不妊治療がうまくいかないなら子どもはあきらめなきゃ、なんてない。【前編】
2度の流産と死産、10年以上にも及ぶ不妊治療を経験した池田紀行さん(現在48歳)と麻里奈さん(現在46歳)は、特別養子縁組で生後5日の赤ちゃんを迎え、現在家族3人で暮らしている。「血のつながらない子どもを本当に愛することができるのか」。それは、二人が不妊治療から特別養子縁組を受け入れるまでの10年もの間、ためらった問いかけだった。さまざまな葛藤を乗り越え、3人が見いだした「家族」のかたちとは?
みんな、「普通」に憧れる。大学を出て働いたら、普通に結婚をして、普通に子どもを授かって、家族になる。そんな誰もが思い描く「普通」であふれる社会に、ときに生きづらさを感じている人も少なくないだろう。近年、核家族化や晩婚化・晩産化などの影響で、不妊治療を受けている人の数は、5組に1組いるといわれている(※)。私たちは今こそ、新しい家族のかたちを考える必要があるのではないだろうか。
2020年9月に『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』を出版した池田ご夫妻は「特別養子縁組を普通のことにしたい」と、不妊治療から特別養子縁組を受け入れるまでの、ありのままの夫婦の葛藤を実名で発信し続ける。多様な社会をつくるにはどうしたらいいのか、二人にとって「家族」とはなんなのか、話を聞いた。
※国立社会保障・人口問題研究所「2015 年社会保障・人口問題基本調査」による。
2度の流産と死産を経て、子宮を全摘。
──それが、妊活マラソンの終わりだった
麻里奈さんが28歳、紀行さんが30歳のとき、二人は結婚した。それと同じ頃、麻里奈さんのお父さんに大腸がんが見つかる。「早く父に孫の顔を見せたい」そんな一心で二人は、妊活をスタートしたが、なかなか赤ちゃんがやってこない日々が続く。「早く孫を」と、周囲に言われながら二人が不妊治療を始めたのは、結婚してから2年後の麻里奈さんが30歳、紀行さんが32歳のときだった。
不妊治療はそれから12年もの間続く。その中で、2度の流産と死産を経験し、麻里奈さんは病気の治療のために子宮を全摘。──それが、妊活マラソンの終わりだった。
麻里奈さん「私、本当に往生際が悪いんです。30歳台後半での妊娠・出産も少なくないですが、問題の重なる私でも、もしかしたら産める可能性があるかもしれないと、どうしても思ってしまうんですよね。そういうときに決断するのって難しくて。でも、子宮を全摘したことで、私は往生際を悟るしかなかったんです」
そんな麻里奈さんが特別養子縁組の制度を知ったのは、10年ほど前のことだった。特別養子縁組とは、さまざまな事情があって、親に育ててもらうことができない子どもたちが、家庭で育つための制度のことだ。子どもと養親は家庭裁判所の審判によって、戸籍上も実の親子となることができる。もともと不妊カウンセラーをしていた麻里奈さんは、相談者さんの選択肢のひとつとして提案できるよう、制度について調べ始めた。「自分自身も不妊治療をしていたので、まったく人ごとではなかったのです。仕事として、また当事者として、半分半分の意識がありました」と、麻里奈さんは当時を振り返る。
麻里奈さん「今、社会的養護の必要な子どもは4万5,000人いて、その中のほとんどが公的な施設で暮らしています。施設自体は子どもたちにとっても安心できる場所なんですが、実際在籍できるのは18歳までなので、恒久的な家族ではないんです。施設に保護されて終わりではなく、子どもたちの人生にはまだその先があって、その後の方が苦労している子が多いということを知りました。それで施設の子どもたちのアフターケアができるボランティアを見つけて、会員になったんです。実際に子どもたちに会うと本当に苦労していたので、それは自分が特別養子縁組を受けるかどうかということよりも、これは社会に必要な制度だという思いが強くなりました」
自分は産めないけれど、育てることを諦めたくない
最近少しずつ受ける人が増えてきたとはいえ、事例も情報もあまり多くはない、特別養子縁組という制度。不妊治療中にも、麻里奈さんがどんどん制度について学び、少しずつ解像度を上げて景色を変えていくのを間近で見ていた紀行さん。紀行さんは麻里奈さん以上に、特別養子縁組を意識することに時間がかかったという。
紀行さん「不妊治療でつらいのはやはり奥さんですが、49.5%は妊娠してほしいという希望があり、もう49.5%はもし授からなかったら二人で生きていく、でした。残り1%あったかなかったか、ですね。3つ目の選択肢である『特別養子縁組』というのは」
