高齢者は若者と同じ夢が見られない、なんてない。
御年70歳の現役ラッパー、MCでこ八さん。孫のMC玄武さんとともに「赤ちゃん婆ちゃん」でラッパーとしてライブデビューを果たした2018年当時は68歳だった。その後は全国各地で行われるライブに参加してラップを披露する他、CDもリリースする。2020年以降は新型コロナウイルス感染症の影響でライブができない状態が続いているが、そんな中でも新曲の制作を精力的に続け、再びライブができる日を待ち望んでいる。MCでこ八さんは68歳という年齢になって、なぜラップを始めたのか。さらには70歳になった今なおラップを続けるその原動力を伺った。

一定のリズムに乗せてしゃべるように歌うラップは、1970年代のアメリカのスラムから誕生した音楽といわれている。日本では1980年ごろからラップが注目され日本語で歌われるようになり、1990年代からは日本のミュージックシーンにラッパーも大勢登場し、音楽ジャンルの一つとして定着していく。ルーズなストリートファッションに身を包み、中には腕や首などにタトゥーが刻まれたラッパーもいることから、ラップは見た目が怖い人がやる「アウトローな音楽」というイメージを持っている人も多いだろう。しかし、そんなイメージもMCでこ八さんのステージを見れば、その先入観は変わることだろう。
「こんなのやったら私にもできる」から始まったラップへの挑戦。やり始めた以上はやりとげたい
YouTube上にアップされたデビュー曲「天国と地獄」のミュージックビデオで、まだ声変わりして間もないであろう高音で覇気のある孫の声に対し、低音で少ししゃがれた声の婆ちゃんは、どことなく諭すような語り口調でラップする。「赤ちゃん婆ちゃん」は実の孫と祖母のユニットで、デビュー以来、地元・関西を中心に全国各地でライブ活動を行っている。この「婆ちゃん」ことMCでこ八さん(以下でこ八さん)はどんな人生を経て、68歳でラッパーとしてデビューしたのだろうか。まずは今までの人生について伺った。
「20代まではやりたいことをやり、30歳になった時から京都の祇園でラウンジを経営するようになりました。ラウンジは30歳から始めて20年続けましたが、50歳の時に店を閉めています。その後はスーパーマーケットの精肉部門でパートとして働き始めましたが、大きな肉の塊をスライサーで切ったり、鶏を丸ごと一匹さばいたりしないといけませんでした。そんなことは当然やったことはなく、最初は大変でしたけど、もともと負けん気は強い方なのでやり方を覚えて一生懸命仕事をしました。自慢じゃないけど、その働きぶりは上司にも認めてもらえ、正社員にならないかと言われたこともありました。
もともとポジティブな性格で、漫画の『じゃりン子チエ』に登場するチエのお父さんのテツのような感じだと自分では思っています。とにかくやりたいことにまっすぐ突き進む。今までの人生はそんな感じですね」
上司の信頼も得て14年間スーパーマーケットで働いていたでこ八さんだったが、64歳の時に体調を崩してしまう。
「体の調子が悪く、どこが悪いんだろうと病院に行ったら肺がんが見つかったのです。ステージ1という初期のガンでしたのですぐに手術してもらいましたが、2カヶ月ほど入院しました。スーパーの方は上司から病気が治ってから復帰してくれればいい、と言ってもらえましたが、いろいろ迷惑をかけてしまうので自分からお願いして辞めることにしました」
孫にラップを勧めながら、自分もラップにハマっていく
幸い、肺がんの方は転移もなかったが、汗と唾液が出なくなる、足の裏が痛いなどの症状に悩まされる。でこ八さんは肺がんの他に難病のシェーグレン症候群と抹梢神経症候群を併発しており、痛みに耐えながら寝込んでいた時期もあったという。そんな生活が続く中、孫のMC玄武さん(以下玄武さん)がラップを始めたいと言いだす。玄武さんの母親も、そしてでこ八さんもそれに反対することはなく、むしろ応援していたという。その時のことを玄武さんはこう話す。
「ラップに興味を持ち始め、15歳の時には近くの駅でサイファー(ラッパーが集まり円になりフリースタイルでラップを披露すること)が行われていたので、それに参加するようになったのです。でも、中学生でしたから行こうか、やっぱりやめようかと悩んでいたのですが、母やでこ八が『いけいけ』って尻をたたいてくれて」
「やっぱり好きなこと、興味を持ったことはやった方ほうがいいと思う。それで夢が広がることもあるだろうし、自分に合わないと思ったらやめるだろうから。でも、実際には玄武には合ったようですし、孫を応援していた私自身もいつしかラップにハマってしまいました」(でこ八さん)
