子どもは自律できない、なんてない。【前編】

宿題、定期テスト、固定担任制、一斉授業。これまでの義務教育で、誰もが疑うことなく“当たり前”とされてきた常識を、次々と覆してきた人物がいる。長年中学校で教壇に立つ工藤勇一さんは、従来の“与える”だけの学校教育が子どもたちの自律心や当事者意識を奪っていると考えた。教壇に立ったばかりの頃から「教育は何のためにあるのか」と自問自答することになった工藤さん。前例のない改革はどのように生徒や教職員、ひいては学校教育全体を変えていったのだろうか。

「多様性を受け入れよう」社会でそう叫ばれて久しいが、自分と異なる意見や価値観を認めるのは容易ではない。多様性を受容するためには、時にぶつかり、傷つきながら対話を重ねる苦しい過程が不可欠だ。工藤さんは、一人ひとりが“自律”することで他者を尊重した対話ができるようになると語る。そして、“自律”には学校教育が大きく関わっているのだと言う。

※出典:「令和の日本型学校教育」の構築を目指して(答申)【概要】

僕が子どもたちに教えてあげるんじゃない、教わることばかりだった

「それは手段であって、目的ではないよね?」
「上位の目的に立ち返ってもう一度考えよう!」

これは、千代田区立麹町中学校で繰り広げられる生徒たちのディスカッションのひとコマだ。生徒たちの“自律”を重んじる麹町中学校では、体育祭や文化祭といったイベントはもちろん、修学旅行も生徒主体で企画・運営を行っている。そのため、学生たちが集まって会議を行う場面を日常的に、至るところで見ることができる。そこでは、冒頭のような大人顔負けの会話が繰り広げられているというから驚きだ。麹町中学校の生徒たちは、一人ひとりがゴールに向かって、意見の対立を恐れずに積極的にディスカッションを交わしているのだ。

工藤さんは2014年から6年間、この中学校の校長としてこれまでさまざまな改革を推し進めてきた。入学時には自信がなさそうに下を向いていた子どもたちが、卒業する頃には目を輝かせながら自分の意見を発言するようになる。工藤さん赴任以降、麹町中学校ではそんな“自律”した子どもたちをたくさん送り出してきた。

工藤さんは、一体どのようにして改革を推し進めてきたのか。そんな疑問を持った教育関係者たちが日本全国から麹町中学校に、今も見学に訪れるという。工藤さんは、長い間変わることのなかった日本の学校教育に革命を起こした。そう言っても過言ではないだろう。

しかし、工藤さんが教職を目指したきっかけは意外なものだった。

「人に使われる仕事も、人を使う仕事もどっちも就きたくなくて。教員なら、誰の影響も受けずに仕事ができそうだな、と思って教職に就くことを考え始めたんです」

工藤さんは当時の自分を振り返り、「あの頃の僕はすごく子どもでした」と語った。

「数学を教える傍ら、生徒たちより少しだけ先輩の僕が、人生についてアドバイスをする。そんな僕の話を子どもたちはうれしそうに聞いてくれて……。教育実習での経験がとても楽しくて、教職の道に進むことを決めました。しかし、実際に教壇に立って、そもそも『子どもたちに教えてあげる』という考えがおこがましく、幼稚なものだったと気付いたんです。実際は、僕が教えてもらうことばかりでした。今の僕があるのは、子どもたちのおかげですね」

当事者意識を持って教育に向き合えたのは、子どもたちのおかげ

大学卒業後、地元・山形県の中学校教員となった工藤さんのスタートは順風満帆に見えた。
「僕が教職に就いたのは、今から約40年前。その頃の教師は、生徒にとって“怖い”存在でした。教師が生徒に手を上げることも当たり前の時代だったんです。そんな中で僕は授業中に生徒たちと人生について語り合ったり、ギャグを言ったりしていたから、生徒たちからは慕われていましたね。でも今思うと、僕自身が生徒とほとんど変わらない、“子ども”だったのだと思うんです」

教師となると、時には生徒を叱らなければいけない場面も出てくる。しかし、教壇に立った1年目の頃は叱るたびに生徒との距離が開いていく感覚があったそうだ。

「教職に就いてすぐの頃、僕の周りにはいつもたくさんの生徒たちがいました。でも徐々に離れていってるんじゃないかと感じるようになったんです……。ある時、一人の生徒に理由を聞いてみたら、『先生叱ってばかりいるじゃん。教室の中で、先生だけが善人みたいで息苦しい』と言われてしまったんです。

自分の行動を振り返ってみたら、朝から生徒を叱っている。生徒からすると、叱られることから一日が始まるなんて嫌だよな、そりゃあ先生と距離を取りたくなるよな……と気が付いて。