そう思っていた紀行さんの気持ちを変えたのが、麻里奈さんが紀行さんに子宮全摘後に病室で手渡した、一通の手紙だった。そこには「残りの人生を、子どもを育てる時間に使いたい。養子を迎えることを考えてほしい」と、麻里奈さんの字でつづられていた。
麻里奈さん「子宮を全摘する最後の最後までわからなかったんですが、子どもを産む可能性がゼロになったときに、自分は産めないけれど、育てることを諦めたくない、と思ったんです」
紀行さん「『産む』と『育てる』って、当たり前のようにセットになっているので、産まなければ育てられないと思うのがまだ普通ですよね。そんな中でも、彼女が並々ならぬ覚悟で僕に手紙を書いてくれた。そこでやっと僕も初めて、子どもを特別養子縁組で迎える準備を始めたんです」
一本の電話。「ご紹介したい赤ちゃんがいます」
特別養子縁組を受ける決断をすると、早速二人は動きだした。里親研修を受け、民間の養子縁組あっせん団体の説明会や研修に参加し、子どもを正式に迎え入れる「待機」状態に入る。二人は一体、どんな気持ちで待機の時間を過ごしていたのだろうか。
麻里奈さん「子どもを育てられない妊婦さんやお母さんが社会に生まれない限り、養子に出される子どもは現れないので、最初から期待だけはしないでおこうと思っていました。自分の中に『子どもが欲しい』『育てたい』という思いはもちろんあったのですが、複雑でしたね。子どもにとっては、できれば自分を産んでくれたお母さんとそのまま暮らす方がいいわけなので、『待機』が終わることを心から望むことはできません。何も考えないっていう感じでした。これまで、妊娠を期待しながらの繰り返しの『陰性』や、産まれる寸前での死産までを経験していたので、期待するのをやめることが癖になっていたんです」
一方で、紀行さんは「とても楽観的に思っていた」と、語る。
紀行さん「2018年から2019年の変わり目の年越しのとき、『今年が多分二人で迎える最後の年越しだよ』『来年は3人かな』と僕は言い、妻は『そんなにすぐは来ないよ』なんてやりとりをしていました。僕たちがお願いした団体さんはそれなりに特別養子縁組の数を成立させていたので、待機に入ればきっとそれほど待たずに連絡があるだろうなと、思っていたんです」
麻里奈さん「これまでもそうでしたが、夫はとても前向きで、本当にすごいなと思いました。あんなに『養子は考えられない』って言ってたのに。私は養子を迎えることを決めてからも『どうしよう、どうしよう』って、おろおろしちゃっていました」
2019年1月、待機に入って2週間ほどたったとき、二人のもとに電話がかかってきた。「ご紹介したい赤ちゃんがいます。あと10日ほどで産まれます」。電話を受けた麻里奈さんは、あまりの早さに驚いたという。「登録したのは自分なのに、赤ちゃんが生活にやってくることを、まったく想像できませんでした」
紀行さん「15年間ずっと二人で暮らしてきちゃってますからね。それを10日で精神的な準備だけでなく、物理的な準備までをしなければいけないわけじゃないですか。普通、少しずつ肌着買って、おむつ買って、ベビーカー買って、みんな出産に向けて徐々に準備していきますよね。子育て系のグッズなんて何ひとつなかった家に、10日ほどで赤ちゃんが来て、ここの空間にいることなんて、想像のできなさっぷりは半端なかったですよ」
赤ちゃんがやってきた。「どんなことがあっても、支えていこう」
「断る理由なんてないよね!」。ポジティブな紀行さんの言葉に、麻里奈さんも背中を押され、翌日には「お受けします」と、団体に伝えた。産まれたての赤ちゃんを迎えた二人は、どんな気持ちだったのだろうか。
麻里奈さん「実子を死産して亡くなった子の姿は知っていましたので、こうして元気に動いて、あたたかいぬくもりのある赤ちゃんを抱いて、困難な状況でもこんなに元気に生まれるんだ、すごいな命は、って思いました。一方で、こんなに小さくて、こんなにふにゃふにゃの体で、この子は親と暮らせないんだと、複雑な感情もありました。産んでくれたお母さんの状況は、私たちにはその時点では知らされていません。最終的に実子になるとき、裁判の調書を見ればわかるのですが、それは10ヵ月後のことなので、この段階で詳しい事情はわかりませんでした。でも命のバトンを渡されて、ものすごく大きい責任を背負っているという実感がありました。親と暮らせなくなってしまったこの子を、どうしたら支えてあげられるのか──どんなことがあっても支えていこうって、そればっかり考えていました」
