無理してチャレンジしなきゃ、なんてない。【前編】-好きなことが原動力。EXILEメンバー 松本利夫の多彩な表現活動 -
EXILEは、最初から売れていたわけではなかった。改名前のJ Soul Brothersを結成して2年半は「鳴かず飛ばずだった」という。アンダーグラウンドで活動していたダンサーのMATSUこと松本利夫さんが、EXILEのオリジナルメンバーとしてメジャーシーンに突入していく瞬間に見えた景色とは、そして成功の裏に抱えていた葛藤とは。
連載 無理してチャレンジしなきゃ、なんてない。-好きなことが原動力。EXILEメンバー 松本利夫の多彩な表現活動 -

2001年にデビューしたEXILEは「Choo Choo TRAIN」「Lovers Again」「道」「ただ…逢いたくて」といった名曲の数々を世に送り出してきた。パフォーマー(ダンサー)たちがステージの演出を行い、時にはボーカリストの前に出て激しいダンスで魅了するエンターテインメントの形は、新しかった。
松本さんは、EXILEのオリジナルメンバーだ。もともとアンダーグラウンドのダンスシーンで活動していたダンサーたちが、元ZOOのEXILE HIROさんのもとに集い、メジャーでの新たなパフォーマンスの姿を模索した。しかし結成から2年半は「全く売れなかった」という。
2015年には、同じくオリジナルメンバーのEXILE MAKIDAIさん、EXILE ÜSAさんとともにダンスパフォーマーを卒業したが、現在もEXILEのメンバーとして幅広く表現活動をしている。前編では、子ども時代は生粋のゲーマーだった松本さんがダンスにのめり込み、EXILEの結成に至った経緯、「好きなことへの没頭」について伺った。
好きなことへの没頭と折れない心が、
次の道を開いてくれる
アクロバティックに動くヒーローへの憧れを持っていた少年時代
後にダンサー、パフォーマーとしてメジャーシーンで輝く松本さんは、小学生時代にはゲームにハマっていた。ゲームの中で動くキャラクターは、世界を自由に動き回っていた。その自由さは、憧れであり、居場所をつくるためのきっかけでもあった。
「小学校時代に衝撃だったのが、ファミコンの登場でした。父が造園業をやっていたので、水やりなどを手伝うと新しいカセットを買ってもらえたんです。当時、ゲームは誰の家にでもあるものではなかったので、僕の家がたまり場になっていて、友達がみんなうちに来て、ゲームをして遊んでいました。
スーパーマリオブラザーズも好きだったし、ゲーム以外に好きだったのはウルトラマンや仮面ライダー、あとは白バイ隊員……ヒーローが好きだったんです。自由でアクロバティックな動きへの憧れがありましたね」
中学校で出合った器械体操部で、先輩たちが見せるヒーローのような動きに魅了された。そして体で自由に表現することを覚えた。
「人間が普段あまりやらないようなアクロバティックな動きにかっこよさを感じていたんでしょうね。日常でバク転なんて絶対にしないけれど、それができることに、僕にとってのヒーロー像があって。器械体操はけががきっかけでやめてしまったのですが、そのアクロバティックな動きがダンスに結びついていきました」
「俺はダンスで生きていくんだ」。ダンスのことしか考えられなかった学生時代
高校生になった頃、ダンスブームがやってきた。憧れのダンサーが登場するテレビ番組に夢中になった。EXILE HIROのダンスは、毎週録画して、ビデオテープが擦り切れるほどずっと見ていたという。見よう見まねでダンスを覚えて、その週に流れた放送のダンスを地元のたまり場でひたすら練習した。とはいえ、ダンスはまだアンダーグラウンドな文化だった。
「僕が始めた頃のダンスは、アクロバティックな動きが多かったんです。そこへの憧れは子どもの頃から変わらずにあったので、ダンスに本気でのめり込んでいって。高校卒業のタイミングで、大学進学や就職の選択肢もありましたが、もうダンスのことしか考えられなくなっちゃって。進学も就職もせず、『俺はダンスで生きていくんだ』と。それから、とにかくダンス漬けの日々でしたね。