それからは、朝は意識的に僕の失敗談を話すようにしました。目の前の生徒たちと同じ年の頃、僕がどんな失敗をしたか、どんな後悔をしているかって。そうすると、生徒たちとの距離がまた近づいてきて、注意や叱責も受け止めてくれるようになりました。

学生時代から『教育って何のためにあるんだろう』ということを考えていた僕は、目の前の子どもたちとのふれ合いを通して、実践的に深く考えるようになったんです。日本では、知識を与えたり、スキルを与えたりするのが教育だと思われています。でも、与えられてばかりだと、自分で物事が考えられなくなってしまう。新人の頃から、そんな教育の現場を変えたいと思っていました。でも、『生徒のため』と思って朝から叱っていた僕も、“与える”教育によって思考が停止してしまっていた一人だったと気付いたんです。僕を“教育”に真正面から向き合わせてくれたのは、子どもたちでした」

何かを変えたいなら、他責していちゃいけない

“与える”教育を受け続けていると、自分で物事を考えられなくなる。そうすると、“他責”するようになってしまう。「他人に自分の人生を委ねるって、不幸なことなんですよ」工藤さんはそう語る。

「部活で全国優勝した時に、『コーチが導いてくれたおかげです』と答える子がいますよね。本心からそう言っているなら、これからの人生も誰かに導いてもらわないと前に進めないことになってしまう。それって非常に生きづらいですよね。そうではなくて、自分で考えて解決できるようサポートし、『自分なら大丈夫。解決できる』と子どもたちの自信を育てていくのが僕たち教師の役目だと思うんです」

そんな軸を持って教壇に立ち続けているうちに、工藤さんは生徒だけでなく、保護者や同じ職場の教員からも一目置かれる存在となっていった。

忙しくも充実した教員生活を送っていた5年目の春、家庭の事情で教員採用試験を受け直し、山形から東京の中学校に移ることとなる。工藤さんはそこで、これまでの価値観が崩されるような経験をしたという。

「自分はTシャツに半ズボンという格好をしていながら服装の乱れを注意したり、自分は授業に遅れるのに、生徒には5分前行動を徹底させたり……。そんな教師がたくさんいたんです。だから、子どもたちも教師をまったく信頼していなくて。僕一人が頑張ったって、こんな環境ではどうしようもない。ここで子どもたちに良い教育を受けさせるなんて無理だ、と絶望していました。

でも、ある時『これって今“他責”している状態なんじゃ……』と気が付いて。他人に人生を委ねるのは不幸だと思っていたのに、うまくいかない理由を、周りの教員や環境のせいにしていたんですよね」

一人の平教員の自分が学校を変えるには、どうしたらいいのか――。それから工藤さんは、目的に向かって一心に取り組んでいった。学校を変えるには、働く教員の意識を変える必要がある。意識を変えるには、対話が必要だ。そして対話を受け入れてもらうには、山形から出てきたばかりの平教員の自分を信頼してもらわなければいけない。影響力を持たなければならない。

周囲の信頼を得るため、工藤さんは授業や部活により一層力を入れて取り組むのと同時に、生徒会の指導担当を受け持ち、子どもたちの自律心を育むために生徒発案のアイデアを学校自治に生かすなど、これまでにない活動を次々に取り入れていった。その結果、少しずつ学校が変わっていったという。

「まず、生徒会が変わりました。これまでは内申点のために先生に媚(こび)を売るようなことしかできなかったけど、自分たちの力で変えられるものがあることに気付いていったんです。その生徒会の姿を見て、他の生徒たちも変化していって。生徒たちが変わっていく姿を目の当たりにすると、保護者や教員たちも、生徒の指導を担当する僕の行動や発言に一目置くようになるんです。そこから、やっと対話ができるようになりました」

今でこそ学校改革の英雄のように語られる工藤さんだが、その改革は一朝一夕に成ったものではない。目の前の問題を他責せず“自分ごと化”し、地道に少しずつ解決してきた結果なのだ。

(中編へ続きます)

取材・執筆:仲奈々
撮影:阿部健太郎
工藤 勇一
Profile 工藤 勇一

1960年生まれ。大学卒業後、地元・山形県の公立中学校教員としてキャリアをスタートさせる。その後、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会などを経て、2014年に千代田区立麹町中学校の校長に。宿題や定期テストの廃止など、これまでの学校の既成概念を取り払う改革で全国の教職関係者から注目を集めた。2020年からは、横浜創英中学・高等学校長を務める。

Twitter @KudoYousan

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