意見がないなら対話しちゃいけない、なんてない。
日本全国の学校や企業、寺社など幅広い場所で哲学対話の活動を重ねてきた永井玲衣さん。哲学対話はその場ごとにテーマを設けて、複数人で話しながら思考を深めていく活動だ。数え切れないほどの回数を重ねながらも、未だ「対話は怖い」という永井さんだが、ではなぜ活動を続けるのだろうか。哲学対話、そして他者と話すことの怖さと面白さについて話を伺った。
「論破」……議論して他者の説を破ることを指す。2015年には、毎年恒例のユーキャン新語・流行語大賞の候補として「はい、論破!」の語が入っていたし、ここ数年のSNS上でも、互いを論破しようとするようなやりとりをよく見かける。論破は、他者を言い負かすことが目的であるため、基本的には相手の意見を否定する姿勢をとる。
こんなブームの一方で、密かに、しかし急速に日本で広がり始めているのが「哲学対話」という取り組みだ。答えも正解もない哲学的問いをテーマに、複数人で話し合う。最後に何かまとめがあるわけでもない。スピード勝負で短絡的な答えが拡散されたり、明確な主張が求められがちな現代において、この取り組みは改めて対話の重要性を提示してくれる。
この、哲学対話の場を日本全国さまざまな場所で開いてきたのが、哲学者の永井さんだ。もともと他者との対話は苦手だったと話す永井さんが、哲学対話の場を開く理由は一体何なのだろうか。
対話で大切なことは、みんなでその場を「ケア」すること
大学に進学し、哲学科に通うこととなった永井さん。当時は本の虫で、生身の人間との関わりよりも本の中の世界に没頭することが多かったという。そんな永井さんが哲学対話に出合ったのは、ある先輩からの誘いがきっかけだった。
「当時は、本の世界に居場所を見つけて、生身の人間ではなくて、すでに亡くなった本の著者や物語の中の人物とばかり対話していたんですよね。そんな中で、大学の先輩に哲学カフェに『人が足りないから』と誘われました。嫌だなと思いながらも参加してみたのですが、私は一言もしゃべれなかったんです。終わった後の雑談さえもうまく話せなくて、自分の言いたいことも言えない、分からない自分自身にびっくりしました」
永井さんが初めて参加した哲学カフェで、対話のテーマとされていたのは「自由とは何か」だ。大きくてシンプルなテーマだ。しかし、そんなテーマで話してもなお、他の参加者が言っていることが簡単には理解できないこと、さらには自分の考えさえも分からなくなるといった経験に、改めて他者との対話に難しさを感じたという。
「今でも対話は、基本的には不快な経験だと思っています。他者は思わぬことを言ってくるし、それを怖がっていたのですが、それに加えて自分自身が分からなくなることも怖い。本の中と違って安住できないし、快適でいられるとは限らない」
他者と話すことで「私」の言葉がつくられていく
そんなふうに感じながらも、永井さんは現在、日本全国の学校や企業などを対象にさまざまな場で哲学対話を開いている。さまざまな定義のある哲学対話だが、永井さんが考える哲学対話とはどんなものなのだろうか。
「哲学対話にはいろんな定義がありますが、私は普段生活していて過ぎ去ってしまうことや当たり前だと思っていること、思い込んでいることに対して、あえて立ち止まって『なんで?』と、人々とともに問うてみることだと思っています。日常生活の中で一瞬頭をかすめているはずなのに、すぐに忘れてしまう問いを、他者とともに考えるのが哲学対話なんです」
哲学対話にはマニュアルがない。誰でも開くことができ、それぞれの場ごとに「ルール」が設定される。このルールの存在によって、一般的な会話と違う哲学対話の場がつくり上げられていく。永井さんが哲学対話の場を開く上で参加者へ伝えることは「よくきく」「偉い人の言葉を使わない」「“人それぞれ”は無し」の3点だ。
「私はルールというよりは、『みんなで気にしてほしいこと』という言い方をしますが、一番大切なのは『よくきく』ことです。話すのも難しいのですが、聞くこともすごく難しいんです。相手の話をじっと『聴く』ということも大事なのですが、さらに相手が何を言おうとしているのか、どうしてそう思うのかについても『訊く』。『偉い人の言葉を使わない』のは、例えば古代の哲学者・アリストテレスの言葉などではなく自分の言葉で考えましょうということです。そして、『人それぞれは無し』は、例えば自由とは何かについて考える時『人それぞれでしょ』と言ったら対話が終わってしまいますよね。人それぞれなのはゴールではなくてスタートです。だからこそ私たちはわざわざ集まって考えるのだと思うんです」
