キャリアには一貫性がないと、なんてない。
Twitterフォロワー10万人超のインフルエンサーとして知られる5歳さんは、株式会社アマヤドリ代表取締役としてWeb広告などを手がける実業家でもある。5歳さんは高校卒業後、アルバイトをしながら日本や世界を旅する生活を続ける。鍼灸(しんきゅう)師に必要な国家資格を取得し整体師として働く中、Twitterでの家族についての発信が話題になり、瞬く間にインフルエンサーとして著名になった。異色の経歴を持つ5歳さんは、何に従って人生を選び取ってきたのだろうか。
フリーランスや副業、リモートワークなど、時代の変化とともに働き方も多様化しつつある。それでもなお根強いのが、「学歴や新卒で入った会社が人生を決める」「キャリアには一貫性がないといけない」といったキャリアにまつわる既成概念だ。誰もが知る有名大学を卒業し、一流企業に就職をする。そして一度勤め始めたらすぐに辞めてはいけない。この“レール”から外れてしまったら、幸せな人生が歩めないのだろうか。そんな既成概念を打ち破る生き方をしているのが、アマヤドリ代表取締役を務めるインフルエンサーの5歳さんだ。これまで歩んできた道はバックパッカー、整体師、ライターなど一見して“型破り”なキャリアを持つ5歳さんが考える、「働く」意味とは——。
「自分が楽しい」だけでは仕事にならない。
「自分」と「社会」の両方の円が重なったところに仕事があるんじゃないかな
Twitterで10万人超(2022年4月現在)のフォロワーを抱えるインフルエンサー、ライターでありながら、アマヤドリを経営する実業家。かと思えば、本業は鍼灸師の国家資格も持つ整体師だ。
インフルエンサーやクリエイターが多く所属する株式会社チョコレイトにも、“リサーチ整体師”として出入りする。
「疲れている人たちの肩を揉みながら、SNSや世間で話題になっているものを情報共有するのが僕の仕事です。そこで生まれたご縁が、仕事につながることも多い。本当に面白い世界です。
今は、僕が代表を務める会社を通してさまざまな仕事を引き受けています。PRイベントの企画・運営、SNS運用から、ライティングもやる。頼まれたらマッサージもするし、『なんでも屋』みたいな感じでしょうか。これまでの人生、ずっといろんな仕事を掛け持ちしてきたから、『これ一本』っていうのがないんです」
誰か一人でも喜んでくれるなら、全力で仕事に臨む
きっと、無意識に「パラレルキャリア」を歩んできたのだろう。こうしたユニークなキャリアは、どのように形成されたのだろうか。
「実は僕自身が『こうしたい』って強く思ってやり始めたことってあまりなくて。ただ、周りの人に『これやってみない?』と声をかけてもらったら、二つ返事で引き受けるようにしています。
だって、僕のことをよく知る人たちが、『きっと5歳さんなら面白くしてくれるだろう』と思って振ってくれているんですよ。引き受けたからには全力で期待に応えたいし、実際にこれまでの仕事は全部楽しかったから。
僕は楽しいことや面白いことが大好きだけど、『自分が楽しい』だけでは仕事にならないと思っています。社会の中で、誰かに求められているか、人の役に立てるか。『自分』と『社会』の両方の円が重なったところに仕事があるんじゃないかな」
5歳さんの周りには、彼の人柄や魅力に引きつけられた人たちが次々と集まってくる。その理由を自身でこのように分析する。
「やるからには本気だから、じゃないですかね。もうかるかどうか、ということは一回脇に置いて、採算度外視でパーッとやる。ものすごくコストがかかったとしても、誰か一人でも喜んでくれたらいいや、みたいな考えがあるんです。歯が浮くような発言かもしれないけれど、『周りの人の笑顔が見たい』って本気で思っています」
そう言って、屈託がない少年のような笑顔を見せる。人の笑顔を見るのが一番の喜び。そう実感した原体験は幼少期にあった。
「小学2年生の母の日に、少ないお小遣いをコツコツためて、母にちょっと高いエプロンをプレゼントしたんです。そうしたら、ものすごく喜んでくれて。学校の授業参観にもそのエプロンを着てきてくれた母の姿を見て、『プレゼントをすると人はこんなに喜んでくれるんだ』と思いました。それから、人を喜ばせたり驚かせたりするのが好きになりましたね」
日本一周から戻り、鍼灸の道へ。そしてまた旅へ
高校を卒業する頃の夢は、「家を建てる」ことと「旅に出る」ことだったという。だが「家を建てる」夢は思わぬところでかなってしまう。
「高校を卒業して父と一緒に実家を建て直したんです。もちろん素人でしたが、専門書とかで調べて、半年くらいで建ってしまって。自分でもびっくりしました。『いつか家を建てたい』って気持ちが収まったから、今度は『旅に出ていろんな風景を自分の目で見てみたい』という好奇心が抑えられなくなってきて。
ママチャリを改造して、国内を旅行することにしたんです。旅先で働く生活を続けて、北海道から沖縄まで、日本を一周しました。仕事は人づてで紹介してもらって、農業から薪割りの仕事まで、なんでもやりましたね。
