【寄稿】障害者としての自分の困難さに気付いていくことは難しい|くらげ
自分が困っていることが何かには自然には気付かない
こんにちは。くらげと申します。
身体障害者手帳2級の重度聴覚障害者で発達障害(ADHD)と診断されている複数の障害持ちです。これだけ書くとかなり大変そうですが、人工内耳をつけてなんとか電話をしたりオンラインビデオ会議に出席したりできています。
また、ADHDに関しても薬を飲んだり家族の助けがあったり、ある程度のライフハックを行うことで何とか日常生活が破綻せずに送れていますし、各所に多大なる迷惑をかけつつフリーランスとして仕事を請け負ったり、友人の会社を手伝ったりして生計を立てています。「障害者」という言葉の響きの割にはフリーダムに生きさせて頂いております。
ただ、現在のような状態に落ち着くまでかなり大変な目に遭いましたし、何度もアイデンティティの揺らぎがありました。これからも大変な目に遭うでしょうし、自分自身の認識がどんどん変わっていくのでしょうが、とりあえず自分の中で大きな発見をいくつか得ることができました。今回はそのお話をさせていただきたいと思います。
障害を持っていたことで暗転していく人生
私の家系は母方の祖父・母・私・弟が難聴でおそらく遺伝性の聴覚障害を持っています。生まれた当時はそこそこ聴こえていたようなのですが、小学5年生の頃に急激に聴こえなくなり、中学2年生でろう学校に転校しました。その後、聴覚障害・視覚障害者専用の短期大学に進学し、卒業直前に母の勧めで人工内耳の手術を行い、卒業後は、とある行政法人に障害者雇用で就職しました。
こういう経歴なので就職先も聴覚障害者としては非常にサポートしてくれましたが、どういうわけか仕事がうまくいかない。特にずっと座って仕事をするとか、丁寧に間違いのないようにデータを打ち込むとか、誤字脱字なしに書類を作るとか、そういうのが全然できませんでした。(今から思うと無数にトラブルが発生していた気がしますが)
聴こえないことが問題というよりは、歳を経るごとに人工内耳に適応してきて「聴こえること」は年々増えているのに、仕事はますますできなくなっている。イージーミスの積み重ねでストレスが増え、判断力や体力がどんどん落ちていく。家に帰ったら酒を飲んで過食に走り体重は増えていく。そのうち、会社に行けなくなって双極性障害と診断されて休職し、そのまま退職することになりました。
その間に発達障害のある彼女をテーマにした『ボクの彼女は発達障害』という本を出版することになり、ライターとして食べていけるかな?と思ったのですがそれほど甘くはなく、1年ほどで母校からの紹介である学校法人に障害者雇用で再就職しました。
「自分は何の障害者なんだ?」という悩み
この頃には人工内耳の適応もかなり進んでおり、普通に話す程度ならそれほど困るわけでもなかったのですが、やはり仕事ができない。耳はそこそこ聴こえるようになったのに「社会人としての基礎」が全くできない。この当時は「自分が仕事ができないのは『聴覚障害のせい』だ」と本気で思っており、聴こえることが増えればこの苦しさもマシになるのではないか、と希望を持っていましたが、心身に不調を来たしてアルコールの摂取と過食が再燃してしまいました。
心身的に再び限界を迎えそう、というタイミングでたまたま発達障害に詳しい医者のいる病院に転院してADHDの診断を受け、服薬治療を受けることになりました。最初はまず「薬をまともに飲むこと」すら難しかったのですが、いろんな事情が重なり彼女と同棲し、結婚しました。彼女が服薬管理を行ってくれたおかげでまともに薬が飲めるようになってきました。そうするとADHDゆえの焦りや焦燥感が比較的マシになり、仕事中に大人しく座っているとか、ケアレスミスが減るといった「効果」が実感できるようになって「薬が効いているな」という実感から自発的にちゃんと服薬するようになりました。そのうち、酒をほとんど飲まなくなり、体重もそれ以上増えることはなくなったのです。
しかし、このあたりから「自分は何の障害者だ?」と悩むようになりました。聴覚障害者として育ってきたのですが人工内耳を入れることで「聴こえること」は増えていきます。しかし、生活や仕事の上では、聴覚障害よりADHDのほうがよほど問題である。でも、「聴こえている」ということに関しては「他の聴覚障害のある人に申し訳ない」とか「聴覚障害者なのに聴こえていていいのだろうか」というなんというか“自分の中の聴覚障害者像”を打ち破ることが難しかったのです。
ある日、妻と散歩中にそれを打ち破るきっかけと出合いました。近くの寺に立ち寄った際に、なにか雑音のようなものが聞こえてきて「これは何の音?」と妻に聞いたら「これはセミの鳴き声だよ」と教えてくれました。その瞬間に「音というものはこんなに豊かなのか」とびっくりして耳を澄ませたら、これまで“ただの雑音”だったものが“蝉の声”としてのリアリティを持って降り注いできました。この後、少しずつ「雑音」の中から「意味のある音」を発見することが増えていき、「聞こえる世界とはこれほど豊かなのか」という気付きを得ていきました。