玄武さんを応援していたでこ八さんだが、玄武さんがソロで初ライブを行う時に少し心配になったようで、ライブ会場について行く。しかし、このことがきっかけで、でこ八さんはラップを始めることになったのだ。
「まだ玄武が中学生だったこともあって、見守るつもりでついて行きました。ラップのことはほとんど知りませんでしたが、ラップ=アウトローというイメージは少なからずありましたから。でも、ライブ会場では出演者はみんなあいさつもしっかりとして礼儀正しい。普通の人たちがラップを楽しんでいたのです。それまでのイメージが覆りました。
そして、ライブの様子を見ていたら、何か語りかけるような感じだったので、『こんなのやったら私にもできる』と思うようになり、私から玄武にラップをやりたいと言い出したのがきっかけですね」
突拍子もない発言に思われるが、でこ八さんの性格を知る玄武さんにしてみると大して驚くことでもなかったという。むしろ、でこ八さんと組んだ方が賢明と判断して「一緒にやろう」と歓迎したのだ。
重みのある言葉でオーディエンスを魅了し、ステージを沸かす
なんとも唐突だが、でこ八さんは人前に立つことも、そして話すことも好きだったようだ。そのため、玄武さんがソロデビューした3カ月後、2018年の2月に玄武さんとでこ八さんの2人で「赤ちゃん婆ちゃん」としてライブデビューを果たす。とはいえ、ラップは8小節か16小節を一気に歌わなければいけないが、でこ八さんは当初は4小節ぐらいですぐに息が止まってしまったという。しかし、「やり始めた以上はやり遂げたい」という思いで、玄武さんと一緒にカラオケボックスに通って練習しライブに臨む。そのかいもあって「赤ちゃん婆ちゃん」の初ライブはなかなかの評価を得て、また話題性もあってか、後に他のライブにも呼ばれるようになっていく。
なお「赤ちゃん婆ちゃん」の曲はでこ八さんが書いたリリックを基に、玄武さんが韻を踏む(ライム)など手直ししているという。人生経験豊富なでこ八さんが書いたリリックは言葉一つ一つに重みがあるのか、YouTubeのコメントにもリリックを評価するものが多く見受けられる。それについて2人はこう話す。
「ラップはまだまだアウトローなイメージがあると思いますが、もっとメジャーになってほしいし、していきたい。だからいろんな世代の人に聴いてもらえるような、そんなリリックを書いているつもりです」(でこ八さん)
「でこ八のリリックは、時には壮大過ぎてどうしようと思うこともありますが、僕が言うと軽くなる言葉もでこ八が言ったら重みがある。そういったことも考慮して、書き直す時はでこ八の思いをくみ取りながら、本人が伝えたいこととずれないように気をつけています」(玄武さん)
70歳の衰えを抱えていたでこ八さんの体に起こった変化
ラップを始めたでこ八さんに、思わぬ変化が起きた。でこ八さんの体調はすこぶる良くなっており、かかりつけの病院の先生もびっくりするような改善が見られているのだそうだ。
「以前は痛みでずっと寝込んでいた時もありましたが、ラップを始めてからは寝込まなくなりましたし、ラップに夢中になっている時は痛みも忘れていますね。毎月、病院にも行っていますが、病院の先生も『具合はいいようですね。ストレスを発散できるのがいいのかもしれません』なんて言ってくれています。
ライブで舞台に上がったら真剣勝負。私たちの舞台は他の人たち誰にも負けないという気持ちで立っていますから痛みなんて感じている暇もないんです。一度、ライブの数日前に自宅で洗濯機を移動していたら、体勢が悪くて背骨を折ってしまったことがあったのです。ボキッと音が聞こえたぐらいでしたけど、その時も痛み止めを飲んでコルセット巻いて舞台に立ちました」
とても今70歳の方が話していることとは思えないぐらい驚きの内容だが、でこ八さんはそんな話をしている間も生き生きとしている。そうなると、でこ八さんのこれからが気になり、最後に今後の目標について聞くと、開口一番、この言葉に驚かされた。
「目標は紅白歌合戦! 今は家族のつながりも薄れ、殺伐とした世の中になったように感じます。ですから、明るい曲を提供して全国の皆さんに買ってもらって聴いてもらえるようになりたい。そして、いつの日か紅白に出られればいいなあ、と思っています」
若いからこそ勢いに任せて新しいことにチャレンジできるが、老いてなお新しいことにチャレンジできることをでこ八さんは示してくれている。年を重ねているからこそ、重みのある言葉が生まれ、多くの経験をしてきたからこそ諭すような口調で私たちの耳に響く。ラップに対して持つイメージは人それぞれだが、あまりいいイメージを持っていなかった、もしくは若者の音楽として受け入れてこなかった人もいるのではないだろうか。しかし、「赤ちゃん婆ちゃん」のラップはそんなイメージを覆すものであり、さらに日本のラップに新たなムーブメントをつくり出しているようにさえ感じられる。“人生100年時代”といわれる今、高齢者は若者と同じ夢を見られない、なんてないのだ。
