60代になったら美しさは諦めなきゃ、なんてない。― 藤原美智子が何歳でも輝き続けられる理由 ―
2022年4月、長年のキャリアに終止符を打ち、大きな話題を呼んだ藤原美智子さん。ヘアメイクアップアーティストとして42年間、第一線を走り続けてきた。そんな藤原さんは引退後も「ビューティ・ライフスタイルデザイナー」として新たな取り組みにチャレンジしている。新たなチャレンジを続け、活躍し続ける藤原さんの原動力に迫った。
1980年代から活躍し続けたヘアメイクアップアーティスト、藤原美智子さん。雑誌や広告の現場でヘアメイクをすることはもちろん、事務所の経営者として人気アーティストを輩出したり、自身も雑誌の表紙やテレビ番組、広告にも出演したりと幅広く活動してきた。
そんな藤原さんは、64歳の時に、30年間続けた事務所の解散とヘアメイクからの引退を発表。現在は「ビューティ・ライフスタイルデザイナー」として活動している。そんな藤原さんがキャリアにおいて大切にしてきたこととは?そして、今後の目標は?人生100年時代における藤原さんの人生観を聞いてみた。
何歳でもキラキラと輝く大人を増やすのが
私の使命
「ヘアメイクが表舞台に出るなんて」と言われた時代に
藤原さんと「ヘアメイクアップアーティスト」という職業との出合いは偶然だった。
「美容師の親の影響で美容学校に通っていたのですが、なんとなく実家の美容室を継ぐのはつまらないなと思っていたんです。そんな時に、週刊誌を見ていたら『ヘアメイクアップアーティスト』という肩書の方が取材されていました。その時初めてこんな職業があるんだと知りました。記事をよく読むと最後の方に『アシスタント募集中』と書かれていたので、直感的にこれだと思って電話したら、なぜか受かっちゃったんです(笑)」
当時、ヘアメイクアップアーティストという職業は今ほど知られていなかった。心配する親を「美容師と似たようなものだから大丈夫」と説得し、藤原さんのキャリアが始まった。とはいえ、藤原さんも初めからヘアメイクアップアーティストの仕事を深く理解していたわけではないという。師匠につき、アシスタントとしてヘアメイクとしての基礎やマインドを身につけた。
「とにかく毎日撮影の連続で、忙しすぎて将来のことを心配する暇もなかった。でも、勉強になったことはたくさんあって、ヘアメイクの技術はもちろん、美意識を鍛えてもらいました。たとえばグラスにオレンジジュースをなみなみ注ぐと、師匠に『藤原さん、こんなに入れちゃうと美味しそうに見えないでしょ。8分目くらいの方が綺麗じゃない?』なんて言われる。こんな細かいこだわりが、美しさを作る源なのかと学びました」
アシスタントとして1年も働くと、徐々に藤原さん自身にも仕事の依頼が来るようになった。アシスタントの仕事をこなしながら、自身の仕事もこなし続けた。そしてアシスタントデビューから3年後、藤原さんは独立を果たす。
独立当時にはすでに、藤原さんは『anan』や『NON-NO』など名だたる雑誌で活躍していた。モデルや俳優を相手にメイクを施すだけではなく、藤原さん自身も出演者としてメディアに取り上げられることも数多くあった。これは、当時としては異例のことであった。
「当時はヘアメイクが表舞台に出ることは少なかったですね。だから、実は『ヘアメイクなのにテレビに出るんだ』なんて陰口を言われていることもあったみたいです。それを知った時、どうしたら誰にも文句を言われなくなるだろうかと考えて気づいたのが、『そうか、突き抜けてしまえばいいんだ!』ということ。それからは、より積極的に自分の好きなように、雑誌・テレビ・講演会などに出るようにしました。結局、今では私のようにメディアに出ているヘアメイクの人がたくさんいるので、間違っていなかったと思います」
「責任が伴う人生」その先にある自由
経験を積み、スキルを磨いた藤原さんは、34歳の時に自身の事務所を設立した。当時を振り返ってこう語る。
「33歳の大晦日、除夜の鐘が鳴る中で、事務所の設立を決断しました。それまでの私は『自由に生きたい』とばかり言っていて、事務所設立のような大きな責任が伴うことからは逃げていました。でも、ふと人生を振り返ってみると『自由がいい』と言いながら、仕事を休んで急にパリに行くような自由さは自分になかったなと気づいたんです。それなら『自由が効かない、責任が伴う人生』をやってみようと思いつきました」
年明け、当時の所属事務所のマネージャーに相談するとあっさり快諾された。とんとん拍子に準備が進み4月20日に事務所がオープンした。
「自由が効かない、責任が伴う人生」。これを実行した結果、藤原さんに待っていたのは、むしろ自由な人生だったと語る。
「最初は、依頼されたメイクのテイストに合わせて120%を発揮することを目指していました。大変な海外ロケでのCM撮影の仕事も40代半ばまで受け続けました。
そうすると、だんだんと『藤原さん、こういうメイクが得意だから、この企画やってくれませんか?』とか『藤原さんの取材をしたいので、行きたい場所を教えてください』という、私を軸にしたオファーをいただけることが増えたんです。自分が仕事に合わせなくても、自分に合った仕事を選べるようになった。本当の自由って責任を負うことや期待に応えることの積み重ねの先にあるんだ、と気づきました」