アルバイトでお金をためて、本場のニューヨーク(米国)に通って。ダンスをきっかけに、ヒップホップカルチャーにハマっていきました。あれほどのめり込んだものはないです」
東京では、ダンスチームを組み、名が知られていった。アンダーグラウンドからメジャーシーンへ躍り出るきっかけを与えてくれたのが、EXILE HIROからの誘いだった。
「ある日、HIROさんに呼び出されて、当時渋谷と原宿の間にあったデニーズに行きました。『実は、俺たちダンサーが前に出るスタイルのボーカルグループをメジャーでつくりたいんだけど、みんなそういうの興味あるかな』と、聞かれたんです。
当時、ゴリゴリのヒップホップの音楽で踊っていたので、HIROさんはJ-POPで踊ることに対して『みんなはどうかな』と、否定的な部分があるかを恐る恐る聞いてくれた。でも、僕はもう即決でしたね。『ぜひお願いします』と。だって、もともとZOOのHIROさんが好きでダンスを始めていますから」
後にジャパニーズ・ダンス・シーンに衝撃を与えるEXILEの前身、J Soul Brothersが結成された瞬間だった。HIROさんの他、EXILE MAKIDAIさんやEXILE ÜSAさんらも一緒だった。しかし、すぐに売れたわけではなかった。
「2年半は鳴かず飛ばずでした。自分たちで渋谷のハチ公前に行って、踊っていましたね。ダンスとボーカルでパフォーマンスをするスタイルは、まだ当時は珍しがられました。『パフォーマーと言うけど、バックダンサーでしょ』と見られていたので、悔しい思いもしました。
僕自身も、どっちつかずになっていたなと感じます。これからメジャーでやっていくのに、アンダーグラウンドの世界も追っかけていて。どちらかに振り切らないとダメだと、どこか焦りを感じていたんですよね」
時にはルールや思い込みを飛び越えることで、飛躍できる瞬間がある
新たなボーカリストを迎え、改名し、「Your eyes only ~曖昧なぼくの輪郭~」がドラマ挿入歌に採用されたことをきっかけにEXILEの快進撃が始まった。今では、ボーカル・ダンス・ユニットはメジャーシーンでよく見る存在になっている。
「全く売れない2年半の経験があったのは、今振り返るとめちゃくちゃ大きい出来事だったと感じます。ブランドがない中で手探りの状態でやってきて、売れる奇跡を感じられました。
後輩たちには、のびのびとやってもらいたいです。グループにはルールがあるので、そのルールの範囲内でやることは大事。でも、難しいですね。ルール内だけでやっていたら突き抜けられないだろうし、ルールを飛び越え過ぎると『なんだこいつ』と思われてしまうし……。
その飛び越える瞬間に輝く人もまれにいて、そういう人がやっぱりスターになるんですよね。破壊と構築ができるような人。そのぐらいのエネルギーを内に秘めている人であれば、突き抜けてほしい。のびのびと、自分の好きなことを自由にやってほしいです」
松本さんは純粋な人だ。ゲームが好きで、ヒーローに憧れて器械体操をして、ダンスにハマってその道を突き進んだ。
個性の時代といわれる。しかし、好きなことを続けるのは難しい。そんな時、既存のやり方を疑ってみることで、道が開けることがあるかもしれない。EXILEは、パフォーマーが中心となって結成するグループとして、日本のエンターテインメント業界にイノベーションを起こした。
好きなことを表現するためのステージを、自分でつくることもできる。そうすれば、好きなことを諦めずに続けられる。
後編では、困難に立ち向かいながらそれでもパフォーマーとしてステージに立ち続けた思い、EXILEパフォーマー卒業後の新しいチャレンジや精力的に活動し続ける原動力について伺った。