※取材協力店
サファリサーファーズ
滋賀県大津市大萱1-19-19 2F
https://www.safarisurfers.com/

1950年、京都府生まれ。30歳から50歳までは京都・祇園でラウンジを経営し、そのあとはスーパーマーケットに14年ほどパート勤めをする。23歳の時に娘を出産し、その娘の子どもで孫に当たるのが「赤ちゃん婆ちゃん」でクルーを組むMC玄武さんだ。2018年のライブデビュー後、全国各地でライブ活動を行う傍らCDもリリースする。2020年からは新型コロナウイルス感染症によりライブ活動は激減したものの、精力的に楽曲づくりを行う。現在は新曲の制作などを積極的に行い、この夏開催された東京2020オリンピック・パラリンピックに合わせ新曲「コンニチワ」を発表している。
YouTube MC玄武赤ちゃん婆ちゃん
https://www.youtube.com/channel/UCMa1Kvkl14nqCQl3LQGuZAA
Twitter
@QpCcbZa3Ul3HL82(MCでこ八)
@MCgenbu(MC玄武)
Instagram
@yangchiyan5973(MCでこ八)
@mcgenbu_akachan(MC玄武)
みんなが読んでいる記事
-
2023/03/20なぜ、男女格差で困るのは女性だけと思われているのか|ジャーナリスト/相模女子大学大学院特任教授・白河桃子
146カ国中、116位(※1)――。2022年に発表されたジェンダーギャップ指数の日本の順位だ。順位が低ければ低いほど、ジェンダーギャップが大きい。つまり、男女格差が大きいことを意味する。日本以外の先進諸国……例えばフランスの衆議院の女性議員比率は39.5%(※2)、そしてニュージーランドに至っては48.3%と、ほぼ人口比率と同等までにジェンダーギャップの是正が進んでいる。しかし、日本の国会の女性議員比率は、15.5%と世界190カ国中140位。衆議院議員の比率では、なんと165位にまで落ちてしまう。ジャーナリスト・相模女子大学大学院特任教授の白河桃子さんは、「婚活」「妊活」を提唱した人物だ。現在はジャーナリスト活動の他、学生向けのキャリア教育、執筆や講演活動、政府の委員などを行っている。女性×キャリアが活動の軸だという彼女は、「ジェンダーギャップは女性だけが頑張るという問題じゃない。社会全体の問題だ」と話す。その理由を伺った。
-
2023/03/27【前編】増加する高齢者の孤独死とは? 1人暮らし高齢者が抱える課題の実態
日本では誰にも気付かれることなく1人で亡くなる「孤独死」が増えています。特に、高齢者の孤独死には日本社会が抱えるさまざまな問題が関係しています。この記事では下記の4点を解説します。①見過ごせない高齢者の孤独死の現状 ②なぜ増加する? 高齢者の孤独死の原因 ③孤独死の背景にある「社会的孤立」 ④孤独死を未然に防ぐための対策
-
2023/03/22晋平太・呂布カルマ・よよよちゃん鼎談/後編「ヒップホップ教に入ろう。主人公マインドで生きよう」晋平太(中央)・呂布カルマ(左)・よよよちゃん(右)
ラッパー晋平太さん、呂布カルマさん、歌まねヒロインよよよちゃんの3人が「アンコンシャスバイアス」やアンコンシャスバイアスが潜んだ言葉=アンコン語についての考え方、とらえ方、自分らしく生きるヒントを語っています。LIFULLとYouTubeチャンネル「Yo!晋平太だぜRaps」とのコラボ連動インタビュー後編。
-
2023/07/20終活は高齢者がするもの、なんてない。―俳優・財前直見が提案する、誰もが「今」を生きるための終活―財前直見
芸能生活40周年を迎える俳優・財前直見さん。2016年には終活ライフケアプランナーの資格を取得した。財前さんがつくるエンディングノート「ありがとうファイル」や、自分や家族との対話を深める“終活”について伺った。
-
2023/12/20人と一緒に食事をするのは楽しいはず、なんてない。-会食恐怖症とは?克服方法とは?山口健太さんに聞いてみた-山口 健太
一般的に「食事=楽しい」と言うイメージがあるいま、中には人知れず食事に苦しんでいる人もいる。会食恐怖症は、人と一緒に食事を摂ることに不安や恐怖を感じる症状だ。会食恐怖症の当事者はなぜ、会食に不安や恐怖を感じてしまうのだろうか。会食恐怖症の経験者、また克服支援の第一人者として活躍する山口健太さんに話を伺った。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。