介護は苦しくて大変、なんてない。
人気お笑いコンビ「メイプル超合金」は、「既成概念にとらわれない生き方をしている」として、2021年7月に開催された株式会社LIFULLの「しなきゃ、なんてない。アワード2021」を受賞。コンビとしても個人としてもさまざまな分野で活躍を続ける安藤なつさんは、実は介護歴20年の介護のプロだった。二人の名を世間に知らしめたM-1グランプリの前夜にも、夜勤をしていたという筋金入り。介護に出合ったのは親戚が始めたデイサービスセンターに遊びに行った小学生の時で、中学に上がると同時に週末の泊まりがけでのサポートボランティアをスタート。20歳以降は資格も取り、一晩で15~20軒の家を回っておむつ替えなどをする巡回介護を行っていた。一方、お笑いコンビを初めて組んだのは16歳で、高校生の頃から芸能事務所「太田プロダクション」へネタ見せを始めている。つまり、なつさんにとって「介護」と「お笑い」は、常に自分の人生の両輪として一緒にあったもの。2つの“楽しい”を追求してきて、「トータルでhappy」というこれまでの人生観について伺った。

「二足のわらじを履く」と聞くと、なんとなくどちらも中途半端なイメージを持たないだろうか。ところが、なつさんが続けてきた介護とお笑いは、どちらも100%だ。だから「二足のわらじ」なんかではない。どちらも本業だった。「私、昔から体力がものすごくあるんですよね」と、なつさんは笑う。介護の仕事は夜勤がメインだったので、夕方から朝は介護、日中から夕方はお笑い、という2部制。まったくジャンルの違う2つの道を、なぜ同時にこなすことができたのか。その原動力について聞いてみた。
どこの現場でも人の良いところを生かして人を助けるのが好きだし、助けられる人でありたい
介護業界について、世間一般でいわれるのが“3K”のイメージだが、なつさんは「介護がすごく楽しかった」と言う。
「私の叔父が自宅を改装してデイサービスを始めたのは、私がまだ小学生の時でした。いとこもいるからもともとよく遊びに行っていた家だったけど、ある時からいろんな人がそこにいるようになったんです。最初に障がいのある方に関わった記憶は、脳性麻痺のおじちゃんと一緒におやつを食べたこと。でもまだ小学生だったし、脳性麻痺も知らなければ介護なんてことももちろんわかっていなくて、ただ単に『親戚のおじちゃんの家で、そこにいた人たちと一緒におやつを食べた』という感覚でした。その脳性麻痺のおじちゃんはコンペイトーが好きで、一緒にコンペイトーを食べたんです。今考えると、『小さくてとがっているお菓子は危なくなかったのかな……』と思いますが、当時は今とはやり方が違いました。障がいのある方を介助するのも、資格が必須の時代じゃなかったですし。
中学生になった頃にはデイサービスから宿泊可能な施設に変わって、土・日曜に泊まりがけで手伝うボランティアを始めました。夜の11時に寝て朝早く起きる生活で、夜中に何かあったら起きてサポートしていました。高校生になってからはアルバイトに切り替えてもらい、そこで主にやっていたのは、おむつ交換やトイレ介助、入浴介助、食事介助です。つまりそこにいる方々の生活支援全般ですね」
そんなふうに「週末は泊まりがけで利用者さんと一緒に時間を過ごす」というのが日常になっていたなつさんだが、あくまで親戚のおじちゃんの家に遊びに行った延長線上。だから気負って介護の世界に入ったわけではないし大人でもなかったから、「“3K”なんていう言葉も知らなかった」と笑う。そして20歳になる頃にはホームヘルパー2級を取得して、深夜の巡回介護を始めた。
「一晩で15~20軒くらいのお宅を2人ペアで回るというのを、3年ほど行っていました。やることは利用者さんによってさまざまで、おむつ交換や褥瘡(じょくそう)予防のための体位変換の家もあれば、安否確認だけのお宅もあるし、依頼によって異なります。
私はそこで初めて大人のおむつ交換をしたのですが、それまでもいろいろな経験を積んできたつもりだったし、しっかり学んでヘルパーの資格も取っていたはずなのに、最初は学んだことがまったく通じなくてショックを受けましたね。『なんだこりゃ』って。だって、おむつ替え一つとっても、その人の障がいや体の様子によってやり方が全然違う。『どこに力を入れるべきか』『どこを動かしちゃいけないか』なんて、やってみなくちゃわからないですからね。もちろん知識も必要だけど、つくづく『介護って現場ありきだな』って思いましたね」
オールジャンルの叔父の施設で10年働き、M-1の決勝前夜も夜勤を