42年間のヘアメイク人生を終えて
2022年、藤原さんは30年間続けた事務所を解散することを発表した。同時に、42年間続けたヘアメイクアップアーティストの仕事からも引退することを発表した。その背景にはこんな出来事があった。
「いつものように事務所のドアを開けたら、長年一緒に仕事をしてきたマネージャーの背中が見えました。なんだかとても疲れているように見えて、つい『もう事務所やめようか。来年で31年目になるから、その前日に30年で幕を閉じよう』と言ったんです。マネージャーは特に反対しなかったので、『ついでに私、ヘアメイクもやめる』と伝えました。マネージャーはそっちの方に驚いていました(笑)。でも、私も十分やり切ったと思っていたので、迷うことなく、辞めることができたのだと思います」
引退後の藤原さんの肩書は、「ビューティ・ライフスタイルデザイナー」だ。自身で作った肩書だというが、ここにはどんな想いが込められているのだろうか。
「私、仕事を始めた時から、どうやったら人は生き生きとした美しさになるのか、どうやったら人は幸せになれるのかに興味があったんです。たとえばアイライナーの引き方は練習すれば誰でもできるけれど、自分の好きなものの見つけ方を覚える方が難しかったりする。そういったことに応えるのが自分にとって楽しいと思っていたし、取材などでもだんだんメイクのテクニックよりも人生相談のような内容が増えていったんですよね。だから、美しい人生を生きるためのアドバイスができる人になりたいと思って、『ビューティ・ライフスタイルデザイナー』という肩書を作ったんです」
ビューティ・ライフスタイルデザイナーの活動の一環として、藤原さんは少人数の会員制倶楽部を運営している。参加しているのは40〜70代の女性たちだ。藤原さんからのレクチャーや他の講師による講義などを受けられる。この活動は藤原さんが仕事の中で最も喜びや面白さを覚える時間につながるという。
「倶楽部でレクチャーを重ねるうちにどんどんとみんなの目が輝き出したのを見て、とても嬉しく思いました。たとえば、ある50代の方に少しメイクのアドバイスをしたら、同窓会に行ってすごく褒められたようで、それからどんどん変わっていきました。いくつになっても、一つ自信がつけばいつでも変われるんだと実感しました。
私がヘアメイクをしていて1番好きなのが、人がキラキラと輝き出す瞬間。こういう瞬間が見られる仕事を生涯の仕事としてやりたいと思っています」
50代でも60代でも諦めないのが大人の務め
参加している女性たちはもちろん、藤原さん自身も、年齢にとらわれずやりたいことに挑戦し、自分らしく美しさを追求する素敵な人だ。年齢を理由に何かを諦めてしまうことに対して、藤原さんはこう考える。
「日本がどんどん長寿国になる中で、50代だろうと60代だろうと楽しくイキイキといることは大人の務めなのではないかと私は思っています。だって、諦めたような大人を見たら若い人達は夢も希望もないと感じてしまいますよね。自分を大切にするという意味でも、未来の世代のためにも年齢を理由に諦めることはしたくないなと思います」
そして、年齢を理由にやりたいことや目標を諦めないために大切なのは「人と比べずに、自分と比べること」だと藤原さんは語る。
「若い時はどうしても他人と比べがちだけど、大人になったら自分と比べた方が良い。ある程度の経験を積むと、隣の芝生を眺めても仕方がなくて、自分の個性を突き詰めた方が良い、と気づくタイミングが来るんです。
そんな中で、諦めずに自分らしい美しさを磨くためにどうしたらいいかというと簡単なことで、昨日よりちょっとマシとか昨日よりちょっと前進したとか、そんなことの積み重ね。小さな積み重ねの結果、気がついたら想像していなかった楽しい60代に到達していたりすると思うんです」
歳を重ねるごとにますます輝きを増し続け、さらには周りの人々にも年齢によって諦めずに自分らしい美しさを探求する勇気を与えてくれる藤原さん。現在熱中しているのはバレエだ。5年前に習い始めたバレエを通し、新たな自分磨きを続けている。
「時間を見つけてはレッスンに行くようにしています。ヘアメイクをしている時にゾーンに入る感覚があったのですが、バレエでもそれを少しずつ感じられるようになってきていて。その瞬間がとても心地よくて、もっともっとバレエが上手になりたいなと思っています。いつでも、新しいことに挑戦できて、自分の喜びが増えていくのは嬉しいことですね」
取材・執筆:白鳥菜都
撮影:大嶋千尋
ビューティ・ライフスタイルデザイナー、 MICHIKO.LIFE プロデューサー、信州大学特任教授。2022年4月をもって42年間のヘア・メイクアップアーティストに終止符を打ち、かねてから活動していた食や健康、装い、暮らしなど美しい生き方を提案するビューティ・ライフスタイルデザイナーに専念することに。執筆、化粧品関連のアドバイザー、講演など幅広い活躍を続けている。
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