また、妻は体調が急変することが多く、どうしても病院に電話をしたり救急車を呼ばなければならないことがあり、いろいろ試行錯誤して電話ができるようになりました。この経験が「完全に聞こえないにしても、聴こえる範囲で最大限に活かして生き抜こう」と覚悟するきっかけになったように思います。
自分の困難さがわかれば対処できるようになる
それと並行してADHDについて『ボクの彼女は発達障害』で漫画パートを担当していただいた、漫画家の寺島ヒロさん(自身もASD)と発達障害をテーマにした「発達障害あるある対談」という連載企画をスタート。毎週、自分のADHDを考えるうちに「ADHDでこういうことに困っていたんだ」と自覚することができるようになりました。「自分の困ったことは自然にわかるわけではなくて自分で考えないと気付かないことも多い」ということを学んだのは現在も続いているこの連載のおかげです。
「困ったこととその原因」がわかればある程度は対処できるようになります。ずっと座っていられないのはADHDの飽きっぽさもありますが、それだけではなくて発達障害があると体幹が弱くて同じ姿勢で座っているとそれだけで疲れてしまうことがある。なので、家から体幹を支えやすいタイプのクッションを持っていって使ってみると、ある程度は落ち着いて仕事ができるようになりました。
また、締め切りが守れないのはそもそも自分の時間感覚が普通の人とずれていて「先のこと」を想定するのが難しいから。なので、スケジュールを可視化できるように工夫する、といったことで少しずつ対処できるようになっていきました。本当に少しずつですが仕事のミスも減っていき、障害者雇用で給与が厳しい分をライティングの副業で生活費を補填することができるようにもなりました。その結果、どうにか結婚することもできました。
ただ、完全に楽になるわけでもないですし、障害者雇用では昇進も昇給も望めません。妻の体調が更に悪化して看病が長時間必要になったこともあったのでフルリモートの仕事に転職しました。しかし、ADHD故に時間感覚の問題や妻の看病の関係から「決まった時間の分は働く」ということが想定以上に難しかったことがあり、今は副業であったライティングを本業化してフリーランスをしつつ、友人の会社を手伝っています。
試行錯誤の果てにしか見つからないもの
かなり紆余曲折の人生を送っておりましたが、振り返ってみて人生で大きな発見というのは「障害者」としての限界は意外と自分の中にもあるというのと、障害の困りごとというのは意外と自分では気付かない、ということです。人工内耳をつけなくても、そのままずっと「聴こえないことはサポートされていればいいのかな」と考えていたとすればやはり人生の何処かで今以上に挫折していたと思います。どこかで一度「障害者」ということを脇において「仕事をする」ということを考え直す必要があったように感じます。
また、ADHDについては本当に「ADHDで困っている」というのは発見しなければならないものでした。「困っていることは自分で発見しないと自分が変化できない」ということに気付かなければ、やはり今より人生が大変だったに違いありません。
ですが、この2つに気付けたのは狙ってそうなったというよりも偶然に近いものがあります。もしタイミングが悪かったら、偶然をつかめなかったら、と思うとちょっと怖いものがあります。人生の転機は本当にどこにあるかわかりませんが、かなり試行錯誤しないと見つからないものでもあります。
これからの人生がどうなるかは本当にわかりませんが、とりあえず今が辛くても諦めずに七転八倒を続けていれば光が指すこともある、という確信のようなものを得たことが人生の希望になっています。
まぁ、のたうち回って転がっても道はできますし、前向きに倒れれば一歩分の進みはあります。あまり怖がらずに倒れていきましょう。
Profile
くらげ
山形県出身、東京都在住の聴覚障害とADHDのフリーランスをしながら「サニーバンク」のアドバイザーなどを行っている。発達障害のある妻と二人暮らし。著書に『ボクの彼女は発達障害』がある。趣味はドライブ。
Twitter @kurage313book
note https://note.com/kura_tera
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「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
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