top  / stories  / 料理人は、お店を構えなきゃいけない
STORIES 2018/12/05

料理人は、お店を構えなきゃいけない

小・中・高校と野球一筋だった少年が、あるきっかけからフレンチのシェフに。しかし、彼はその後レストランを辞めて、フリーランスの道を選ぶ。今自分が発信をすべきことは何なのか、そしてフード業界の将来を見据えどのような道を歩むべきなのか……。料理人の田村浩二さんが見せる新しい“食”へのアプローチは、消費者、生産者、同業者、さまざまな人に“気付き”をもたらす――。

近年、無農薬や生産者の顔が見える食材などが一般消費者にも認知され、手に入りやすくなるなど、食卓に並ぶ料理に対してのこだわりがより深まっているように感じる。しかしその一方で、インスタ映えメニューなど、見た目重視の料理がブームとなっているのも事実だ。このような食の多様化は、良くも悪くも、その人の意識によって姿を変える。見た目だけではなく、食材や料理とおのおのが向き合うことのできる現代だからこそ、田村さんは第一次産業の危機や食の価値・可能性を問いかけている。
新宿調理師専門学校を卒業後、乃木坂「Restaurant FEU(レストラン フウ)」にてキャリアをスタート。六本木「Edition Koji Shimomura(エディション・コウジ シモムラ) 」の立ち上げに携わる。表参道の「L’AS(ラス)」で約3年シェフを務めたのち、渡仏。フランス南部マントン「Mirazur(ミラズール) 」やパリ「Restaurant ES(レストラン エス) 」で修業を重ね、2016年に日本へ帰国。2017年には、世界最短でミシュランの星を獲得した「TIRPSE (ティルプス)」のシェフに弱冠31歳で就任。世界のベストvレストラン50の「Discovery series アジア部門」選出、「ゴーエミヨジャポン2018 期待の若手シェフ賞」を受賞するなど経歴を重ねた今、あえてレストランから離れたことで見えてきた課題や、未来への展望などを伺った。

食は人をつなぐ。料理の魅力を知った学生時代

神奈川県三浦市、海沿いの街で育った田村さん。父親が少年野球のコーチを務めていたことなどもあり、幼い頃は野球に打ち込む日々だったそう。

「小・中・高校とずっと野球をやっていたので、このまま大学野球に進んで、できればプロになりたいと考えていたんです。けれど、大学のセレクションに落ち、これを機に野球をきっぱりとやめることに。大学へは“野球をやるために行く”つもりだったので、進学の道も選ばなかったですね」

野球から離れる決心をした高校2年生の彼が、料理の道に目覚めたきっかけとは。

「2学期が終わるタイミングで親友の誕生日があったんです。今まで野球しかしていなかったのでお金もないし、どうしようかと考えて、何を思ったのかケーキを作ったんです(笑)。当時、家で包丁を握ったこともなかったですからね。母親に聞くのはなんだか恥ずかしかったので、ネットで調べて作ってみました」

試作を重ね、満を持してプレゼントしたケーキには、友達から予想以上の反応があったそう。

「親友とは違うクラスだったので、休み時間にケーキを持って行ったんです。背が大きくて目つきも悪い、しかも坊主のガラの悪いやつが誕生日ケーキを作ってくるという不思議な光景(笑)。仲の良いメンバー以外も興味津々で集まってきて、みんなで『おいしい!』と喜んで食べてくれたんです。そのとき、自分の料理で喜んでくれる姿やみんなが食を通じて盛り上がるのっていいなと思いました。この出来事が料理の仕事をしたいと思ったきっかけです。あと、幼い頃からの食環境もありますね。昔からポテトチップスとかジャンクなものを食べることが少なくて、デザートはドーナッツや蒸しパンなど母親の手作り。食を改めて意識したときに、料理がすごく身近にあるものだと気付いたんです」

自身で常に課題を立てることが、今後の糧となる

その後、新宿調理師専門学校に進学。自分の中でルールを決めながら目標に向かって勉強をしたそう。

「当時、30歳には自分のお店を持つという計画を立てていました。結果的にはそうなっていないんですけどね。野球をやめたからには料理でどうにかすると決めていたので、無遅刻無欠席の皆勤賞、実技と筆記全ての平均が85点以上でもらえる努力賞を取り、自分の中のルールを守り通しました」

専門学校卒業後は、数々のレストランで修業を積み、本場フランスへ。そこで現地の人からたずねられたことが、今の活動にもつながっている。

「フランスに行ったときに、現地の人にしょうゆの作り方を聞かれたんです。なんとなくは分かっていたのですが、ざっくりとしか説明ができなくて。自分の国のことなのに分からないなんてまずいなと思いましたね。帰国して今2年ちょっとなのですが、しょうゆ、みそ、酒……と、30都道府県ほどまわりました。あのときの問いかけがなかったら、生産者の方々に会いに行っていないかもしれません」

生産者との出会いが料理人としての意識を変えた

現場を訪ねたことで、さまざまな課題も見えてきたそう。

「実際に生産者を訪ねたことで、良い食材が多く世にでていない現状など第一次産業の課題が見えてきたんです。それと同時に、料理人だったらこの問題を解決できると感じました。僕たちは食材がなくなってしまったら料理ができない。生産者の方たちが前に出ることで、消費者の意識も高まるので、そうなるためには僕たち料理人が発信をすることが、一番説得力があるのではと思いました」