日本一周から戻った後、鍼灸の資格を取るために専門学校に行きました。これから旅を続けるにしても、何か資格を持っていればお金に苦労しないだろうと考えたんです。
そんな時、小さい頃に家族にマッサージしてすごく褒められたのを思い出して。きっと向いているし、人を喜ばせることもできる。祖母や母が鍼灸師だった影響もあり、自然と鍼灸や整体を学ぶことになりました」
日中はアルバイトをしながら3年間、専門学校の夜間部で勉強し、鍼灸師の資格を取得。一度は整体師として就職するも、すぐに退職を選ぶ。
「もっと旅を続けたい。ほとんど衝動に近かったですね。最初に入った施設は3カ月で辞めて、バックパックで世界を周ろうと決めました。お金もなかったので、半年だけ日本に戻ってバイトをして、稼いだらまた半年は旅に出る……みたいな生活をしていました。ネパールに行ってエベレストを目の前にした瞬間、『もうやりきったな』って達成感が湧いちゃって。結局一周せずに日本に戻ってきました」
どんな仕事も工夫次第で楽しみを見つけられる
帰国後アルバイト先のすし屋で出会った女性と結婚し、子どもを授かった。そんな中、心臓に持病があった最愛の母が余命宣告を受ける。
「突然『余命1年なので、ご家族の時間を大切にして』と言われて。頭が真っ白になりました。母のそばにいようと思って、実家の近くに整体院を開業したんです。
最後の親孝行のつもりで、苦しそうな母に毎日マッサージやはり治療をしてあげていました。1年後に検査に行くと、余命宣告が取り消されるほどに回復していて。お医者さんも奇跡だと言っていたし、自分でも『神の手』なんじゃないかと思いましたね(笑)。
開業してすぐはお客さんもあまり来なくて時間を持て余していたので、当時はやりだしたTwitterを始めることにしました。小さい頃から文章を書くのは得意だったし、人を笑わせるのが好きな僕にとって、Twitterはぴったりだと思いましたね。
家族との出来事を面白おかしくツイートしていたら、どんどんバズって、あっという間にフォロワーが増えていったんです。いわゆる『インフルエンサー』になってから、PRやライティングなどの依頼が来るようになりました」
今の“インフルエンサー5歳”が出来上がったのはここ数年のことだというから驚きだ。そして著名になってもなお、アルバイトは続けていたのだそうだ。
「昼間は生協の配達員の仕事をやっていたんですが、すごく楽しくて。配達すると、そのお宅のおばあちゃんが『ありがとう』って言ってお菓子をくれたりするんです。こうしたいろんな人との出会いも仕事の醍醐味ですよね。
今までたくさんの仕事を経験してきましたが、どれも楽しかった記憶しかありません。もちろん肉体的にハードな仕事はあったし、辞めていく人もたくさん見てきました。
でも僕は、世の中のどんな仕事でも、工夫次第で面白さを見つけられると思っていて。どうしたら昨日より早く仕事が終えられるかとか、どんな小さなことでもいいんです」
死に際に走馬灯で見る景色を充実させるために生きる
現在はアマヤドリ代表取締役として、さらに活躍の場を広げている5歳さんだが、今後はYouTubeの活動に力を入れたいと意気込む。
「前からやってみたかったキャンプ動画をやろうと、道具も大量に買っていて、すでに赤字状態(笑)。自分が楽しいのももちろんだけど、やはりみんなを喜ばせたい気持ちが一番大きいですね」
年齢を重ねても、いや一生、やりたいことは尽きない。そう話す時の目は、少年のようにキラキラと輝いていた。
一見すると脈略もないように思えるキャリアだが、彼の中で一貫しているのは「人を喜ばせたい」という純粋無垢(むく)な思い。そして、好奇心だ。
「死に際に走馬灯でどれだけの景色を思い出せるか。それって“人生の総合評価”みたいなものじゃないですか。僕はそこで思い出す景色を充実させるために、生きているようなものかもしれない。
だから、僕の中で『旅に出たい』とか『こんな景色が見たい』って好奇心は抑えられるものじゃないんです。あとは興奮できるか、刺激があるかも大事ですね。根っからのギャンブラーなのかもしれません(笑)」
時に、「こうすべき」という世間体や固定観念に縛られ、自分の選択したキャリアが「正解」なのか、自信がなくなる時もあるだろう。それでも、自分の好奇心に正直に。そして、まわりの人を喜ばせるためには全力で——。その信念さえぶらさずにいられれば、どんなキャリアも「正解」にできるのかもしれない。
取材・執筆:安心院彩
撮影:阿部健太郎
1983年3月24日生まれ。インフルエンサー、ライター、実業家。株式会社アマヤドリ代表取締役。7つ年下の“嫁”と、2人の息子の4人家族。著書に5歳さんと嫁と息子たちとの、ドタバタで愛情たっぷりの生活を漫画にした『ぼくの嫁の乱暴な愛情』(KADOKAWA)がある。
Twitter @meer_kato
YouTubeチャンネル キャンプクレイジー/CAMP CRAZY
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