人生どん底の時にパーティーはできない、なんてない。
かつて人気俳優として華やかな芸能活動を送っていた小橋賢児さん。現在は、『ULTRA JAPAN』のクリエイティブ・ディレクターをきっかけに、大型イベントのプロデュースや映像制作、俳優、DJ、施設開発など、クリエイターとして幅広い活躍をみせている。人気俳優から一転、小橋さんがマルチなスタイルで働くようになったきっかけとは。

一つの分野や仕事に従事するのが当たり前な時代があった。しかし、時代は常に変化している。
現代は情報化社会。ビジネスツールの発展やSNSの台頭もあり、個人のスタイルを世界に発信することが容易になった。一つの領域に閉じこもるより、ジャンルにとらわれずにマルチな才能を発揮できる人間が活躍できる時代になったのだ。
そんな時代背景の中で、マルチなスタイルで活躍する小橋賢児さん。
今や、LeaR株式会社の代表取締役としてオフィスを構えるまでになったが、ここまでたどり着くのに、さまざまな葛藤や挫折があったという。「人生のどん底まで落ちた」と話す小橋さんの人生を変えた転機とはどんなものだったのだろうか。
不安からの開放。
海外のフェスで人生観が変わった瞬間
小橋さんは、8歳の頃に子役として芸能界デビュー。その後数々の人気ドラマに出演し、一躍人気俳優に。27歳の時に俳優活動に区切りをつけ、英語を学ぶためにアメリカに留学した。はたから見れば順風満帆に見える芸能生活であったが、小橋さん自身はアウトプットしてばかりの自分に疲れ、あれをしてはいけない、こういう人たちとは付き合ってはいけない、など行動制限される生活に疑問を感じていたという。そのストレスは自身に重くのしかかっていた。
インプットをしたいと考えた小橋さんは、アメリカに旅立つのだが、なぜアメリカを選び、英語を学びたいと思ったのだろうか。
「英語を話せれば、世界中の人たちとコミュニケーションが取れるし、その中で自分の知らない世界とか感情に出合えると思ってアメリカに行きました。自分の人生が変わるような“気づき”が欲しかったんです。『外国人の友達を作ってアメリカを車で横断する』、『英語でケンカができるようになる』という目標を立ててアメリカに行ったんですけど、本気で英語の勉強をしたかったので、日本人が少なくて、勉強熱心な人が多そうなボストンを留学先に選びました」
アメリカでの生活を楽しみながら、語学の勉強にも励む日々。友人にも恵まれ、目標だったアメリカ横断を実現させた小橋さん。一緒に旅をする友人とは毎日顔を合わせることもあり、必然的にケンカもするようになったという。
充実した日々を送っていたかのように見えるが、小橋さんの心は完全に晴れてはいなかった。
「自分はこの先どうするのか? 何をしたいのか?が、決まっていなかったのでフラストレーションはありました。当時の俳優って、一週間表舞台に出ないと忘れられてしまう世界だったので、長期でアメリカに行くというのは自分のキャリアを捨てたようなものですし、なかなか英語もうまくならない焦りもあって、不安が募りましたね」
アメリカ横断の最後に訪れたマイアミで、小橋さんの人生を変える出合いが訪れる。それが、『ULTRA MUSIC FESTIVAL』だ。
「会場に行ったら、青空の下に巨大なステージがあって最先端の音楽が流れる素晴らしい光景が広がっていました。何よりも感動したのは世界中からいろいろな人種の人たちが集まって、ダンスミュージックという共通言語を通じてみんながハイタッチしてつながっている感じが開放的に見えて衝撃を受けたんです。アメリカに来ても不安はあったけど、この空間に入った時に、今まで閉じ込めていた感情に出合えて、エモーショナルな感覚になりました。吹っ切れたというか開放されましたね」
人生が変わるような気づきの場を作りたい
新しい価値観に出合い、海外で覚えた感動を日本でも提供したいと考えるようになった小橋さん。
帰国後、さまざまな事業に挑戦するが、順風満帆とはいかなかった。事業は失敗し、貯金も底をつき、恋人には三くだり半を突き付けられ、ついには肝機能障害で寝たきりになってしまったのだ。
まさに人生のどん底だった彼に、今のスタイルにつながる転機が訪れる。それは自身の30歳のバースデー・パーティーだった。