取り組みをするうえで必要なのは、消費者に対する“きっかけづくり”。そのためには自身の立場も変えなくてはいけないと考えた。

「レストランにくる人が求めているのは、このシェフが作るから、このレストランの料理だからということ。違う部分にスポットが当たってしまうので、生産者の気持ちやストーリーが伝わりにくいんです。自分のテクニックを見せるような料理って素材が生きないので……。そう思うと評価のために右往左往していた自分の料理がすごくダサく見えてきたんです。そんな想いの中、僕が今いるべきなのはレストランではないと考えるようになりました」

プロダクトに込めた生産者の思いが消費者のもとへ

生産者との出会いをきっかけに田村さんがはじめたプロダクトは多数ある。

「このアイスクリームに使っている国産のバラが素晴らしいとか、干物屋さんの伝統的な技術が素晴らしいなど、僕のプロダクトを通して、その食材を作っている生産者の方がいることにまずは気付いてほしいです。生産者の技術や取り巻く環境への認知が広がることで、消費者の食への関心もさらに高まり、食に携わるみんなが幸せになれる作用が生まれるはずです。2019年1月には家庭料理のレシピ本を出すのですが、誰かのために料理を作ると、もっとおいしいものを作りたい、おいしい食材を使いたいと素材に目が向くと思うんです。こういう取り組みの一つひとつが、生産者と消費者をつなげるきっかけになっていったらと思っています」

最近手掛けた仕事を伺うと、面白い取り組みが。

「LIFULL Table Presents『地球料理 -Earth Cuisine-』という、地球上でまだ光を当てられていない素材にフォーカスし、その素材を食べることで地球のためになる、地球の新たな食材を見つけるプロジェクトのメニュー開発を担当しました。僕、サステナブルシーフードという日本の水産業を継続可能なものにする活動をしていたので、このお話にもサステナブルというキーワードがあり、自分にピッタリだと思ったんです。雨が山に降り、それが川に流れて、海に戻る。その川と海が交わる場所(汽水域)にはプランクトンが発生し、そういう場所ではカキが育つ。だからカキをメニューに採用するなど、さまざまなストーリーを込めました」

料理人だからといってスタイルを決めることはない

食に携わる者として、自身のスタイルを確立する田村さん。今までで立ちはだかった壁はあるのだろうか。

「『TIRPSE』でシェフを務めていたとき、シェフになったのは僕で3人目。3人目ともなるとシェフが変わったところで注目されない。賞を取って評価は上がるけれど、お店の売り上げは変わらなかったんです。それもあり、自分でレストランをやってもはやるヴィジョンが見えなかった。売り上げにはいろんな要因があるのですが、それを料理の力で覆せなかったというのが自分の中の大きな壁でした。けれどそのときに、自身の見せ方の問題だと気付いたんです。それまではレストランに来てくださるいわゆるコアな相手にしか発信をしていなかったのですが、例えばツイッターをはじめてみたり、加工食品のプロデュースやオリジナルチーズケーキのブランドを作るなど、マス(大衆)向けに発信をしていくことの重要さを感じました。もしあのまま順調に売り上げが上がっていたら、自分でレストランをやっていたかもしれませんね」

やめるという選択をしたことに関しては、後悔をしていないという。

「料理人って自分のお店を持ってオーナーシェフになるという道に向かっている方が多いと思うのですが、そうではない生き方もあるということを、僕は下の世代にも知ってほしい。上の世代の方も、王道を通り、賞を取ってきた料理人が現場を変えたら、時代が変わったのかなと思ってくれると思うんです。そう思わせる人が必要だと思ったので、僕がやろうと。これを実現させることで、上世代も下世代も料理人としての見方が今までと変わると思います。スタイルにとらわれていては、僕がやりたいことは実現しないんです」

自分という人間は一人しかいない。だからこそ、自分は何ができるのかということをよく考えるといいと思います。自分自身としっかり向き合い、理解していれば、自然とチャレンジしていける。やるかやらないかだけなので、やってみて、それから考えた方が早いと思います。……と言いつつ、僕は石橋を叩いて壊して直して渡る人なので(笑)。でも一回壊した方が早い。壊して後悔したなら、またその通り直せばいいんです。ダメだったところで終わりではなくて、成功するまでやり通したら、結果それが自分にとって必要な糧となる。挑戦すべきです!
Profile 田村 浩二

1985年生まれ、神奈川県出身。食のUI、UXをデザインする料理人兼デザイナー。開店わずか2か月でミシュラン1つ星を獲得したフレンチレストラン「TIRPSE (ティルプス)」元シェフ。 世界のベストレストラン50の「Discovery series アジア部門」選出、「ゴーエミヨジャポン2018 期待の若手シェフ賞」受賞。 複数の事業を手掛ける事業家、経営者としても多方面に活躍。.science 株式会社 取締役、Tanpan.CO 事業開発部 執行役員。

公式ホームページ https://lodoriter.com/
公式Twitterアカウント @Tam30929
公式note note.mu/koudy

STORIES 2018/12/05 料理人は、お店を構えなきゃいけない

STORIES

しなきゃ、なんてない。既成概念にとらわれず、自分らしく生きる人々のストーリー。

view all STORIES