人生詰んだら全てが終わり、なんてない。
14歳で俳優デビュー後、AKB48グループのメンバーとしてNHK紅白歌合戦への出場も果たした大木亜希子さん。現在は次々と話題作を上梓(じょうし)する作家として活躍し、2022年3月には創作小説『シナプス』も公開された。
一見、順風満帆な人生だが、実は思い描いたような成功ルートを歩めず、“人生に詰んだ”経験を持つ。その過程を赤裸々につづった自叙伝『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)は、世間に大きな衝撃を与えた。大木さんは、どのようにして今のキャリアにたどり着いたのか。
好きなことを仕事にして、社会に認められる。“適齢期”に愛する人と結婚し、かわいい子どもに恵まれる——。きっとこんな人生を、世間では「成功」「幸せ」と定義するのだろう。しかし、そううまくいかないのが人生だ。世間が敷いた“レール”から脱線しないよう必死に生きるも、予期せぬ事情である日突然その道から外れる瞬間はあるものだ。では一度この“レール”から外れてしまったら、その人生は「失敗」なのだろうか。
作家として活躍する大木さんも、一時は想像していた成功ルートを歩めず、挫折を経験した一人だ。自叙伝『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』には、“レール”から外れ、自分の弱さと向き合いながら再生する過程が赤裸々につづられている。
今は「作家が天職」だと語る大木さん。どのようにして「天職」を見つけたのだろうか。
“夢”ではなく、“使命”で
生きてみるのはどうでしょうか
俳優・アイドルから、Webメディアの社員に
14歳で芸能界入り、俳優として人気学園ドラマへの出演も決まり、20歳でAKB48グループのメンバーとしてNHK紅白歌合戦への出場も果たした。しかし、「初めから芸能の道を志していたわけではない」と大木さんは明かす。
「中学を卒業する頃、長い間闘病していた父を亡くしました。入退院を繰り返す父の姿を見ながら、『早く社会に出てお母さんを助けないと』と冷静な自分がいたんです。
そんな時に偶然、当時の芸能事務所の社長に声をかけていただきました。家計の足しになるかな、という思いから飛び込むことに」
食事や体重は徹底的に管理され、毎日ダンスや演技の厳しいレッスンをこなし続けた。幾度オーディションを受けても落ち続け、ライバルとの熾烈(しれつ)な競争にもまれハードな芸能界で過ごした大木さんは、20歳を迎える前にはすでに心身ともに疲弊していた。
「一時は所属していた芸能事務所のおかげでドラマや映画の仕事をいただいたものの、だんだんと仕事が減ってホテルのベッドメイクやコールセンターのアルバイトで食いぶちをつなぎ、どうにか生活していました」
そんなある日、20歳以上の女性を集めてアイドルグループが結成されるという話が飛び込んできた。芸能活動以外の選択肢を知らなかった大木さんは、「このグループで活動することが何か突破口になるのではないか?」と思い、オーディションを受けて合格。20歳でアイドル活動を始めた。
「お客さまに笑顔を見せながら、ステージの上で歌って踊る一見華やかな日々。しかし、ファンからの人気投票でセンターが決まるシビアな世界でもありました。私は人気のあるメンバーではなかったので、早いうちに『ここでも天下を取るのは無理そうだな』と悟りました。数少ないファンの方々が応援してくれるのはうれしいし、『頑張ります!』と言わないといけない。心と身体がバラバラな感覚に陥って、自尊心が崩壊しそうなこともありました」
22歳のある日、所属していたアイドルグループが突如解散することに。そこから3年ほど、アルバイトをしながら地下アイドルの活動を続けたが、いつまでも「元人気アイドルグループの大木」を名乗ってしまう自分がコンプレックスだった。
「何か職を得なければ」と焦りを募らせた大木さんは、自宅近くの漫画喫茶でパソコンをにらみながらいくつかの会社に応募。以前ファンから「ブログやSNSの文章が面白いね」と褒められたことを思い出した。
「Webメディアを運営する会社に、『元SDN48の大木亜希子と申します。御社でコラムを書かせてもらえないでしょうか』ってメールして。今思えば怪しかったと思いますが、当時は必死でした。幸い、編集長が面白がってくださったようで、晴れて採用されました」
人生の“レール”から外れてしまったのか
25歳で会社員になった。営業、編集者、記者……と与えられた仕事はなんでもやった。