「仕事も金も恋もない。体を壊して死ぬかもしれないという状況の時、30歳になる3カ月前だったんですけど、男は30歳過ぎてからが大事というのが頭にあったので、ここが変わり時なのかなって考えるようになりました。病気だからしょうがないという理由で30歳のスタートを諦めたくなかったんです。それなら自分のバースデー・パーティーを盛大にやって、来てくれる人を最大限にもてなそうと思いました」
数十人規模ではやる気が出ない。数百人規模でやりたいと決心した小橋さんは、お金がないにもかかわらず、東京・台場のホテルのプールを貸し切りにして、200人規模のバースデー・パーティーを主催。普通、お金がない時にこんな大胆なことはできないと思うのだが、彼はその時のことをこう話す。
「大きなことにチャレンジできない人って、現状維持したい気持ちが残っているからだと思うんです。危機感がないからなんとなく今を生きてしまうというか。僕は、もう俳優には戻れないと思っていましたし、失うものもなかったので、逆にバカだと思われるくらい大きなことをしないと頑張れないなって思っていました。逃げられない環境を自分で作って、やるしかない!って自分を奮い立たせましたね」
小橋さんがこだわってデザインしたLeaR株式会社のオフィス
自身のバースデー・パーティーが高い評判を呼び、その後はイベントプロデュースを皮切りに映像制作や映画監督など、マルチな活躍をしていった小橋さん。
2013年に開催された『ULTRA KOREA』の運営に携わったことをきっかけに、2014年に都市型巨大ダンスフェスティバル『ULTRA JAPAN』のクリエイティブ・ディレクターとして、自身の価値観を変えた『ULTRA MUSIC FESTIVAL』を日本で開催。「人生が変わるような気づきの場を作りたい」という小橋さんの思いがついに形になった。
2017年からスタートした未来型花火エンターテインメント『STAR ISLAND』では総合プロデューサーを務め、本イベントはシンガポールのカウントダウンイベントとして開催されるほど話題に。
彼のジャンルにとらわれないハイクオリティーなクリエイションはどのようにして生まれるのか。
「映画でもイベントでも料理でも、日常における非日常を体験すると、今まで自分の知らなかった感情に出合えます。今の社会って『have to』なことが多くて自分の感情を押し殺してしまう同調文化の傾向にありますけど、その中でいつもと違うものに出合うことによって、自分の感情が開放されて『want to』という自発的に何かをしたいという傾向に変わっていくはずなんです。僕はそういう気づきの場をたくさんの人に作りたいと思っています」
彼にとってマルチクリエイターという言葉は便宜上のものなのかもしれない。本質は決してブレることのない「気づきの場の提供」という大義があるからこそ、さまざまなアイティディアを生み出せるのだろう。
最近は、千葉市にある稲毛海浜公園や東京・日の出埠頭の再開発、複合型体験エンターテインメント施設『アソビル』内の屋内キッズパーク『Kid’s Traveler(仮称)』(2019年初春開業予定)といった施設開発事業にも力を入れている小橋さん。
「子どもができたことによって、共に成長しながら変化していくものも作りたいと思うようになりました。」
子供が生まれ家族が増えたことも大きな気づきをあたえている。彼はどんなささいなことでも、自身を取り巻く環境からクリエイティブのヒントを得ているのだ。
真逆の行動をした方がいい
自分が何をしたいのか分からず葛藤していた時に、海外のフェスで体感した「体験した人の人生を変える感動の提供」という出合い。小橋さんは、この時感じた初心を忘れずに、今後も「新しい自分に気づくキッカケの場やコミュニティーを作りたい」と目標を口にする。
そんな小橋さんは、夢や目標に向かって一歩踏み出せずにいる人に伝えたいことがあるという。

1979年8月19日生まれ。東京都出身。LeaR 株式会社 代表取締役