先にも述べたように、永井さんは対話を「不快なもの」だと語る。しかし、それでも哲学対話をしようとするのにはどんな思いがあるのだろうか。初めての哲学対話での衝撃から数年、活動を重ね感じることがある。
「私が哲学対話を体験して大きく感じたのは、他者によって自分の言葉が引き寄せられるっていう感覚だったんです。私たち一人一人は強い主体で、合理的に理性的にモノを考えられ、トランプのようにいくつもカードを持っていて、意見をぶつけ合うことができるという議論モデルの考え方がありますよね。すでに割とはっきりとした答えや意見を持っていて、だからこそ私たちは戦える、というような。でも、哲学対話をしてみると自分の意見が分からなくなるんですよね。そんな中で、他者からの問いに応答するという、受動的な経験を経て初めて自分が形作られていく感覚があるんです。暗闇の中で誰かに腕をつかまれて自分の存在を感じることに近いです。
論破をしたくなる時って、そんなふうに他者から問われたり触れられたりするのが怖い時だと思うんです。だから相手を『モノ』化して、意見をぶつけてしまう。他者によって変容していく自分のことも同時に怖がっていると思います。そんな時私は、『対話はつらい、だから、話そう』と言いたくなるのかもしれません」
「大丈夫」だと思える場所をつくるために
哲学対話は文字通り、「哲学」する場所でもあり対話する場所でもある。対話に似た言葉に会話や議論などがあるが、そのどれも少しずつやることが異なってくる。哲学対話に限らず対話の場において、永井さんが重要だと考えるのは「ケア」の感覚だという。
「私たちは、思ったことを安心して話すことのできないような危険な場では生き生きと対話ができない、もろくて弱い存在だと思います。哲学対話のご依頼を頂いた時に、その組織の課題を聞いてみると『若い人が話せる雰囲気じゃない』『偉い人しか意見を言えない』などと言われることが多いんです。そんなふうに対話の準備ができていない場所って世の中に無数にあると思います。
だからこそ、対話するためにはまずその場を『大丈夫』な場所にすることが重要です。『大丈夫』な場所というのは、何を言っても傷つかないというわけではなく、もし傷ついたとしても立ち直れたり、誰かに頼れると思えるような場所です。
もともと完全に『大丈夫』な場はほとんどなくて、それは対話に参加する人みんなでつくり上げていくものです。そのために周りを気にする、つまり『ケア』することが必要になってきます。誰か特定の人だけではなくて、その場全体を気にかける。みんなは話しやすいだろうか、話すだけではなくて考えやすい場所になっているだろうか、そして私はこの場所にいて大丈夫だろうか。そんなふうに緊張感を持って行うのが対話だと思います。対話によって変容していく自分を知り、今いる環境を『ケア』する、そんな感覚を知ってほしいと思って哲学対話の活動をしています」
取材の後、筆者は実際に永井さんが開く哲学対話の場に参加させてもらった。互いのささいな言葉に引っかかりながらも、参加者皆でその場全体を「ケア」しながら進む哲学対話の後には心地よい疲労感が残る。まとまらない言葉を発しながら、他者との対話によって自分の考えが形作られていく感覚に、どこかしら懐かしさを覚えた。はっきりとした答えが求められることの多い毎日の中で、今こそこういった体験が必要なのかもしれない。
取材・執筆:白鳥菜都
撮影:服部芽生
1991年、東京都生まれ。哲学研究と並行して、学校や企業などで哲学対話を幅広く行っている。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と漫才と念入りな散歩が好き。
Twitter @nagainagainagai
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