「老いは醜態ではなく、勲章」愛犬2匹を看取った漫画家が語る“老犬介護と看取り”の体験談
人間と暮らす犬・猫の平均寿命は年々、延びている。アニコム ホールディングス株式会社が公開した『家庭どうぶつ白書2025』によれば、犬の平均寿命は14.1歳、猫の場合は14.5歳であった。
性格は対照的!不器用な性格の愛犬たちと過ごした日々
――はじめに、一緒に暮らしていた愛犬たちのことを教えてください。
真希ナルセさん(以下、真希):銀次郎(柴犬)とグミ(ダックスフンド)です。どちらもオス。銀次郎は15歳、グミは18歳で永眠しました。
――出会いの経緯は?
真希:2匹はもともと、幼い頃からの知り合いであり、私の勤め先だった会社の社長が購入した犬でした。

会社で毎日、私が世話をするようになり、最終的に社長が飼育できなくなったので、私と創作仲間が立ち上げた「マキナル・フィールズ」で引き取りました。
――生前、2匹はどのような性格でしたか?
真希:銀次郎は、感情をあまり表に出さない頑固者。寡黙で和犬気質でした。グミはわがままで甘えん坊。自分本位で、みんなから「王子」と呼ばれていました。
2匹とも扱いづらいと言えたのかもしれませんが、その不器用さが愛おしかったです。
――生前の2匹の関係性は?
真希:銀次郎はグミを慕い、ラブコールを送り続けていましたが、グミはそれをあしらっていました。その構図がユーモラスで、漫画に描いたこともあります。
真希ナルセ『何度でも言うね、大好きだよ 愛犬グミと銀次郎と過ごした日々』(KADOKAWA)より
――2匹は一緒の部屋で暮らしていたのでしょうか?
真希:グミが2歳でてんかんとヘルニアを発症し、他犬に強く吠えるようになったので、別々の部屋で暮らすようになりました。再び同じ空間で過ごすようになったのは、2匹とも認知症になった晩年のことです。

愛犬の老いを感じて“介護”がスタート
――銀次郎くんは、何歳頃から介護が必要になりましたか?
真希:銀次郎はとても健康で生涯、大病はしませんでした。排尿コントロールが難しくなったのは、14歳頃。空間を把握する力も衰えました。

やがて、斜行がひどくなり真っ直ぐ歩けなくなったので、牽引ハーネスを使用するようになりました。外でしか排泄しない和犬の頑固さがあったため、半ば吊り上げるようにして散歩をしていました。
部屋の中ではハーネスで持ち上げながら毎晩、サークル歩行。深夜から朝方まで断続的に歩くこともありました。
――ハーネスでの散歩が難しくなってきてからは、どのように散歩していたのでしょうか?
真希:カートで散歩するようになりました。でも、広場ではカートから降ろし、牽引ハーネスを使って歩いてもらっていました。

外で歩くことに強いこだわりがあったので、その気持ちに応えたかったし、歩くことを諦めさせたくなかったからです。
――歩き足りない日は夜鳴きをしたため、真希さんは睡眠時間を削って二度目の散歩に行かれたことも多かったそうですね。そうした夜鳴き対策の他にも、銀次郎さんにされていた介護ケアはありますか?
真希:トイレが難しくなってきたので、紙おむつを履いてもらいました。食事は流動食。数日に一度は点滴をしてもらっていました。

生活する中では、刺激を与えないように心がけました。廊下の照明を調整したり、クッション設置したりして、過ごしやすいようにしていました。医療面と生活設計(QOL)の両方を考え、介護していました。
――一方、グミくんにはどんな介護が必要でしたか?
真希:グミは、12歳からの抗てんかん薬を服用していました。認知症を発症したのは、15歳の頃。意思疎通は、ほぼ不可能になりました。
また、元気に公園で跳ね回った後に腰痛になったことを機に、歩行不能になってしまって……。回復はしてくれましたが、私たちを認識できなくなりました。

それは“死”を経験したような衝撃でしたが、ショックよりも先に「ちゃんとやろう」という覚悟が生まれました。
――飼い主を認識できないという状態はとても歯がゆかったと思うのですが、どのようにコミュニケーションをとっていたのでしょうか。
真希:人間側が、わずかな苛立ちや喜びを“読む”ようになりました。例えば、抱っこをすると落ち着いてくれるなどを理解することです。だから、対話は一方通行でも関係性は希薄になりませんでした。
――グミくんは徐々に水分補給の仕方も変わっていったそうですね。
真希:はい。初めはシリンジやスポイトであげていましたが、通院して点滴を受けるようになりました。
――グミくんのてんかん発作とは、どのように向き合われていたのでしょうか。
真希:大発作は観測できただけで、64回にも及びました。抗てんかん薬の服用だけでなく、通院してのレーザー治療も続けていました。

