加齢はネガティブなこと、なんてない。―43歳プロバスケットボール選手・五十嵐圭に聞く「年齢とは何か」―
20代前半は「若手」、30代後半は「ベテラン」。ステレオタイプに年代で区切って語られる職業の一つが、スポーツ選手だ。肉体が価値に直結するプロスポーツの世界において、加齢による肉体の衰えが評価に影響することは避けて通れない。では、スポーツ選手にとって加齢はネガティブな側面しかないのだろうか。今回は、日本最高峰プロバスケットボールリーグB1リーグ最年長の43 歳で現役を続ける五十嵐圭選手に話を聞いた。
五十嵐選手は2000年代初頭に日本代表として戦い、日本男子バスケットボールの礎を築いた選手の一人。スキルも勝利への思いも伸ばし続けることが求められる世界でしのぎを削ってきた五十嵐選手は、年齢とどう向き合っているのだろうか。今回のインタビューでは、思い通りにいかないもどかしさも、自分への希望を持ち続ける強さも口にした。43歳、プロバスケットボール選手の等身大の言葉を届ける。
43歳になりましたが、完璧にできた試合はあまりない。もっともっと上手くなりたいです。
コートに出れば、年齢は問われない
数年前から、五十嵐選手を紹介する時に「リーグ最年長の」と冠がつくようになった。バスケットボールは、40分間走り続ける体力が必要なうえに、接触が多く怪我のリスクが高い競技だ。30代後半になると引退する選手も増えてくる。40歳を超えてなお現役を続ける五十嵐選手には、リーグ最年長プレーヤーとして注目が集まっている。本人は、この状況をどう捉えているのだろうか。
「周りから『リーグ最年長』と言われると、自分もそういう年齢になったなと感じます。ただ、自分では年齢を気にしないようにしています。僕には、まだバスケットボールで成し遂げていないリーグ優勝という夢があります。それに、バスケットボールコートで選手としてプレーする時は若手もベテランも関係なく、結果を残すことだけを考えます。それこそ、コート上で年齢は問われません」
©GUNMA CRANE THUNDERS
スポーツの世界は上下関係が厳しいイメージがある。五十嵐選手が学生時代を過ごした1990年代は、「体育会系」の風潮が残っていただろう。スポーツの世界にある年功序列のシステムを、どのように超えてきたのか?
「たしかに、僕たちの世代は年齢による上下関係がありました。ただ、コートでプレーするのは自分自身ですし、そこで気をつかっていたら先輩を超えることはできません。対戦相手のベテラン選手とマッチアップ(※1対1の攻防)する時も、試合で結果を出すことだけを考えて向き合ってきました。今は自分がリーグ最年長になりましたが、若い選手には負けたくありません。日々、しっかり勝負できるように過ごしています」
では、歳を重ねていくと感じる上下関係はどうだろう。年齢が上がると周りから気を使われて、怒られなくなったと感じる読者はいるのではないだろうか。経験を積んでスキルが上がったと言える一方で、指摘を受けないことで自分を疑わなくなる怖さも感じる。日々成長を求められるプロスポーツ選手も、年長になって成長機会が減ったと感じることはあるのだろうか?
「ヘッドコーチを含めいろんなスタッフがいるので、僕がうまくできていないことは指摘してもらえる環境です。チームメイトからも年齢は関係なく、僕のプレーについて声をかけてくれます。
チームには、言語も文化も違う外国籍選手たちがいます。年齢や国籍に囚われないコミュニケーションをとらないと、チームとして結果が出せません。リーグ優勝という目標の前では、コートで必要なスキル以外の情報が取り払われてフラットな関係になる。それが、チームスポーツです」
©GUNMA CRANE THUNDERS
国籍や年齢といったレッテルを取っ払って、人と人としてコミュニケーションが取れる社会。そんな世界観が広がれば、気持ちが楽になる人は多そうだ。しかし、五十嵐選手はプロスポーツの世界ならではのシビアな現実も口にする。
「僕たちはすべてが数値化される世界にいます。そこは、一般的な会社員の皆さんとは違うかもしれません。1試合に何分出場して、何点とって、シュートの成功率は何%か。自分の結果がダイレクトに数字で表現されて評価に繋がり、結果が出なければチームをクビになります」
二度のクビを経験して、今の自分がある
五十嵐選手は中央大学卒業後、22歳で実業団チームの日立サンロッカーズに入団した。当時は国内にプロリーグがなく、40歳を超えて選手を続けるのは難しかったようだ。
「今の僕は、若い頃に想像していた43歳とはまったく違います。当時は、30歳を超えたら引退して会社に戻り、社業に専念するのが一般的でした。僕も、漠然と30歳ぐらいで引退が見えてくると思っていました。実際に、30歳の時に在籍していたチームをクビになりました。
その後、ご縁をいただいて名古屋のチームに移籍しました。そのチームには6シーズン在籍しましたが、そこでまたクビになり、次に新潟のチームに移籍しました。僕は二度のクビを経験したからこそ、自分の人生の中でバスケットボールがとても大切なものだと気付くことができました。このタイミングで、Bリーグが開幕したのです」
2016年、国内のバスケファンとバスケ関係者が待ち望んでいたプロバスケットボールリーグ「Bリーグ」が誕生した。プロリーグの開幕は、五十嵐選手のプロ続行の思いを後押しした。