「深夜の巡回介護を3年ほど行い、26歳の時にまた叔父の施設に戻りました。その頃、叔父の施設では自閉症・脳性麻痺・知的障がいなど、さなざなな方がいました。階によって分かれていて、一日のプログラムも違うんです。ただそこにいるだけだと生活に刺激がないので、一緒にキャンプをしたりあちこちに遊びに行ったり、いろんな思い出がありますね。私はそこで2005年から2015年まで約10年働いていて、M‐1グランプリの前夜も夜勤していたんですよ。
そんな話をすると『介護って大変でしょう?』『偉いね』と言われたりするけど、やっぱり私の中では“楽しい”んですよね。もちろん力仕事だし、夜は眠れなかったり腰にはきつかったりと、体力的に大変なこともあるけれど、介護という仕事は私にとって楽しいものなんです。それに、障がい者や高齢者と一言で言っても、さまざまな症状や性格の方がいます。頑固で無口な人もいれば、明るくて楽しい人もいる。今思うと、そんないろんな人とのコミュニケーションが楽しかったのかもしれないですね」
介護の現場で印象深かったことは、巡回介護をしていた時のこと。
「本当はいけないのですが、何となくガムの包み紙で折り鶴を作って利用者のおじいちゃんの前に置いたことがありました。そしたら次にそのおじいちゃんに会った時に、広告の切れ端で作った折り鶴があったんです。ご家族の方が、『それはおじいちゃんが作った』って。おじいちゃんも私の鶴が気に入ったなら言ってくれればいいのにね。そんな、気持ちが温かくなる瞬間が、いっぱいあるんですよね」
お笑いデビューは16歳でのトリオ結成
「お笑い番組は小さな頃から好きで、自分でトリオを結成したのは16歳、高校生の時でした。バンドの手伝いもしていた時に、スタッフの友人に太田プロダクション(以下、太田プロ)の人がいて、その頃から事務所に行ってネタ見せをしていました。ネタを考えるのも楽しいし、介護も楽しい。私にとっては『どっちを取るか』とか『大変』といった考えはなくて、最初から両方あって当たり前だったんですよね。
20歳以降は資格も取って本格的に介護の仕事を始めましたが、その状況でもネタを見せに行くなど、お笑いに関わることも当たり前にやっていました。『どっちかに絞れ』なんて周りから言われたこともないし、そんなことを考えたこともなくて。両方できたというのは、私自身の体力があるのも大きいので、そこは両親に感謝ですね。ただ介護を続けていく中で、腰は悪くしちゃいましたけどね。
お笑いは、高校生の時には男性2人とやっていて途中メンバーが抜けたり、その後もいろいろとコンビを組んだりしました。20歳くらいの時、長州小力さんの旗揚げ公演があったので太田プロでのネタ見せのつもりで行ったら受付をやらされたことがありました。そこでプロレスラーデビューもして、お笑いプロレスなんかもやっていましたね。8年くらいかな。そんなことをやっているうちに今の相方と出会って、2015年のM-1グランプリにつながります。それ年以降は、さすがに忙しくなって介護の仕事はできていないけど、私にとってはどちらをやっている時も私だし、両方やるのは自然なことなんです」
介護の現場は慢性的な人手不足だといい、新型コロナウイルスの流行がなければ今でも介護の現場にいたかったと話す、なつさん。
「介護の現場は、私が始めた頃とはだいぶ変わっています。介護では腰を痛めがちなんですが、今は体を持ち上げるためのリフトがあったり機械浴もできるようになっていたりして。介護者側の負担を軽減できる環境って、すごく大事だなって思っています」
私が得意なことは人の良いところを引き出すこと
介護の現場とお笑いを通して、本当に多くの人と関わってきたなつさんだが、今でも「どんなことが向いているのか」「何が好きなのか」と考える場面は多いという。
「私が好きなことって0から何かを立ち上げるのではなく、すでに立ち上がって1になっているものを5にすることだと思うんです。今あるものをもっと良い方向に発展させるっていうこと。
人の良いところを見つけ出して伸ばしていけば、もっと能力を生かすことができるんですよね。それは介護の現場で学んだことだと思います。私自身も順応する努力はするけれど、誰だって順応してチャンネルを合わせられたら、伸び伸びと自分の良さを出せるようになるはず。私はどんな現場であっても、相手が自分の特性を生かしてイキイキできるようなサポートをするのが好きなんですよね。だから介護も楽しめるんだと思う。人を助けたいし、助けられる人でありたい。そう思っています」

お笑い芸人・タレント。メイプル超合金のメンバーでツッコミ担当。2015年のM-1グランプリで話題になり、その後二人そろってお茶の間の人気者となる。女優としても活躍の場を広げており、2014年にはナンシー関役で初主演を務めている。中学生の頃から泊まりがけの介護ボランティアを始め、ホームヘルパー2級を保有する。介護歴は20年。M-1グランプリの前夜にも介護の現場で夜勤をしていたことが話題を呼ぶ。
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