「全国を飛び回って取材に行ったり、取材から30分以内に速報記事を書いたり……とにかく無我夢中でした。今まで自分が立っていたようなタレントさんの新作商品の発表会で、ベテランカメラマンに紛れてカメラレンズを必死で構えて撮影したこともありました」
右も左も分からない世界だが、アイドル時代に培った現場対応力やコミュニケーション能力は十二分に生かされた。一方、「“元アイドルの十字架”が背中にずっと張り付いていた」とも打ち明ける。
「アイドルは私の大事な過去だから、否定するつもりはありません。でも、周囲から見ると私はいつまでも『元アイドルの大木亜希子』のままだと思いました。どんなに頑張って成果を挙げても、何かできないことがあると『やっぱり元アイドルだもんね』って言われるのがすごく悔しくて。
そう見られたくないとあらがう一方で、期待されているであろう“かわいくて愛嬌(あいきょう)のある若い女の子”として振る舞うことに慣れてしまっている自分もいました。本当の私はこんなはずじゃないのに……私は何者なんだろうって、ずっと苦しかったです」
さらに大木さんを苦しめる“呪縛”はそれだけではなかった。
「28歳になった頃から、周囲で結婚する友達がチラホラ現れて。私も結婚をすれば相手が幸せにしてくれるはずと当時は他力本願なことを思っていて、良い人をつかまえてかわいい子どもを産んで、幸せな家庭を築くんだって信じていました。どんどん結婚していく友人を見ては焦りも感じていて。もはや“義務”かのごとく、夜は男性との食事に出かけていました。強迫観念にかられてしまったのだと思います」
「何者か」にならないと——。その一心で昼間はがむしゃらに働き、夜には婚活にいそしむ。6畳1間の安いアパート暮らしは誰にも言えない。食事も適当になり、風呂にはろくに入らずシャワーで済ます……。そんなちぐはぐな生活は、知らぬ間に大木さんの心身をむしばんでいた。
「いつも通り仕事に向かおうとしていたら、急に駅のホームで足が一歩も動かなくなったんです。最初は状況が理解できなくて。戸惑いながら友人に連絡して、言われるがままに病院に行きました」
心療内科に足を運ぶも、自分が「精神的パニックに陥っている」とは認められなかった。それでも体はとうに限界を迎えていた。職場には復帰できないまま、3年勤めた会社を退職することになる。
「仕事もないし、貯金も底を突いた。幸せにしてくれるはずと信じて疑わなかった『未来を約束した彼氏』もいない。こんな自分、恥ずかしくて誰にも見られたくない……。もちろん今思えばそんなことないんですけど、当時は『私、人生のレールから外れちゃったのか』って思いました。思い描いていた人生と、あまりにかけ離れていたから」
“赤の他人のおっさん”との暮らしで見つけた使命
自宅でふさぎ込んでいる姿を見かねた姉が、ルームシェアを提案してくれた。同居相手は、笹本さんという50代の男性。愛称は「ササポン」。彼が住んでいる都内の一軒家の1室を間借りするという提案だった。
「最初は“赤の他人のおっさん”と同じ屋根の下で生活するなんて、到底受け入れられませんでした。でも実際に家賃も払えないくらい困窮していたし、生活もままならない状況。姉から『とにかく誰かと一緒に住みなさい』と指示されて、従うことにしました」
渋々始まった、ササポンとの奇妙な同居生活。同居し始めの頃は「まだ“呪縛”から解放されていなかった」という大木さん。
「本当は心も体もボロボロなのに、ササポンには『私、フリーランスとして頑張るんで! すぐこの家も出ていくので!』と伝えて、虚勢を張っていました。でも彼は『頑張ってね』って言うだけ。良い意味で私に対して無関心なんです。もちろん恋愛対象としてなんて見ていない。あまりに新鮮な反応に、なんだか肩透かしを食らったような気分でした」
淡々としているけれど、冷たいわけではない。その距離感が心地よかった。
「気付いた頃には、つい本音がポロッと。『私、会社も辞めちゃって、彼氏もいなくて、もうこれからどうやって生きていこうかな』って話したんです。そうしたら、『その話面白いね』って言われて。たくさんの人生経験を積んできて達観している彼の目には、恥も外聞もなく、人生に迷い、失敗をさらしている私の姿が面白く映ったみたいです」
互いに適度な距離感は保ちながらも、相談すれば一言アドバイスをくれる。酒に酔って寝てしまうと、そっと毛布をかけてくれる。そんな“赤の他人のおっさん”との共同生活は、次第に大木さんの心のよろいを溶かしていった。