88年に8歳で芸能界デビュー、以後数々のドラマや映画、舞台に出演。27歳の時に俳優活動を突如休業。その後、世界中を旅しながら多様な文化に触れることでインスパイアされ、映画やイベント製作を始める。「ULTRA JAPAN」など海外のイベントを日本に上陸させる牽引役の一人として活躍し、そのCreative Directorを務める。未来型花火エンターテインメント「STAR ISLAND」の総合プロデューサーも務め、内閣府主催「クールジャパン・マッチングフォーラム2017」にて審査員特別賞を受賞、最近では千葉市の稲毛海浜公園や東京・日の出埠頭の再開発なども関わるなど、クリエイティブな活動を通じて気づきの場づくりをモットーに、職業という枠にとらわれないマルチな活躍をみせている。
LeaR株式会社ホームページ http://www.learinc.space/
インスタグラム @kenji_kohashi
ツイッター @kenji_kohashi
多様な暮らし・人生を応援する
LIFULLのサービス
みんなが読んでいる記事
-
2024/08/08マイクロアグレッションとは?【前編】日常の発言や会話に潜む無意識の差別・偏見にどう対処するのか
「マイクロアグレッション(Microaggression)」という言葉をご存じでしょうか?マイクロ=小さい、アグレッション=攻撃性を意味することから、「マイクロアグレッション」とは、無自覚の差別行為によって相手を見下したり、否定したりする態度を指します。この記事では「マイクロアグレッション」について解説します。
-
2022/09/16白髪は染めなきゃ、なんてない。近藤 サト
ナレーター・フリーアナウンサーとして活躍する近藤サトさん。2018年、20代から続けてきた白髪染めをやめ、グレイヘアで地上波テレビに颯爽と登場した。今ではすっかり定着した近藤さんのグレイヘアだが、当時、見た目の急激な変化は社会的にインパクトが大きく、賛否両論を巻き起こした。ご自身もとらわれていた“白髪は染めるもの”という固定観念やフジテレビ時代に巷で言われた“女子アナ30歳定年説”など、年齢による呪縛からどのように自由になれたのか、伺った。この記事は「もっと自由に年齢をとらえよう」というテーマで、年齢にとらわれずに自分らしく挑戦されている3組の方々へのインタビュー企画です。他にも、YouTubeで人気の柴崎春通さん、Camper-hiroさんの年齢の捉え方や自分らしく生きるためのヒントになる記事も公開しています。
-
2024/01/1860代になったら美しさは諦めなきゃ、なんてない。― 藤原美智子が何歳でも輝き続けられる理由 ―藤原 美智子
2022年4月、長年のキャリアに終止符を打ち、大きな話題を呼んだ藤原美智子さん。ヘアメイクアップアーティストとして42年間、第一線を走り続けてきた。そんな藤原さんは引退後も「ビューティ・ライフスタイルデザイナー」として新たな取り組みにチャレンジしている。新たなチャレンジを続け、活躍し続ける藤原さんの原動力に迫った。
-
2021/10/28みんなと同じようにがんばらなきゃ、なんてない。pha
元「日本一有名なニート」として知られる、ブロガー・作家のphaさん。エンジニアやクリエイターたちを集めたシェアハウス「ギークハウスプロジェクト」を立ち上げたり、エッセイから実用書、小説まで多岐にわたるジャンルの本を発表したりと、アクティブでありながらも自由で肩の力が抜けた生き方に、憧れる人も多いはずだ。今回、そんなphaさんに聞いたのは、「がんばる」こととの距離。職場や社会から「がんばる」ことを要求され、ついついそれに過剰に応えようと無理をしてしまう人が多い現代において、phaさんは「がんばりすぎたことがあまりない」と語る。「がんばらない」ことの極意を、phaさんに伺った。
-
2024/08/06インクルーシブ防災とは?【後編】障がい者・高齢者など災害弱者を取り残さない取り組みと社会づくり
「インクルーシブ防災」は「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」という言葉から来ており、これは「あらゆる人が孤立したり、排除されたりしないように援護し、社会の構成員として包み、支え合う」という社会政策の理念を表します。インクルージョン防災の定義や事例を紹介します。
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。