「ずっと好きでやってきて、仕事としてプレーできていたバスケットボールです。それが、二度のクビによって、バスケができなくなるかもしれない怖さを感じました。それからは、自分ができる最大限のことをやって1年でも長くバスケを続けたいという思いが強まっていきました。
この思いはきっと、クビになった人間にしか理解できないと思います。ベテランと言われる年齢までクビにならず、順調にキャリアを重ねる選手もいますから。僕はいろんな経験ができていて、それで今の立場があると思っています。43歳になった今の僕の姿を見て、若い選手たちが何かを感じてくれたら嬉しいです」
「今」に満足していないから、現役で走り続ける
五十嵐選手がベテランと呼ばれて頼りにされるのは、若手選手にはない勘どころやスキルがあるからだ。年齢を重ねれば経験が積み重なり、できることが増えていくのは歳をとる良い側面ではないか。こんな質問をしたところ、意外な答えが返ってきた。
「僕はできることが増えていく感覚よりも、まだまだ、やるべきことがたくさんあると感じています。43歳になりましたが、完璧にできた試合はあまりない。もっともっと上手くなりたいです。
バスケットボールに、『ここまでやったら大丈夫』という正解はありません。だから常にバスケをやり続ける。もし目標に到達したとしても、さらに完璧を求めて次の目標が出てきます。おそらく、引退する日まで目標には届かないんです。できることが増えて目標に追いついたと感じたら、そこが引退する時なのかなと思います」
一般的なベテラン像に収まらず、自分の足りない部分に目を向け続ける。43歳になってもなお、五十嵐選手が第一線で活躍できる所以だろう。では、届かない目標に挑み続けるモチベーションは何だろうか。
「今の状況です。22歳からバスケ選手をしてきましたが、群馬(クレインサンダーズ)に来てからの3年間は今までにない経験をしています。若い頃は、自分が出場しない試合はほとんどなかったし、プレータイム(※コートにいる時間)が減ることもありませんでした。今は、試合に出られないという初めての経験をして、歯がゆさを感じています。43歳になりましたが、僕の心はこのままでは終わりたくないと言っています」
プロバスケットボール選手にとって、プレータイムは評価指標の一つだ。プレータイムが30分超の選手もいれば、プレータイムは短いが要所で起用されて結果を残す選手もいる。昨シーズンの五十嵐選手のプレータイムは平均7分54秒と長くはない。一方で、コートに立ってプレーすることがプロ選手のすべてではない。長くバスケを続けて磨いた試合の観察力は若手選手にない視点があり、チームの勝利に貢献できるスキルの一つだ。このことを理解したうえでもやはり、五十嵐選手は試合に出ることにこだわりたいという。
「もちろん、長くコートに立っていた時とは違う視点で試合を見ることは、自分にとってプラスになる部分もあります。チームからは、出場機会の少ない若手選手にアドバイスをしたり、ベンチからコートを見て、試合で何が起きているかを考えてチームメイトに声をかけるといった役割を求められているのも感じます」
©GUNMA CRANE THUNDERS
「でも、この状況は自分が思い描いていた選手像とはちょっと違うんです。違うというか……やっぱり理想と現実は違うんだな。そんなに人生はうまくいかないよなって、知らしめられているところです」
五十嵐選手にとって、試合に出る時間が減るのは本意ではない。それでも現役を続ける原動力はどこにあるのか。
「僕を見てくれている人は必ずいると思って、バスケを続けています。今はありがたいことに、家族やファンの皆さんが僕を信じてくれています。その人たちのためにも、まだまだ今の自分を貫いていきたいと思っています。それに、もしも周りが僕を信じなくなっても、僕だけは『自分は絶対にできるんだ』と自分自身を信じています」
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五十嵐選手にとって、年齢とは何か?
最後に、五十嵐選手にとって年齢とは何かを聞いた。
「僕にとっての年齢とは、経験の数です。いろんな経験をして、43歳でバスケットボール選手をやっている自分がいます。まだまだ年齢を重ねながら、バスケットボール選手としての経験をしていきたいです。
スポーツ選手に限らず、他の職業の方も同じではないでしょうか。僕たちのように1年ごとに明確な目標はないかもしれませんが、年齢を重ねるたびにいろんな経験をして、なりたいものに手を伸ばしていく。途中で挫折したり、諦めてしまうこともあると思いますが、それでも続けていくことが大事なんです」
取材・執筆:石川 歩
撮影:白松 清之
1980年生まれ、新潟県出身のポイントガード。2003年に日立サンロッカーズ入団。その後、トヨタ自動車アルバルク、三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ、新潟アルビレックスBB、2021年から群馬クレインサンダーズに所属している。バスケ選手としては異例の写真集も発売し、「日本バスケ界の貴公子」として今も多くのファンに愛されている。
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