ただ、通院でもストレスがかかり、発作を誘発するので細心の注意を払っていました。晩年は、意識を失う危篤状態から3度も回復してくれました。
仲間がいたことが救いだった……愛犬の介護中に感じた“歯がゆさ”とは?
――同じ言葉を話せない分、介護中はどんな歯がゆさが大きかったですか?
真希:終わりが見えないことです。「これで合っているのか」と不安になる判断の機会が何度もありました。
――介護中、ご自身の心を守るために心がけていたセルフケアなどはありましたか?
真希:私は仲間たちと介護や感情面を分担・共有できていました。ひとりではなかったことが、最大の救いでした。
――2匹の最期を教えてください
真希:銀次郎の場合は亡くなる数日前から意識がなくなり、小さな痙攣が続いていました。痙攣の発作がひどくなり、近所の動物病院に連れて行くため、車の後部座席に寝かせたら、目の前で亡くなりました。

耳は最後まで聞こえていると聞いたことがあったので、「もうダメだ」と悟った瞬間、名前を呼び続けました。
――グミくんの最期はどのような形でしたか?
真希:てんかん発作が出て、病院へ行きましたが「看取るしかない」と言われて……。帰宅している途中に腕の中で息を引き取りました。銀次郎の時と同じく、最期まで名前を呼びました。

病院に行くべきではなかったのだろうか、一番安心な場所で旅立たせてやりたかったと今でも後悔しています。
愛犬亡き後に感じたペットロスの辛さと辿り着いた向き合い方
――愛犬を亡くした後、ペットロスの辛さとはどのように向き合われましたか?
真希:一番必要だったのは、時間です。亡くなってしばらくは何をしても辛く、思い出してしまっていました。
でも、「この感情を忘れたくない」「記録しておこう」と思い、『何度でも言うね、大好きだよ ~愛犬グミと銀次郎と過ごした日々』(KADOKAWA)というコミックエッセイを描きました。
『何度でも言うね、大好きだよ ~愛犬グミと銀次郎と過ごした日々』(KADOKAWA)
私にとっては、それが浄化作業になったのかもしれません。
――私自身、闘病を経て愛猫を亡くした時、寂しさと同時に「自分も猫も楽になれた」という気持ちが芽生え、そんな自分の思考に罪悪感が湧く……というループに陥ったことがあったのですが、真希さんの場合はどうでしたか?
真希:正直に言えば、あります。介護が終わった瞬間、もしくは焼き場で骨になったのを見た時には「やり切った」と安堵しましたが、その直後に罪悪感が湧き、喪失感にも苦しめられました。
でも、それは“逃避”ではなく、長い緊張が解けた身体の反応だったのではないかと今では思えています。
――老犬介護の日々を、ご自身はどう捉えていますか?
真希:「なかったらよかった」とは、一度も思ったことがありません。辛さや苦労も込みで、“ギフト”でした。

老いは醜態ではない。不意に来る病や事故をすり抜けた先の勲章だと、私は思っています。
――ペットロスの傷が和らいだ今でも、生前の愛犬の姿を思い出して悲しくなったり、介護中の後悔が頭によぎったりすることはありますか?
真希:あります。特に認知症になる前の姿を思い出した時、胸が締め付けられます。でも、後悔と一緒に“最後まで並走した”という誇りもあります。
――実際に愛犬を介護し、看取ったからこそ知れた学びを教えてください。
真希:老犬を看取ることは、死に向き合うことではなく、最期まで命に同伴することだと思いました。楽しい時間だけを消費するのではなく、最期まで共に歩んでいく。それが、私たちの心情や運命を変えてくれた動物にできる、最大の敬意なのだと思います。
動物の老いや介護と真正面から向き合った、真希さん。彼女の経験談は動物の老いや介護を違った視点で捉えるきっかけにもなることだろう。
なお、真希さんが愛犬との日々を描いた『何度でも言うね、大好きだよ ~愛犬グミと銀次郎と過ごした日々』(KADOKAWA)では愛犬の介護事情がしっかり知れる一方、「老いは勲章」「老いはかわいい」という視点も盛り込まれているため、重々しくない。
今まさに愛犬の介護に直面している方はもちろん、これから介護を迎えるであろう飼い主やペットロスとの向き合い方に悩んでいる人も、ぜひ手に取ってほしい。
取材・執筆:古川諭香

マキ・ナルセ・ハジメの3人による漫画家ユニット。愛知県長久手市を拠点に活動。
創作チーム「スタジオ真希ナルセ」として、漫画・イラスト制作のほか、講師としても幅広く活動している。
犬猫をテーマにした作品を多く手がけ、キャラクターグッズやLINEスタンプの制作・販売も展開。オリジナルグッズ制作サイトSUZURIでは公式公認アーティスト(青バッジ)として認定されている。
2026年3月、愛犬との日々を描いた著書『何度でも言うね、大好きだよ 〜愛犬グミと銀次郎と過ごした日々』(KADOKAWA)を刊行。