「これまでは、ありのままの自分の姿なんてみっともなくて恥ずかしくて、絶対に人に知られたくありませんでした。でも、ササポンとの日々を通じて、人に甘えたり、弱みを見せたりするってそんなに悪いことじゃないのかもなって思えてきて。
そして、私は人に大切にされていい存在なんだ、私は今のままでいいんだってようやく認められた気がしました。
それと同時に、いかにこれまで世間や他人の評価に惑わされて生きてきたのかにも気付きました。これまでずっと一人になることを恐れていたけれど、だんだん『この孤独を味わおう』って思えて。少しずつ肩の荷が下りて、楽になっていくのを感じました」
そんなある日、エッセイ執筆の仕事が舞い込んできた。
「あるWebメディアの編集長に、『今、大木さんが感じていることを書いてください』って言われて。その時、ササポンとのことを書こうと決意しました。『元アイドルが人生に詰んで“赤の他人のおっさん”と同居していた』なんて、世間から何て言われるか分からない。少し前の私なら、こんなこと絶対に知られたくないと思ったでしょう。
でも、『もう他人からどう思われてもいっか』って良い意味で諦めがついてからは、捨て身でした。これまでの自分が抱えていた生きづらさや苦しさを全て詰め込んで、一気に書き上げました」
等身大の言葉でつづった記事は思いがけず大きな話題を呼び、「ササポン」は一夜にして有名人になった。
「正直、初めは『誰かを救いたい』というより、『私が抱えてきた痛みを分かち合いたい』『過去の自分を救いたい』という気持ちの方が大きかった。
でも記事を読んだ同年代の女性から、『励まされた』とか『私の気持ちを全部代弁してくれた』って感想をたくさんいただいて衝撃を受けました。その瞬間に、初めて『生きてて良かったな』って本心で思えたんです。同時に『これが私の“使命”で、天職なのかもな』って感じました」
「女性の生きづらさ」を代弁する作家に
書籍化の依頼が次々に舞い込み、期せずして「作家」になった。
「私がササポンに救われたように、場づくりやコンテンツを通して、『他者との緩やかなつながり』をつくっていきたいんです。本を読んだ方に『とりあえず明日も生きてみようかな』って思ってもらえたらうれしいですね」
14歳で芸能界に進んで以来、俳優やアイドル、会社員など、いろいろな肩書を経験した。
「『これが天職だ』と思える仕事にたどり着くまでに18年もかかりました。もちろんこれから先、天職や“使命”も変わるかもしれない。それでも、その時の人生の流れにあらがわず、軽やかに生きていきたいと思っています」
今、本気でのめり込める仕事や人生の目標が見つからずに悩んでいるのだとしたら、まずは「“夢”ではなく、“使命”を探してみてほしい」と大木さん。
「“夢”には少しのファンタジーが含まれているようなもので、“使命”は現実的に人を喜ばせたり、人の役に立つようなこと。そして“使命”は自分の思いも寄らないようなところにあるものだと思っています。
私は10代で思いがけず芸能界に飛び込んで、『1位になりたい』とか『売れっ子になりたい』という“夢”のようなものに踊らされて、本当の自分を見失いました。でもその過程で、『女性の生きづらさを代弁する作家に絶対なる』という“使命”に出合えた。
だから、“夢”を経由して“使命”に行き着くんだなって気が付いたんです。今、目の前のことをがむしゃらにやっているうちに、“使命”や天職が見つかるかもしれません」
「こう生きるべき」という固定観念や世間の価値観は、時に私たちの“呪縛”になり得る。その“レール”から外れずに生きようと思っていても、人生は計画通りにはいかないものだ。
もし思い描いた理想の道からそれたとしても、目の前の仕事や人に誠実に向き合ってみる。天職や“使命”は、思いも寄らないところで見つかるかもしれない。
それで、目の前のことにできる範囲で向き合っていくしかありません。もしかしたら、そこであなたの“使命”が見つかるかもしれないですよね。
取材・執筆:安心院彩
撮影:阿部健太郎
14歳で、俳優デビュー。20歳でSDN48に加入。解散後はWebメディア運営会社で営業兼編集者の会社員として3年間働く。現在はライターとして独立。作家活動では『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)が発売中。
Twitter @akiko_twins
Instagram @aaaaaaaa_chan
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