずに書いたり語ったりしていこう、と思うようになった。コロナを経て、その思いがより確かになったのを感じている(もちろん、身体にまつわることはとてもプライベートなことだから、意識して語らないことや語りたくないこともあるし、自分自身のためにそれは守るつもりだ)。

病気や障がいに限らず、私たちは本来、自分とは大きく異なる身体や特性を持つ人のことをなかなか想像しづらいのだと思う。

例えば私自身は身長が低いので、美容室のシャンプー台では毎回「もう少し上に上がれますか?」と美容師さんに聞かれ、台をよじ登るようにして頭の位置を調整しているのだけれど、かつて「もう少し下に下がれますか?」と隣の人が声をかけられているのを耳にし、衝撃を受けたことがある。書いていて恥ずかしくなるくらい些細な例だけれど、他者の状況というものはそのくらい、知らなければ知らないままで一生を終えてしまう可能性のあるものなのではないか。

だから私は不調や障がいにまつわることも、もっと当たり前に語りたいし、もっと語られてほしい。繰り返すけれど、語りたくないことを無理やり語らせるのはルール違反だから、その線引きは必要だ。けれど、“健康な状態”以外がタブー視され、透明化されてしまうのは、私たちの生活にとって、社会にとって、すごく不健全なことだと思う。

身体的な障がいや精神障がいに関しては特に、多くの活動家たちが声を上げ、途方もない努力を重ねて環境を少しずつ変えてきた重い歴史がある。当然だけれど、健康とされる身体を持った人たちだけが世界を構成しているわけではないのだ。私は“不健康”な人たちの声だって、もっともっと聞きたいと思う。

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Profile 生湯葉シホ

東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、Webを中心にエッセイやインタビューなどを執筆している。『別冊文藝春秋』に短編小説「わたしです、聞こえています」掲載。『大手小町』にてエッセイ連載中。

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