紀行さん「妻を見て、本当に一瞬にして全細胞が母親に入れ替わっているのを感じたんですよね。一方で僕は、現実味がなさすぎて。ついに来てしまったぞ、という感じでした。結構大きな責任感と、本当にちょっとだけ、戸惑いですかね。この子が家に来て2週間くらいのときに抱っこしている写真はあるけど、僕の子だっていう実感はそのときは正直なかったです」
麻里奈さん「そんなことを言っていますが、隣で見ているとすごく可愛がっていて意外でした。以前に受けた取材のときも『僕のワーゲンバスのところで写真撮りましょう』とか言って、楽しそうに車に連れて行ってこの子と一緒に写真を撮っていて、それ、ずっと考えてたのかなって思って」
紀行さん「将来子どもができたら、家族でワーゲンバスに乗ってキャンプに行くのが、ずっと夢だったんですよね。ワーゲンバスのドアを開けて、子どもが中から外に飛び出してくるっていうのが、なんとなく僕の描いていた家族のイメージとしてあったんです。なのでこの子が来て、ワーゲンバスもあって、うれしくて、ちょっとまね事をしてみました」
普通の夫婦と同じような葛藤の末にある、今の幸せ
こうして特別養子縁組を受け入れた二人だが、決断の前までは普通の人と同じように、悩んだりくじけそうになったりしながら迎えた後に、今があると語る。紀行さんは、特別養子縁組を実際に受け入れたビフォーアフターの意識差がものすごく大きかったと、3年前のことを思い出しながら「葛藤しない人なんて、いないと思います」と、続けた。
紀行さん「検討したけど特別養子縁組を受けない選択をした人は、ものすごくたくさんいると思うんです。やはり最初は『自分なんかが』と、思ってしまう。養子を受け入れる人たちは善人で、びっくりするぐらい誰かのために動く利他の精神が猛烈にある人たちで、きっと僕のような人間じゃなくて、もっと社会貢献欲求が強いんだろうな、という気持ちを抱くのが、自然な反応だと思うんです。
国や民間あっせん団体の勉強会や研修会にも当然いっぱい人は来るんですが、そこで話を聞いても『これは無理だ』と、結局前に進まない人たちの方が9割方ではないでしょうか。ものすごいプレッシャーをかけられるんですよ。『特別養子縁組は、養親の制度でなくて子どものための制度である』とか『社会福祉』だとか、『親には選択の権利は何もない』とか。そんなことを言われると『ちょっと僕には無理だな』と、思うのも無理はない。検討するところまでも相当ハードルが高いのに、そうした勉強会や研修でまた離脱している方も多いので、どんな方々も持っている葛藤は、おそらくみんな同じようなものだと思います。
それをソーシャルメディアで発信すれば、『本当に最低最悪な男だ』とか、友人や家族、同僚に言うと、『こんなに奥さんが苦労しているのに』とか、言われてしまいますが……。でも僕は飾らずに、できる限り自分の中にあった葛藤を発信するようにしています。
僕の周りの友人のステップファミリーたちが前に、血のつながっていない子のことも『自分の本当の子どものようだ』って言っていたんですよね。『子どもに何かがあったとき、自分の臓器を与えてでも子どもを生かす気持ちが芽生えている』という話を昔聞いたことがあって。自分が特別養子縁組を受け入れて、それを実感しました。血のつながりがなくたって、僕たち3人はいつの間にか、家族になっていたんです」
~不妊治療がうまくいかないなら子どもはあきらめなきゃ、なんてない。【後編】へ~
編集協力:「IDEAS FOR GOOD」(https://ideasforgood.jp/)IDEAS FOR GOODは、世界がもっと素敵になるソーシャルグッドなアイデアを集めたオンラインマガジンです。海外の最先端のテクノロジーやデザイン、広告、マーケティング、CSRなど幅広い分野のニュースやイノベーション事例をお届けします。
池田 麻里奈(いけだ まりな)
不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、流産・死産・特別養子縁組の実体験を語っている。
池田 紀行(いけだ のりゆき)
1973年神奈川県生まれ。大学卒業後、コンサルティングファーム、バイラルマーケティング専業会社などを経て、2007年、ソーシャルメディアを中核とした企業のコミュニケーション戦略策定・実行を支援するトライバルメディアハウスを設立し、代表取締役社長に就任。大手企業のマーケティング支援を行う。著書に『キズナのマーケティング』(アスキー)、共著に『次世代共創マーケティング』(SBクリエイティブ)など。
著書 『産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)
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