16歳からダンスを始め、1999年にダンスユニット「J Soul Brothers」加入、2001年にEXILEのパフォーマーとして「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」でデビュー。2007年、劇団EXILES第一回公演『太陽に灼かれて』より役者としての活動を開始すると、映画『LONG CARAVAN』にて初主演、「ビンタ!~弁護士事務員ミノワが愛で解決します~」(NTV)で連続ドラマ初主演。2015年末にEXILEパフォーマーを卒業。現在は「松本利夫ワンマンSHOW『MATSUぼっち』シリーズ」の上演、舞台や映画、ドラマで主演するなど、役者業を中心に活躍中。
Twitter @matsu0527_ldh
Instagram @exile_matsu
YouTube MATSUぼっち IN THE HOUSE
みんなが読んでいる記事
-
2025/08/07暮らしと心のゆとりのつくり方 〜住まい・お金・親の介護のこと〜
独り暮らし・資産形成・親の介護など、人生の転機に必要な住まい選び・不動産投資・介護の知識をわかりやすく解説します。
-
2023/11/14なぜ「結婚しなきゃ」に縛られてしまうのか|社会学者・山田昌弘
「おひとりさま」「ソロ活」という言葉や、事実婚や選択的シングルマザーなどが話題になり、「結婚」に対する一人ひとりの価値観が変化し始めている。「婚活」「パラサイト・シングル」などの言葉を提唱した家族社会学者の山田昌弘さんに、結婚に関する既成概念についてお話を伺った。
-
2024/03/19「若いね」「もういい年だから」……なぜエイジズムによる評価は無くならないのか|セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)と並ぶ差別問題の一つ「エイジズム」。社会福祉学研究者・朴 蕙彬に聞く
『日本映画にみるエイジズム』(法律文化社)著者である新見公立大学の朴 蕙彬(パク ヘビン)先生に、エイジズムに対する問題意識の気付きや、エイジズムやミソジニーとの相関関係について、またメディアやSNSが与えるエイジズムの影響や、年齢による差別を乗り越えるためのヒントを伺ってきました。
-
2021/01/21不妊治療がうまくいかないなら子どもはあきらめなきゃ、なんてない。【前編】池田 麻里奈・池田 紀行
2度の流産と死産、10年以上にも及ぶ不妊治療を経験した池田紀行さん(現在48歳)と麻里奈さん(現在46歳)は、特別養子縁組で生後5日の赤ちゃんを迎え、現在家族3人で暮らしている。「血のつながらない子どもを本当に愛することができるのか」。それは、二人が不妊治療から特別養子縁組を受け入れるまでの10年もの間、ためらった問いかけだった。さまざまな葛藤を乗り越え、3人が見いだした「家族」のかたちとは?
-
2024/04/02縦社会のしきたりは時代遅れ、なんてない。―落語家・瀧川鯉斗が伝える未来を切り拓くための「教わる」姿勢の重要性とは―瀧川 鯉斗
令和初の真打(しんうち)に昇進し、気鋭の若手落語家として活躍する瀧川鯉斗さん。ファッション誌のモデルを務める端正なルックスで世間から注目を浴びている。10代で落語の世界に飛び込んでから真打に昇進するまで14年。長い下積みや修行の日々は決して平坦な道のりではなかったという。「落語が何かも分からなかった」と話す鯉斗さんが、厳しい修行や縦社会のしきたりを乗り越え、落語に情熱を傾け続けられるのは一体なぜなのか
「しなきゃ、なんてない。」をコンセプトに、読んだらちょっと元気になる多様な人の自分らしく生きるヒントやとらわれがちな既成概念にひもづく社会課題ワードなどを発信しています。
その他のカテゴリ
-
LIFULLが社会課題解決のためにどのような仕組みを創り、取り組んでいるのか。LIFULL社員が語る「しなきゃ、なんてない。」
-
個人から世の中まで私たちを縛る既成概念について専門家監修の解説記事、調査結果、コラムやエッセイを掲載。